第2話 邂逅 7月22日
迎えた待ち合わせの日。鏡の前で身支度を整える。
これだけ見れば休日にデートにでも出かけるただの男子高校生だ。
昨日はあの後実に12時間以上も眠り続け、目が覚めたころにはすっかり夜だった。
期待していた元の日常への回帰も叶わず、食欲もなかったので再び眠り今に至る。
たっぷり寝たおかげか他のことに気が回っているせいか、昨日よりずっと落ち着きを取り戻せている。
「さて、そろそろ行くか」
待ち合わせ場所までは30分もかからないが余裕をもって家を出るのが俺の流儀だ。
家を出るため玄関へ向かう途中、何気なく視線を移したダイニングキッチンのテーブルには一人分の食事が用意されていた。この時の俺はきっと麻痺していたのだろうな。些細な違和感を違和感と認識できなくなっていたのだ。
― ― ―
こうしてやってきた待ち合わせ場所の町田駅。時間には大分余裕がある。
これだけ人のいる場所なら何かあっても平気だろうとこちらが指定した待ち合わせ場所だ。
何しろ素性の知れない相手と直接会うわけだからな、警戒しておいて損はない。
昨今のSNSユーザーは平気でこんなことを日常的にしているのだろうか。なんと恐ろしい世の中だろう。
などと前時代的なことを考えていると不意に後ろから肩を叩かれた。
「あの、すみません」
恐る恐ると言った感じで話しかけられ、瞬間緊張する。いかん、心の準備が…。
「大崎さん…ですよね?」
昨日のメールでお互い名乗っておいた。だから俺の名を知っているのは当然だ。
緊張しつつもできるだけ自然に、かつスマートに振り返り返事をする。
「あぁ、はい。黛さん…ですか?」
そこに立っていたのは同年代か少し年上と思われる少女だった。
目鼻立ちの整った顔。肩まで届くほどのさらさらの黒髪。落ち着いた雰囲気は大人の女性を思わせるが、その服装は10代の若者然としている。
端的に言って美少女だ。
まさか待ち合わせの相手が美少女とは。ωちゃんねる恐るべし…。
「えぇ。待たせてしまってごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる黛さん。
時間に遅れたわけでもないのに律儀な人だ。
「いえ、俺も今来たところですから…」
そんなにかしこまられても困る。ありきたりなセリフだがこれでいいだろう。
「そう?よかった」
はにかむ黛さん。思わず見惚れそうになるのをぐっと堪え、今日集まった目的を果たすべく会話を切り出す。
「それで、昨日のメールのことだけど…」
「待って。どこかお店に入ってゆっくり話しましょう。きっと長くなるから」
それもそうだ。ちょっとした立ち話をしに来たわけじゃない。どこかの店に入るべきだろう。
「じゃあ、あそこの喫茶店にでも」
「そうしましょう」
連れ立って喫茶店に向かう。こんな美少女と二人で街を歩くなど俺にとっては貴重な体験だ。こんな事態とはいえ、嬉しくないと言えば嘘になる。
内心舞い上がりつつ、隣を歩く彼女の横顔をチラと見やる。
その瞬間。
誰かの記憶が濁流になって流れ込んでくるような、はたまた奥底に埋め固められていた記憶が一気に爆発したかのような、今までに経験したことのない強烈な感覚。
視界に入った横顔がいつかどこかの映像とリンクする錯覚。
俺は…この人を知っている…?
