第3話 輪転 7月23日

 黛さんとの出会いの翌日。

夏休みを目前にした7月23日の朝である。

昨夜はタイマーをかけ忘れたようで一晩中クラシック集をループし、目が覚めると耳元でショパンが流れているという貴族のような目覚めをしてしまった。


 俺の周りの世界がおかしくなってから既に2日。どこかの対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースがこの世界を改変したのだとしたら今日中に何とかしなければならないのだろうか。

あいにく手がかりという手がかりがないので何も打つ手がない。

そんなことを考えながら朝食を摂るべく1階に向かう。


「あら涼。おはよう」


 キッチンに入ると母さんが朝食を用意してくれていた。普段はせわしなく研究施設と家を往復しているのでなかなかそういうことはなかったのだが、ここ数日は欠かさず用意してくれている。


…まただ。


 ここ数日である意味すっかり慣れた違和感。変わってしまった世界で当たり前のように存在する非日常な日常。胸の中に広がっていく黒い靄を振り払うべく話を切り出す。


「母さん、今日は仕事は?」


俺の記憶の中での母は研究施設で研究を行い多忙を極めている。


「今日は遅番なの。閉店までだから帰りは遅くなるわね。晩御飯作っていくけど何がいいかなぁ?」

「は、はは…」


 乾いた笑いが出る。研究施設が“閉店”などするはずがない。疑念が確信に変わった。ここまでくるともはや何が正しいのか正しくないのか、自分の記憶だけではうかつに判断できかねる。


「母さんって、何の仕事だっけ?」


動揺を押し殺し、気になる“今”の仕事を確認する。


「ん?ずっと駅前のマルエルで働いてるじゃないの」

「そう…だったね…。仕事頑張って。ちょっと部屋に戻る」

「朝ご飯は?」

「後で食べるよ」


 手短に答え部屋へ戻る。スマホは普段部屋に置きっぱなしだ。

取り急ぎ連絡を取る必要ができた。黛さんだ。相談をした方がいいだろう。自分の中で整理するためにもちょうどいい。部屋に駆け込み、ベッドに転がっていたスマホを引っ掴んだ。



   ― ― ―



「なるほど。また別の改変に気付いたということね」


 昨日と同じ喫茶店でコーヒーを飲みながら、黛さんは何やら思案顔だ。あの後メールを送るとすぐに返事があった。どうやら黛さんも話したいことがあったらしく、こうして集合となった。


「改変?」

「ええ。私たちの記憶か、世界か。どちらかが改変されているのよ」


 まさか自信満々に言い切られるとは…。とはいえ、なんとなく病気の類などではないと感じてはいた。

だがそうなると新たに様々な疑問が生まれてくる。


「でも、一体誰がどうやって、何のためにその改変をやらかしてくれてるんだ?」


黛さんまで対有機生命体以下略なんて言い出さないだろうな?


「そこまではわからないわ。現時点でのお互いの状況を鑑みて、そう結論付けただけ」


それってもはやなにも分かってないのと同じなんじゃ…。


「でも、ひとつだけ手がかりがある」

「手がかり?何か見つけたのか?」


まさか手がかりを見つけてくれていたとは。ちょっとバカにして本当にすまなかった。


「どちらかというと見つけたのはあなたかもしれない。いえ、あなた自身が手がかりと言った方が正しいのかも」

「…どういうことだ?」

「私にはない経験。あなただけがした経験のことよ」

「ん…?」


 回りくどい言い方のせいか、俺の理解力のせいか、いまいち分からない。こいつは度々そういうところがあって困る。

…度々?そんなにあったっけ…?


