思いもしない試練の三頭山
ゴールデンウィークでの、ハイキングによる心地良い筋肉痛は、翌朝起きてベッドから立ち上がった瞬間に「おぉっ」と、思わず声が出る位の痛みになっていた。足を伸ばしたままのぎこちない歩き方。腰も硬くなった感じ。全身を通して硬くなった人間になってしまった。動く度に「おぉっ」の嗚咽の連チャン。
さて、仕事に行かなくては。こんなぎこちない歩きで会社に行くと、勿論どうしたのか聞かれる。「ゴールデンウィークの休みにハイキングに行ったら、すごい筋肉痛になっちゃった。普段全くスポーツしないから、突然の事で身体がビックリ状態。でも、この悪い右足でもハイキングに行ける事が確認出来て良かった。本当に凄く楽しかった」と、会社の女性同僚3人に話す。同僚3人共、私の右膝の事は知っているのだ。1人凄い話に食いついて来た。
「何処に行ったの。どんな景色だった?どんな道歩いたの?」
お昼休みに「御岳山の事を、事細かく話してあげた。
翌日、昨日話しにくいついてきたK子が、お昼休みに関東近郊の山が載っている雑誌を持ってきた。
「ねぇ、此処とか近場で良いね。行って見ない?」
「えっ?山とか興味あるの?行きたいの?」
「話し聞いていたら、私も行って見たくなった。昨年行った、中国の万里の長城を思い出して。あれから歩いてないし、歩きたくなったの」
K子も、私も中国の歩き旅以来、楽して楽しいのでは、物足りなくなってしまったのかも知れない。
来月行く事に決め、どこの山に行くか二人検討会議が始まった。
その結果、場所は「三頭山」にきまった。東京は奥多摩湖町、檜原村、山梨県上野原に跨がる山。JR武蔵五日市駅からバスに乗って都民の森まで行き登山開始というスケジュール。
当日の朝、東西線地下鉄の隣駅にお互い住んでいたので、先にK子が乗車し、次に私が乗車して、先頭車両内で待ち合わせとなった。私は電車に乗り込みK子を探した。「乗ってない?」目を凝らして車内を見ていると、完璧な登山服に、紐のついた黒い登山用のハット、エンジの登山靴、25ℓ位の黒いザックの装いの人が目に止まる。凄い格好人だと思い見てたら目が合い、私に手を振ってきた。
「えっ!K子!?凄い格好人がいると思って見ちゃった。完璧に登山者じゃない」「この格好凄くない?」
「私も朝、子供達にそんな格好で家から出掛けるの?」って言われて、「電車の中でも、こんな格好してるの私だけだし、ちょっと恥ずかしかったから、早く会いたかった」
この服装は、以前富士山に登った時に買ったから、もう6、7年前のものとの事。「靴も富士山登ってから1回も履いてないので大丈夫かなぁって思いつつ履いてきちゃった」そのエンジの靴は、全体的にちょっと汚れが残って染み付いて、ちょっと誇らしげに見えた。確かに富士山に登った話は以前聞いた事があった。私の格好はと言えば、 ストレッチの効いた黒のパンツ に、ロングTシャツ、黒のワークブーツ、肩掛けカバン。前回の御岳山ハイキングと同じ格好である。
新宿駅で乗りかえて、ホリデー快速に乗車したのだが、乗車して朝早かったので安心して眠っていると、もうそろそろ着いても良い時間なのに着かない。「何で?」と思い、停車した駅、前後の駅名を見て、事前に調べた時みた停車駅の名前がない。スマホで調べる。どう見ても 武蔵五日市駅には向かっていない。「何で?」焦ってきた。「一体この電車は何処に向かって、いつ間違えてしまったのだろうか」スマホで自分の乗車した電車を調べる。
「そうなの?」途中、拝島の駅で車両が切り離されて、奥多摩方面、武蔵五日市方面に分かれるらしい。私が乗車した車両は、切り離されて奥多摩方面に行く電車になっていた。まさか車両が途中から切り離されるなんて思っても見なかった。K子に「どうしよう?引き返す?でも引き返すとかなりロスタイムになるよ」
「奥多摩に行けば、何処かしら山に行けるんじゃない」と言う互いの意見一致で、奥多摩駅で降りてから場所は考える事にした。奥多摩駅で下車。奥多摩駅の改札出て直ぐ、K子が観光案内所を見つけ、確認しに行っている間に、私はトイレを済ませた。トイレから出で来ると、マップを片手に微笑みながらK子が近づいてきた。「ここからバスに乗って、奥多摩湖から三頭山に行けるって、隣にいた方が教えてくれたの。そこから登ろうよ」
「良かった!予定通り三頭山に登れるんだ!奥多摩からも登れたんだね」
もうそろそろバスが来るとの事なので、バス停に向かうとちょうどバスが来たのでに乗り込んだ。
