第4話 移行 7月23日

 黛さんとの出会いの翌日。

夏休みを目前とした7月23日の朝である。

昨夜はタイマーをかけ忘れたようで一晩中クラシック集をループし、目が覚めると耳元でショパンが流れているという貴族のような目覚めをしてしまった。


 俺の周りの世界がおかしくなってから既に2日。どこかの対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースがこの世界を改変したのだとしたら今日中に何とかしなければならないのだろうか。

あいにく手がかりという手がかりがないので何も打つ手がない。


 …というのはもはや過去の話。いや、厳密には過去ではないのだろうが細かいことはどうでもいい。

ついに手に入れたこの状況を打開できるかもしれない貴重な手段。

分からないことだらけだが、時間を遡ることができるのは非常に大きな力になりえる。

だが…。


「…」


 手にしたスマホを見つめる。

今の時代のスマホは非常に多様な機能がある。もはや電話とは名ばかりの万能ツールだ。人によっては電話の機能の方がおまけと言っても過言ではない。


「しかし…、タイムリープまでできるとは…」


 思わずつぶやく。スマート過ぎやしないか。

無論タイムリープがこのスマホにデフォで備わっている機能だとは思っていない。

しかし、昨日の状況を鑑みるに無関係でないというのもまた事実だろう。

改めて、1人で扱うには大きすぎる代物だ。


「大正義黛さんか…」


 相談した方がいいだろう。

タイムリープのことも黛さんのアドバイスがなければ気付くことはなかったかもしれない。

それに、このことを話せるのは恐らく彼女だけだろう。


 映画なんかではこういう力は大概悲劇を生むものだ。過去改変の結果取り返しのつかないことになったり、タイムマシンを欲する第三者に命を狙われたり…。

いずれにせよ、1人で抱えきれるものとは思えない。

よし、善は急げだ。

…別に何かにつけて黛さんに連絡を取りたいわけじゃないぞ。本当だぞ。



        ― ― ―



 今度はしっかりと朝食を摂り、再び待ち合わせの町田駅へと向かう。

念のため確認したが、母さんの仕事は駅前のマルエルで間違いなかった。

タイムリープしたことでまた世界に何らかの影響が出てしまう、ということも考えたが今のところ変わったことはない。


 …本当に今日の朝に戻ってきたんだ。

それにしても、一体どういう仕組みなんだ…?

地下室で見つけた父さんのタイムマシンを完成させたりしてないし、電子レンジと携帯をくっつけたりもしてない。

詳細が分からない物をうかつに使うのはやはり危険か…?

しかし、これ以上ない武器になるはず。使い方さえ誤らなければ…。


 とそこで、少し先を歩く見知った顔を発見する。

啓祐だ。

一度目は会わなかったよな…。ああ、微妙に俺の行動時間がズレてるのか?


「よう啓祐。何してるんだ?」

「おわっ!…な、なんだ、お前か」


ちょっと驚き過ぎじゃないかしら…?


「買い物か何かか?」

「あーいや、俺はバイトの前に…喫茶店で…休憩でもしようかと…」


 明らかに様子がおかしい。

ちらちらと俺と黛さん御用達の喫茶店の中の様子を窺っているようにも見える。

そういえば、黛さんと初めて会った時も喫茶店に来ていたな。

よほど気に入ってるのか?


