第2話 さまよう青春


 超絶エリート校である天道ヶ峰てんどうがみね高等学校と、超絶不良校である地獄谷じごくだに高等学校は、敵対関係にある。


 なんてことは、両校の生徒どころか、この街に住む近隣住民の皆さんからすれば、誰もが知っている周知の事実である。


 敵対関係の歴史は古く、その始まりを覚えている者は、もはや存在しないのだが、現在進行形の問題として、その危険な関係は今も収まる気配を見せず、むしろ激化の一途を辿り、抗争と呼べるレベルにまで発展してしまっていた。


 だがそれは……、、別に大きな問題ではない。


「……他校の生徒が、本校に無断で侵入することは、禁じられている」

「ああ~ん? なに抜けたこと言ってんだ! 汚染された海に沈めんぞ、ゴラ!」


 夕焼けが無暗に眩しい、天道ヶ峰高校正門前で、龍虎のように睨み合う、この男女が抱えた問題に比べれば。


「りんね……、女の子が、そういう言葉遣いをするのは、感心しない」


 辛抱強く、なにかを我慢するような表情を浮かべた男……、天道ヶ峰高校の名誉ある生徒会長、極楽院ごくらくいんいたるが、噛んで含めるように、言葉を絞り出す。


「黙れや、極楽院! 気安く名前で呼ぶんじゃねえ! てめえは保護者か!」


 見るからにヤンキー然とした、顔の半分を黒いマスクで覆った女……、地獄谷高校の不名誉極める総長、修羅堂しゅらどうりんねが、金と黒でツートーンになってしまっているプリン頭の長髪を振り乱しながら、激昂する。


 それはおおむね、敵対する二校のトップ同士としては、相応しすぎる険悪さであるといえた。


「……そもそも、なぜ君たちはこんなことをする? 僕たちが敵対する理由は、一体なんなんだ?」

「はあ~ん? すっとぼけるんじゃねぇぞ! てめえらが先にこっちに手を出してきたんだろうが! 欠陥住宅の壁に塗り込めるぞ、ゴラア!」


 もはや伝統のように、理由なく反目を続けるような状況に疑問符を投げかけた至に対して、りんねは強硬な姿勢を崩さない。


 先に手を出した……、なんて言われても、至にはまったく身に覚えはないのだが、そんな弁明をしたところで、目の前の彼女は納得しないだろう。


「まず、その喧嘩腰をやめてくれ。話にならない」

「うるせー! おすまし顔で余裕ぶりやがって! そういうところが、丸ごと気に食わないんだよ! おろし金ですりおろすぞ!」


 話を聞いてくれない……、というのならまだマシだが、もはや事態は、話が通じないレベルにまで達してしまっている。


 まるで子供の様に、ジタバタと地団駄を踏むりんねの後ろで、夕焼けの太陽を横切りながら、黒いカラスがアホーアホーと、虚しく鳴いているのが、なんだか非常に哀愁を誘っていた。


「だから……、冷静に……」

「うっせ、うっせ! お高くとまりやがって! 言われなくてもこっちはバリバリに冷静だっての! 冷製パスタ喉に詰まらせて窒息しろ! バーカ!」


 誰がどう見ても、欠片も冷静とは思えない様子で、修羅堂りんねはその手に持っていた金属バットを、ブンブンと振り回す。


 夕焼けに染まって、まるで血に濡れたようなような凶器を眺めながら、至は胸の奥がきしむのを感じたが、今はそんな郷愁に、構っていられるような状況ではない。


 今の彼は、極楽院至は、えある天道ヶ峰高等学校を統括する、第七十七代生徒会長なのだから。


「問答は無駄か……。仕方ない。お前を捕縛する……!」

「うっせー! バーカ! バーカ! なに勝手に熱くなってんだ、このホカホカゆでだこ野郎! 今日は、ただの様子見だっての!」


 努めて……、努めて心を殺さないと、到底無理な所業ではあったが、りんねに向けて静かに拳を構えた至に対して、彼女は子供のような罵倒を繰り返しながら、錆びた金属バットを大きく振りかざし、そのまま地面に叩きつけた。


 使い込まれたバットがコンクリートに激突し、耳障りな音が大きく響く。


「おい! お前ら!」

「へい! 姉御!」


 その号令が、合図だったのだろう。


 それまで、バチバチと火花でも散らしそうな様子で、ひたすらに睨み合う至とりんねを、遠巻きに見ているだけだったモヒカンの群れが、それぞれの懐から取り出したのは、野球のボールくらいの大きさと形をした、茶色の物体だった。色からすれば、大き目の泥団子とでも言った方が、正しいか。


