最凶最悪 disaster
冷涼な早朝の風が頬に触れる。乾いた土の香り、辺りに生えた雑草がそよ風で揺れる音とそれにより運ばれる若草の香り。今までとのささやかな変化を五感で読み取り、刻三は目を覚ます。
まだ東の空にある太陽が強い日差しを地上に注いでいる。
陽光が草に映え、煌めき色となって視界に入る。
「眩しい……な」
寝起き特有のパサついた口内に嫌気がさしながら刻三が目を細めながら呟く。
隣で眠る千佳はまだすやすやと寝息をたてている。
刻三はそんな千佳の安らかな表情を見て穏やかな心情となった。
和やかな風が刹那に凪いだ。
圧倒的違和感を感じとり、刻三は体の半分を預けてきていた千佳の身体をそっと木に預け、立ち上がる。
全神経を研ぎ澄ませ、辺りへと向ける。風は凪いでいる。物音1つしない、不気味なほどの静寂だ。
それでもって生臭い異臭が立ち込めてきた。
「……っ!!」
刻三は異臭に気づいたと同時に手で鼻と口を覆った。
それから慌てて千佳を起こし、鼻と口を塞ぐように指示する。
──これは……、毒ガスか……?
刻三はその考えを脳裏に過ぎらせたことにより、張り詰めていた神経がプツンと音を立てて途切れる。そしてそれを狙ったかのようにどこからともなく現れた影が姿を見せ、刻三の腹部に何やら光る鋭利な物を突き立てた。
その瞬間では何が起こったか分からなかった。しかし数秒後ドボドボと溢れ出る熱い赤い液体が目に入った。
刻三は目を見開き、千佳は寝起きの渇ききった喉が裂ける勢いで絶望の悲鳴を上げた。
腹部に突き立てたられたものは刃渡り十五センチほどのナイフだ。
服は鮮血がじわじわと侵食していき赤へと染められる。それでも物足りない鮮血は服が吸収しきれない血を草原の上へと落とし新緑を紅で染めていく。
「ぐはっ……」
上手く呼吸ができず、こみ上げる吐き気と血と空気を同時に吐き出す。嘔吐はしないものの、立っていることすらままならない吐き気と
腹部は熱いのに全身に鳥肌が立ち、震えが止まらない。
──寒い……。俺は……死ぬ……のか? でも、千佳をおいて死ねるはずが……。
刹那に経済国家となる前の記憶が鮮明に蘇る。刻三が知るはずもない記憶が脳内を流れる。それはまるで……走馬灯のように。
***
まともに衣服すら纏えてない。みな一様に白のボロきれで身を覆っている。
まるで
馬の背中に鞍を取り付け、その上に人が乗り移動する。
色褪せ、茶色っぽくなったボロきれを纏う少年が馬に乗り、移動している。
ギラギラと照り付ける太陽が少年を焼き付ける。少年は肩を上下させ、怠そうに天を仰ぐ。
少年は口を開く。音声は届かないが、口の動きからおそらく『暑い』と言っているのだろう。
少年は一度積み荷を確認する。数個の木箱のふたを少しずらして確認する。何が入っているかはわからない。
少年は、あぜ道のような道のりを進む。どれほど進んだのだろう。
それは少年にしか分からない。どこまでも永遠に続くように感じられる緑だらけの畑。これが後々白色の可愛らしい花をつけるのだが、今はてんで話にならない。
少年は、それがようやく切れるかと思われるころ、馬を鞭で打ち方向転換を促した。
音はないが、ヒヒィーンと声を上げたのだろう。前足を高くあげ、上半身を大きくそらしている。
少年は獣道のような人が通る場所ではない道なき道を行く。
少し進むと何かが見えてきた。洞窟のような洞穴のような、そんな穴だ。
その穴を視界に捉えるや否や少年は不敵に笑った。いや、嗤った。
先ほどまでのあどけない顔とは打って変わり、犯罪者のような
その表情のままその穴の中へと入る。まるで何か
穴の中はひんやりとしていた。天井からはぽつぽつと岩の間から湧き出てくる水滴が落ちてくる。
水滴が地面と触れる音が洞窟内を木霊する。
静まり返っているだけあり、その音はどこまでも響く。
少年は口を開く。何かを言っているようだ。無声の世界ではそれは何を示し、どんな意図があるのかは読み解けない。ただ今まで以上に長い
それに呼応するかのように洞窟の奥の奥からニホン人とはかけ離れた顔を持つ男性がコツコツと足音を響かせながら現れた。
