身も心も限界から始まった

雨に降られ、ずぶ濡れになり、心が折れそうになる迄追い詰められ、「もう、山の事はしばらくは考えたくもない。」とK心と互いに強く思った日から1ヶ月程経過した。

いつも通りの変わらない日常を過ごしていた。朝起きて仕事に行き、職場での些細な会話、夜帰宅。

休日に、これと言って何か特別したい事がある訳でもない。そんなに観たい映画がある訳では無いが、映画を観に行ったり。暇つぶしに映画に行って、食事をする。この歳40代にもなると、ある程度の関東圏の行楽地には足を運んだ。水族館、動物園、遊園地、プラネタリウム、美術館、温泉、テーマパーク…一通り行ってしまって、特に気に入ってまた行きたいと心動かされる所がある訳でもない。身体が疲れて休日を家で過ごす時には、撮りためたテレビドラマを横になり一気に見たり、予定の無い日は、日常生活の買い物で1日が終わってしまう。変わりの無い1日の時だけが過ぎていく。

休日が終わり、月曜日が始まり、会社へ行く。何気なくK子のデスクを通った時、ブック立てに見覚えのある本を見つけた。思わず手に取りパラパラとページをめくる。席を外していたK子が戻ってきた。

「ごめん。懐かしい本が目に入り思わず手に取って見ちゃった。何箇所か付箋ついてるんだけど。」とニヤニヤしながら本を返した。

「せっかく買ったのでたまに見てるの。素敵な景色が見れる山とかあって、関東圏にもこんなに山ってあったんだね。今一度良く見てみたけど、あの三頭山、普通に電車を間違えずに予定してたコースで行けてれば、大変ではなかったみたなの」

私達は初心者。ページに「初級者」「中級者」「上級者」とレベルが記されているので、それをちゃんと確認して「初級者」レベルの山、山行コースを選択するのが賢明だ。 もうこれは重々承知した。

私も三頭山をもう一度じっくり見た。森林館から登り、森林館へ戻るコースはコースタイム3~4時間。しかもこのコースなら「初級者」レベルになっている。前回の健脚者向きと言われたコースタイムは6~7時間余り。上手く行けば前回の半分の時間で登って下山出来る計算になる。

私は暫くそのページを見ていた。何となく視線を感じた。

「何?」

「再チャレンジしてみない。今度はこの本にある通り普通のコースで」と、K子が言った。

「えっ」

「K子、又行きたいの?K子もしばらく山はもういいかな…って言ってたよね?」

「そう何だけど…改めて本を見てみたら、知らない山が沢山あって、これまで山には興味なかったから気付かなかったけど。あぁこの景色を見に行ってみたいなぁ~何て最近思い始めてきた」

「まぁ、確かに興味そそられる景色の山あるよね。そこまで行かなくては見れない景色が」

その時、多分二人共同じ事を思い出していたと思う。「晴れた日の三頭山山頂から、この本に載っている写真のような富士山が見れるのだろうか」

ふと目が合った。

「晴れた山頂から富士山見てみる行ってみる?」

「うん。前回の三頭山を乗り越えられたんだから、ある程度の事は乗り越えられる気がする」とK子が言った。私もその意見には同感だった。

確かに、あの時自分と闘い、諦めたくなる気持ち、不安と心細さで押し潰されそうな気持ちを封印し、「早く下山」する事だけ考え下山出来た時、身も心も限界まで達していたので、その「達成感」「やり遂げた感」は強烈に自分自身の中に残り、感じている。今迄の人生であんな強烈な出来事はそうそう無いと思う。

「あれを乗り越えられたんだから、あれ以上の事はそうそうないわよ」

「じゃぁ、チャレンジして見る?してみようか」と、私は言った。

本で、改めて三頭山を見て、K子と話している内に、何故か又山を、しかもあの思い出の山を、今度はコースを変えて登る日が来るとは思ってもみなかった。

「時間の経過」は、心に変化を与える「心の経過」となり、再び私達は、同じ山に挑む。

そうと決まったら、私は今度ばかりは山を甘くみてはいけな事を思い知ったので、山に相応しい格好、装備を整えるべく買い物に出掛けた。ザック、登山靴、登山用の靴下、登山用パンツ、アンダーシャツ、レインウェア、ストック、山の地図、熊ベル、水、行動食。

