小4男子は登ってはいけない

オジョンボンX/八潮久道

小4男子は登ってはいけない

 小4男子は登り棒を登ってはいけないんだって。なんで。しらない。でもだめなんだって。そう言われてよく見たら登り棒を登っているのはみんな、3年生より下の子たちだった。ぼくらが4年生になってから、だれかが言い出した。みんなが言い出した。大人はだれも言ってないのに、みんながいっせいに言い出した。

 たけちが登り棒のてっぺんの近くで棒をぎゅっと抱えこんで止まっていた。みんなで見上げてた。いけないんだ、やめなよ、早くおりた方がいいってって、だってうちら、もう4年生なんだよ? 男子も女子もみんな、大きな声でたけちに呼びかけてた。

「なんか変なかんじがするー!」

というたけちの声が上からふってきた。みんなが不安そうな顔をした。風が運動場の、土やかれ葉といっしょになって吹きつけてきた。みんなかみの毛がめちゃくちゃになった。みんなのからだの匂いがいっしゅんしたけど、風がぜんぶ吹き飛ばした。ぼくがたけちの一個となりの棒につかまって登りだすとみんな、やめなよー、なにしてんのーと言った。ぼくの頭がたけちのスニーカーの高さまできたところで止まってたけちを見上げると

「なんかこうしてると変なかんじしない?」

と言った。たけちはからだをぴったり棒にくっつけて、全身のちからを入れたりゆるめたりしてた。

「ちょっとやってみてよ」

 たけちが言うからぼくも真似したけど変なかんじはしなかった。やり方が違うのかもしれない。あしをぎゅっと閉じて、太ももで棒を強くはさんで、はさむ力を入れたりゆるめたり、たけちはそういう風にしてるみたいだったけどなんか、上手にできなかった。たけちは頭をのけぞらせて空を見てたけど、なにも見てないしなにも聞こえてないみたいだった。口をあけて、機械みたいに力を入れたりゆるめたりくり返してるだけになってた。

「んっっっ!」

ってたけちが急に叫んで、からだ中の力をそのまま抜いて落ちていった。かれ葉みたいにゆっくり落ちていった。ぼくの目の前を落ちていって、目が合った。だらしなく笑ってた。すうーっと落ちていって、土の地面に背中からびたーんと落ちた。救急車で運ばれていった。ぼくらは中学生になった。


 そのとき中学生だったぼくは特有の子供っぽい甘えと空気の読めなさをたっぷり発揮して、机につっぷして寝ているたけちの腕をずっと揺すっていた。昼休みだったけど図書館のいちばん奥の机のまわりは人の声も遠くて静かだった。

「なんなんだよ!」

と苛立った声で顔をあげて精一杯にらんでるたけちの不機嫌を、まるっきり感じとれずに無視してぼくは、昨日見たテレビのことを勝手に話し始めてた。大人の男同士ならしないような距離の近さで顔や体をぐいぐい寄せて、自分は誰よりも全部わかってるという中学生らしい尊大さで、タレントや芸人の批判や誰に向けているのかわからないアドバイスを、現実的な条件や都合をことごとく度外視した言い分で好き勝手に話し続けてた。急にたけちがぼくの向こう側に視線を移して、ぼくもつられて振り返ると後藤さんが近づいてきているのが見えた。

 後藤さんはちらっとぼくを見たあと、ぼくに用事なんかこれっぽちもないってあからさまに態度であらわして、たけちにだけ顔を向けた。後藤さんを見ると自分が中学に上がったって変な感じを無理やり思い出させられる。後藤さんはいっこ上で、同じ町内会で小さいころから町のお祭とかイベントで一緒になったから、ずっと下の名前でとよ君、とよ君って呼んでたのに、先にとよ君が中学に上がって、一年後にぼくが中学に上がったら後藤さんになってた。最初っからぼくのことなんて知らないって感じで、ぼくも話しかける公式な用事だってないし、最初っから完全な他人って感じになった。小学校までみんな上級生でも下級生でも友達って風だったのに、中学校に上がるといきなり先輩と後輩になって、さん付けで呼んで敬語で話すのが当然になるのがよくわからなかった。そうか、これが大人になるってことかってびっくりしたその気持ちを、後藤さんの顔を遠くで見かけるたびに思い出すんだった。後藤さんはたけちを連れていこうとして、ぼくはついていった方がいいのかどうしたらいいかわからずに曖昧に立ち上がりかけたら、後藤さんは軽く手で制して