「つまり、“時間を遡った経験”よ」

「あ…」


 そう。今回の騒動で俺が経験したもう1つの不可解な現象。

しかし、これに関しては俺の勘違いの可能性が高い。妹の件や母さんの仕事の件と違って明確な自信がないのだ。


「でも、今となってはそれもどうだか分からないけどな…」

「自分の記憶に自信を持てなくなっているのは分かるわ。私もそれで悩んだ。病院にも行ったもの」

「病院?」

「色々行ったわ。脳神経外科や心療内科…。薬も飲んでいたし…」

「…」


 言葉が出ない。俺も病院を考えなかったわけではないのだ。早いうちに黛さんに出会えなければ、抱えきれずきっとどこかしら受診していただろう。

それに黛さんは俺より状況が悪かったと言える。住む場所さえ変わっていたらしいしな。…そういえば。


「黛さんはどんな風に…、えっと、改変されてたんだ?住んでた場所も変わってたとか…」


 正直、聞いていいのか分からなかった。でも、知っておかなければと思った。知ることで何か力になれるかもしれない、と。


「そうね…。私の父はとある研究施設で研究を行っていたの。母は専業主婦ね。私は高校に入学したばかりだった。それが改変前の記憶」


 なんとなく、懐かしそうな表情で話し始めてくれた。しかし、すぐにその表情に陰りが出てくる。昨日と同じ顔だ。


「改変された後の世界に私の両親は居なかった。…私が5歳の頃に事件に巻き込まれて亡くなったそうよ。それで私は父方の親戚に引き取られた」

「…」


掛ける言葉が見つからない。自分から聞いておいてどんだけ不甲斐ないんだ俺。


「高校は寮があるところを選んだ。目が覚めた時同じ部屋に居たのは、その寮で相部屋になった子だった、ということね。もちろんそんな記憶はなかったわ」

「そう…だったのか…」


 こんなことしか言えない。何を言ってもその言葉は空しくさまよい、彼女には届かなそうで。


「…あれから1年経って、少しは今の状況に慣れたわ。抗うのをやめて、受け入れてしまおうかと考えたこともあった」

「でも、そんな折に大崎君、あなたが現れた」

「俺…?」

「そう。同じような境遇に陥ったあなたは、半ば諦めていた私に再び動き出す力をくれた。自分の為だけでなく、他の誰かの為にもなるなら、また頑張れるかもしれない。そう思ったの」


 …強いな。力になれるなんて、思い上がりだったのかもしれない。力になってもらっているのはこっちの方だ。


「…ありがとな。話聞かせてくれて」

「いいの。私も話しておこうと思っていたから」


 もしかしたら、黛さんなりの強がりかもしれない。改変された世界でただ1人、不安に押しつぶされそうになるのを必死に耐えてきたのだろう。それがどれだけ恐ろしいことか、俺には想像することしかできない。

でも、想像すらできないわけじゃない。

ほんの少しだけでもその痛みを理解できる。

それができるのはきっと、この世界で俺だけなんだと思う。

だから今は、なんとか前に進む方法を一緒に模索するべきだろう。


「そっか…。それにしても黛さんが俺と同い年だったとはな」

「え?」


 去年高校に入学したということは、現在高校2年生なはずだ。順当に考えれば、同い年ということになる。


「そういえば、お互い年齢については確認していなかったわね」

「あぁ、お互い自然とタメ口になってたしな。それに、お父さんは研究施設で研究してたって」

「それがどうかしたのかしら?」

「あれ?言わなかったっけ?俺の両親も研究施設に所属してたんだ。もっとも、その記憶は今となっては…」

「それ、どこの研究施設?」


珍しく、驚いているようなそぶりを見せた。


「リケンだよ。理化学研究施設。…大丈夫か?」


黛さんの表情が少し強張っていた。今日はなかなか“珍しい“反応を見せてくれるな。


「リケンで何を?」

「確か…、素粒子物理学とか…」

「…同じだわ。私の父も素粒子物理学の研究者だった」

「そうなのか…」


偶然…?いや、何か意味が…?だとしたらいったいどんな…?