深い彫りのある顔。それでもって鋭い刃物のような目。髪は長く伸びており、それを首のあたりで1つに束ねている。赤茶のような色をした髪は毛先にまで手入れが行き届いているのは一目瞭然だ。
男性は右手を軽く上げ、少年と挨拶を交わす。
少年と男性は会話をしている。何を、かは分からない。しかし、交渉といったところであろう。
少年は馬で運んできた数箱の木箱を提示している。男性は木箱にふたをとる。中には大量の綿花が敷き詰められていた。
男性は驚嘆の表情を見せる。
それを目視するや少年は口角を釣り上げ、嗤う。
負けじと男性が物陰に隠してあった木箱を取り出した。
別段大きいというわけでも無い。少年は
男性は焦る様子をチラリとも見せず、ゆっくりとふたをとった。
中から出てきたのは二冊の本だった。
少年は男性に掴みかかる。そして叫んでいる。恐らく、『ふざけるな』とでも言っているのだろう。
そんな少年に対して男性は余裕な表情で二冊あるうちの一冊を手に取り少年に見るよう促した。
睨みを効かせながら少年は差し出された本を受け取り、ページを開く。
少年は何かに魅入られたか何かに取り憑かれたようにページを次々とめくる。
男性はそれを一瞥してから口を開く。少年は
大量の綿花と二冊の本。一見全く釣り合ってないように見受けられるこの2つがいま取引された。
***
生暖かい風が頬に吹き付ける。それと共にのってくる鉄臭い血臭。
刻三は地面に四つん這いになって倒れ込んでいる。
──どれくらいこうしているのだろう。
刻三にそれは分からなかった。ほんの一瞬なのかもしれない。でも、刻三自身はかなり長い間走馬灯を見ていた気がする。
そんな時だった。
「お兄ちゃんっ!!」
千佳の張り裂けそうな想いを詰め込んだ叫びが刻三の心臓をギュッと締め付ける。それは刻三の潜在下で眠る
刻三自身ですら知らなかった能力。
バシッ、という音とともに世界が青白い色で統一される。何が起きたかは不明。ただ誰もピクリとも動かなくなった。
その中で唯一色を持ち、動ける人物。それが刻三だった。
「ど……、どうなっているんだ……」
腹部の痛みは健在だが、それよりも辺りの異変が怖かった。
刻三は訳が分からなかった。そんな時だった。止まった世界から見知らぬ声が流れた。
『お前が
刻三は誰かも分からない声に胸を打たれた。そして刻三は生唾を音を立てて飲んだ。止まった世界で気合いを入れる意味を込め、両手で頬を叩いた。
「動かない相手に攻撃をするのは気が引けるんだがな……」
苦笑を浮かべ、右手で拳を作った。
刹那、お腹の傷の辺りが仄かな白色の光に包まれ、傷が薄れていく。
刻三自身、そのことに気づかないまま拳を前に突き出した。
再度ビシッ、という音が耳につく。世界に色が戻る。青白い世界にキャンバスから零れた絵の具が周りの木を、草を、空を、太陽を──世界の全てに色を塗った。
刻三が突き出した拳は見えない何かに阻まれ突然として止まった。しかし、拳の周りから生まれた
「うっ、きゃぁぁぁぁぁ」
悲痛の叫びが耳をつんざく。
──この声……、まさか……。ツキノメ!?
刻三は聞き覚えのあった声に双眸を開く。昨日の襲撃者が脳裏をかすめる。
銀色の髪がパラパラと宙を舞う。ツキノメはそしてそのまま地面へと倒れ込んだ。
刻三は何がなんだか分からず、恐怖に駆られ戸惑ったままの千佳の腕をつかみ走った。
***
ツキノメは横たえたまま奥歯を噛み締める。殺れなかったことにではない、情けのつもりなのか何なのかわかないが彼が自分を殺さなかったことにだ。
先ほどの拳が腹部を抉るだけでもおそらく自分は死んでいた。ツキノメは自身でそう考えていた。
涙ながらに拳を作り、地面を叩く。ツキノメはビクともしない大地の強靭さに自分の弱さを再確認する。
そして聖光のアーカイブの持ち主であるツキノメは体を引きずりながらも遠ざかる刻三と千佳を追った。
次こそ最凶最悪の能力"刻のアーカイブ"を持つ刻三を倒すために──。
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