K子の持っていたあの本に、相応しい服装や装備品が載っていたのでその本を参考にした。あの時の雷、霧、雨、泥水の濁流、悪天候、未装備、わずかな行動食。無事に下山出来たから良かったが、たまたま運が良かっただけと思わなければ。

あの体験は装備、服装の重要性を深く知る為の良い経験となり、軽い気持ちで登ってはいけないと気付かせ、教えてくれた。

それを教訓に今回は装備、服装も整え、バスの時間、コースとコースタイムを山の地図で念入りにチェック。最低でも何時迄に下山するのかを想定、もちろん標準コースタイムより1時間30分位は多めにみて逆算する。(休憩時間、ロスタイムも含め)

登山開始時刻は、前回、前々回のお昼近く、お昼を過ぎてからの開始は有り得ず、今更ながら無知過ぎた自分を反省。

登山開始時刻は早ければ早程良い。今度は、駅に着いてからのバスの時間に間に合うように、乗り継ぎも考慮し計画を立てる。

遅くても9:30から登山開始出来て、昼前には山頂に着く計算。

「時間に余裕のある計画を立てる。7月の1,500メートル級の山の暑さが分からず、体力の消耗も考えなくてはいけない。そして明るい内に下山」

たった1回のあの経験が、軽い気持ちだった私をここまで大きく変えた。学んだ事が余りにも大きかったのだ。

土曜日もしくは日曜日。天気予報確認しながら、雨降りは避け天気の良い日で決める事にした。山の天気は変わりやすいので、晴れる日を狙ってまずは安全登山。

後は、晴れを願うのみ。予定日2日前の夜、K子からラインがきた。「てるてる坊主、3つ作って窓際に吊るしました!」と、画像付きで送られてきた。思わず笑みが溢れる。K子も雨は懲り懲りのようで、大人になって初めて作ったとの事。遠足に行く子供の様にその日が晴れであるのを祈るばかり。

前日の夜の天気予報は、晴れで降水確率10%。K子に、「明日は予定通り決行。電車の中で約束した時間で待ち合わせにて」と、ラインを送る。「了解です!」

私は、何度も確認したザックの中を再度確認した。確認しても確認しても何か忘れ物がないか不安になる。

無事に電車で落ち会い、本日の1番のポイント、「新宿で乗る車両に気をつける事」を確認した。

元はと言えば、この車両の乗り間違えから始まったのである。まぁ、雨に振られた事に関してはどのコースから登っても結果同じだった思うが。

新宿駅で、途中から奥多摩方面と、武蔵五日市方面に車両が切り離される「ホリデー快速あきがわ・おくたま号」に乗る。今度は間違いなく武蔵五日市方面に切り離される車両に乗った。これでひとまず安心。後は暫しお休みタイム。これから登山に備えて体力温存だ。途中車両が切り離される拝島駅手前で自然に目が覚め、車両が切り離され、無事武蔵五日市駅方面に動き出したのを確認する。「よしっ!」と、K子も起きて目が合い頷く。そしてまたしばし眠りについた。

安心してよく寝た。そして、ちゃんと乗れば当たり前の事だが、 無事に「武蔵五日市駅」に着いた。「今度はちゃんと着いたね」

バスに乗り、都民の森へ向かう。「今回は一般的なコースだから、普通に楽しみながら行きたいね」と、2人の切なる思いである。予定通りだと約4時間のコースへ向けて登山をスタートさせた。

2人で景色を楽しみ、三頭大滝をバックに写真を撮り合い、ふと良い風が抜ける所で風を感じ立ち止まる。思い切り手を広げて風を浴び、空気を胸一杯吸い込む。K子がザックから何やら取り出し私の手へ押し当てた。「冷たい!」自宅から凍らせてきたゼリー飲料との事。一口飲む。「美味しい!」まだキンキンに冷えて冷たかった。とても贅沢な気分。今度はこんな事を思いつく余裕があったのだ。ゼリー飲料はとても贅沢なご馳走だ。

あっという間(前回に比べれ半分位の時間)に山頂に着いた。その間登りがきつく、ちょっと息が上がる箇所もあり、暑さも手伝って少々ばて気味。晴れてお天気が良ければ富士山がとても綺麗に見えると本にか書いてあったが、果たして…

