真紅の瞳 Inferno

 駅から少し歩いた場所に彼女ツキノメの家はあった。

 海外領域は言わば海外に来れるお金持ちが集まる場所。したがって、立ち並ぶ家々も一軒一軒が豪邸なのだ。

 高い門がある家や、新大陸の覇者という呼び名が付いているアメリカ連国の富豪の象徴、ホワイトハウスのごとく家を建てている者すらいる。

「お、おぉ……」

 そしてそれはツキノメの家だって例外では無かった。

 由緒ある美術館のような石造りの家。見るからに高そうである。

 刻三は居てはいけない場所にいるような気がして萎縮する。

「どうした?」

 家の前に来ても中へ入ろうとしない刻三に怪訝そうな顔を見せる。

「い、いや……。何かすげぇーなって思って」

 刻三は重たくなった足を動かしツキノメの家の中へと入っていった。

***

 室内は思ったよりも普通だった。高そうな天蓋付きのベッドや柔らかな肌触りのカーペットがあるわけではなく、普通のフローリングだった。外の石造りはかなり見せかけだ。

「中は普通なんだな」

 普通ということに本気で安心する。

「何、普通じゃダメなの?」

 ツキノメは紅茶を淹れながら顔を刻三の方へと向け、ぶすっと頬を膨らませる。

「あー、別に悪いとか言ってない。逆に安心したなーって」

 刻三は慌てて弁解の言葉を並べる。その甲斐かいあってかツキノメは一瞬で機嫌を直し、柔和な笑顔を見せた。

 そこへ紅茶が運ばれてくる。

 透き通る薄紅色の液体がカップの中で微かに波打ち、それにより紅茶特有の香りが部屋中を漂う。

 普通の白色のテーブルの上に刻三の前とそれに向かい合うように置かれる。

 そしてツキノメが紅茶に置いた所──つまり刻三の前──に腰を下ろした。

「何だよ」

 腰を下ろすや否やチラチラと刻三を見てくるツキノメに対して言葉を放つ。

「な、何も無いわよっ!」

 頬を紅潮させ、自分の淹れた紅茶を一気に口に含む。

「あっつ!」

 そりゃそうだろ。刻三は心底そう思った。

 淹れたての紅茶を一気に飲むヤツなんかそうそういない。無論、それを飲めば舌の火傷は必須で含んだモノを吐き出してしまうのが世の理みたいなものだ。

 そしてそれさツキノメにも同じだ。白色のテーブルを上に紅茶をぶちまけたのだ。

「うわぁ、ごめんなさい!」

 ツキノメはテンパった様子で勢いよく立ち上がる。

 すると今度は上げたひざがテーブルに底に当たりテーブルを大きく揺らす。

 テーブルが揺れることにより、カップの中の紅茶が盛大に揺れ、波打ち、遂にはカップの中から零れだした。

「うわぁぁ、ごめんなさーい!!」

「いや……、いいけどさ。もうちょっと落ち着いたら?」

 刻三は動じることなく冷静にそう告げる。

 その間もツキノメはパタパタとせわしく台所とテーブルの間を行ったり来たている。


「大喜利見てる気分だったわ」

 ようやくテーブルの上に散らかった紅茶が拭き取られ、新たに紅茶を注ぎツキノメが腰を下ろした。

「そんなこと言わないでよっ」

 頬を膨らませツキノメは怒った様に言う。

 刻三は朗らかな笑みを浮かべ

「嘘だよ」

 と言い、淹れ直してもらった紅茶を啜った。

「で、俺を呼んだ理由は?」

 表情を真剣にし、刻三は訊く。するとツキノメも先程までのおちゃらけた雰囲気を消し、一気に真面目モードになる。

「クララがさらわれた」

「……は?」

「だから、クララが攫われた」

「いや、2回言わなくてもいいわっ!」

 予想の遥か斜め上をいくツキノメの言葉に刻三は思考を奪われる。

「いつからだ?」

 刻三はどうにか思考を取り戻し、言葉を紡ぐ。

「昨日から帰ってこないの」

「単に帰ってこれないってのは有り得ないのか?」

「私もそれは考えたわ。でも、電話も全く通じないの」

 ツキノメの表情に焦りが滲んでくる。そして声まで震えはじめる。

 最初どうしてあんなにおちゃらけていられたのが不思議なくらいだ。

「それもそうだな」

「私……これから1人なのかな?」

 昨晩の悲しみが込み上げてきたのか遂には涙をも流し始めた。

 刻三はそれを見るや急に胸が締め付けられ、苦しくなった。

 それは刻三自身がニホン崩壊のあの夜に息絶えた千佳を見て感じたものと同じだったからだ。

「心配すんな」

 刻三はそう囁き、少し体を乗り出す。それから手を伸ばし、綺麗な銀髪の上に手を載せ滑るようにして撫でた。

 ツキノメは恥ずかしそうに顔を少し俯かせる。朱に染られた頬。瞳からは大粒の真珠のような涙が零れる。

 刻三はそのまま頭を撫で続けた。それ以上でもそれ以下でもツキノメとの関係が壊れるような気がした。

 しばらくしてツキノメは泣き止んだ。目を赤く腫らしている。

 熱々だった紅茶も飲みやすい温度にまで冷めている。

 ずるずるっと紅茶を喉に通す。

 冷めたことで飲みやすくなったが、淹れたてのような風味は薄れていた。

「なぁ、俺からも1ついいか?」

 落ち着きを取り戻したツキノメに俺は口を開いた。

「何?」

 未だに鼻声ではあるが冷静さは十分に取り戻したツキノメが返す。

「ここに来るまでに攻撃された」

「どういうこと?」

 ツキノメは手にしていたカップをほとんど音を立てず置く。

「俺にもよく分かんねぇんだ。でも……、能力アーカイブを使えるヤツの仕業だと思う」

 襲われた状況を頭の中で再生しながら静かに答える。

 ──燃え盛る炎が地面に触れるや否や音なく存在すら無かったものへとなった。そんなものがこの世に存在するはずがない。

「何で分かるの?」

 ツキノメは奥歯をキッと噛み締め訊いた。

「炎が消えたんだ」

「どういうこと?」

「俺に向かって飛んできた炎が、地面に当たる寸前で消えたんだ。まるで元から無かったかのようにな」

 刻三の言葉に空気が重くなる。つい先程まで射し込んでいた陽光は一切の姿をけし、代りに部屋全体を暗くする。

「それは……、間違いなく能力者ね」

 首肯し、ツキノメは体を震わせた。

「なぁ、ツキノメ」

「なに?」

 刻三は一瞬、続きを言うか悩んでから紡ぐ。

「今から俺の家来ないか?」

 恐らく、いや、確実にクララは何らかの事件に巻き込まれている。そして刻三もその可能性が大いにある。

 だが、それはツキノメや千佳にだって言えることだ。

 こういう時はまとまっていた方がいい。そう考え、刻三は提案した。

 それをどのように受け取ったのか、ツキノメは狼狽し、赤面させる。

「い、今から?」

 声を上擦らせ誰がどう見ても勘違いしているようにしか見えない。

「あの……、何か勘違いしておられるのでは?」

「えっ? 勘違い?」

 刻三はこくりと頷く。

「そ。誰が狙われてもおかしくない状況だからまとまっていようって意味だからな」

 ツキノメは目を点にする。そして慌てて口を開く。

「わ、分かってたわよっ!!」

 目尻にうっすらと涙を浮かべながらふくれっ面でそう叫んだ。

***

 それからしばらくして刻三とツキノメは由緒ある美術館のような外観を持つツキノメの家を後にした。

 海外領域の豪邸の間を2人並んで歩く。

 すっかり夜になっている。空には綺麗な満月と星々がキラキラと輝き浮かんでいる。

 夜の海外領域は静寂に包まれていて、不気味な感じすらする。

 まるで誰も住んでいない……、そんな雰囲気がある。

 その閑散とした街を抜け、刻三たちは海外領域前駅に辿り着く。

 刹那、紅い何かが飛んできた。

 ふわふわと空中を漂い徐々に刻三たちの元へと近づいてくる。

 近づくにつれてそれは大きくなる。最初は豆つぶ程度の大きさだった。しかし、眼前にまで迫ったそれはまるで地獄の業火。

 刻三は咄嗟にツキノメをかばうようにして右側へと飛んだ。

 ぎりぎりでかわすことに成功した刻三。行き場を無くした紅蓮の業火は地面に触れた。

 刹那、炎は全くの欠片を残さず霧散した。

「な、何!?」

 ツキノメは声を荒らげる。

 傍から見れば今の状況は刻三が夜の駅前でツキノメを押し倒しているように見える。

 駅前になんの被害もないからだ。

「これだ。俺が襲われたって言った謎の炎だ」

 刻三はツキノメの上から離れながらボヤく。

 分からない事だらけだ。

 今の刻三の脳内はそれ一色だった。

***

 真紅の瞳が海外領域前駅の標識の裏に覗く。

「チッ……。また外したか」

 若い男の声だ。宵闇の中でも爛々らんらんと光る瞳を持つ男はポツリと吐く。

「我、先人の知恵を以て幾千のほむらを操る者なり」

 瞬間、音の全身が闇色の怖気を感じさせる炎に包まれた。

 その闇色の炎は星々がまたたひかる夜空へと消え去った。

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