荒ぶる聖光(ひかり) holy

 それから数時間、 刻三と千佳はわけも無く走り続けていた。倒れても倒れても追いかけてくるツキノメから逃げるために必死に駆けた。容赦なく降り注ぐ陽光に汗を掻きながらも、足を止めることはなく走った。

 その結果、2人はシバラ着いていた。シバラは思っていたよりすたびれていた。

 かつては奴隷産出国として名を馳せていたのだが、二年前に世界連合が決めた奴隷廃止制度のために一気に地に落ちたのだ。

 人を売ることでしか経済を立てることができなかった国から政経を安定させる唯一の手段を奪ったのだ。そうなることは然と分かっていたことだ。

 そうしてシバラは完全に廃れたのだ。今では豪遊が暮らしていた家は蔦が伸び放題で、窓も割れ、見る影もない。

 国の至るところに落書きがある。

 『国を返せ』や『世界連合許さない』などといった批判するものばかりだった。

 そんな街並みに嫌気がさしながらも刻三と千佳は歩いていた。

「お兄ちゃん……」

 千佳が弱々しい声で刻三を呼んだ。刻三は千佳の頭の上に軽く手を乗せ笑った。

「大丈夫だ」

「うん」

 2人はそれから何も話さず、ただひたすらに歩いていた。しばらくすると少し手入れされた感のある建物が視界に入ってきた。壁に蔦などはなく、ひび割れすらなかった。刻三は意を決して木製のドアを開き中へと入ってみた。

 そこには人がいた。ゲッソリとした顔をした四十代そこらの男性だ。2人が入ってきたことに目を見開き、心底驚いたような顔を見せた。

「ど、どうかなさいましたか?」

「あぁ。ここらで1泊できるとこはあるか?」

 刻三は男性に訊いた。男性は体を仰け反らせて驚く。

「そんな驚くことか?」

「いえいえ。この国に人は滅多に来ないもので」

「だろうな。死国とまで言われるくらいだからな」

「いえいえ。それは言い過ぎですよ」

「そんなことはどうだっていいんだ。この国に泊まるところはあるのか?」

「いえいえ。ここが一応ホテルとなっております」

 今度は刻三が「おぉ」と声を漏らした。

「なら話は早い。俺たち2人を1泊させてくれ」

 刻三は口角を釣り上げ、告げた。

「いえいえ。喜んで!」

 つい先程まで元気のなかった男性が息を吹き返したかのように声を出してビジネスを始めた。

「お2人様1泊ですね。お部屋のほうはどういたしましょうか?」

「一つで大丈夫だ」

「いえいえ。かしこまりました。では、301号室です」

「ありがとう」

 刻三は男性から301号室の鍵を受け取ってから千佳に目配せし、部屋へと向かった。

***

 ガサっ。ゲッソリとした男性以外誰もいなくなったフロントで風もないのに設置してある観葉植物が音をたてて揺れた。男性は一瞬、音のした観葉植物の辺に目をやるが気にする素振りはなく、小さく首をかしげる程度だった。

