なにみーてんだー!

瓜蔓なすび

第1話 トラブルウィズガール


 極楽院ごくらくいんいたるは、恋をしている。


「はあ……」


 なんてことは、誰に言わるまでもなく、当の本人が、一番よく分かっているのだろうが、それでも至は、夕日に照らされた窓を眺めながら、ため息をついた。


 彼が身を預けるように沈めた、一見して高そうなアンテイークチェアから、ギシリと憐れむような音がきしむ。


 その情けない姿は、この国の中枢を担うような優れた人材を、長い歴史の中で輩出し続けている、伝統と格式にあふれた……、国立天道ヶ峰てんどうがみね高等学校の、名誉ある第七十七代生徒会長という肩書きには、似つかわしくないのかもしれない。


 だがしかし、構うことはない。その歴史と伝統と格式があふれ返って、むせ返りそうな生徒会室に今いるのは、至ただ一人だ。


 誰に見咎められることもなく、この成績優秀、品行方正、十人に聞いたら十人が、こいつは真面目だと確信するような少年は、ため息をつき続けている。


「りんね……」


 自らの想い人の名を呟きながら、極楽院至は回想する。あるいは、夢想か。


 それは幼少のみぎり……、美しい恋の思い出だった。




『ねーねー、いたるちゃん?』


 百人に聞いたら百人が、この子は将来絶世の美女になると確信するような、可愛らしい女の子が、長く伸ばした黒髪をもてあそびながら、隣にいる真面目そうな少年に向けて、恥ずかしそうに問いかける。


『いたるちゃんは、りんねのこと、すき?』

『えっ……?』


 突然すぎる質問に、声が詰まってしまった少年の頬は、一瞬で真っ赤に染まり、リンゴも裸足で逃げ出すような有様だ。


『あ……、あ、あの……』


 子供ながらにパニック状態の少年は、口をパクパクと鯉のように開いたり閉じたりするだけで、言葉らしい言葉を出すことができない。


 どちらも高級そうな子供服に身を包んだ少年少女の間に、微妙な沈黙が訪れた。


『……きらいなの?』

『ち、ちがうよ! そんなことない!』


 悲しそうで、泣きそうな顔になってしまった女の子に向けて、少年は慌てて声を荒げると、自分の気持ちを口にする。そう、答えなんて、最初から決まっていたのだ。


 ただ少し、口に出すのが、恥ずかしかったというだけで。


『ぼ、ぼくは、りんねのこと、……す、すきだよ?』

『ほんとうに? やったー! りんねもいたるちゃんのこと、だいすき!』


 ぴょんぴょんと飛び跳ねて、全身で喜びを表現する女の子を見ていると、少年は自分の心が、ポカポカと温かくなるのを感じていた。


 それを幸せというのだと、少年が知るのは、もう少し後のことになる。


『ねっ、いたるちゃん! おおきくなったら、けっこんしよう!』

『う、うん……!』


 少女が提案した、子供らしい急転直下の結論に、少年は、一も二も無く同意した。


 結婚がどういうものか、イマイチよく分かってはいなかったが、少女がしたいというのなら、なんだってしてあげたいのだ。


『それじゃ、やくそくね!』


 それはただの口約束だが、結んだ小指と小指の間には、互いを想う赤い糸が、確かに繋がっていると、信じていた。


 そう、信じていた。

 過去形である。


 全ては、遠き過去の、美しき恋の思い出なのだから……。




「はああああああああ……」


 最後にもう一度、深く、深く、ため息をついてから、至はようやく、灰色の現実に帰還を果たした。


 そして、歴史を感じる、重厚な木製のデスクに備え付けられたペンスタンドから、高級そうな万年筆を取り出し、机仕事を片付け始める。


 とはいえ、別に仕事に追われてるわけではない。

 ただ、そうしている方が気がまぎれるというだけで。



 この歴史ある天道ヶ峰高等学校は、いまや規格外の進学校として、全国にその名を轟かせる、超絶エリート高校である。


 当然だが、そんな学校のトップ……、生徒会長ともなれば、その権力は絶大だが、同時に負うべき責任も、そして義務も、ありていに言えば、仕事の量も、それこそ殺人的になるのだが、その点で言えば、至は完璧だった。