教えられた降りるバス停の名前のアナウンスが入ったので、「降りますボタン」を押した。バスの中は登山者が10人位乗っていたが私達以外誰も降りなかった。「皆、何処で降りんるんだろう。何処に行くんだろう?三頭山に行く人はいないのかなぁ」とK子に言うと、「誰も降りないと、本当にここで良いのか不安になるね」バスを降りて、観光案内所から貰った簡易マップを見る。間違ってはいないようだ。案内に従い橋を渡り暫く車道を歩く。
ここが登山口?車道脇のブロックみたいな所に「入り口」らしき見落としそうな位小さく、かなり古いのか文字が消えそうな木の案内板を発見。かなり高さのあるブロックよじ登った。よじ登ってみたが踏み跡らしきものが見当たらない。「普通踏み跡あるよね」不安でK子に話しかけた。「何だか本当にここで良いの?」取り敢えず歩きやすそうな道を選び、少し先まで様子を見に行く事にした。他の登山者の姿は見えず、この入り口迄の間も誰とも会わなかった。正直、不安で心細くて引き返そうかと思った。今日は、朝から電車を間違え、バス停では登山者が10人位いたのに、予想に反して誰も降りず、そして、この踏み跡無き道。何か良くない雰囲気が漂っていた。K子もそう思っていたようだ。だがここで引き返したら、もう11:00過ぎだったので、「もうどこに行けない」という思いが、お互いに「引き返そうか」と言う言葉を呑み込ませ強行させた一因となった。
途中から踏み跡らしきものを見つけてちょっと安心した。安心した所で、K子がザックから、菓子パンを取り出した。「半分づつ食べよう」と半分に割ったパンを渡された。小腹が空いてきたのと、少しホットしたので、菓子パンがとても美味しく優しい味に感じた…のも束の間。段々辺りが暗くなりだし、白く霧がかかり、一瞬にして視界が悪くなった。本の1メートル先しか見えない状況。物凄い恐怖が襲って来た。急いで残りのパンを口にほうばり、少しでも歩を進めようと歩き出した。ポツッと額に冷たい物が落ちてきた。一つまた一つ。「ゴォッ~!」凄い音がした。「ザァー」雷がすさまじい音で鳴り響き、雨足の強い雨が私達に叩きつけるように冷たく激しくあたる。急いで念の為持ってきた100勻の透明のレインコートを着た。ちょうどオツネの泣坂という急登を正に登っている最中だったので、私のひざ下は上から流れてきた泥の川にのまれ、足元は濁流と化していた。足はなかなか一歩を踏みだせず歩くの事が出来ない。一歩をだそうとすると踏ん張った足が泥の中に食い込んで埋まっていき、踏ん張る事が出来ない。かろうじて木があったのでそれにつかまり、K子を見る。K子も身動きが取れず、側にあった木につかまっている。自分も身動き出来ず、K子を助ける事も出来ない。各人で何とか足の踏ん張れる所まで木を頼りに移動するしかない。濁流と化したドロドロ流れてくる泥水の中に足を食い込ませ、木につかまり、ようやく傾斜の緩やかな場所まで移動出来た。「もう、本当に引き返したかった。」でも、こんな濁流の中を下山する方が滑ってかえって危険という事は容易に推測出来た。「一刻も早く山頂目指し、下山するしかない」もう、互いに言葉はなかった。頭の中は、「山頂」の二文字しかない。ここまで誰とも会わず、孤独と不安で心が折れそうだった。休みたい。それでも休まず時間を惜しむかのように登りつづけた。もうヘトヘト。
雨脚が少し弱まってきた。霧も段々と薄らいできて、視界が良くなって来た。不安で押し潰されそうな心が、少し和らいだ。視界gが良くなってきて、何か赤く動く物が見えた。ずっと目で追って見ていたら「ザックだ!」「K子、人、人がいる!」
私達のいる場所より一段上の道を進んでいる。私達の何処にそんな体力が 残っていたのだろう。互いにそのザックを目指し力強く歩き出した。無言で歩き続け、やっと上の道との合流地点に来た。合流した道から赤のザックを探す。赤いザックに大きな荷物を背負った人が二人見えた。更に力振り絞り後を追う。遭難し、必死に助けを求めるかのように。
途中で赤のザックの動きが止まった。平坦な場所に荷物を降ろし、休憩していた。やっと追いついた…
「こんにちは」と声をかけた。
一瞬にして、私の格好を上から下迄目が追う。普通のTシャツに普通のパンツ、登山靴でなく、肩掛けカバン。登山者の格好ではなく、100均の白いレインコートを着て、膝下は泥まみれでドロがこびり付き汚れている姿を確認し、すかさず「何処から登って来たの?」と聞かれた。
