第15話 展望 7月25日

 目が覚めたそこは、いつもの部屋だった。


いつものベッド。

いつものテーブル。

いつものヘッドホン。


 見慣れた景色の中に1つ、歪んだものがある気がした。

なんだとばかりに辺りを見回す。

すぐに答えが見つかった。


 りょうの手のひらを見つめる。

俺が今ココにいる理由。

記憶の糸を手繰り寄せる。それは簡単なことだった。


夢オチ、なんてことは期待できないのだろう。


世界はそれほど、俺にやさしくないのだから。




     ― ― ―




「おっはようさん、涼!」

「おう啓祐。おはよう」

「いやー、昨日はお前のおかげで最高の収穫があったぜー」


 いつもと変わらない朝。

幾度となく歩いたこの道を、今日もこうして歩く。

自分がちゃんと日常の中に居るんだと。

そう錯覚しそうになった時、ポケットに押し込んだスマホが不意に振動した。




     ― ― ―




「なんで今日はいないんだよぉ…」

「そりゃ毎日勤務してるわけないだろ。つーかメールで確かめればよかったじゃねーか」

「聞いたけど…返事が来なかったんだ……」

「ふ、筆不精なのかもな…」


 1日をやり過ごし、いつものマックでうなだれながら啓祐がぼやく。

いつだったか交わした会話を再び交わす。

ひしひしと感じるこの既視感にも、そろそろ慣れてきた気がする。


 そんなことを考えていると、啓祐が怪訝そうな表情でこちらを見ていた。


「なんだよ」

「いやさ、お前も最近なんか悩んでるよな」


 ……ゾクンと、心臓を鷲掴みにされたような、そんな嫌な汗が流れる。

分かっていたはずだ。

啓祐なりに俺のことを心配してくれている。

俺はそれが嬉しかった。

きっと、心のどこかで望んでいた。

だから、頼ってみてもいいんじゃないかと思った。

こいつもそれを望んでいるんじゃないかと思ってしまった。


 それはつまり、頼ることこそが、その人の為になると思っていることになる。

人の好意につけこんで、責任の一端を押し付けるということ。

反吐が出るくらい、自分本位な考え方だ。


俺という人間は、大崎涼という人間は、ひどく独善的で、偽善的で、利己的なんだと思い知らされた。

……だから俺は。


「……今度、黛さんをデートに誘おうと思うんだ」

「ほぉー!いいじゃん、どこ行くん?」

「色々と考えてて……明後日、一緒に下見に行ってくれないか?」

「おーけぃ、任せとけ!」

「……約束な?」

「あいよ!」



 ……すまない。

前回は俺の置かれている状況について、親身になって聞いてもらった。

だがそれが、後に啓祐を苦しめることになった。

時間を超えられることなど、知らなければ。

誰かの死を、受け入れる以外に選択肢がないとすれば。




そのために俺は、椎名さんを見殺しにする。





7月27日。

 昨日は終業式終了後、まっすぐ帰宅した。

気合を入れて準備していることにし、椎名さんからのお誘いメールがあっても行きにくい状況を作るためである。

……我ながら最低だな。


 俺のしていることは、本当の意味で助けることになどならない。

だけど俺は啓祐に生きていてほしいと思った。それは俺のエゴだ。

だから俺は、俺の為に決断したんだ。


 俺の、いや、誰かの一存で人の生死が決められるなど、本来あってはならない。

分かっている。

いずれ、報いは受けるさ。




     ― ― ―




「おはようさん、今日はどこに連れて行ってくれるのかしらん?」

「なんだよ、朝から気持ち悪いな…」


 待ち合わせ時間の5分ほど前にとりあえずの集合場所、町田駅に到着すると、既に啓祐はやってきていた。

曇りのない笑顔で俺を迎えてくれる。

いつぞやの表情とは対照的だ。

あの一件以来、一瞬見えた啓祐のあの顔が脳裏に焼き付いて離れない。


きっと明日、こいつは再びあの顔をするのではないだろうか。

そんなことを考えていると、胸にずっしりと重たい物がのしかかったような、痛烈な息苦しさが襲いかかってきた。


「大丈夫か?」

「え?」


 顔を上げると啓祐が心配そうにこちらを覗きこんでいる。

いつのまにか俯いて考え込んでしまっていたようだ。


「あぁ…いや、大丈夫だ」

「黛さんとのデートが不安にでもなったんだろ~?」

「なっ、そういうんじゃねぇよ」

「でもやるじゃん、デートに誘うなんてよ。俺なんて向こうから誘われでもしない限り絶対無理だわ。誘ってこねぇかなぁ」


え?

何の気なしに放たれたであろう言葉。

しかし俺には、どうにも聞き流せない一言である。

驚きを抑えつつ、やんわりと確認を行う。


「啓祐、今なんて言った?」

「な、なんだよ。デートに誘うなんてやるじゃんって…」

「その後だ!」

「お、俺なら誘われでもしない限り……」

「最後!!」

「誘ってこねぇかなぁって!男らしくねぇってか!悪かったな!!」

「誘われてないのか!?昨日、メール来なかったのか?」


どういうことだ?

嘘?勘違い?

いや、そうは見えない。それにもし嘘をついているとしたら一体何のために?

俺に気を遣っている?

だとすればそもそも椎名さんの話題を出すこともないはず。ということは嘘ではないと思う。


「何の話だよ!そんなメール来てねぇよ!」

「よく確認したのか?」

「しょっちゅう問い合わせしてるっつーの…」

「そう…なのか」


 予想外の事態だった。

今まで何度かこの数日をやり直したが、7月26日に椎名さんから啓祐にお誘いのメールが来ないことはなかった。

俺と啓祐の行動が微妙に変わったから、椎名さんの行動も変わった……ということか?

しかし何の因果関係が……。

まさに、バタフライエフェクトとでも言うべきだろうか。


「おい…暑いしそろそろどこか行こうぜ。このままじゃ溶けちまうよ……」

「え?あ、あぁ。じゃあ移動するか」


 気付けば先ほどまで日陰だったこの場所にも、いつの間にか日が射し始めていた。

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