第4話 好きにならずにいられない


 修羅堂しゅらどうりんねは、憂鬱だった。


 それはもう、随分と前から憂鬱だった。


 理想と現実の違いには、いまだに折り合いが付かないし、はくをつけるために染めてみた金髪は、自慢の黒髪が台無しになる上に、手入れも面倒だった。


 おとぎ話のお姫様に憧れているわけではないが、それにしたって、このスカジャンは趣味じゃない。特に背中の妙に恐い般若は、自分がそんなイメージを他人から持たれているのかと思うと、うんざりだった。


 錆びた金属バットは可愛くないし、黒いマスクは蒸し暑いだけだし、舐められないためにと、いつもいつも強引に見開いている目は、疲れるばかりだった。


「……いたる


 地獄谷じごくだに高校の総長室にて、いつも通りのスケバンルックに身を固めたりんねは、ゴチャゴチャと散らかった机の前で一人、古ぼけたパイプ椅子に身体を預けながら、濡れタオルで疲れ目を癒している。


 ロミオとジュリエットを羨ましく思ったこともあったが、それはもうやめた。

 そもそもあれは、悲劇で終わる。そういうのは、彼女の趣味でない。


 趣味ではないし、今はむしろ、そんな夢想をしても、イライラが募るばかりだ。


「絶対に、許さない……!」


 ぐつぐつと煮えたぎる苛立ちを抑えきれず、噴き出した激情に任せて、りんねが投げ捨てた役立たずの濡れタオルが、薄汚れた壁にへばりついていた古い映画のポスターと激突して、ずるりと落ちた。


「――っ!」


 そして、りんねは勢いそのままに、本当は綺麗に掃除したいのに、地獄谷の総長らしさを出すためにと我慢している、ゴチャゴチャした机の上から、一枚の写真を掴み取ると、思い切り握り締め、投げ捨て……、ようとして、やめた。


「……はあ」 


 そうしてしばらく、りんねは腕を上げたポーズのまま固まっていたが、時計の秒針が一回りする頃に、ようやく大きなため息を……、極楽院ごくらくいん至と同じようなため息を吐いて、その握り締めた拳を、スカジャンのポケットに、そのまま突っ込んだ。


「なにしてるんだろ……、私……」


 それは結局、りんね本人にしか分からない問いではあったのだが、残念ながら今の彼女では、その答えを見つけるのは、難しいようだった。でなければ、これほど憂鬱な気分には、ならないだろう。


「ばかみたい……」


 子供の様に拗ねながら、りんねは力無くパイプ椅子にもたれかかり、汚い天井を仰ぎ見るが、気分は晴れるどころか、重く沈むばかりだ。


 修羅堂りんねは、憂鬱だった。

 本当に、なにも考えたくなくなるほどに、憂鬱だった。


「あ、姉御! 大変です! 天道ヶ峰てんどうがみねの奴らが、遂に向こうから攻めてきました!」

「……ああ~ん?」


 だから、慌てた様子のモヒカンが持ってきた不吉な報告は、彼女にとって、実は喜ばしいことなのかもしれない。



 なにも考える暇などない、暴力の宴が、これから始まろうとしているのだから。




「ガハハハ! 脱走だ脱走だ! ……それでは極楽院、なにから始める?」

「まずは、人を集める」


 国立天道ヶ峰高等学校の地下に存在する秘密の私設収容所……、その最下層であるコキュートスにて、極楽院至は、菅田かんだ忠雄ただおと共に立ち上がった。


 時間はない。

 そうこうしている間にも、天道ヶ峰と地獄谷の抗争は、激化の一途を辿っている。


「よーし! それはこの俺に任せろ! これでも地獄谷の裏番だからな!」


 やることが決まったからか、もしくは、少なくとも暇が潰せるのが嬉しいのか、菅田が喜色満面で……、いや、この男は髪も髭も伸び放題なので、表情の判別はつかないのだが、一応声を弾ませながら、急ぎ足で、このコンクリートむき出しの、なにもない部屋から飛び出して行った。


「さて、正念場か……」


 バタバタと音を立てて駆けていく菅田を見送りながら、至は先ほどまで錆び付きかけていた脳味噌を、再びフル回転させ始める。



 ここからが、至の腕の見せ所だった。



「おーい、極楽院! 全員連れて来たぞー!」

「よし、ご苦労」


 あっという間に、コキュートス内部を全て回ってきた菅田が、死んだ目をした地獄谷の生徒たちを引き連れて、ゾロゾロと戻ってきた時には、至は威風堂々と、雰囲気たっぷりの様子で、薄暗い部屋の奥で、壁にもたれかかっていた。