 そして、全てのモヒカンが、その泥団子を思い切り、適当な地面に向けて叩きつけると同時に、妙に黒い煙が、大量にモクモクと沸き上がった。


「じゃーな! 今度は戦争だ! お前たちに地雷原でラインダンスさせた上に、それを見世物にして小銭を稼いでやるから、楽しみにしてな!」


 生まれた煙幕にまぎれるように、りんねとモヒカンの一行は、分かるような分からないような微妙な罵倒を叫びながら、さっさとこの場から逃げ出し始める。


 先ほど至の手によって、あっけなく昏倒させられた仲間のモヒカンも、きっちり回収しているようなので、仲間意識は意外と高いのかもしれない。


「……逃げた、か」


 夕日の中で、りんねが着ているスカジャンの背中に描かれた、妙に恐い般若の刺繍ししゅうをボンヤリと眺めながら、至はポツリと呟いた。


 ダバダバと音がしそうな土煙を上げながら、修羅堂りんねを先頭にしたモヒカンの集団は、正門前の道路を真っ直ぐ横切り、そのまま自分たちの学校に……、天道ヶ峰高等学校の、地獄谷高等学校へと、続々と引っ込んでいく。


 それは、まあ、特にどうということはない、いつもの光景ではあった。




 一体なぜ、こんなことになってしまったのか?


 いくら自問しても答えは出ないが、だからといって、考えるのを放棄してしまう気にもなれない。


 そんなに簡単に割り切れるなら、これほど苦悩はしないだろう。

 それとも、これほど苦悩するからこそ、簡単に割り切ることはできないのか。


「はあ……」


 どうでもいい言葉遊びを繰り返しながら、至は再び戻ってきた天道ヶ峰高校生徒会室にて、これも再び、ため息をついた。


 幼い頃は、幸せだった。

 小学校に上がったら、歯車が狂い始めた。

 中学時代ともなれば、確実に崩壊が始まった。

 高校に入ってからは、まさしく地獄だった。


 それはただ、それだけといえば、それだけの話だった。


 馬鹿な男が、叶わぬ恋に悩んでいるという、ただそれだけの話……。


「はあああ……」


 だが、ただそれだけの話といえど、張本人からしてみれば、それは深刻な悩みだ。もはやそれは悩みを通り越して、人生の命題といってもいい。


「はあああああああ……」


 至はもう一度、彼一人しかいない生徒会室で、深い深いため息をついた。


 その頭の中を後悔だとか、悔恨だとか、恋だとか愛だとか、不幸せと幸せが滅茶苦茶にミックスされたような混合物で満たしながらも、驚くような速度で、広げた書類の山を正確に処理していくのは、流石というべきなのだろうか。



 天道ヶ峰高等学校の頂点にして、至高の存在である生徒会長は現在、つい先ほど起きたモヒカン襲撃事件の事後処理に追われていた。


 モヒカンが暴れたことにより発生した、建物や器物への破損状況の確認。

 また、それを修繕するために、必要な費用の算出と捻出。


 怪我人の確認と、その治療に向けてのケアマネージメント。

 戦闘参加者への危険手当の認定と、功績の選定。


 今後再び、同じような事件を起こさないために、原因究明や警備体制の抜本的な見直しを含めた、総括的な対策の立案と実行。


 その全てを、至が……、正確に言えば、至を頂点とした生徒会が、自らの裁量で、自らの決断で、行わなければならない。


 それは一見……、いや、どう考えても、学生という身分には、不相応な権限と責任であると言えたが、それもこれも全て、この国立天道ヶ峰高等学校が掲げる、由緒と伝統ある教育方針によるものである。


 長い歴史の中で、本当に数多の有能な人材を輩出してきた天道ヶ峰は、今や関係のない部外者から見れば、まるで入学できただけで、その後の人生が完璧に保証されるような、確かに入るのは困難だが、その困難さえ乗り越えてしまえば、簡単に成功を約束してくれるような、夢のようなエリート学校であるという印象を抱く者も多いのだが、その実態は、そういった一般的な認識とは、真逆に存在する。


