孔雀の羽
大学のゼミの飲み会がお開きになり、その帰り道。一郎は、ゼミ仲間で親友の次郎とアパートに向かって歩いていた。暗い夜道、いつもなら酔いに任せて、近所迷惑も考えずに馬鹿みたいに大笑いして帰る一郎なのだが、今日は酔いも醒めて静かに俯いていた。飲み会の時からどこか暗い様子だった一郎を心配して、次郎は一郎に事情を聞くことにした。
「飲み会の酒の進みも悪かったし、何かあったのか?」
一郎は答えない。以前、一郎が恋人と別れた時も同じようにうな垂れていたが、その時とはどこか様子が違うように思えた。
「なぁ、俺じゃ頼りないかも知れないが、試しに話してみるだけでも気が軽くなると思うぞ。」
もう一度返答を促すと、一郎はようやく重い口を開いた。話す気になったようだ。
「情けない話なのだが、社会に出て働くことに魅力を感じられなくなってしまった。」
「今までは魅力を感じていたのか。真面目なお前らしいな。」
少しでも場の雰囲気を和らげようと、からかうように言った次郎だったが、どうやらかえって一郎を怒らせてしまったらしく、再び口を噤んでしまった。
「悪かったよ!ふざけないでちゃんと聞く。真面目な話だもんな。」
反省した様子の次郎に、一郎は再び言葉を紡ぎ始めた。
「インターンシップ、あっただろ?学科の全員必修。お世話になった職場で、時に優しく時に厳しく指導してもらったわけ。」
「ああ、俺が行ったとこも飴と鞭で、いや、鞭の方が多かったかもな…。それで、人間関係が怖くなったってことか?」
実際に次郎の友人で、職場の人間関係が上手くいかずに、インターンシップを途中辞退した人もいたようだが、反応を見る限り一郎はその類ではないらしい。もっとも、それは稀なケースなのだろうから、当たり前なのだろうが。
「俺が人間関係で悩むようなタイプだったら、好んで人が集まるようなイベントにも、任意参加の学科の飲み会にも顔を出していないだろうな。」
確かにその通りだ。一郎は、寧ろ知らない人間に突っ込んでいって、そいつとすぐに仲良くなってしまうようなタイプだ、と次郎は頷いた。「じゃあ何が問題だったんだ?」と不思議に思って聞き返す次郎に、一郎はため息をついてこぼし始めた。
「職場での仕事は、俺の今後の就職希望と関係の深い内容で、興味深くて勉強にもなったんだ。大学では教わらなかった部分を指導担当の人から教えてもらえたりもしたし、充実した職場体験だったよ。でも…」
自分の向かった職場の魅力を生き生きと語っていた一郎だったが、思い出したように再び暗くなる。
「アルバイトでもそうだが、黙々と与えられた仕事をこなしていると、別に俺じゃなくても、別の誰かに置き換えても問題ないんじゃないかと思えて、それなら俺の存在意義って何だろうなぁって、さ。」
人材は代替が利く部品、という概念を持ち始めて、一郎は、仕事において唯一無二になれないことに絶望し始めたようだ。こればかりは仕方のない部分があると、次郎が諭す。
「それはもう、そういうものだから仕方ないだろ。お前だけじゃなく、その職場の指導担当とやらだって、仕事内容だけで見れば、別の誰かに置き換えられるだろうに。」
頭では分かっていても納得のいかない様子の一郎に、次郎は、続けて質問を投げかける。
「なぁ、一郎。お前は何のために働きたいんだ?」
「それは…生きていくのに必要なお金を得るためと、やっぱり社会の一員としての責任を果たすため、かな。」
前者には同意だが、後者については真面目な一郎らしいと、笑う次郎。
「社会の一員としての責任、それって代替の利く仕事をしていても果たされてないか?」
次郎の言っている事は、あながち間違いではない。責任を持って与えられた仕事をこなし、その職場の機能を保っているわけであるから、立派に責任を果たしていると言える。しかし、代替が利く以上、自分がその責任を果たす役に就く意味は果たしてあるのだろうか。筋違いの話に思えた一郎は、その問いに納得しかねていた。そんな一郎の様子に、次郎はそれならばと続ける。
「お前は個人の価値にこだわりすぎてないか?いいか、代替が利こうがなんだろうが、お前がやりたいことで責任を果たせるその職に就いたなら、目の前の仕事をこなしていく、それでいいじゃないか。他に換えが利こうが、今組織としての機能の一端を担っているのはお前だ。お前ありきの職場なんだよ。」
一郎の求める答えを、次郎は持っていなかった。それでも自分なりの答えを一郎にぶつける次郎だが、一郎も退こうとしない。
「でも、その位置に俺じゃない誰かが入っても、結局同じことだろう?」
一個人としての価値に固執する一郎に、一度冷静になって次郎は返した。
「なぁ、一郎。孔雀っているだろ?」
突然の奇妙な質問に、その意図を掴めずに困惑する一郎。構わずに次郎は続ける。
「孔雀の羽はさ、全体として美しいだろ?それはさ、綺麗な羽根が一本一本集まったからこそなんだよ。」
言いたい事が分かり、黙って次郎の言葉に耳を傾ける一郎。少しばかり落ち着きを取り戻していた。
「その羽根の一本一本は、役割は同じだろうが、一つ一つの輝き、色合いや模様といった美しさはそれぞれ違うはずだ。個体、種族によってそれが異なるように、お前も換えの利く部品に見えて、実は唯一無二の存在なんだよ。お前の羽根の輝きがあってこそ、その職場全体が、ひいては社会全体が輝きを増すのだから。部分的な機能としては換えが利いても、全体としての価値から見れば、お前という存在は必要な要素なんだよ。」
色々と理論が破綻した部分があるものの、親友を思う次郎の言葉が通じたのか、一郎は彼の言葉に納得した。
「完全にすっきりしたわけじゃないけど、孔雀の羽、か。うん、そう考えると、他の人の輝きに負けないように、俺も磨きを掛けて光らないとな。」
「じゃあ手始めに、頭でも丸めてみるか!ジョリジョリっと。」
「お前やめろよ!髪がグシャグシャになるだろ!」
ようやくいつもの笑顔に戻った一郎を、いつもの調子でからかう次郎。
陽気に輝きながら暗闇を漂う二枚の羽根に、見上げた夜空のお月様も苦笑いしているようだった。
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