「あの喫茶店お気に入りなのか?この間も来てたな」

「そ、そういうお前こそ何してるんだよ!買い物か?!」


強引に話を逸らしてきたな…。まぁいいか。別に啓祐を構いに来たわけではないし。


「俺は待ち合わせだよ」

「き、昨日の美人さんとか?!」

「あぁ。まぁな」

「このやろう、抜け駆けかよ…!!」

「いや、そういうんじゃないって」

「くそー…。いや待てよ、涼と黛さんに協力してもらえば俺も…」


 なにやら小声でぶつくさ言い始めやがった。

面倒だしもう行くか…。


「じゃあ、俺行くわ。バイト頑張れよ」

「お、おう。あー…、夜暇か?」

「あ?あぁ、多分」

「分かった。後で連絡するわ!またな!」


 颯爽と立ち去っていった。

…最近のあいつはよく分からんな…。



      ― ― ― 



「なるほど。また別の改変に気付いたということね」


 昨日と同じ喫茶店でコーヒーを飲みながら、黛さんは何やら思案顔だ。

ついさっきも見た表情。

あえて同じ話の切り出し方をしてみると、やはりというかなんというか同じリアクションが返ってきた。改めてループ感を味わうのもいいものだ。


「それともうひとつ、とっておきの話がある」

「なにかしら」

「タイムリープに成功した」

「はい?」

「今日の夕方から今朝までタイムリープした。再現してみたんだ。黛さんに言われて」

「私?」

「メールで話があるって言ってたろ?それって今回の出来事が過去改変によるものなんじゃないかって話だろ?」

「…!」


表情を見るに間違いはなさそうだ。


「でも、一体どうやったの?」

「それが俺もよく分からないんだ」


 今回再びタイムリープできたのもたまたまなのかもしれない。情報が圧倒的に不足している。1つ分かったとすれば…。


「多分、この変なアプリが関係してるんだとは思う」


 言いつつ例のアプリを見せてみる。何がどう作用しているかは分からないが、このアプリからの通知を開いた瞬間眠気が襲ってきて、気が付いたらタイムリープ完了だったのだ。何らかの鍵を握っているとみていいだろう。


「メールアプリ?」

「未来からメールが届く!とかいうアプリみたいだ」

「……おかしいわね、いくら検索しても出てこないわ」

「どういうことだ?」


 自分のスマホを操作していた黛さんが呟く。どうやらアプリストアを見ていたらしい。


「同じ名前で検索しても出てこないわ。ネットの方もそれらしい情報は見当たらない」

「…正体不明すぎる」


 ストアにも検索にも引っかからない謎のアプリ。なんだか薄気味悪いものを感じてしまう。得体の知れなさ度が上がっちまったぞ…。


「そもそも、どこでダウンロードしたのかしら?」

「あぁ、数日前に宣伝のメールが来て……ない」


 例のアプリの宣伝メールがきれいさっぱりなくなっていた。届いたのが数日前なのは間違いない。しかし、どれだけ受信メールを遡っても目当てのメールは見つけられなかった。


「おかしいなぁ…。消した記憶はないんだけど…」

「いずれにしても、あまり普通のアプリとは思えないわね」

「だが、必要なのは間違いないな」


それが分かっただけでも収穫か。しかし、これからもっとデータが必要だな…。


「それで、今後についてなんだが…」



       ― ― ―



 タイムリープを用いて現状を何とか打破できないか、数時間話し合ったがお互いこれといったいいアイデアは思い浮かばなかった。

神にも等しい力を手に入れても、使うのは結局人間なのだ。何もかも思い通りというわけには行くまい。


 会話も行き詰ってきたのでなんとなくスマホに視線を向けると時刻は17時10分。

あと数分で最初の俺がタイムリープをした時刻を迎える。

エヴェレットの多世界解釈…だっけ?

俺が家に帰った世界と、今こうして喫茶店にとどまっている2つの世界に分岐したってことか…?

そう考えると、なんだかとてつもないことをしてしまったような気になるな…。


 1人物思いにふけっていると時刻はいよいよ17時13分。

黛さんはいつの間にか読書を開始している。

そろそろ解散にするかと切り出そうとしたまさにその時。


「あっ…。うぅっ…」


 突然黛さんが頭を押さえ、苦悶の表情を浮かべている。

めまいでもするのか苦しそうな声をかすかに漏らす。


「だ、大丈夫か?」


 とっさに立って介抱しようとしたが、どうやらすぐに治まったようだ。

ふぅと息を整え顔を上げる黛さん。

すると今度は驚いたような表情を浮かべ、とんちんかんなことを言い出した。


「…あら、いつの間に戻ってきたの?やっぱりお釣り必要だったかしら?」


…はい?

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