序章5話
長い螺旋階段を上る。
「外」から眺め見上げると、此処は「中央棟鐘塔」。
「んん?」
鐘塔最上階へ踏み入る為に回した鍵が、何やら様子がおかしい。
扉に備え付けられた錠と、自らが手に握る鍵が噛み合う音が聞こえず。
察するに、既に開錠されていた。
一応の警戒を抱きながら、トスゴーラは亀の歩み如き速さで、扉を開けた。
窓はなく、小広い間のような場に幾本か柱がそびえ立ち。
此処より真上の屋根と、そこに吊り下げられた大鐘を支えている。
夕焼けの日差しが随分眩しいが、心を天日干しさせるようで心地良い。
立地における学園の中心部に築かれた中央棟、その最上部。
有事の際は、学園全体を見渡す物見としての役割を担うように、要するに見晴らし抜群。
この抜群の景色を限られた者で独占したいわけではなく、安全や管理の理由から。
職員室の魔錠金庫に保管されている親鍵以外の、此処の扉を開く鍵を持つ者は少ない。
そもそも、多くの人間にとって、此処を訪れる故が乏しい。
鳥の気分を味わいたいならば、飛行魔法か変身魔法を用いる方が手っ取り早い。
トスゴーラにとっても、此処には一日数回の。
時を告げる鐘を鳴らす業務以外は、理由がないのだ。
しかし、眼前の学徒は、明らかに公の理由が存在しないはずなのに、明らかに自らの趣味である絵画に勤しんでいる。
塔の縁と自らの腿に紙を乗せた板を立て掛け、備え付けの椅子に座り手に握るは鉛墨。
「鍵を貰っていたとは。クロノ先生からかい?」
「はい。『特別』に、だそうで」
トスゴーラの問いに、カーウェ・スオーロの横顔は振り向かずに返答する。
近頃目の衰えを感じているが故に、その表情は見計るに叶わず。
しかし、声の調子から若干の笑みが伺える。
特別。
確かに、特別だろう。
トスゴーラは含笑を禁じ得なかった。
毎年の時間科生の「友人事情」は、学園の全教職員が注目しているところだ。
今年は、彼女には随分驚かせてもらった。
内気や慎重とも評する事ができる「彼」に対し、興味津々半ば強引に友の契りを交わしたのだ。
もう一人の親友、ハルザ・ミンリュットとは入学式と基とした成り行きからの親交。
見事鮮やかな対比だ。
そんな彼女だからこそ、鐘塔の管理者であるクロノ先生から此処の鍵を預かり与えられたのだろう。
クロノ先生、延いては自らも含めて、一部の学園関係者からは。
特に教頭からは、「一部或いは学徒全員に甘い」と釘を刺される事がある。
数年前の、「学徒の化粧について」。
去年は、「中央棟多目的堂の喫茶開設」。
挙げればキリがないこれらを、自分達が学徒を扇動したと吹聴される事が度々。
しかし、これは学徒と学園の政で決まった事。
確かに学徒に対して少々助力を行った自覚はあるが、「学徒自らが、自分達の事を自分達で決めてほしい」と願うが故。
これだから、「『道理』の授業担当は、『学園の道理』知らず」と陰口叩かれるのだろうか。
しかし、自らは当然、クロノ先生もあまり気にはしていないだろう。
カーウェが此処の鍵を所持している事こそ、その証左。
彼女は、「彼」との繋がりから、クロノ先生とも懇ろな関係と表しても過言ではない。
とは、「表向きの理由」。
時間科担任からしてみたら、通用年で一年しか「時間」がない「彼」の親友の自由を計らう事こそ、巡って「彼」の充実した学徒生活に繋がるのだ。
一部学徒を個人的な感情で贔屓しているわけではない。
確かに、人の行いには必ず、多かれ少なかれ感情が付いて回るが。
時間科生は、入学試験に合格したその時から「特別」を運命付けられ。
クロノ先生は時間科担任として、時間科生に学徒生活上便宜と都合を図る為の、義務と権限を与えられている。
ちなみに、学園の一部総務を兼任する自らは、件の時間師から腕時計を一つ預かっている。
トスゴーラは自らの左腕に視線を落とした。
異世界の腕時計事情には疎く、クロノ先生からの受け売りによれば。
このような物は、シンプルで実用的と評されるらしい。
白の文字盤に、革のベルト。
名は「ファイブスポーツ」と教えられた。
確かに、クロノ先生が巻く物よりかは、随分装飾が抑えられている。
「なんだ、風景画じゃないのか。せっかく此処まで上ったのに」
歩み近づいたトスゴーラが、カーウェの素描を覗き込む。
それは予想していた鐘塔から見下ろした学園の写生ではなく、彼女自身の自画像であった。
それで金銭の稼ぎとしている者に比べたら、まだまだ随分粗削りだが。
少なくとも、「絵心」の貧弱さを痛感している自らに比べたら、全く以て得手と言っても過言ではない腕だ。
視線を動かして二つを見比べるに、的確に自身の特徴を書き写している。
「此処で書いたら、美術室で書く時とは違ったものが書けるんじゃないかって」
「なるほど」
人によっては、彼女の理由は馬鹿馬鹿しく感じる事かもしれない。
しかし、トスゴーラの脳裏にそれは微塵も浮かんでいない。
クロノ先生の口から、彼女の勉強嫌いの度合いは茶事に度々聞いている。
たまに癇癪を起す程と。
その彼女が、自らが訪れるまで絵画に熱心していたのだ。
トスゴーラが学園を見下ろす。
夕日に照らされた校舎、学園外に広がる草原、園庭を行き交う幾多の学徒、地平線に近づいていく太陽。
この場所も、この風景も、この「時間」も。
彼女にとって、全て無駄ではないのだ。
こういう「時間」が、「人」を作っていくと。
「道理の担当」として考え、信条と覚えている。
「トスゴーラ先生・・・。こういうのは変かな・・・?」
「なんだい?」
「たまに・・・自分が良い意味で、『ちっぽけな存在』だって、そう感じたい事があって」
「・・・なるほど」
その本心を、尋ねるのは野暮と咄嗟に判断した。
考えたり教えられたりするものではなく。
それは、感じるものだと。
良い教師とは、少なからず学徒を師と感じる時が存在する。
何処かで聞いたか見たか、そんな言葉が思い浮かんだ。
「ふう・・・。今日はこれで終わり!疲れた~!ねえ、トスゴーラ先生!今から一緒に多目的の喫茶に行きませんか?今ならまだシン先生達がいるかもしれませんし!できたら今月お金がちょっと寂しいから奢ってほしいです!」
「わかったわかった。喫茶には付き合うけど、奢るのはやり過ぎだから無しな?まず、此処には鐘を鳴らしに来たんだよ、俺は」
集中の緊張が解けたようで。
絵画と勉学に向かう以外の彼女は、平時この調子だ。
やっぱり聞いておけばよかったのか、と。
そのような返答を口にしながら、トスゴーラは胸中で少々の後悔を感じた。
続
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