「奥多摩湖の方からです。橋を渡って、車道の脇から入って登って来ました。」
「あそこから私達も登った事はあるけど、あそこから登る人は少ないし、しかもそんな格好の初心者が登るコースではないよ。健脚者向け」
私達は、ここまで誰とも会わず、雷に、大雨、霧で視界も悪くなり、濁流の泥水の川に足がとられ、急登の所にいたので身動き出来ず、不安で心が折れそうだったことを一気にはなした。
そのお二方は、50代のご夫婦でよく奥多摩周辺の山に登りに来るそうで、今夜はシュラフ等背負って、避難小屋に一泊するとの事。まるで、子供を見るような優しい目で私達の話を聞いて下さった。
奥さんが私達に貴重なバナナを差し出した。「これ食べて、少し休憩しないさい。疲れたでしょう?何も食べていないんじゃない」菓子パン半分食べただけだったので、お二方に出会えて安心したのと、バナナを一口口にいれた瞬間、空腹感を感じてきた。あんなにバナナを美味しいと感じた事はなかった。
「今度そんな格好で、又どこかの山で出会ったら、今度は説教するよ」と旦那さんから言われた。私は、山を甘くみていた。「速乾性機能のあるシャツをきないと汗とかかいたりした時、体温奪われて低体温症になるよ。後必ずザックに、レインウェアもちゃんしたものを揃える事。靴も登山靴履かないと滑ったり、足の保護出来ないし、防水性のあるもの履かないとちょっとした雨でも、雨水が染み込んできちゃうよ。ちゃんと装備はしないと駄目」バナナを食べている私に、優しく教えてくれた。K子は登山用の装備だったので、初め電車で会った時は、「その格好凄いな」とちょっと大げさに思ったが、それが当たり前で、私がハイキングで、軽くお散歩する位の気持ちでいたのがいけなかった。心から「山を甘くみてはいけない」と強く思った。「後30分位で頂上だから、そこから下山はバス停方面に降りて行けば1時間位で下山出来るよ」と言われ、心が軽くなった。この時点で午後4時前。丁寧にお礼を言い、まだ休憩されるとの事なので、私達は先を急ぐ事にした。とにかく早く頂上に着いて、下山したかった。まもなく頂上に着いたが、先程の雨のように土砂降りではなかったが、降ったりやんだりを繰り返していて、視界がクリアではなく、余り願望が良くなかった。が、下界は晴れているようで明るかった。山の中だけ、目まぐるしく天気が変わっているようだ。ちょうど梅雨の時期だったので晴れていても上空は不安定。頂上にベンチがあり、数分座って願望のないまま、ただ頂上に着いた安堵感で胸が一杯だった。すぐに下山開始。ご夫婦に言われた通りのコースで下山していくと、余りにも今まで登り続きで、息が上がる程きつく、標高差があったので、足を高くあげて歩く動作の連続で、股関節が足を上げる度に痛くなってきた。もう、足は上げられないと限界に近づいていた。下山は、文字通りどんどん降りて行くので、足を上げるという動作が無くすみ、股関節の痛みの心配なく順調に降りて行った。こんなに登りと下りでは精神的な面でも肉体的面でも違うのだ。言われた通り、1時間ちょっとでバス停のある「都民の森」迄下山して来た。「着いた!着いたよK子!」
「やっと着いたね」
しばし放心状態だったが、山に入ってから、下山する迄6時間余りトイレに行っていなかった。バス停の側に公衆トイレがあった。K子が「荷物見ているので先に行って来て」というので先に行かせて貰った。トイレから出て来たらK子が「私がバスの時刻表見ていたら、村の職員の男性の方が車から降りてきて、バスはもうないから駅まで送ってくれると仰ってるんだけど」
「どうぞ。乗って。良くバスが無くて困っている登山者がいるから巡回にきたところで、ちょうど武蔵五日市駅の方に帰る所だから遠慮はしなくて良いから。ここから車で50分位かかるから、歩くのは無理だよ。」
流石に、その所要時間を聞いて、もう歩く体力、気力は残っていなかった。下山出来た時点で体力、気力を使い果たしてしまったのだ。
とても汚い格好で、車を汚してしまいそうで気が引けたが、そんな事言ってられる余裕はない。
「すみません。こんな汚い格好で申し訳ありませんが、お言葉に甘えて車で送って頂けますか。宜しくお願いします」K子と二人深々と頭を下げて車に乗せて頂いた。
