それぞれの想い finale
刻三は手を伸ばしたまま更に先へと向かう。
刹那、巨大な防御壁に阻まれる。
囚われのツキノメの周りに更なる空間が形成されていたのだ。
刻三は舌打ちをし、クララを持ち上げ背負い直す。
青緑の空間が怪音を刻み始める。
ストン。ヒュー、ストン。
何の音か想像もできない。ただただ音が刻まれる。
刻三は精一杯の喚き声を上げ、謎の防御壁に頭突きをする。
手は通っても身体は通らない。どんな理屈で防御されているか分からないが不可視の防御壁は刻三、クララとツキノメの間に大きな壁を作り上げている。
刹那、再度ストンという音が鳴り、元々クララが立っていた場所の床が抜けた。青緑から暗黒になる。底など見えない。ただただ深い大穴を穿いた。
穴は音をなくして徐々に範囲を広げていく。それは目に見て分かるほどの速さでだ。
その穴がツキノメに及ぶまでおよそ三分といったところだろう。
刻三はクララをしっかり背負いながら、防御壁を蹴る。
音は立たないが圧倒的な反動が返ってくる。
何度蹴っても、殴っても、ぶつかっても同じことだった。
その間もツキノメはうなされる。
抑えていた
悲痛と哀愁が入り混じったような聞いている方の胸をエグるような声。
刻三はその声に涙した。千佳を攻撃されたとは言え、実際千佳は眠らされただけだった。これでは完全に刻三の過剰防衛となる。
ツキノメの悲鳴の大きさは大きくなる一方。その大きさに釣られ、刻三の涙し上げる喚き声も大きくなる。
「ごめ……ん。いま助けてやる……からな。ごめん……ごめん……ごめんっ」
刻三は同じ言葉を無限リピートし、壊れたラジオのようだ。
一方、穿たれし穴は範囲をさらに広げ刻三の足元へと迫ろうとしていた。
広げる方向を変え、刻三たちの方に広がってきているのだ。
恐らくもうあと一分ともたない。一分ほどで地盤は沈下し、刻三とクララは奈落の底へと消えるだろう。
刻三はそれが直感的に理解した。そして、もう逃げるべきだ、と脳が体を訴えている。
何度も何度も見えることのない防御壁に阻まれ続け、額は割れ血が流れ出ている。
脚はあちらこちらが赤く腫れ上がって、手も骨が砕け握ることすらままならない状態である。
しかし、刻三は絶対にクララを落とさず立ち上がる。
脊髄反射でツキノメを助ける。と決めてしまっているのだ。
荒くなる呼吸、限界寸前の身体、そしてもう目の前まで迫ってきている大穴。
どれにも目を向けることなく刻三はツキノメ向かって突進する。
「もうやめてッ!! 私のこと……助けよう、としてくれ、てるのは凄く嬉しい……っ! でも、もうやめてッ。貴方と、クララが穴に呑まれて死んじゃうっ!!」
痛みのままに上げる悲鳴に変え、ツキノメは今彼女が想ってる正直な想いをそのまま口にした。
「うるせぇッ! お前が自分のことをどう思ってるか知らねぇけど、俺はお前を助けるって決めたんだ! 決めた以上、男がケツまいて逃げるなんて出来るわけねぇだろ! だから後は黙って助けられるのを待ってろ!」
ガラにもなく刻三は叫んだ。色素が薄く抜けた茶色の毛が
何の特徴もない男だが、ほんの数日前。燃え盛る街の中で緑の髪をもつ男から受け継いだ謎の能力が今の状況に直結している。
そう思うや刻三は言葉では表現できないほどの量の感情が沸き上がり、喉が裂けそうなほどの咆哮をあげる。
その咆哮があまりにうるさかったのか刻三の背にいる栗色の髪を持つ女の子が小さな吐息のような声を漏らした。
「うっ……。ふぁー」
場違いな大きな欠伸が逆に場を和ませる。しかし、時間は後二十秒ほどしか残されていない。
刻々と迫る穴になす術なく終わるのか……。
刻三、ツキノメ、互いの脳内にそんな思いが駆け巡る。
「ツキノメちゃん!」
迫り来る大穴とボロボロになった刻三を見て大体の状況を呑み込んだのか目覚めたばかりのクララは大きな声で叫ぶ様に苦しむツキノメの名を呼んだ。
「絶対助けるから! 私と刻の使い手と一緒に、絶対助けるからッ!」
魂のこもったクララの叫びはツキノメの心だけでなく刻三の心にも響いた。
しかし、瞬間。大穴は刻三とクララを襲った。予想よりも五秒は早く刻三たちの元へと到着し、奈落へと突き落としたのだ。
クララの断末魔が木霊する。
「我が統べる
奈落へと落ちながら刻三はそっと唱えた。
刹那、重力に引っ張られ落ちていた感覚は消え去り、上へと上昇する浮遊感が刻三とクララを襲ったのだ。
あまりの出来事にクララは声を上げることすらできない。
そしてそのまま二人は青緑色が支配する『亜空間』へと舞い戻り、二人を呑み込んだ穴は段々と範囲を狭めていったのだ。
「な、何が……起きたの? 」
ただでさえ大きな瞳をさらに大きくし、クララは言葉を紡いだ。
「刻を巻き戻した」
「嘘……」
「ホントだ」
「じゃあそのままもっと巻き戻せば……」
驚きながらもそう提案するクララに対し、刻三は小さくかぶりをふった。
「それは無理だ。俺はまだこの
「それじゃあ、また五分後には……」
「あぁ。あの穴が攻めてきて今度こそ俺たちは呑み込まれてバッドエンドだ」
クララは表情を暗くする。
「そんな顔するな。何のための五分だ。死ぬ時間を伸ばすための五分か? 違うだろ。この五分はツキノメを助けて、俺とお前とツキノメの三人で『亜空間』から抜け出すための五分だろっ!」
刻三はそう言ってのけ、今までクララを抑えていて怪我のしてない右手を使い防御壁を攻略しようとする。
そんな刻三の目の前で苦痛にもがく表情を浮かべるツキノメがいる。その姿が刻三の視界にチラッと映った。
──なんだこの既視感は……。俺はこれに似た表情を見たことがある……のか?
刻三は瞬時に思い出された。青白い世界に一人で放り出され、動けない相手を殴ったその刹那に見たものだと。
『おい、
心に住まう何者かに言葉には出さず、心の言葉で訊く。
『それを聞いてどうする? お前がこいつらを救おうとする限り、救いの手は差し伸べんぞ』
『別にいい。だが、それとは関係なく術の使い方くらい知ってたっていいだろ』
心に住まう何者かは人間ではないのにとても人間らしい上手なため息をつき『後に続け』と語りかけた。
「タイム ツァイ タン テンポ オラ テンプス クロノス ヴリエーミ スジアン
九の刻。
バシッという音とともに世界は凍結し、青緑だった世界が一瞬にして青白い世界へと大変身する。
隣にいるのはピクリとも動かない長く伸びた毛の先が少しカールのかかったクララ。そして謎の壁を挟んだ先にいるのは悶絶の表情を上手く保つツキノメ。
その謎の壁の正体こそが刻三を苦しめ続けた防御壁だろう。
薄い膜のようだが、時が凍結したこの世界でその膜の中に存在する無数の数字が流れるようにあった。
不気味に思い刻三はその壁をドアをノックするかのようにコンコンと叩いた。
もちろん音などは返ってこないが、代わりに流れる数字が大きく歪み防御壁に大きな凹みが生まれたのがわかった。
つまりこれはシステム的に作られた壁ということだ。
強い力でこじ開けようとしてきたが、強い力では強い力で返せとプログラムしてある壁に強い力をぶつけても無駄だ。
逆に弱い力をあらゆる場所か、外と中同時に攻撃をするとあらゆる方向へ力を返そうとし、システムのキャパオーバーとなり破壊できる可能性がある。だが、それはあくまで可能性の話であって、確実性はない。
刻三は自分だけが動けるこの静止空間で決意を固めた。
──システムである以上必ず欠点はある!
まだ無傷である右手とボロボロで骨折もしているだろうと思われる左手、両方の手を力いっぱい握る。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
擦り切れそうな叫びとともにシステム防御壁を殴った。
完璧なフックが決まる。刹那、流れる数字が乱雑に揺れ動き、修復せんと必死に動く。
その瞬間を狙い刻三はいたるところが腫れあがった脚を上げ、力いっぱいに蹴り飛ばした。次は目では追えないほどの速さで数字が流れ、一本の線にすら見えるほどだ。
それと同時に刻三には感じたことのないほどの力が反動として返ってくる。
声があがらないほどのホンモノの痛み。肺から空気が逆流し、胃から胃酸が逆流し、口からは空気や内容物が吐き出される。
──まだだ。あと少し……、あと少しで破壊できる……。
刻三は色々な物の逆流により、目尻にうっすらと涙を浮かべている。
だが、そんなものを気にしている暇はない。
再度、両手で拳を作る。そして力の限りで壁を殴る。
幾度となく殴り続けてきた左手の甲の皮膚が擦り切れ、鮮血が迸る。
あまりの痛みに耐え難い声が轟く。しかし、拳の威力は落とさない。
奥歯を噛み締め、全力で殴る。
瞬間、ポロポロと刻三、クララとツキノメを断絶していた不可視の防御壁は崩れ落ちたのだ。
具体的な音は無かったが、目の錯覚とかではなく確実に上部からポリゴン状の欠片となり落ちていったのだ。
──やった……。
刻三は心の中でそう呟く。
「
時間凍結を解除するための
文句を言わなくても三十分後に自動解除されはするが、今の刻三がそれを待つ原理はない。
そしてその文句を告げた瞬間、再度バシッという耳を刺すような音がなり世界に色が戻る。視界一面に広がる青緑色の『亜空間』が戻った。
刹那、いまこの瞬間を今か今かと待っていた大穴が勢いをつけ刻三とクララの元へと迫る。
刻三はボロボロの左手でクララの手を握る。
柔らかくはあるが手のひらにはいくつもマメができており、苦労がにじみ出たような手だ。
そして未だ悲鳴を轟かせ続けるツキノメの元へと走った。
いつもなら必ず防御壁が行く手を阻む場所。一瞬の
刻三はそのまま突っ走った。
クララは目を丸くし、驚きを隠せない表情を浮かべるもそれに対して何か訊くことは無い。
いや、聞けないのだ。大穴がすぐそこまで迫っている状態でそんな余裕はない。
防御壁が無くなったことにより、刻三ははじめてツキノメの目の前にまで辿り着くことが出来た。
ツキノメの目の前に立った刻三は柔らかな笑顔を浮かべる。
「お待たせ」
そう囁き余っている右手を差し出した。
ツキノメは苦痛にまみれる表情の中に一生懸命に笑顔を浮かべる。
歪な笑顔ではあったが、苦痛に抗うツキノメの笑顔は最高に輝いて見えた。
ツキノメはゆっくりと手を動かす。実際にはピクリとしか動いてないのだが……。
刻三はピクリと動いた手のその場所へ右手を動かしその手をぎゅっと握った。
そしてそのまま力のままにツキノメを引っ張った。
根を張った大樹のようにその場に固定されたツキノメ。刻三も負けじと引っ張る。
大穴から少しは離れたつもりではいたがそうではなく、目の前にまで迫ってきていた。
キリキリと音が鳴るまで強く歯を食いしばり、ありったけの力を使った。
刹那、ミシミシという音が響き大穴の移動速度が格段と落ちた。
刻三はさらに力を込め、全体重をかけてツキノメの手を引っ張った。
その瞬間、ツキノメは苦痛から解放され力のベクトル方向へ投げ出された。
それと同時に大穴は何も無かったかのように消え去り、天井部から青緑色がポリゴン状になり破片となりポロポロと落ち始めた。
『亜空間』の崩壊が始まった。
力いっぱいに引いたせいか囚われの身から解放されたツキノメは思い切り刻三の方へと飛ぶ。
「お、おいッ!!」
「えええええええ」
刻三とツキノメ、二人の叫びはシンクロし、そのまま激しい音を立て激突した。
「ごめんっ!」
ツキノメが慌ててそう謝るも返事はない。
天井部の青緑色が完璧に剥がれ落ち、なまめかしい月光が降り注ぐ。
瞬く星々も綺麗に輝きを放っている。
その輝きを受け、刻三の顔は照らし出される。
順々に璧部も剥がれ、本来あるべきシバラの景色が蘇る。
「ねえっ!」
焦ったようなツキノメの声が響く。返事のない刻三が心配になり上げた声だ。
「大丈夫、お兄ちゃんは気を失ってるだけ」
『亜空間』の外に立っていた水色の髪留めで髪を結った少女が告げた。
「貴女は…… 」
「私は堀野千佳。そこに倒れている刻のアーカイブの使い手、堀野刻三の妹であり
声を荒らげるツキノメに対して千佳は至って冷静に答える。
「なんで分かるの?」
「私がお兄ちゃんの不死体だからよ。お兄ちゃんが死ねば私も消える。だから分かるのよ」
クララの心配そうな問いにも平然と答える。
瞳に色の灯らない、死んだような瞳をした千佳は脱力的に感じる。
いつもの千佳でないような……そんな気がする。
「じゃあ……、死なないのね?」
ツキノメは嬉しそうに訊く。
「随分嬉しそうだな。あぁ、死なないよ」
千佳はそれを答えた瞬間、全身の力が抜けたかようにヘナヘナっとその場に倒れ、規則正しい寝息をたて始めた。
***
ふかふかとした感触が刻三の頭をしめる。
全身はまだ痛みが残る。手や脚などは動かせないと思うほど痛い。
しかし、目を覚まさ無ければ……。そう思い刻三は重たい瞼を押し上げ、目を開ける。
どれほど眠っていたのかも分からない。
そっと目を開けた瞬間、予想だにしなかった
刻三は短い声を漏らし、ぎゅっと瞼を閉じる。
その一方で爽やかな風が頬を撫でる。
痺れのない右手を持ち上げ、顔の上に載せる。それからそっと目を開けた。
そこには心配そうに刻三を覗き込む三つの顔があった。
一人はもちろん妹の千佳だ。今にも泣き出してしまいそうなそんな表情である。
そして蒼碧の双眸を向けるツキノメと茶色の双眸を向けるクララ。
三人は刻三の目覚めを確認すると真珠のような大粒の涙をこぼした。
「こ、ここは……?」
みっともなく声を張り上げて泣く三人の美少女たちに訊いた。
「貴方と貴方の妹さんが泊まってた宿泊施設よ。壊れてない部屋を使ってるわ」
「壊れてないって……、壊したのツキノメたちだろ」
刻三は苦笑混じりにそう言うとツキノメは困惑した表情を浮かべる。
「嘘だよ」
朗らかな笑顔を浮かべ、部屋を見渡す。
茂じいに貰ったリュックサックは消えているが、茂じいから受け取った大量の金貨は泥まみれになっているものの拾い集めてある。
それに額には濡れタオルが載せてある。水を張った容器の横には真っ赤に染まったタオルが二枚置いてある。
「色々ありがとな。千佳、ツキノメ、クララ」
寝転んだままくしゃくしゃな笑顔を浮かべ告げた。
「うんっ!」
刻三の言葉にクララは盛大な笑顔で応え、寝転がり無抵抗な刻三の唇に自分の唇を重ねた。
「「あぁーー!!」」
ツキノメと千佳の絶叫がハモる。
「クララ、抜け駆けはずるいわよ!」
「抜け駆けなんかないよっ! お兄ちゃんは私のなんだからっ!」
怪我人の頭上で美少女三人が何やら言い合いを始めた。
「まぁまぁ、その辺で……」
間に入ろうと口を挟んだ。
「「「ちょっと黙っててっ!!」」」
三人が息ぴったりで刻三に言い返した。
刻三はどうすることもできず「すいません」とだけ呟く。
そんな声が届くわけもなく、三人の言い合いは続く。
何とかしてくれ……。
刻三は心の中で呟き、喧騒な場面を暖かな目でそっと見守った。
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