 よくよく考えると違和感しか無いのだが、男性がそのことに気づくことはなかった。

 刹那、フロントに電話が鳴った。301号室かららしい。

 て言うか、301号室以外に客がいると思えない。

「いえいえ。こちらはフロントです」

「……」

「いえいえ。すいません。すぐにお持ちいたします」

 頭を下げながらそう言い、男性は受話器を置いた。電話が終わったのだろう。

 フロントの男性の口ぶりから何か部屋にあるべき物が無かったのだろう。

 男性は今まで客が来てなかったことが不自然であるほど慣れた手つきで歯ブラシとタオルを準備した。それから駆け足ぎみに階段を登り、301号室を目指した。

 男性がフロントから去ってすぐ、機を見計らっていたかのように木製のドアが開いた。

 キィーとゆっくり開けられたことにより軋む音がなる。しかし、フロントには誰もいないためそれに気づくことは誰もなかった。

 そしてフロントに男性が戻ってくる頃には何事も無かったかのようにドアはきっちり閉まっていた。

「ふぅー、危なかった。でも、刻の使い手みーつけた」

 茶色の髪をした少女が布の奥から現れた。周りの景色と寸分足りとも変わらない布を持っている少女の身なりは一言で言うならば貧乏人だった。

 栗色の双眸は透き通っており、顔自体は美しい。だが、服装がアウトだ。ボロ雑巾のような布しか纏っていないのだ。

「まさか、ここに来てくれるとは思わなかったよ。あの時はどうしようって思ったけど……」

 可憐な顔立ちの彼女は妖しい笑みを刻みその場を疾風の如くで立ち去った。

***

 一方その頃。刻三たちは普通にホテル内で生活をしていた。ここ数日野宿などで日を過ごしてきたのでまともにお風呂や歯磨きなどを出来ていない。それらを存分にやっていた。まずはお風呂。千佳は先に入ると言い出し聞かなかったので先に入ってる。

 微かに鼻歌を歌っているのが外にいる刻三にすら聞こえる。

 それほどまでに気持ちいいのだろう。

「先に歯磨きしとこうか」

 別にしなくていいと言えばいいのだが、何故か気になる。数日できなかった分を返すように、ゴシゴシといつもなら磨かないような奥の奥まで磨いた。

 それからベッドに転がって千佳が上がってくるのを待った。しばらくするとガチャガチャと浴室から出てくる音が聞こえた。ふんふん、という鼻歌はまだ続いているようだ。

 ゴシゴシと体を拭く音が鮮明に聞こえる。兄妹だというのにちらりとヤラシイ考えが過ぎる。慌てて頭を振ってその妄想をかき消す。

 それからすぐに千佳は来た。先程までと同じ服装でやって来た。

 刻三がそうしろと言っていたのだ。いつ敵襲にあって逃げ出さなければならない状況になるか分からないから──。

 続いて刻三が風呂に入った。女と違い男の風呂は短い。が、今日ばかりは長く入っていた。入ってなかった分を返すように長く入っていた。

 刻三が上がってくる頃には千佳はもうベッドで眠りに付いていた。

 すやすやと規則正しい寝息をたてて眠る妹・千佳を見て笑みをこぼしてから刻三も睡眠に付いた。まだまだ太陽は空の真ん中にある。連日眠っていると言っても野宿。疲れが取れるはずが無い。刻三たちはベッドの柔らかさ、気持ちよさを噛み締めながら爆睡した。