 その様子は、名うての牢屋主もかくやといった風格だ。至がこの監獄に落ちてきてから、まだ数時間も経ってはいないのだが、ハッタリにしても、十分だろう。


「一体なんなんすか、カンダタさん……。あんたが来いと言うから、一応来てみましたけど……。ってか、行かないと言ったらぶん殴るの、マジやめてください……」


 両頬をパンパンに腫らしたモヒカンが、半分泣きながら菅田に訴えている。どうやらカンダタというのは、菅田忠雄のニックネームらしいが、それは今は別に、どうでもいい話であった。


「これで全員か……。まあ、烏合の衆でも数は十分だな」


 意識的に傲慢な態度を保ちつつ、相手が見下されていると感じるように、分かりやすいくらいに上から目線で、至は地獄谷の生徒を見渡した。


 モヒカンが多いが、普通の髪型をしている生徒も僅かに存在する。地獄谷の男子生徒は基本的に、入ったばかりの一号生は、年功序列を叩き込むために強制的にモヒカンにさせられるのだが、学年が上がるごとに自由は増えていく。


 総数は……、十数人といったところか。宇良の策略は、至に気取られないために、細心の注意を払って、秘密裏に行われていたこともあって、目立つこと避けるために最小の捕縛にとどめたのだろう。それほど数は多くなかった。


「おうおうおう! なんだテメェは! 新顔のくせに、あんま調子乗ってると、無駄に痛い目見ることにな……、ぬおおお!」


 そんなモヒカンのうちの一人が、至の失礼な物言いにカチンときた……、というよりは、地獄谷生徒の本能のようなものを発揮し、掴みかかったはいいが、あっさりと投げ飛ばされて、地面に転がった。


 とはいえ、激しくコンクリートの地面に激突して、怪我をしたり、気絶したりはしていない。至がきちんと加減したために、ふわりと着地に成功したモヒカンは、驚いたような顔で、目をぱちくりとしている。


 これから一刻も早く脱走するためには、このモヒカンも貴重な働き手なのだ。それを無駄に使えなくするようなことを、至がするはずもなかった。 


「てめえ! ダチ公になにしやがん……、うおおお!」

「この野郎! 調子乗るんじゃ……、ぶはあああ!」


 最初のモヒカンに続いて、血気盛んに詰め寄ろうとしていた地獄谷の生徒二人を、最初の一人と同じように一瞬で、優しく投げ飛ばしてから、至は落ち着いて、辺りを見渡した。


「……さて、それでは、話をしようか」


 地面に転がったモヒカン三人は元より、この場に集まっている全ての地獄谷男子生徒たちが呆然とした様子で……、いや、菅田だけは、その表情を確認することはできないのだが、それでもとりあえず全員が、至に注目している。


 この地獄谷の生徒たちが、どれだけの時間コキュートスに監禁されていたのかは不明だが、少なくともつい先ほどまでは、退屈にどっぷり漬かって、全員仲良く死んだ目をしていた。


 そんな無気力の極みに捕らわれていた彼らを挑発することで、沈み込んでいた感情を喚起かんきし、派手なパフォーマンスで一気に主導権を握ろうとした至の思惑は、どうやら成功したようだ。


「時間が惜しいから、さっさと本題に入る。これから脱走するから、手伝え」


 単刀直入すぎる至の物言いに、誰もが呆然としてしまって、反論も出てこない。

 いや、菅田だけは至の隣で、訳知り顔してうんうんと頷いてたりするのだが。


「こちらからの提案は一つだけ、諸君らの労働力を貸して欲しいだけだ」


 シンプルに要点だけ告げながら、至は自分の制服の懐に、手を突っ込んだ。彼に注目していた者たちの視線は、自然とそこに集まる。


「……あっ! その制服! てめえ、天道ヶ峰の人間じゃねぇか! このお高くとまったクソ野郎が! なに偉そうに……! いでで!」

「うるせえ! 黙って極楽院の話を聞きやがれ!」


 ようやく至の正体に気が付いたモヒカンの一人が声を荒げるが、菅田が即座にその頭をぶん殴って黙らせた。確かに、今の状況は、そんなことで揉めている場合ではないのだろう。


 実際に、至がやってくるまでは、全員見事に、死んだも同然だったのだから。


「その労働の見返りとして、僕からは、脱走の確実な成功を約束しよう」


 一瞬だけざわめいた空気は、完全に無視して、至はその懐から、クレジットカードのようなものを取り出し、高々と掲げる。なんにせよ、聴衆がこちらに興味を持っている間に、多少ゴリ押しでも話を進めた方がいい。


「コキュートスからの脱走に必要不可欠なもの……、それは、情報と鍵だ」


 自分に視線が集まっていることを確認しながら、至は手にした銀色のカードをもてあそびつつ、演説を続ける。


「諸君らがこれまで無気力に、この監獄に捕らわれ続けていたのは、このなにもない場所で、一体なにをしたらいいのか、見当がつかなかったからだろう」


 至の図星をついた発言に、いかつい格好をした男たちは、言葉もない。

 実際、自分たちではどうにもならなかったのは事実なので、当然なのだが。


「地獄谷に属する君たちの気質を考えれば、脱走なんて真っ先に考えたのだろうが、出入り口どころか窓すら存在しないのでは、そもそもどうやって逃げ出せばいいのか分からない。壁を壊そうにも、穴を掘ろうにも、どこに向かって、どれだけ進めばいいのか、それが正しいのかどうかすら、分からない」


 閉鎖空間に閉じ込められるというのは、それだけでストレスだが、そこでなにも起こらないというのは、更に辛い。


 そのため、至の推察通り、閉じ込められてから最初の頃は、地獄谷の生徒たちも躍起になって脱走を企てたのだが、結局八方ふさがりで諦めたという経緯があった。


 そして、自分たちの行動が全て徒労に終わった後から、誰もなにもしない本当の地獄が始まった……、というわけだ。


「ここが何処だか分からない。どちらに進めばいいの分からない。どうすればいいのか分からない。その全ての疑問に、僕が答えを与えよう」


 そんな悩める囚人たちに、生徒会長という立場を活かして、どれだけ極秘の情報であろうとも、全てを握っている至が、救いの手を差し伸べる。


「ここはコキュートス。天道ヶ峰高校の地下六百六十六メートルに位置する、私設収容所の最下層だ」


 至のもたらした情報に、モヒカンたちが色めき立つ。


「おいおい……、地下ってのは、確かに想像してたけど、そんなに深いのかよ!」

「ああ、確かに深いが、それほど絶望的な状況じゃないから、安心してくれ。なにも馬鹿正直に、六百六十六メートル上に掘れというわけじゃない」


 絶望的な表情を浮かべたモヒカンに、至は余裕を持った態度を見せる。


 そのあまりにも堂々とした姿は、なんの希望もない者たちから見れば、まるで救世主のように見えたことだろう。


「この私設収容所は、全部で九階層に分かれているが、その全ては連絡用の通路で繋がっている。そこに出られさえすれば、全てのロックは、このカードキーで解除できるので、スムーズに外まで出られる」


 この場を確実に支配し始めた至は、先ほど取り出したカードキーを、再び劇的に掲げてみせた。


 このカードキーは、天道ヶ峰生徒会長専用の特別なもので、あらゆる権限が可能な限り詰まっており、その一つとして、地下私設収容所の管理権限も備えている。


 この万能カードキーを、コキュートスに落とされた至が持ったままだったのは、裏切った張本人である宇良うらが、リスクをおかしてまでカードを回収することよりも、確実に至本人を閉じ込めることを優先したからだろう。


 絶大な効力を持った生徒会長専用カードキーの権限を無効化するためには、膨大な手続きが必要になる。例え宇良が生徒会長代理に収まっていたとしても、それは決して無視できない。


 そのため、至のカードキーを使用すること自体は、まだ可能だろうが、それは宇良本人も分かっているはずだった。


 つまり、宇良の狙いは短期決着。至が再び表舞台に戻る前に、確実な功績を上げ、正式な会長の地位を手に入れるつもりなのだろう。


 だから、地獄谷高校を……、というよりは、そのトップである修羅堂りんねを救うためには、時間がないのだ。


「連絡用の通路って……、そんなもん、どこにあるんだよ!」

「内側からは見えないだけだ。この最下層も、他の階層と確かに繋がっている」


 当然の疑問を上げるモヒカンを黙らせて、スムーズに話を進めるために、至は矢継ぎ早に話を進める。


「勘違いしてはいけないのは、このコキュートスはあくまでも、その役割は監獄であるという点だ。決して、処刑場ではない。そもそも処刑するなら、僕なら無駄に閉じ込める前に、確実にトドメを刺して、このスペースにその死体を放り込む」


