序章2話
女の朝は戦争である。
第一学年女子第三寮棟。
その洗面所。
現在。
現在時間、数多の女子が其処に集いひしめき合っている。
本日は平日、これより先には授業や放課後活動が予定さている。
一日という時間をより良く過ごすには、その「一日」の始まりに懸かっていると言っても過言ではない。
ここにより、その日の命運を計り知ると言い換えることもできるだろう。
一日という時間をより良く過ごすには、当朝における下準備というものが必要不可欠だ。
こと、女に関しては。
「女子寮棟」とあって、学園の寮棟は全て棟ごとに男女別を基として分けられている。
早朝と深夜帯以外では一定規則の下で、どちらの性別でもどちらの寮棟を訪れる事は可能であるが。
現在女子寮棟の、この状況は男子学徒の与り知るところの外側だ。
これは、多くの男子学徒にとって「無知の幸福」と称されるべきであろう。
惨状だ。
まず、前提として洗面台には設置数の限りがある。
向かい合わせに設けられたそれの、二つの列の合間にて、欲張りな小児の玩具箱と連想するような光景。
女学徒が足の踏み場もない程に詰め入り蠢いている。
明らかに、用意された洗面台に対して、女学徒の数が多すぎる。
一つの鏡と槽に、二人ないしは三人、或いは一触即発の雰囲気を醸し出している。
一部の老教師には不評だが、数年前の学徒総会によって、「学徒としての本分と良識から逸脱していない場合に限り、原則として化粧を認める」と、校則が改められた。
化粧の程度に関するさじ加減は教師側に譲る事にはなったが、女学徒側としては、大手を振るって学園の中を粧かし顔で闊歩できるようになったのだ。
それが定められてからというもの、この「洗面所戦争」がさらに激化の様相と為った訳だが。
外見よりも内面を重視されるとは、「オトナ」の常套句である。
多くの女学徒については、天秤の傾き具合は外見の方が勝っていると認知している。
それ以前に彼女らは、自らの容姿について深く関心を持ち、また普段より細心の注意を払っている。
それが後天的な社会性の習得なのか、先天性な「オンナのサガ」なのか、この洗面所に集結している誰も知らない。
いずれにせよ、今日という日において自他共に見栄え良くと認め認められ、その為に彼女らは喧騒の中で奮闘しているのだ。
寮棟の外では、手入れの行き届いた外見と評されるそれは。
誰かが落として踏まれた無残な粧筆、誰かが零した魔法整髪料の自意識過剰な色香、誰かが発する自棄と憎悪が入り混じった金切り声、誰かがこの混乱に乗じて発した鼻孔に纏わりつく放屁。
それらの上で成り立っているのだ。
男の朝は規律である。
「第二学年三棟、ただいま五班が使用中」
「第一学年一棟、最後の七班が使用始め」
今朝の「彼」は、第三学年第一棟、その洗面所前で「本部」を繰り広げていた。
寄っては報告を終え踵を返す、学徒の言の葉を。
しきりに帳の上で筆を握る手を動かし書き留めている。
第三学年第一寮棟に自室を構えるレトコ・オーテンもまた、「彼」の日課を手伝う当番が今朝であった。
「第三学年一棟、全般使用終わり」
「はい、分かりました。ありがとうございました」
途切れることのない報告者の波に、絶えず耳を傾け手を動かしながら。
それでも「彼」は、必ず報告者の顔を見て視線を合わせ、礼を述べる。
眼鏡の奥、束ね髪の下の、その顔は。
整っていると評するよりかは愛嬌があると表現するに適っている。
去年の時間科生は、良く言えば知的悪く言えば冷やかな双眸が印象的な女学徒だったのが記憶に新しい故、余計に。
「第二学年一棟、三班が使用開始」
「分かりました、四班は第三学年一棟を使用と伝えてください」
報告に訪れた下級生に対し、「彼」はレトコが籍を置く寮棟の使用を指示した。
今年は男子学徒が時間科在籍で、多くの一般寮棟生が運命に感謝の意を抱いている。
この朝の光景、時間科の学生の日課。
一般学徒寮棟の、朝の洗面所使用における管理・掌握・指令を司っているのだ。
理由は二つ。
朝の混雑の解消。
これもまた、時間科における「時間の授業」の一環。
「彼」の帳を覗き見ると、細かく時間が書き込まれている。
「彼」が見つめる相手は報告者だけではなく、自らの魔杖に備え付けられた時計も含まれている。
二年前、レトコが第一学年の新入生であった頃。
その当時の時間科生と友仲であった同学年が口にしていた雑談を盗み聞きしたところによれば。
これは日々の洗面所使用の、早い遅いの記録付け比較するだけに非ず。
早い遅いと日々の比較の中で、時間科生自らが「時間の価値」を胸中に叩き込む為の行いなのだとか。
「時間の価値」については、レトコには考査前くらいにしか実感する機会が巡り合わせないが。
いずれにせよ、去年とは打って変わって朝の喧騒が無くなったのは、幸いと言い表す他ない。
男子学徒であった一昨年はともかく、去年は「洗面所運行」の恵みを女子学徒が享受していた為、正に阿鼻叫喚の極みであった。
レトコを含めた多くの男子学徒が知る由もないが、間違いなく今年の女子寮棟は去年のこちらの生き写しだろう。
それでも、寮棟の外では何食わぬ澄まし顔で歩いている彼女らを見かける度、涙ぐましい努力の賜物と感じざるを得ない。
続
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます