不幸の手紙

 通信手段がアナログな時代、不幸の手紙というものが流行ったらしい。受け取った人物は、それと同じ内容を書いた手紙を自分以外の誰かに出さなければ、自分が不幸になるというものだ。渡すべき人数や不幸の内容は色々あるようだが、結局はどれも、受け取った相手が怯えて、慌てふためく様を嘲笑いたいという大元の発信者の悪質な悪戯に過ぎないのだ。電子通信が日常的になった今日でも、チェーンメールという形に姿を変えて、一部で悪さをすることもあるが、受け取った方はいい迷惑である。そんな発信者以外誰も得をしない不幸の手紙。旧時代の悪魔が、今まさに私の元に届けられ続けていた。


 私の部屋に手紙の配達員が入ってくる。それを受け取ると、夕飯の準備をしてくると、配達員は帰っていった。彼女が出て行ったことを確認して、封を切らないままその手紙を握り潰して捨てる。中身は見なくても分かる。どうせ、いつもの形式的な言葉が並べてあるだけ。私がそれに従う道理は無い。不幸になるというのであれば、それも結構。こんな下らないことに、貴重な資源を費やすくらいなら、いっそ鼻紙にでも使えばいいのに。布団を被り、ぎゅっと目を閉じ、私は逃げるように眠りについた。

翌日、再び配達員が、私に手紙を持ってきた。ゴミ箱の中の紙団子の群れを見つけたのか、手紙のありがたみについて熱心に語りかけてきたが、テキトーに聞き流した。私を不幸に貶めるものに、ありがたみも何もないだろうに。言いたい事を言って満足したのか、彼女は、お使いに行ってくるから、と部屋を出ていった。受け取った手紙を丸めて、団子売り場に加える。差出人は本当に物好きだ。私が心変わりして、言葉通りに動くと思い込んでいるのだろうか。大きくため息を一つ吐き、頭を掻き毟って、布団の上に寝そべり、そのまま意識を沈めていった。

 それから、何度も何度も、手紙が届いては捨てる作業を続けた。返事が書かれないのに、よくこうも続けられるものだと、逆に感心する。私の心が変わるはずも無いのに。しかし、ゴミ箱が溢れそうになったある日、団子作りの作業は終わりを迎えた。

 いつものようにドアがゆっくりと開く。また手紙を持ってきたのかと呆れて、配達員の方を見る。持ってきたのは、いつもの彼女ではなかった。随分と久しぶりに見る顔。何日も見ていなかった顔。私は、動揺して顔を俯いてしまった。心音がドクドクと速さを増す。握った手には汗が滲み、息苦しさを覚える。私の異変に気付いた彼女は、私の背中を優しくさすって、深呼吸をするように促してくれた。ひとまず落ち着いた私に、渡したいものがあるから、とカバンから手紙の束を取り出した。全部で三十八枚、数えなくてもなんとなく分かった。

「皆、待っているからね!」

私の手を取って握手を交わし、それだけ言い残して、彼女は部屋を去っていった。残された私は、手元に残った紙の束をただただ眺めていた。試しに一つ、手に取ってみる。ぶっきらぼうな字で書かれた私宛の手紙。これがあいつの字。最初に届いた手紙ぶりに、その手紙の封を切る。中には、下手くそな字で不器用な言葉が綴られていた。社交辞令や上辺だけの言葉も含まれているはずなのに、私の口は、綺麗な下向きの曲線を描いていた。これはあの子、これはあいつ。他の手紙を読み漁って行くうちに、目の前が滲んでぼんやりとし始めた。最後の手紙を読み終えた頃には、床に置いていた手紙は通り雨に濡れ、拭っていた私の手もびしょ濡れになっていた。涙を収めてから、ゴミ箱をひっくり返し、ぐちゃぐちゃになった手紙を一つ一つ元に戻して、中を読み始めた。手紙に書かれた指示に従えば、不幸にはならない。けど、それはただ差出人達に踊らされているだけなのではないか。また苦しむだけではないのか。それならそれでいい。盛大に踊り狂ってやろうじゃないか。また嫌な思いをするだろうが、もう一度だけ信じてみてもいい。

私は、手紙の持つ魔力に負けた。


 翌朝、担任と共に教室に向かって廊下を歩く。気を遣ってくれているのか、彼は他愛のない世間話をしてくれた。教室の前に着くと、解れていた緊張が帰ってきた。自分で思っていた以上に強張った顔をしていたのだろう。担任は、肩をポン、と叩いて、笑顔で頷いてくれた。ドアが開かれ、担任に続いて中に入る。賑やかな喧騒は一瞬で静まり返り、クラス中の視線が私達に向けられる。担任から改めてクラスの皆に、私が学校に戻ってきた旨が伝えられた。私は皆に一礼し、席に着こうとすると、三人の女子が私に歩み寄ってきた。

「謝って許してもらえるとは思ってないけど…本当にごめんなさい!」

私が殻に閉じ篭る原因となった三人が、それぞれ自分の言葉で謝罪を述べた。何を今更、という気持ちも勿論あった。だが、昨日の手紙の中には、彼女達のものもあった。他の手紙よりも長く綴られた彼女達の心境。それも含めて、私は信じてみてもいいと思った。だからこそ、こうして外に出てきたのだ。

「もう、大丈夫だよ。私の方こそ、思い当たる部分があったから…ごめんなさい。」

いじめは、加害者だけでなく被害者にも原因がある、なんて主張を聞いた事がある。被害者としては、ありえないと思う所だが、私の場合は、普段の態度から思う節がいくつかあった。それでも、数に物を言わせて酷いことをされるのが嫌だった。立ち向かう度胸も周りに打ち明ける勇気も無かった。だから逃げたのだ。彼女達の言うように、すんなりと許せはしないが、正面に立って謝罪する彼女達の誠意は、裏がなく、真っ直ぐと私に向けられているように思えて、信じたくなった。儀式的に握手を交わし、ひとまず和解の意をクラスに発信して、私達はそれぞれの席に戻っていった。久しぶりの自分の席は、埃一つ積もっておらず、清潔に保たれていた。

 それからは、普通に学校に通い続ける事ができているが、例の三人とは、今まで以上に距離を置いている。和解したとはいえ、そこから仲良くなるなんて事は、絵空事の世界だけのように思えた。私には無理だ。そんなわけで、私の元に送られてくる不幸の手紙は、すっかりなくなっていた。どんな理由であれ、届くような状況は好ましくないのだ。しかし、これまでに届いた分は、今でも大切にしまってある。

私を苦しめた不幸の手紙は、幸福をもたらしてくれた宝物に変わっていた。

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