 永遠に終わりが見えず、一つのミスも許されない殺人的な業務の山も、常人なら気が狂ってもおかしくない殺人的なスケジュールも、彼にしてみれば、朝飯前だ。


 少なくとも、自らの恋を成就させることよりは、簡単すぎて涙が出そうだった。



「極楽院会長、よろしいですか?」


 至が軽快に書類を片付けている、サラサラという静かな音だけが響いていた生徒会室の入り口をノックして、一人の少女が、礼儀正しく入室してきた。


宇良うら副会長か。どうした?」


 宇良と呼ばれた女の子は、その見事なロングの黒髪を揺らめかせ、綺麗に一礼した後で、冷たいメタルフレームの眼鏡を几帳面にかけ直しながら、自らの上役うわやくである至に向けて、簡潔に報告を行う。


地獄谷じごくだにが、攻め込んできました」

……」


 冷静な副官から、聞きなれた一報を受けた至は、先ほどまでとは違う意味のため息をつきながら、広げた書類を手早く元に戻して、万年筆をペンスタンドにしっかりと差し込んで、椅子から立ち上がり、黒い学生服の詰襟を直し、この歴史と伝統にあふれ返りながらも、ホコリ一つ存在しない生徒会室から、出陣した。


「戦況は?」

かんばしくありません。情けない話ですが、完全に虚をつかれました」


 至は、木造校舎の渡り廊下を足早に歩きながら、付かず離れず後ろに従う、古き良きセーラー服を、校則通りに着こなした少女……、宇良と言葉を交わす。


「正門を破られ、敵は校庭にまで侵入……、幸い校舎の守りは万全ですが、部活動中でしたので、校庭で練習していた運動部が、幾らか被害を受けています」

「そうか……、保健委員に連絡は?」

「すでに。昇降口に全員待機を完了し、今は会長の号令を待っています」


 二人はテキパキと戦況を確認しながら、離れになっている木造の旧校舎と、近代的な新校舎を繋ぐ渡り廊下を抜け、階段を下りて、一直線にくだんの昇降口へと向かう。


「会長!」


 堂々と、あるいは泰然たいぜんと、指揮官然とした風格を漂わせながら、中央の大階段から現れた至のことを、清潔な下駄箱が並ぶ昇降口に集った、大勢の学生が、安堵と共に迎え入れる。


 救いを求めるような彼ら、彼女らに対し、至は安心させるように手を振ると、短く命令を飛ばす。


「保健委員は、続けて待機。安全の確保が確認されてから、追って指示を出す」

「了解!」


 学生服の上から、看護服を着込んだ男女の集団が、統率のとれた動きで隊列を組みなおし、道を空けた。


 まるで神に選ばれた指導者のように、バッカリと割れた人の海の中を歩みながら、至は上履きから、宇良が用意した革靴に履き替えて、昇降口から外に出ると、真っ直ぐ前に進み、眼前の校庭を一瞥いちべつする。



 そこで繰り広げられていた光景は、まさしく混沌カオスだった。



「ヒャッハー! 殺戮パーティの始まりだぜー!」


 校庭の中央で、大きな舌を出しながら、下品に笑っている金髪モヒカン男が、自転車のチェーンらしきものを、ブンブンと振り回している。かなり危ない。


「グエッヘッヘッヘッ! 泣け! 叫べ! 命乞いをしろおおおおお!」


 また別の場所では、半裸の太ったモヒカン男が、なぜかバス停に置いてあるポールタイプの標識を、ひたすら地面に叩きつけてる。とても危ない。


「ケケケケケケケケ! そらそらそらそら! 苦しめ苦しめ―!」


 少し離れた場所では、痩せぎすのモヒカン男が、甲高い声で笑いながら、両手にスパナを握りしめながら、その場でクルクルと回転している。色んな意味で危ない。


 そして、なによりも危ないのは、そんな調子て暴れて回っている不審者丸出しのモヒカンは、その三人だけではない……、ということだった。これは危ない。


 凶器を振りかざすモヒカンに、自らの鍛え抜かれた肉体のみで暴れるモヒカン。

 奇声を上げるモヒカンやら、ブツブツと不気味に笑っているモヒカン。

 徒党を組むモヒカンたちと、独りで悦に入っているモヒカン。


 モヒカン、モヒカン、モヒカンだらけ。


 その数、およそ百人程度だろうか。ここまでくると、モヒカンという人目を引くはずのパーツも、無個性にすら思えてくる。


 そんなモヒカンの群れたちが、よく分からない雄叫びを上げながら、放課後の部活にはげんでいた生徒たちを、むやみやたらと追いかけ回している。



 かなり広い天道ヶ峰高校の校庭は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。


 