「お父様は、今もリケンで?」

「いや、俺が小さい頃に死んだって…。あ…!」


なんとなく。

本当になんとなく。

これは、偶然ではないのかなと、思ってしまった。



   ― ― ―



「そういや」


 二人の状況、共通点を紙ナプキンにまとめながら呟く。

わざわざ紙ナプキンに書いているのは、文字に起こした方が頭の中を整理できる気がしたからだ。


「なにかしら?」

「黛さんの話ってなんだったんだ?何かあるみたいだったけど」

「そのことね、実は…」


 改まった様子で話し始める黛さんにつられて居住まいを正す。毎回なんか緊張するんだよなぁ。


「実は、この改変がどうして起こったかについて色々と考えていたの」


 それは俺もそうだ。どうしてこんなことになったのかと、考えるなという方が難しいまである。


「初めは何らかの精神疾患を疑った。これはあなたもそうだったのよね」

「あぁ」

「でも私は自分に異常があるとは思えなかった。お医者様も病気はないと思うって」


今となっては俺も同意見だ。根拠はないんだがな。


「次に考えたのが…、あまり現実的ではないけれど、パラレルワールド」

「あぁ…。まぁ、俺も似たようなもんだ」

「正直、パラレルワールド説は立証も反証もできないから保留にするしかないわ。仮にそうだったとして、脱出する方法なんて何の手掛かりもなしに分かるはずがない」

「そうだな。ωちゃんねるのオカ板の住人くらいしかあてがない」

「何の役にも立たなかったわ」

「あっ…そう」


試したのか…。やるな…。


「それで次に思いついたのが、過去改変説」

「過去改変…。それもまた現実的じゃないな」

「えぇ。でもパラレルワールド説よりは現実的だと思うわ」

「どっこいどっこいだと思うんだが…」

「いいえ。主なタイムトラベルの理論だけで12個あるのよ。パラレルワールドを行き来する理論なんて聞いたことがないわ」

「1つは想定科学だから11個だけど…。だからって過去改変と決めつけるのは安直すぎないか」

「決めつけているわけじゃないわ。過去改変の方がまだ考える余地があると思っているだけ」

「仮にそうだとして、俺たちの記憶だけ改変されてないのはどういうことなんだ?」


 過去改変による記憶の再構築を受け付けない理論など勿論ない。その点はパラレルワールドと変わらないはずだ。


「その点も含めて、考える余地があると思っているの。それに、この説を裏付ける要素なら1つあるわ」

「俺か」


 今度はさすがに気付く。

どうやら黛さんの中では俺のタイムリープ体験は現実のものになっているらしい。本人でさえ半信半疑なのにそれを根拠にするのはどうなんだ?


「あなたのタイムリープが現実のものなら過去改変の可能性が高くなる、そう考えているわ」

「タイムリープ…。そんなSFみたいな…」

「私たちの置かれている状況も、十分SFみたいなものになっていると思うのだけれど」


言われてみれば確かに。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。


「わかった。でも、実際にタイムリープしたかなんて今さら確かめようがないしな」

「方法ならあると思うわ」

「どうするんだ?」

「もう一度タイムリープをするのよ」


 今日イチのいい表情で言い放った。

いや、そんな顔でそんなこと言われても…。


「悪いが俺は気楽にタイムリープができるような環境を整えてるわけじゃないんだ。本当にすまないな」


どうしてこうなった?なんだかアホの子みたいだぞ。


「いえ…。そういうことではなくて…。その時の状況を再現してみてはどうかしらってことが言いたかったのよ」


 なるほど。再現実験ということか。一理ある。状況を再現し、同じ効果が得られればよし。得られなくとも勘違いだったことがわかる。


「再現ってことは極力同じ状況の方がいいんだよな?」

「そうね。時間、場所、状態、何が条件になるか分からない以上、できるだけ同じ状況にした方が無難ね」

「あの時は学校から帰ってきてすぐだったから…」


 数日前の記憶を辿る。思えばあの日が俺の最後の日常だったのだろうか。朝家を出る前は愛美は確かにいた。そういや前日に口ゲンカしてそのままだな。

もしも。

もしもこのまま、愛美がいない世界を生きることになったら、俺たちはケンカ別れということになるのか?