車内で、最近三頭山で遭難事故があって、まだ見つかっていないという話を聞いた。低い山でも「遭難はあるから気をつけた方が良い」「ちゃんとバスの時間はチェックして下山しないといけない」と言われ、どれもこれも当たり前の事が全く出来ていなかったと反省した。今回電車で失敗して、予定していない場所から登り始めた事、雨に降られ、「遭難」の文字が頭を何度となく過ぎった事、「心が折れそうだった事」又素敵なご夫婦に出会いバナナを頂いた事など、ホッと安心して沢山車内でおしゃべりをした。不安から解き放たれ安堵し、一気に思いが爆発したのだ。
駅に着き、「お礼を」とK子と二人で、「ガソリン代受け取って下さい」と、渡そうとしたが、何度言っても受けとっては貰えなかった。
「私も、 何度か山で困った事があり、山で会った登山者の方に助けて貰った事がありますが、その方に何もお礼出来なくて。山で困った人がいたら助けてあげて下さいと言われました。困った時はお互い様。私もその方にはお礼も出来なかったけど、こうして困っている登山者の方を助けてあげる事でお礼をしている。だから、今度困っている人にあなた達が出会ったら、出来る範囲で助けてあげて下さい」と言われ、行ってしまった。私達は車が見えなくなるまで、「本当に、有難うございました」と頭を下げていた。暖かいものが込み上げてきた。
取り敢えずこの服装では、電車に乗るのは厳しい。駅の側に交番があったので、「服を買える場所はないですか」と聞いてみたら、東京方面電車に乗って二駅か三駅だったかは覚えていないが、デパートがあるとの事。そこを目指し、しばしとても汚い格好だったが、周りの目をきにしつつ電車に乗った。私は身体が冷えて、7月なら暑いはずなのに登山中雨に振られ、服が濡れたままで乾かず体温が下がってしまっていた。これが低体温症というものか。無事に下山出来たから良かったが、暫く暑さを全く感じなかったのだ。
車内の窓から教えて頂いた通りデパートが見えたので下車。電車から降りた時、足が凄い筋肉痛で歩くのがとても辛かった。K子が持っていたストックを1本借してくれて、それを使い駅の階段を降り、一般道もストックを突きながら汚い格好でデパート目指し進んで行った。デパートに着いた。汚い格好だったので、ちょっとというか、かなり緊張して中に入った。各階の案内標識を見ていると、カジュアルで、値段も手頃価格のお店があるのを見つけその店へ。素早くパンツと、靴も置いてあったので、靴も購入し、一目散でトイレに向かった。靴はもうずっと「ビチュッ、ビチュッ」と音を立てていた。泥水に浸かりずっと靴の中に水が入ったままの状態だった。気持ち悪くて早く脱ぎ捨てたかった。靴、靴下を脱ぎ、足を洗い一番安かったスニーカーに履き替え、パンツも着替え、汗拭きシートで身体を拭き、これでようやく人並みの姿になった。
「スッキリしたね」2人で顔を見合わせ笑った。山に登ってから始めて笑った。急激に、猛烈にお腹が空いてきた。インドカレーのお店が目に入ったのでそこに入る事にした。
大きな銀皿に3種類のカレー、ダンドリーチキン、サフランライス、サラダ。別の銀皿にお皿からはみ出さんばかりのナン。ナンはお代わり自由と言われたが、余りの大きさに、思わず笑ってしまった。「いくらお腹が猛烈に空いていてもこれは食べきるだろうか?」K子と今日の1日を、激動の1日を振り返った。登り始めに踏み跡がなかったので不安でやめようかと思ったこと。雷がなり、大雨に振られ、霧で辺り一面白く見えなくなった時ひきかえしたかったこと。でも下山する方がより滑って危ないと思ったので出来ないと思った事、何度も何度も心が折れそうになった事。不安で不安で仕方なかった事。遭難の文字が頭に浮かんだ事。
お互い同じ事を考え、頭の中を駆け巡っていた。だが、下山して今になる迄口にはしなかった。口にしてしまったら本当に心が折れてしまいそうで、一気に弱気になり、動けなくなりそうだった。口に出さない事で、それを乗り越えてきた。正にお互い自分と戦っていた。
今、夕飯を食べているのが不思議な感じがする。
サフランライスは残し、巨大なナンを食べきり、 もう満腹。幸せ。互いに目が会い、「もう、暫く山は行きたくないね」と言った。
やっと、冷えた身体も温まり寒さを感じなくなった。
長い1日が終わり電車に乗ると、満腹とやっと帰路に着ける安堵感で、今度は物凄い睡魔が襲ってきた。
山でのご夫婦との出会い、村の職員の方との出会い、今日この山に来なければ、出会う事がなかった。とても短い時間ではあったが、貴重な出会いであった。人の温かさを痛感した。
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