「行くぞ、宇良」

「はっ」 


 いまや暴力が支配する無法地帯と成り果てた校庭に、まったく怯む様子すら見せることすらなく、至は大人しそうな少女を従えて、さっさと足を踏み入れる。


「ああーん? なんだ~、てめえは……、あびば!」

「邪魔だ」


 いきなり絡んできた真っ赤なモヒカン男の顔面に、思い切り拳を叩き込んで黙らせながら、至は前進を続ける。


「て、てめえ! よくも仲間を……! がばお!」

「黙れ」


 続けて、別のモヒカンの鳩尾を打ち抜くと、至は更に歩みを進める。


 その後ろでは、彼に付き従っている宇良が、崩れ落ちたモヒカン二人を、どこからか取り出した荒縄を使って、一瞬で簀巻すまきにしていた。

 

「おう! なんや! やんの……、だば!」

「や、野郎……、ぐじっ!」

「こ、これ以上好きには……、でぶし!」


 まるで蠅のようにたかってくるモヒカンたちを蹴散らして、至はズンズンと前に進みながら、大音声を張り上げる。


「総員! 落ち着け!」

「――っ!」


 この学校の長である生徒会長の一喝を受けて、乱入したモヒカンによって混乱の極みにあった校庭は、一瞬の静寂に包まれる。


 そして次の瞬間、ただひたすら暴徒に襲われるだけだった、誇りある天道ヶ峰高等学校の生徒たちに、理性と覚悟が戻ってきた。


「非戦闘員は校舎まで退避! まずは各々の部活ごとに集まれ!」


 そこからは、早かった。


 まるきり無力に見えた高校生たちは、いきなり完璧に統率のとれた動きを見せて、暴れるモヒカンの狂乱をかいくぐり、各々の役割を果たす。

 

 まずは運動部らしき生徒たちが、素早く周囲を確認し、付き合い慣れた部活仲間の位置関係を把握すると同時に、速攻で駆け出し、最短で集合を果たす。


 そして、それ以外の……、おそらく下校中だったであろう制服姿の生徒たちが、怪我をしたり転んでしまったりしている他の生徒を庇いながらも、手際よく校舎へと向けて退却を開始した。


「……アメフト部は右翼を! ラグビー部は左翼を守り、敵を押し切れ! そのまま陣地を作る!」


 まさしく救世主の如く、自らが単騎で中央をにないながら、耳障りな叫び声を上げて飛びかかってくるモヒカンを、ちぎっては投げ、ちぎっては投げしながら、至は特に焦るでもなく、冷静に指令を飛ばす。


「野球部とサッカー部は協力して遊撃し、陣地内で孤立した敵を各個撃破! 陸上部は退避する非戦闘の安全を確保しろ!」


 混沌としていた校庭に、あっという間に秩序が生まれる。


 あれだけ暴れていたモヒカン連中は、抵抗むなしくグイグイと校門の方向に押し出されていき、校庭に残され、孤立した残りのモヒカンは、多少の抵抗はしても、最終的に個別に撃破され、宇良により簀巻きにされていく。


 混沌と言えば、なんだか格好良く聞こえるかもしれないが、要するに統制もとれておらず、てんでばらばらに暴れているだけなのだから、奇襲で場を荒らすことはできても、遠からず鎮圧されるのは、自明の理だったのかもしれない。


 それにしても、遠からずというには、あまりに素早い決着ではあったが。


「会長、非戦闘員と怪我人の収容、完了しました。確認したところ、敵に捕まった生徒は、いないようです」

「そうか、分かった」


 校庭に残存していたモヒカンの捕縛が完了したのか、汗を流すどころか、息一つ乱さずに、静かに報告する宇良に向かって、至は小さく頷いた。


 これで残りは、至が統率するフィジカルに優れた……、ありていに言えばガタイの良い、アメフト部とラグビー部の混成部隊に押し切られながらも、いまだに天道ヶ峰高校の歴史ある校門を不法占拠しているモヒカン部隊に絞られた。


 もうすでに、モヒカン共はその数をかなり数を減らしてこそいるが、まだそこそこ残っている。校門近くは、それほど広いスペースではないので、そこに校庭から押し返されたモヒカンがみっちりと詰め込まれ、一種異様な空間となっている。


 モヒカンの鮨詰すしづめというか、モヒカンの詰め合わせというか、モヒカンの満員電車といった有様で、なんだか無駄に暑苦しい。


 まさしくモヒカンの見本市のような光景だったが、なるほど、こうしてズラリと並べてみると、この一山いくらみたいなモヒカン連中にも、その個性的な頭部以外に、ある共通点があることが浮かび上がる。まあ、別に大した発見でもないのだが。