「いいから」

って言ったの、かなり大人って感じがしたけどよく考えたら後藤さんはぼくより3ヶ月大人なだけだったから、こっそり後をつけた。

 図書館と校舎のあいだの、人が通ることのない隙間で後藤さんはバナナ鬼でつかまった人みたいになってた。しゅっと両腕を上げて棒みたいに立ってた。たけちはその棒の先輩に抱きついてた。後藤さんは背が高くなくて、たけちはちょっと背が高かったから、同じくらいの大きさだった。体重も同じくらいだったと思う。棒の先輩は強く目を閉じてぷるぷるしながら重さに耐えてた。たけちは先輩に気をつかわない感じで目を閉じて、体を棒の先輩に密着させたり力を緩めたりを一心不乱に繰り返してた。我を忘れて全力みたいな感じがなんか、犬っぽかった。

「はっ」と短く強く息を吐いたと思ったらたけちはあの時みたいにいきなり全身の力を抜いて地面にびたーんと落ちた。後藤さんは背が高くなかったからたけちはすぐ地面に到着してた。わからなかったけどぼくは、見てはいけないものを見てしまったと思った。これはぼくの中だけにしまっておいた方がいいと思ったけど、すぐみんなに言いふらしたらとんでもない噂になってたけちは転校していった。あたらしい学校でも楽しくやってくれてればいいけどと思って。


 早暁、雨戸を開け放つと庭の竹に男が抱きついていた。男もこちらに気付いていた。男はそれ以上登りも降りもせず、逃げるでも襲いかかるでもなく、ただ竹に抱きついたままだった。私は右の人差し指をこめかみに当てて沈思黙考した。

「これはもはや、私の手に余る事態ですから、警察を呼ぶほかないと存じますが」

「仕方ありませんね」

 男は覚悟ができているようだった。やむにやまれぬ末の所業だったのだろう。私が通報して縁側に戻ると、男は最前の位置のまま一寸も動いていなかった。はなはだ安定したその静止は、よく鍛えられた肉体のみならず、型とすら呼べるほどの極められた姿勢によって支えられているように見受けられた。

「お宅の竹が、あまりに見事でしたので」

と男は言った。都内で庭のある家自体が少ないこと、地下茎を防ぐための壁をあらかじめ埋め込んでおく必要のあること、春には筍を除去し、夏には葉を適切に落とさなければならぬこと、そうした面倒を引き受けぬ限りこの3本の見事な竹は実現され得ぬということを、男は正確に語って私の竹を賞賛した。警察官が5人到着した。竹の根本に集まって男に降りるよう高圧的に呼びかけていた。この早暁に、大声で近所への迷惑も顧みず、男への敬意も欠いた物言いに私もいささか不愉快を覚えた。男が腰を竹に押し当てたり浮かしたりを繰り返しているようだった。私は警官たちに、

「その方は、大丈夫ですよ」

と断った後、男に

「存分になされよ」

と声をかけた。男は一層激しく竹に腰をこすりつけ、果てた。全身の力を抜き、地面にびたーんと落ちて、なんかぴくぴくしてた。

「どこが大丈夫なんだよ……」

と若い警官が呟くのを聞いた。


 夕方のニュースは容疑者の余罪を紹介していた。容疑者の氏名がテロップに出て、しばらく頭がざわざわと検索して、中学のときに転校していったたけちだと気づいた。立派になったんだなあと思った。この人ね、子供のころから登るのが好きだったんだってこの人のお母さんがテレビで取材受けてたの、お昼にやってたよ、全国のいろんな地方もまわってたらしい、消防士なんだって、出動するときに2階から降りるポールがあるでしょ、あれに憧れて入ったらしいんだけど今ってもうポールなんて使ってないんだってね、でも仕事はまじめだし消防士の競技会なんかで全国で入賞とかしてたらしいよ、取り調べで、あのお宅にはご迷惑をおかけして申し訳ない、しかしあの竹は太さといいしなりといい最高の棒だった、悔いは無いって言ってるって、と妻がどういうわけか興奮して勝手に話してくれた。

 ぼくは窓の外に少し目をやった。マンションの14階からの見晴らしの中で、空がちょうど赤から青のさかいを見せていた。この空をじっと見つめていれば、ちょうど人間が感じられるかどうかぎりぎりくらいの速度で、深い紺色がゆっくり地平線を沈めていくってことを知っているのに、そういう時間を忘れながら感じさせる贅沢を、もう何年も味わってない。ちょうど高台にあった小学校の運動場から、日暮れの早い冬の夕方、まだ5時のチャイムがなる前に、町を見下ろしてそんな空の色の変化を見つめていた記憶がふいによみがえった。

 ぼくは、さっき小4になったばかりの息子に大切な秘密をこっそりうちあけるみたいに、やわらかい耳に顔を寄せて、

「小4男子は登り棒を登ってはいけないんだって」

と言った。

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