いや、そもそも愛美は居なかったことになっているのだからその記憶が俺の中に残り続けるだけか。

どちらにせよ気分の悪い話だ。

何とかしなくちゃな。


「確か5時過ぎ頃だったかな…。試すならそろそろ帰らないと」


 時刻はすでに夕方の4時を回っている。家からさほど離れてはいない駅とはいえ、余裕を持って行動したいところだ。


「そういやめっちゃ体調悪かったんだけど」

「それについては今回は無視しましょう。今から体調を悪化させろといっても無理でしょう?」

「阿笠博士でもいないと無理だろうな。やるだけやってみるよ」

「えぇ。よろしく頼むわ」

「じゃあ帰るわ。これ、悪いけど俺の分も頼む」


そういって千円札を財布から取り出し差し出す。


「待って。今お釣りを…」

「いいよ。成功したら、ぴったり払えるだけ小銭作って今日来るからさ」

「…そう」


釣りの要求はさすがにかっこ悪すぎる。ここはびしっと決めて立ち去りたいものだ。


「じゃ、また今日な」


 言って店を出る。

帰路につきながら、数日前のことを思い出す。

あの日は具合が悪くて早く寝てしまったことを除けばあとは普段通り眠ったはずだ。

…ん?ということは寝付かなければならないのか?

そんな急に眠れるかな…。



       ― ― ―



 帰宅し、早速寝支度を整える。

自室のベッドに寝転がり、ヘッドホンを装着。

正直、タイムリープなどできるはずがないと思ってはいるが妙に緊張してしまう。


「あの時何聴いてたっけ…」


いつものことだから何かしら聴いていたはずだが…。


「あぁ、クラシック集だったっけな」


 ということでクラシック集を再生。タイマーをテキトーに15分くらいにセット。これは俺のスマホのタイマーが1スクロールで15分になったからだ。

あの日はどうだったか覚えてないが、恐らく似たようなものだろう。


さぁ、満を持して準備は完了した。いつでもこい!


…。


……。


くるわけねーか。


そもそもこんなことでタイムリープしていたら、それはもう毎晩タイムリープしまくりである。


「やってられるか」


 諦めてそのまま『ωちゃんねる』めぐりをすることにする。

暇だからな。黛さんへの弁明はあとで考えよう。


「ん?充電ねーな」


 見れば残り20パーセントを切っていた。昨夜は充電しっぱなしで寝ていたので朝は満タンだったのだが随分減りが早いな…。

ACアダプターを接続し充電を開始する。


「おっ、レスついた分だけ遊戯神カード買ってくるだって。結構伸びてるな」


 この手のスレでkskをするのは気分がいい。>>1が逃げなければいいが…。

などと究極にくだらないことをしていると画面に1つの通知が現れる。

ぱっと見は謎の通知だったが、よく見るといつぞやダウンロードしたあのヘンテコなアプリのものだった。


「Dメールでも受信したか…」


すでにほとんど興味はなかったが一応開いてみるかとタップ。




その瞬間。




「ぐっ…。なん…だ…?」


 何の前触れもなく急激に眠気が襲ってくる。

この感じ…。あの時と似ている…。

世界が改変される前日。

俺の最後の日常。

まさか、本当に時間を…?

意識を失いそうになりながらも日付だけは確認しようとスマホを操作する。


「23日…。17時……。13分…」


 それだけ確認すると、力尽きたように瞼を閉じる。

一度閉じてしまうともう開くことはできそうにない。まどろみの中に溶けていくように意識が遠のく。

悪い気分ではない。

むしろ安らかな気分だ。

せっかくだから今はゆっくりと眠らせてもらおう…。



       ― ― ―




「ん…。くぁ…」


 朝…か?

ぼんやりとした意識の中、耳元でショパンを聴かせてくれているヘッドホンを外す。

何があったんだっけ…?

ひとまず音楽を停止させようとスマホを手に取る。


「…!そうだ…!」


 思い出した…。

タイムリープの実験をしてみようと色々した後、あのアプリを起動したら急に眠くなって…。


「そうだ時間…!確認した。確か…」


23日の17時13分。


 薄れゆく意識の中、なんとか確認した時間。

今の時間と照らし合わせれば手がかりが得られる…。


「…!!マジでか…」


スマホに表示されていた時刻は…。


「23日…。……6時38分」


……およそ11時間ほど、時間が巻き戻っていることになる。


「マジかよ…。マジか…」


 バカみたいに同じような言葉ばかり口から出てくる。

状況に俺の頭が追い付いていない。

無理もないだろう。

こんな状況を瞬時に理解しろという方が無理だ。


 ついにスマホひとつでタイムリープの時代が来てしまったのか…。

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