「く、クソが! ちょ、チョーシこいてんじゃねーぞ!」


 追い詰められたモヒカンの一人が、慌てた様子での内ポケットに手を伸ばす。


 そう、制服だ。どう考えても不自然だが、この無法者のモヒカンは制服を、正確に言うならば、高校の制服らしきものを着用している。


 ちなみに、なんて言い回しになったのは、過度に人の手が加えられた、原形をとどめないレベルの改造制服だからなのだが、これは別に、このモヒカンが特別だというわけではない。


 問答無用の不良校、私立地獄谷高学において、指定された制服を、お行儀よく着ている生徒なんて、最初から皆無なのだから。


「こいつで悲鳴を上げやがれ!」


 それでも、注意深く観察してみれば、この居並ぶモヒカン全てが、知る者が見ればなんとかギリギリで、同じ制服を元にした格好をしていることに、気付くことができる可能性も、決してゼロではない。


 その中で、先ほど奇声を上げながら、あまりに短すぎて、その両腕が肩から丸出しになっているブレザーの内ポケットに手を伸ばしたモヒカンが、そこからなにやら、ガラスの小ビンを取り出した。


 そして、躊躇なくその瓶の中身を自らの口に含むと、即座に思い切り噴き出した。


 とはいえ、それは別に、ただふざけているわけではないことは、そのモヒカンが、いつの間にか構えていた火のついたライターに、彼が噴き出した霧状の液体が触れた瞬間から、大きな火の手が上がったことからも、見て取れる。


 燃える液体を噴出し、火を点けたのだ。これは、モヒカンが持っているガラス瓶の表面に、異様に汚い字だが、油性ペンで工業用アルコールと記入されていることからも確認できる。


「……そんなもの、口に含むなんて危険だぞ」


 突如、目の前で上がった火の手を、特に恐れることもなく、至は冷静に後ろに下がりながら、その火を吹いた張本人を心配してみせる。


 そして、一瞬燃え上った火の玉が消えた瞬間、それに合わせるように前進すると、そのまま吸い込まれるような上段蹴りを、火吹きモヒカンの側頭部に打ち込む。


「がなっば!」

「それと、未成年の飲酒は、違法だ」


 奇妙な悲鳴を上げながら、派手に吹っ飛んだモヒカンが手放したガラス瓶を、地面に落ちる前にキャッチすると、至は面白くもなさそうに、その瓶を近くのゴミ箱へと投げ捨てた。


「や、野郎……! ぶっ殺してやる!」


 それが合図だった……、というわけでもないだろうが、仲間を倒されたモヒカンが激昂し、至に向けて一斉に襲い掛かり……。


 そして、一瞬で鎮圧された。


「まるでサーカスだな」

「ば……、化物だ……!」


 奇声を上げながら、奇抜な動きで、奇妙な攻撃を繰り広げていたモヒカンたちを、涼しい顔で一蹴した至に対して、残りのモヒカンが怯えた声を出しながら、逃げ出すように距離を取る。


 結果として、退しりぞいたモヒカンの山が割れ、その奥にいたおかげで、今まで見ることができなかった人物の姿が、あらわになった。


「ああ~ん?」


 まるでモヒカン共のボスのように、最奥に鎮座していたその人物は、なんということだろうか、信じ難いことではあったが、モヒカンではなかった。


 というか、そもそも男ですらない。だ。

 少なくとも、女性だということは、すぐに分かる。


 まず目を引くのは、一目見て染めたことが分かる、安い金色に染められた長髪だ。


 本来ならば、枝毛すらない美しい黒髪だったであろうことは、その頭のてっぺんの生え際を見れば分かる。染めてから髪が伸びたのか、まるでプリンのようなコントラストになっていた。


 小さく整った顔面は、その大部分が黒いマスクで隠され、まるで無理矢理見開いているよるな、異様にギョロつく三白眼だけが、恐怖と共に印象に残る。


 まるでモデルのような、スラリとした体型ながら、あまりに重厚すぎる漆黒のロングスカートと、改造された制服の上から羽織ったスカジャンに、デカデカと不気味に描かれた般若の面が、周囲に睨みを聞かせていた。


 そしてなにより、その白魚のような右手に握りしめた、血の痕がこびりついたような錆びた金属バットが、なにより印象深く、暴力を演出している。


 そう、この千人に聞いたら千人が、絶対に自分からは関わりたくないと宣言し、神に祈るであろう彼女こそ……。


「久しぶりだな、……」

「なに見てんだ、ゴラアア!」


 極楽院至の想い人にして、私立地獄谷高等学校、四十九代目総長……。


 修羅堂しゅらどうりんね、その人だった。

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