辿りついて良かったと思わせる景色がお出迎えしてくれた。「富士山だ」山頂から富士山を見るのが初めてだったので凄く感動した。山から山をみる。登らなければ見る事のない景色。暫し写真タイム。三頭山山頂の碑と一緒に記念撮影もした。お昼前には着いたので、山頂には、20~30人位の登山者がいた。前回は願望もなく、遅い時間に山頂に着いたので誰もいなかった。写真を撮るという事も全く考えられない程余裕がなかった。なので、今回は木のベンチに腰掛け、行動食とゼリー飲料をゆっくり景色を眺めながら頂いた。贅沢な景色を見ながら食す。至福の時。ラーメンの匂いがして、辺りを見回すと、携帯バーナー持参でラーメンを作っている登山者がいた。又、家から作ってきたお弁当を食べる人等、皆それぞれ山頂での景色を見ながらランチを楽しんでいる。

山頂から景色を眺めながら食べる食事は、登って来た者へのご褒美。

「今度、山頂でラーメン食べたいね」と、K子言った。「私も正に同じ事を考えていた」考える事は同じだ。聞くところに依ると、K子は携帯のバーナーは持ってるそうなので、次回チャレンジ。

40分位休憩して、名残惜しいが下山する。時刻は12:30過ぎ。前回とは何もかも違い、山頂に着いた時間も早ければ、下山開始する時刻も早い。私は下山しながら物足りなさを感じる。まだまだ歩き足りない気分だ。身体はまだ元気だった。

「あのずぶ濡れ山行のお陰で、本の少し身体が山慣れしたのかな。何か物足りなくない?」

「そうだね。普通のコースで登れば、こんなに楽だったんだね。でも今回は普通通りに行こうよ。今回は何といっても、道がちゃんと分かるし、整備されていし、それに登山者とすれ違うのが新鮮」

「こんにちは」と何度挨拶を交わした事だろう。

そういう触れ合いも山ならではである。2時間弱位で、まだまだ明るい時間に無事下山。バスもちゃんとあるし、日が暮れる前には自宅に戻れる。全て計画通り。

互いの近くの駅手前で途中下車し、夕飯を食べて帰る事にした。もうお腹がかなり空いていた。ご飯を食べながら今回の山行を振り返った。

「今日は本当に楽しかったね」2人同じ事を言う。

「頑張って山頂について、素敵な景色を見れると、登ってきて良かった~って、気持ちになるね」

本当にそうだ。

時間の経過と共に、又山に行ってみようと思い、リベンジで又あの山に舞い戻る。今回はノーマルコース。

「あれ以上の事は無い」が合言葉のように、リベンジ登山無事に達成。とても充実した気分、充実した時を過ごした事を共感する。

自然の素晴らしさ、登山道の感触、人との触れ合い。身も心も満足。

私は今回、事前に山の下調べをしようとネットでコースとか他の登山者の方の山行記録を読んでいた。読みながら、山行記録を記録出来るスマホのアプリがある事を知り、自分のスマホにそのアプリをダウンロードした。そして今回試しにそのアプリで記録をとりながら山行をしてみた。自分達の歩いた軌跡、標高、通過時間、コースタイム、その時撮った写真。山好きのユーザーが自分達の山行記録をネットで公開出来るサイトがあるのだが、私もそこに初めてアップした。慣れないので時間はかかったが、楽しい作業だった。その作業中、どんどんその時その時の情景、心情が思い起こされる。

そのサイトは、私達がどのようなコースで行ったのか、要所要所の通過時間と地図で軌跡が分かり、その時撮った写真にコメントつけ、最後に今回の山行の感想を記すものなので、私もそうだったが、三頭山に行こうかなと思っている登山者の方の為の参考にもなるし、何よりも自分達の山行記録が残せるのが素晴らしい。

一番悔やまれるのが、あの「ずぶ濡れ」の記録をとってなかった事。あの時は記録をとるアプリの存在は知らなかったし、軽くハイキングに行く位の感じだったので、正にあのよう事態になるとは思いもしていなかった。「あぁ~本当に残念。凄く残念」

もう、暫くは「山には行きたくない、行く事はないなぁ~」と思った程の大記録だったのに…

K子にネットのサイトにアップしたので、ラインでURLをつけて送った。

「こんな事出来んるんだ。凄い。見ながら思い出してました」と、直ぐにラインがかえってきた。

山行終わってその日に作業するので大変ではあるが、喜んで頂けて何より。














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