第6話 工事開始前夜。

賃貸契約を結んでからは通常業務に移転準備が加わったため、大忙しの日々でした。


さらに日数もありません。


当時の物件を考えられる最短日程で退室する手続きをとったため、見積もり、リフォーム、移転までは二ヶ月しかないのです。


相真工務店さんに正式な見積もりをしていただくかたわら、こちらはこちらでやらなきゃいけないことが山積みでした。


そのひとつに電力の問題がありました。


物件は元とうふ屋のため、業務用の動力電源というものが設置されていました。これは工場や店舗など大きな電気容量を必要とする機械を使うためのもので家庭用の電化製品には使用できません。


しかし常設されている家庭用のブレーカーは30A(アンペア)。ちいさい規模とはいえ、わたしたちが事務所として使用するには電力が低すぎて、すぐにブレーカーが落ちてしまいます。さらにブレーカー自体も老朽化が進んでいるような気もします。


なので、まずは東京電力さんにアンペアの変更が可能かをお聞きしました。


返答はいたってシンプル。


「できますが工事が必要ですので費用がかかります」


とのこと。


ひとが生涯のなかでアンペアやブレーカーを根本から変更することはそうありません。かかる費用が検討もつきません。どれくらいでしょうか?


「業者さんによって変わると思いますがだいたい10〜15万円くらいでしょうか」


15万円…。


さすがにこれは東京ハウスさんから大家さんに交渉していただき、費用を持っていただけることになりましたが、自分たちで払うとなるとなかなか頭の痛くなる額でした。出費はすこしでも避けたいのです。


もしかするともっと安くやってくれる業者さんがあるかもしれない。


そう思い、ひとまず業者さんをあたってみることにしました。


しかしネットで調べても近場では該当する会社は見当たらず、地元のタウンページに掲載されている電気工事会社をかたっぱしから電話しました。


ですが、どこも個人経営で不在だからなのでしょうか? 留守電に切り替わるばかりで一向に電話が繋がりません。


そんななか電話の通じた会社に株式会社電気防災さんがありました。


「現物を見たほうが早そうだね。場所はうちの近くだし、一時間後に現地で落ち合えるかい?」


社長自ら応対していただき、すぐに現地に来てくださいました。


この対応の早さは地元企業ならでは。ありがたいです。


現地で落ち合った電気防災さんの田屋社長は温和な雰囲気の方でしたが、さすがは創業40年の社長さん。貫禄がありました。


ブレーカーの状況を見ていただき、こちらの要望をお伝えするとすぐに見積もりを出してくれるそうで、電気工事は東京電力さんとの連携も必要なため東京電力さんへの連絡などについてもすべて田屋社長のほうでやっていただけるとのことでした。


この安心感。このスピード感。思わずうれしくなってしまいます。翌日にいただいた見積もりも予想以上の勉強してくださった額でした。


「それにしてもすごい物件だねえ。自分たちでリフォームするのかい?」


コンクリートが波打つ床を見ながら田屋社長がおっしゃられました。


自分たちでリフォームをするにはこの物件は難易度が高すぎるので工務店さんにお願いしようと思っています。


そうお伝えしました。


しかし田屋社長の反応は意外なものでした。


「そう? このあいだテレビでもやってたよ。若い子たち自分たちでリフォームしてる店の話を。あれみたいに自分たちでやればいいじゃない」


田屋社長のその一言がぐさりと胸に刺さりました。


じつはそのころわたしたちはリフォームの見積もりで頭をかかえていました。見積もりが当初口頭でお聞きしていた額を大きく上回っていたのです。


入念に調べてみたところ、予想以上に老朽化が進んでいて最低限の工事でもあるていどの作業が必要だったのです。


見積もりをにらみながらひとつひとつの行程をチェックし省けるものは省いてもらい、また再度見積もりを出していただく…。


そんなことを繰り返し行っていたのですが、金額は大幅には下がらず、見積もり額の変化は微々たるものでした。


今回のリフォームにかかる日数は約3週間。11月末に入居するためには遅くとも11月頭にはリフォームをはじめないと間に合いません。もはや日数がありません。


10月下旬の期日ぎりぎりの日でした。


わたしたちは相真工務店さんとの打ち合わせであるひとつの決断をしました。


できるかぎり自分たちでやることにしたのです。


「二階部分に関しては床の施工と押し入れの撤去のみでいいです。一階は床の施工と土間部分の改装だけでお願いします。あとは自分たちでやります」


そう相真工務店さんの担当である小笠原さんに伝えました。


自分たちでやれる根拠はなにもありませんでした。


わたしたちにある知識といえば、ちょっとした日曜大工やプラモデルづくりといった、ごくごく普通のものばかり。


自分たちでできるかどうかなんてわかりません。不安でいっぱいでした。


そんなわたしたちの背中を押してくれたのが田屋社長のひとことでした。


自分たちでやればいいじゃない。


この言葉は当時のわたしたちの考えをあらためさせるだけの強さがありました。


大がかりな基礎工事だけを相真工務店さんにお願いし、それ以外はすべて自分たちでやる。


そう決めました。


これによって見積もりは大幅に下がり、現実的な額になりました。


こうしてリフォーム開始直前の10月末日にようやく契約が完了しました。


しかし安堵感はありません。


はたして本当に自分たちでできるのか。もし無理だったらどうするのか。その不安でいっぱいです。


でももう引き返せないのです。もうやるしかないのです。(つづく)

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