 天道ヶ峰高校において、入学を審査するための。明らかに大学レベルすら飛び越えているであろう超難関試験なぞ、できて当然。


 真の関門は、その後の学生生活の中にこそ、存在する。


 真に有能な才能とは、ぬるま湯の中ではなく、煮えたぎる溶岩の海を渡り切った先でこそ手に入れられるという基本理念を柱とし、厳しすぎる試験を乗り越えて、ようやく入学を果たした生徒に対して、さらに苛烈な負荷をかけ続けるのだ。


 生徒による学校の完全自治も、その一環であり、基本的には、天道ヶ峰高校に在籍しているあらゆる教員、用務員、学校関係者の大人たちは、校内で起きたどんな問題に対しても、徹底した不干渉を貫く。


 そう、例え他校の生徒が……、が、学校の敷地内に不法侵入し、大暴れしたとしても、助けるどころか、見向きすらせず、あらゆる対応を放棄する。


 それどころか、世間一般の常識でいえば、ある種の事件であると判定させるような事態に陥ったとしても、この学校が長い歴史の中で培ったコネクションを最大限に活用し、警察を筆頭とした、あらゆる国家権力の介入すらも認めないのだ。


 まさに、究極の放任主義。

 まさに、驚嘆のほったらかし。


 その上で、それだけ放置した上で、所属する生徒を遠くから観察しながら、その資質や素行や対応力に、少しでも問題アリと判断した場合には、容赦なく、躊躇なく、問答無用で脱落者の烙印を押した上で、この学校から追い出し、放逐してしまうというのだから、筋金入りだ。


 とはいえ、それはやはり、大した問題ではない。


 人間とは、どんな環境でも慣れる動物であることだし、完全なる放置は、完全なる自由と同義ともいえる。自ら秩序を構築し、律しさえすれば、学生としては望外な権力を握るのも、はたまた輝ける青春を謳歌するのも、全ては自由ということだ。


 つまり、やはり問題は、別のところにあるのだろう。


「ふう……」


 書類を全て完璧に片付けた至が、質の良さそうな万年筆を、そっとペンスタンドに戻しながら、窓の外を眺めて、一息ついた。 


 夕焼けを演出していた太陽はすでに沈み、代わりに白く輝く満月が、ぽっかりと夜空に穴を空けていたが、今の至には、その情緒に感傷を抱くだけの余裕もない。


「帰るか……」


 この学校で最も権力を握りながらも、最も青春とは縁遠い生徒会長は、独り孤独に呟いてから、学校指定の寮へと帰ろうと、座り慣れた木製のチェアから立ち上がりながら、そっと、胸の奥で考える。


 自分が愛する、女性のことを。

 今は敵対してる、彼女のことを。

 自分に向けた剥き出しの敵対意識を、隠そうともしてない、あの子のことを。


 修羅堂りんねのことだけを。


「はああああああああああああ……」


 至は自分にとって、どうにもならない問題を、もしくは人生の命題を、とにかく胸の奥で渦巻く感情を、吐き出そうとでもするかのように、何度でもため息をつくが、そんなことで解決するのなら、苦労はしない。


 なんてことは、彼自身が一番よく分かっているのだが、それでも止まらないため息に埋もれるように、至の気分も沈んでしまう。


「本当に、僕は一体、なにをしてるんだ……」


 その暗い気持ちに押し込められるように、立ち上がった椅子に向かって、至が再び腰を下ろしてしまう。



 歴史と伝統でむせ返りそうな、このレトロな木造の生徒会室は、なんとも微妙な静寂に包まれた。



「会長、少しよろしいでしょうか?」

「……ああ、もちろん、大丈夫だとも」


 自虐に近い静寂を破ってくれた、控えめなノックに反応して、至は素早く生徒会長の仮面をかぶると、自分と同じように、だが別の場所で、今回のモヒカン襲撃事件の事後処理を行ってくれていた、頼れる副官を迎え入れる。


「それで、宇良うら副会長。一体どうしたんだ? なにか問題が?」


 生徒会長の椅子に座り、威厳すら感じさせる至に対して、宇良は慇懃に一礼をした後で、少しズレてしまった眼鏡をかけ直しながら、静かに口を開いた。


「いえ、全てはつつがなく。ですが、今回捕らえた地獄谷の生徒の数が、どうも予想以上に多いようで、これではだけで収容できるか、微妙なところです」


 リンボとは、簡単に言ってしまえば、この天道ヶ峰高等学校が保有する私設収容所のことである。


 無法者に事件や問題を起こされても、警察や司法に頼ることができない天道ヶ峰においては、自己防衛と自浄作用のためにも、そういった施設は不可欠だった。


「そうか……、しかし、リンボより下層を解放するのは……」


 より正確に説明するならば、リンボとは、天道ヶ峰高校の地下深くに存在する巨大施設の第一階層……、分かりやすく言えば、地下一階に位置しており、最も軽い罪の者たちを送り込む場所でる。