 真顔の至からは、尋常ならざる迫力を感じる。

 その空気に圧倒されて、彼以外の誰もが、口を開くのを躊躇ためらった。


「監獄なのだから、その役割は決まっている。監視だ。そして監視をするには、それなりの施設というものが必要になる。そして、その監視施設にこそ、僕たちが求める連絡用の通路が存在している」


 至の言葉に、嘘はない。


 いくら天道ヶ峰が、治外法権で運営されている特別地域だとしても、あくまでその本分は学校なのだ。最後の一線だけは超えていない……、はずである。


「その監視施設と、この牢獄は、万が一の時のための非常通路で繋がっている。内側からは絶対に開かない隠し扉だが、それだけは確実だ」


 もっともそれは、随分前に閉鎖されたはずのコキュートスに関する設計図を確認した時に得た情報なので、再稼働の際に手を加えられていないとも限らないのだが、宇良が極秘裏に計画を遂行していたのならば、そこまで大規模な工事は行われていないだろうという確信が、至にはあった。


 だから、説得するのに不利になりそうな情報は、あえて伏せておくことにする。


「……万が一の時って、なんだ?」

「万が一、想定外の死者が出てしまった時の回収用だ。放置すると不衛生だからな」

「おいおい……、ここってやっぱり、処刑用の施設なんじゃ……」


 素っ気なく提示された解答に対する聴衆の動揺は無視して、至は続ける。


 想定外ということは、やっぱり想定内の死者もいるのでは? という当然の疑問を口にできる者は、残念ながらいなかった。


「もちろん、ただの囚人なら、隠し扉の存在に気が付くことは不可能だろう。どんなに念入りに壁を叩いて確認しても、絶対に見つからないように加工もされている」


 それは、コキュートスの役割を考えれば、当然の処置なのだが、気が付けなければ致命的な事実でもあった。


「だが、それが僕なら、話は別だ。このコキュートスの見取り図は、この頭の中に、完璧に入っている」


 そんな致命的な状況に陥っている地獄谷の生徒たちに、至は自信満々に、新たな道を示してみせた。その様子は、あまりに見事で、彼が言ってることの殆どは、特に客観的な証拠もない机上の空論だということを、思わず忘れてしまいそうだ。


「つまり、僕が指示した箇所の壁を破壊し、監視室に突入。その後はこのカードキーを使って上を目指せば、正面から堂々と出ることができる」


 再び高々と、至が掲げたカードキーに視線が集まり、辺りは静寂に包まれる。この場に全ての人間が、考えているのだ。


 これから一体、どうするべきなのかを。


「……お前が、俺たちを騙してないって保証は、あるのかよ!」


 しばしの沈黙を破って、悲鳴のように叫んだモヒカンの、当然の疑問に対しても、至は余裕を持って答えてみせる。


「正論だな。だが、同時に愚問でもある。僕が天道ヶ峰からの刺客だったとして、君たちをこんな話で騙す必要が、どこにある? そもそも諸君らは、もうすでに、十分以上に、このコキュートスに捕らわれていた。だったら、君たちを更に苦しめたいのならば、そのまま永遠に放置していればいいだけの話だ」


 至の様子には、微塵の動揺も、虚偽も見受けられない。

 まったく、見事な演技だった。


「ぬうう……」


 威風堂々とした至のたたずまいに、声を上げたモヒカンを黙らざるをえない。


 そもそも疑うのならば、至が彼らを騙しているかどうかではなく、至の言っていることが正しいのかどうかなのだが、もはやこの場に、それを疑うものはいなかった。


「さて、それでは、ご協力願えるかな?」


 それはつまり、目的はすでに、達成したということだ。


「やろうぜ! 野郎ども! どうせやることも見つからず、腐ってたんだ! 地獄谷の意地ってやつを、見せてやれ!」


 最後の一押しとして、地獄谷を裏から仕切ってきた菅田が音頭をとったことで、全ては決着し、最後の結論が出る。


「……オーッ!」


 こうして、気合の雄叫びと共に、至の目論見通り、地獄の底から這い出るための、即席脱出部隊は結成されたのだった。





「それで、なんでいきなり、お前はやる気を出したんだ?」

「……うん?」


 休憩している菅田から飛び出た突然の質問に、同じく休んでいた至は、不意を突かれてしまい、思わずマヌケな声で聞き返してしまった。


「いやだって、お前もついさっきまでは、俺たちみたいに死んだ目をしてただろ?」

「そうだな……」


 汗だくになって座り込み、顔面のマリモもしぼんでいる菅田の隣で、壁に体重を預けて佇みながら、至は少しだけぼんやりと、目の前の光景に目をやった。


「うがああああああ! 脱走! 脱走! 脱走! 脱走!」

「ぬううううううう! 気合! 気合! 気合! 気合!」 


 今現在、コキュートスに監禁されていた囚人一同は、全員一丸となって、至の指示した何の変哲もない壁を、一心不乱に掘り進めている。


 残念というか、当然ながら、この地下にはコンクリートの壁面に歯が立つような便利な道具は、一切存在していない。食器の類すら用意されていないので、天井の穴から落ちてくる食料も全て、手だけを使って食べるしかない状態だ。