「…どうしたの?」
俺の様子に気づいた黛さんが怪訝そうに尋ねてくる。
「あ、あぁ…。いや、大丈夫」
「そう?ならいいけど…」
いわゆるデジャブと呼ばれるものだろうか。今までに経験したことのないものだったがあまりうろたえると怪しまれるだろうな…。いかんいかん。落ち着かねば…。
― ― ―
「では改めて自己紹介から。私は黛星奈。よろしくね」
席に着き飲み物を注文すると、黛さんから切り出してくれた。
「俺は大崎涼。こちらこそよろしく」
「早速だけれど本題に入りましょう。いくつか聞きたいことがあるの」
黛さんの整った顔がいっそう凛とした。こっちも聞きたいことは山ほどあるんだが、その雰囲気に気圧されてしまう。
「なんだ…?」
「まず、大崎君が書き込んだ内容なのだけれど、あれに嘘はないわね?」
「あぁ、事実だ」
内容が内容なだけにあまり自信をもってイエスとは言いづらい。しかし嘘はついていないのだ。堂々と頷くくらいがちょうどいい。
「そう。よかった…」
なぜか安堵された。
ちっともよくないんだが…。
「あ、ごめんなさい。悪気はないの。実は、あなたの置かれた状況と似たような経験があるの」
「そう言っていたな」
それは今のところ、俺が何か手がかりを得られるかもしれない唯一の情報だ。
「ぜひ話を聞かせてくれないか?」
「えぇ、そのつもりよ」
黛さんの雰囲気がわずかに緊張したものになる。整った顔立ちがより一層引き立てられた気がした。店内の喧騒もどこ吹く風だ。
「今から1年ほど前、夏休みのある日のことよ。その日は朝からあまり体調がよくなかった。それでも午前中は学校の課題を片付け、夕方にシャワーを浴びた後だったかしら。急に眠気に襲われたの。その日は特に予定もなかったからそのまま眠ってしまったわ」
そこまで話すと先ほど運ばれてきたコーヒーに口をつけ、一呼吸おく。
「翌朝目覚めると異変は起こっていた。全く知らない場所だったの。見知らぬ天井。見知らぬ部屋。私は事態が呑み込めなかった」
だんだんと黛さんの表情に陰りが出てくる。当時を思い出しているのか自分の腕を抱きながら次の言葉を紡ぐ。
「見知らぬ部屋で戸惑っていたら同室で寝ていたらしい女子が声を掛けてきたわ」
『どうしたの?星奈』
「私は答えた」
『ここはどこ?あなたは誰なの?』
「するとその子は少し驚いたような表情でこう言ったわ」
『星奈が冗談言うなんて珍しいな。それとも寝ぼけてる?』
「親しげだったわ。まるで友達のよう。でも私はその子のことを全く知らなかった。混乱していたけど、それでも何か情報を得ようとした。家に帰りたかったのね」
そこでまた一呼吸おき、コーヒーを口に運ぶ。
憂いを帯びたその顔が妙に絵になり思わずどきりとした。
しかしその後に続いた言葉に、俺は違う意味でどきりとさせられることになる。
「私の家なんて、この世界のどこにも存在しなかったのに…」
「えっ…?」
間の抜けた声が漏れ出た。
脳が上手く処理しきれないのか思考回路がストップする。
どういう意味だ…?何かの比喩か…?
「それってどういう…」
「あれ?涼じゃん」
言葉の意味を確かめようとしたその時、聞きなれた声が耳に届いた。
「どうしたんだよ昨日は学校さぼ…こ、こちらの方は?か、彼女いたのかお前!」
分かりやすく動揺する啓祐。いきなりやってきて騒がしい奴だな。
「落ち着け。彼女じゃない」
「そ、そうか。だよなぁ」
なぜ納得するんだ?
「黛星奈です。大崎君のお友達かしら?」
馬鹿丁寧に自己紹介する黛さん。その表情はさっきまでとはまるで違う柔和なものだった。
「そ、園部啓祐っす。涼の幼馴染ってところです」
「どちらかというと腐れ縁だな」
幼馴染という言い方はどうにもむずがゆい。だからこういう時は腐れ縁という言い方にしている。あまり意味はなさそうだが。
「そう…幼馴染…」
「どうしたんだ?」
俯き、何か思案するような様子だ。何か変なことでも言っただろうか。啓祐が。
「いえ、なんでもないわ」
「そうか。ならいいけど」
「……」
「……」
「……」
沈黙が舞い降りた。真面目な話をしていたのだ。突然違うテンションのやつが乱入してきたら微妙な空気になるのも無理はない。
その空気に耐えられないのか、啓祐が口を開く。
元はと言えばお前のせいなんだぞ?わかってんのか?
「あー、じゃあ俺行くわ。この後バイトなんだ」
「バイト?お前バイト始めたのか?」
初耳だ。付き合いだけは長い啓祐だがバイトをしているというのは聞いたことがなかった。
「何を今さら。俺は高1の時からバイト戦士だろうが」
「ほー、そりゃ初耳だ」
これまた初耳。いつの間に勤労精神に目覚めたんだ?