 リンボは収容所であると同時に、更生施設としての一面も持ってこそいるのだが、そうは言っても私設の施設だ。それほど大袈裟なものがあるわけじゃない。


 精々が、目が眩むほどに真っ白い部屋に、目の部分以外を完全に密閉できる拘束具を着せて、しばらく、もしくは数日、安全に放置するだけだ。これは安心。


 しかし、リンボよりも下層には、より苛烈な責め苦を強いる施設もズラリと揃っているのだが、現生徒会長である至は、その使用に否定的だった。


「はい、極楽院会長の方針は、当然分かっております。ですので、大変申し訳ないのですが、会長には、これから私と一緒に、リンボまで足を運んでいただいて、捕虜の収容方法について、ご検討いただければと思いまして」


 宇良は丁寧に説明を終えると、再び静かに頭を下げた。

 その姿はどう見ても、生徒会長を影で支える、優秀な部下そのものだ。


「なるほど……、分かった、すぐに向かおう」


 頼れる副官の提案に、至は素直に頷くと、生徒会長の席から立ち上がり、率先して目的地へと歩き出す。


「ありがとうございます。お手を煩わせしまい、申し訳ありません……」


 そんな至の三歩後ろを、静々と付き従いながら、宇良副会長は、薄く笑った。




 満月の月明りに照らされた廊下の壁に、至と宇良の影法師が、不気味なほど大きく映し出される。


「それで、どのくらいオーバーしてるんだ?」

「大体二割ほどでしょうか。強引に詰め込めば、なんとかなりそうな範囲です」


 リンボの入り口は、新校舎一階の中央階段裏側に存在する小さな扉だ。生徒会室は旧校舎にあるのだが、歩いてもそれほど遠いというわけではない。


 至と宇良は、ほどなくして目的に到着した。


「そこで会長、実は稚拙ちせつですが、私からご提案があるのですが……」

「ふむ……、言ってみてくれ」


 至は、自分と並び立つこの小柄な少女のことを信用している。いや、それはもはや信頼と呼んでもいい感情だ。彼女の提案なら、聞く価値がある。


「はい、それでは僭越せんえつながら……、会長、申し訳ありませんが、ちょっとそちらに移動していただけますか?」


 そのため、至は特に疑うことなく、宇良に言われるがままに、てくてくとリンボの入り口から、一歩だけ下がった位置に向かう。


 至は宇良副会長のことを、冷静で、思慮深く、頭の良い女性だと思っている。


 そう、それはおおむね、正しい認識だといえるだろう。


「ああ、ここでいいのかい?」

「ええ、そこで大丈夫です」


 自分の思い通りに動いた会長に満足したのか、月明りに照らされた黒髪を撫でつけながら、宇良副会長は、小さく微笑んだ。


「それでは、会長……」

「うん?」


 そして、美しく微笑んでいた宇良が、うやうやしく頭を下げる。


「いままで、ありがとうございました」

「……えっ?」


 その瞬間、至の足元を支えていた床が抜け、ポッカリと


「会長亡き後は、不肖ながらこの私が、生徒会と、この学校を率いていきますので、どうかご安心下さい」


 いつの間に取り出したのか、品の良いハンカチなぞで目元を拭いながら、宇良は至を見送るように、ひらひらと薄情に手を振っていた。


「……あれ?」

「それでは、今までお疲れさまでした、極楽院会長」


 そして、重力が導くままに、至の身体は底の見えない、月の灯りすら届かない暗黒の穴の中へと、消えていく。


「あれええええええええええええええ?」


 悲鳴なのか疑問の声なのか、よく分からない雄叫びを上げながら、至は落ちた。


 転落した。転げて、落ちた。

 信頼していた相手に裏切られ、ズンズンと、急転直下に、落ちていく。


 どうして、こんなことになったのか?


 答えは簡単だ。


 国立天道ヶ峰高等学校、生徒会副会長、宇良きりは……。


 冷静で、思慮深く、頭も良くて……。


「ふふふっ、これでこれからは、私が生徒会長ですね」


 野心が強く、計算高い女だったのだ。



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