 そんな状況のために、至たちが取れる手段は、限られていた。というか、非常に単純で、驚くほどにシンプルだった。


 つまりは、自分たちの手足を、肉体を使って、コンクリートを殴り、蹴り、強引に少しづつ、削っていくしかない。


 それは、がっかりするほど原始的で、非効率的な作業だったが、そこそこの人数がいることと、長い間放置されていたコキュートスの壁は、老朽化の果てに劣化していたために、自分たちで穴を開けることが、決して不可能ではないという事実が、血気盛んな地獄谷の生徒たちに火を点けて、作業は確実に進行している。


 問題といえば、素手で壁を殴るのは痛いので、その手を保護するために各々が自分の着ている制服を切り裂き、バンテージのように使用しているために、ただでさえ肌の露出が多い改造制服を着ていた者たちが、殆ど裸みたいになって見苦しいことくらいだったが、それはまあ、大した問題でもなかった。


「好きな女の子のため……、かな?」

「おっほー! 惚れた女のためかよ! ロマンチックだね~!」


 照れることもなく自分の動機を口にした至に対して、菅田はなぜだか嬉しそうだ。

 どうやら見た目に反して、こういう話が好きなようだ。


「それで、一体誰だよ? そのお前の好きな女の子って」


 非常に楽しそうな菅田の、直球すぎる質問に、至は答える。


 照れることも、恥じることもなく、ハッキリと。


「修羅堂りんねだよ」


 つい先ほどまでは、頭の中で考えるだけで精一杯だった、その名前を。


「修羅堂って……、マジか! あの修羅堂かよ! 地獄谷の修羅姫! この国の裏社会をガジガジに牛耳ってる修羅堂一家の、大事な大事な一人娘に、天道ヶ峰の生徒会長様が、惚れてますってのか!」


 至の想い人の名を聞いて、菅田は驚きの声を上げた。


 そう、単純に驚きだった。地獄谷に通う者ならずとも、修羅堂という名に潜む強大な恐怖と暴力の渦を、知らぬ者などいないのだから。


「なんだよ、笑うのか?」

「まさか、他人の恋路を笑うほど、そんなに無粋ぶすいなカンダタ様じゃないさ!」


 多少大袈裟な仕草で弁解しつつ、菅田はそれでも、首をかしげる。


「だけどなあ……、それにしたって、あの般若みたいな修羅堂りんねの、一体どこにお前は惚れたんだ? はっきり言って、意味不能だぞ?」


 どうやら、極楽院至の中の修羅堂りんねと、菅田が知る彼女には、まったく酷い格差がありそうだった。


 それが出会った時期による印象の違いだというのなら、至よりも後にりんねと出会った菅田の認識の方が、今の彼女に対するものとしては、正しいのかもしれない。


 だがしかし、そんなことは関係ない。

 まったく全然、関係なかった。


「人が人を好きになるのに、意味なんて必要なのか?」


 至の中で、すでに答えは、出ているのだから。


「……そっか。それもそうだな! 恋なんて、大抵は理不尽なもんだったな!」

「まあ、そういうことだな」


 年頃の男二人が、年相応の悩みで盛り上がり、笑い合う……、その時だった。


「うおおおおおおおおおおおおお!」


 ひたすら壁を掘り続けていたモヒカンの群れから、遂に大きな歓声が上がる。


「開いた! 開いた! 開いたぞ! あ、穴が、穴が開いたぞー!」


 どうやら、来るべき時が、来たようだ。


「よし! 行くか! 地獄谷の……、いや、お前のお姫様を助けによ!」

「ああ! 行くぞ! 僕が大好きな、大好きで大好きでたまらない人のところへ!」


 勢いよく立ち上がった菅田に背中を押され、至は誰に隠すこともなく、率直に、実直に、自分の想いを口に出し、自らの意思で歩き出す。



 こうして極楽院至は、暗く冷たい地獄の底から、新たな一歩を踏み出した。



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