「暑さでボケたか?前にうちの会社紹介してやったろ、結局続かなかったみたいだが」
「お前が?俺に?」
何を言ってるんだ?自慢じゃないが俺は生まれてこの方一度も働いたことはない。
「誰かと間違えてるだろ」
「んな間違いするかよ。去年の5月か6月頃だったかな、夏に向けてバイトで金を稼ぐとか言ってたろ、お前」
「去年…」
1年以上前とはいえ労働経験が0か1かでは大きな差がある。忘れるはずなどないだろう。
まただ。俺の記憶と他の人の記憶が一致しない。啓祐の思い違いでなければ、だが。
「じゃあ俺ほんとに行くわ。またな、涼。邪魔したね、黛さん」
「いえ。バイト頑張って」
「おう!」
颯爽と去っていく啓祐。あいつ何しに来たんだ…。
「大崎君」
見れば黛さんの表情が真剣なものに戻っていた。切り替え早いな…。
「今のアルバイトの件だけど」
「あぁ、あれはあいつの勘違いじゃないか?俺、バイトしたことないし」
とりあえずその可能性もあることは否定できない。
「そうかもしれないけれど、もしかしたら違う可能性もあるわ」
「…というと、今回の件に関係してるかもしれない、ってことか?」
思えば、今日の本題はこれだったのだ。昨日俺の身に起こったSFチックな出来事。妹がいたかどうかなんて勘違いで済まされるレベルではない。一人では抱えきれず掲示板に助けを求め、こうして黛さんに出会った。
「どちらかの思い違いでない限り、関係あると考えていいでしょうね」
すぐさま結論を出してきた。いや、いささか早計な気がするが…。
「ひとまず、もう一度あなたの話を詳しく聞かせてもらえるかしら」
「あ、あぁ。わかった」
― ― ―
「聞けば聞くほど、私のときと状況の変わり方が似ているわね。ただ、日付まで変わってしまったのは私は経験がないわ…」
おとといから昨日にかけての出来事を今度は詳しく説明し終わると何やら考え込み始めた。
普通ならば妄想乙で終わってしまうところだが、真面目に取り合ってもらえるのはありがたい。
「時間が戻ったことはにわかに信じられないのだけれど、今私たちが置かれている状況も大概よね」
もっともな意見だ。自分でもあまり自信が持てないのだから無理もない。
「まあな。よく日付を確認する癖があるんだけど、それがなかったら完全に勘違いだと思ってたはずだ」
「日付を確認する癖?」
「あぁ。自分でも妙な癖だと思ってるよ」
「ふふ。確かに変わった癖ね。聞いたことないわ」
ほほ笑む黛さん。これだけいい笑顔で言われると悪い気はしないな。
それにしてもいつからこんなことしてたっけ?結構前からだったような気がするなぁ…。
「…あ」
と何やらひらめいたような表情だ。
「何か気が付いたか?」
「え、えぇ…。でももう少し落ち着いて考えないと…。今日のところは1度解散しましょう」
「そうか…。わかった」
突然の解散宣言。俺としてはもう少し話したかった気もする。何よりこれといった情報を得られていない。一朝一夕には解決しない状況なのかもしれないがまるで進展がなかった。
いや、自分と同じような境遇の人がいることが分かったのは収穫と言えば収穫…なのかな。
「ではまた連絡するわ。これ、私の分。悪いけれど一緒に払っておいてもらえるかしら」
「いや、いいよ。来てもらったのは俺なんだし、出しとくよ」
なんとなく、これから世話になりそうな気がしたのだ。これくらいしておかねば、と。
「そういうわけにはいかないわ。自分の分くらい自分で払える」
「あぁ、そうか?わかった」
あっさり突っぱねられてしまった。あまりにもかっこ悪いがなんかちょっと怖かったし…。
「では、また連絡するわ。さようなら」
「お、おう。気を付けて」
軽く手を振り見送る。
…どうせ俺も帰るんだしわざわざ店内で別れる必要はなかったんじゃ…。
― ― ―
帰り道、電車に揺られながら今日の出来事を反芻する。
今日は、というか昨日今日は本当にいろいろなことが起こった。思い出したかのようにどっと疲れが押し寄せてくる。
ふと、黛さんの横顔が脳裏をよぎった。昼間のあの感覚、一体なんだったのだろうか。
デジャブの一言で片づけてしまっていいのか、自分でも判断がつかない。
判断と言えば、黛さんの話もそうだ。
さっきはなんの疑いもなくまるっとするっと信じてしまったがよかったのだろうか…?
人を見る目に自信などない。…ないが黛さんが嘘や妄言を吐いているとも思えない。
直感とでもいうべきだろうか。わずかな時間だったが黛さんは信頼に値する人物だと、ほかでもない俺自身がそう言っているような気がした。
大丈夫だ。力を貸してもらおう。
そう決めたとき、降りる駅に到着したことを電車のアナウンスが告げてくれた。
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