***

 日は既に落ちかけ、黄昏時となっていた。夕方でも夜でもない時間。そんな時にツキノメはシバラにたどり着いた。

 腹部に寸止めされた拳の周りにあった鎌鼬のような風で僅かに斬られたお腹。

 そこから零れる微量の鮮血をポトポトと落としながらやって来た。

「あなたが聖光のアーカイブの使い手さんですね」

 刹那、ツキノメは誰もいないはずの右隣から控えめな女性の声を聞いた。ツキノメは一瞬にして身構える。

「あー、身構えないで下さい! 私はあなたの味方です。私は創造のアーカイブの使い手クララです」

 景色が歪み、その奥から人が現れた。茶色の髪が長く伸び、透き通った栗色の双眸がしっかりとツキノメを捉えていた。

「あなた……アーカイブの使い手?」

「そうです。あなたは刻のアーカイブの使い手を追って来たのでしょ?」

 目的を言い当てられたじろぐツキノメ。

「私も目的は同じです」

 クララは屈託のない笑顔を向け、ツキノメの信頼を得ようとする。

 ツキノメは半信半疑ではあったが、仲間がいることに越したことは無いと考え差し出された右手を取った。

「私は聖光のアーカイブの使い手ツキノメよ」

「よろしくね、ツキノメちゃん」

「こちらこそ、クララ」

 すたびれた国の入口。そこで2人のアーカイブの使い手による刻のアーカイブ抹殺同盟が結ばれた。

「それでね、刻の使い手はいまホテルにいるわ」

「ど、どうして知ってるの!?」

 何食わぬ顔で刻三の居場所を吐いたクララに驚きを隠せず、ツキノメは訊いた。

「私の能力ちからをもってすればつけることくらい平気よ。まぁ、偶然街中で彼を見つけられたのはラッキーだったけどね」

 貧相な格好をしているが、可愛らしい顔立ちをしているクララが申し訳程度に笑った。彼女の笑みは女のツキノメですら一瞬ドキッとするほどのものだった。

「そ、そう」

「で、どうするの?」

「どうするって?」

 クララの疑問にツキノメは疑問形で返す。

「刻の使い手をいつ叩く? ってことよ」

「いつって……」

 自分の腹部にちらりと目をやりながら曖昧な返事を返す。

「どうしたの。もうやられてるの?」

 その変化を察知したのかクララは心配を全面に出しながらツキノメに詰め寄る。

「ちょっと戦っただけ」

「だ、大丈夫なの?」

「大丈夫よ。まだ彼は能力を使いこなせてないような感じだったけど……、一言で言うならばやっぱり最強ね」

 腹部を殴られかけた時の状況を脳内でフラッシュバックさせながら答えた。

「じゃあ、どうするの?」

 弱弱しくクララは聞く。

「やるしかないじゃない。それが私たち使なのだから」

 ツキノメは自分に言い聞かせるかのように強く言い、クララを見た。クララはそれに応えるかのように強く頷いた。

***

 時は過ぎた。天は闇で覆われ、すたびれた街に差し込むのは仄かな月光だけだ。

 そんな薄暗い街中を駆け巡る一つの影があった。忍者の如く素早い動きである一点を目指して迷いなく疾走する。

「もう着く?」

「あと少しです」

 一人で走ってるわりに誰かとの会話が成立している。電話でもしているのかと思いきやそんな素振りはない。見えない誰かと会話しているのだ。

 そんな二人は国で唯一と言ってもいいホテルの前までやって来た。

「301号室です」

「分かったわ。私が受付と話している間にクララは奇襲にいきなさい」

「了解です、ツキノメちゃん」

 ツキノメとクララはホテルの前で短く打ち合わせをし、ホテルの入口となっている木製のドアを開いた。

 ツキノメは一人が入るには開きすぎるほど開いた。

 見えないクララを通すために……。

「空いてるかしら」

「いえいえ。今日は本当に珍しい。またお客様がおこしになった。もちろん空いております」

 フロントのゲッソリとした四十代の男性が喜色を浮かべながらそう答える。

 そのスキに姿を消しているクララは丁寧に音を立てないようにゆっくりと階段を登り、301号室へと向かっていた。

「いえいえ。では401号室で」

 何を基準に決めているのか分からないがツキノメはフロントの男性に401号室の鍵を受け取り階段を上がろうしたその瞬間だった。

 とてつもない破壊音がした。

 鼓膜を突き破りそうなほど激しく豪快な音が響いた。

「いえいえ。何事ですか!?」

「分からないけど、あなたは逃げてください!」

 ツキノメはまくし立てるように男性に叫んだ。男性はホテルの売上金をポケットに入れ、ツキノメに頭を下げてから街の暗闇へと姿を消した。

「よし、これで存分にやれる」

 ツキノメは不敵に笑みをこぼしてから一気に階段を駆け上がった。

 そして201号室のドアをぶち破り中に入った。中は一般的なホテルと変わらない設備が用意されていた。

「へぇ、そこそこちゃんとしてたんだね」

 街の様子からは想像し難いホテルの内装に感嘆を漏らしながらベッドの上に上がる。そして手のひらを真上に向けた。

「我が統べる能力ちからは聖光。汝、我との契約に従い能力を貸し与えよ」

 ツキノメは滑らかに素早く読み上げる。

「聖なる光を操る者が真意を持って願い奉る。清浄の光を撃ちてじゃの心を祓い給え!」

 優しく瞳を閉じてから精神を集中させて祝詞を紡ぐ。

「ライト リヒト ルーチェ」

 そして続けてそう唱えた刹那、手のひらが閃光で輝いた。内にある手が見えなくなるほどの強い輝きが放たれる。

 ツキノメは高らかな咆哮を上げた。

 瞬間、手にまとわりついていた閃光が真上につき上がった。目視出来ないほどの強烈な速さで上がった。

 ドーナツ状に中心が空洞となった閃光は真上の階301号室の床を穿いた。

「3の術。イグニッション」

 ツキノメは凛とした声でそう告げた。

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