第1部 1973年 第2章 噴火

 天皇誕生日のその日、僕は朝飯のあと『危機』を続けて数回聴き、お袋をせかして異常に早い昼飯を摂ると家を出た。

 雅之の家は駅前商店街の端にある我が家から、街の真ん中を東西に流れる小さな古い運河を北に渡った川向うの住宅街にあった。川端には水面へと降りる4、5段ほどの階段がところどころに施され、道々、近所のおばさんたちがのんきに洗濯をしているのが見える。それぐらいきれいな水が流れるこの川が街の自慢なのだった。ふだんはのんびり走る川筋の道を、その日の僕は自転車をぶんぶん飛ばしてものの数分で着いてしまった。


 やつの家には何度か行っていたが、兄さんの部屋に入ったのはその日が初めてだった。

 弟の部屋のものとは大違いの本格的なセパレートステレオと黒のエレキギターがどーんと目に飛び込んできた。

 勉強机の本棚の真上にローリング・ストーンズ、見上げると天井にはカーリー・サイモン(「うつろな愛」が大ヒット中である)、振り返るとドアにはダメ押しのようにスティーブ・マックイーンのでかくてしぶいポスターが架けてある。こちらは流行りのパネル貼りだ。カーレースを題材にした映画「栄光のル・マン」のものであった。僕も、小学校6年の時テレビで2週連続で放送された「大脱走」を見てマックイーンの大ファンになったくちなので、早くも気分が高揚してきた。

「やっぱり、雅之の兄貴はちがうのう。ポスターからして負けちょーわ」

我が家の壁には、映画「ロミオとジュリエット」の可憐なのに胸だけは豊満なヒロイン、オリビア・ハッセーにビートルズ(有名な『レット・イット・ビー』の4分割写真)はともかく、アイドルの天地真理のピンナップ、万博の太陽の塔と修学旅行で行った広島・厳島神社のペナントまで貼ってあるという支離滅裂ぶり。そもそも、一部屋を兄と共同で使っており、僕は好きなポスターの一枚も貼らせてもらえなかったのだ。ギターもあるにはあるが、通販で買った白いフォークギターである。

 

その日の午後、僕は3枚のアルバムを聴かせてもらった。『クリムゾン・キングの宮殿』(キング・クリムゾン)、『原子心母』(ピンク・フロイド)、そして最後に『展覧会の絵』(エマーソン、レイク&パーマー)。雅之は兄さんからまずはこれらを聴くようにと命じられていたらしい。

 一般にこの3つのバンドにイエスを加えて「プログレ四天王」と呼ばれるが、この日聴いたどのアルバムもロック史を飾る名作中の名作といっていい。それを一度に体験したのだ。思えば大変な午後であった。

「雅之、イエスもすごいけど、ほかにもこげんかっこいいバンドがいっぱいあるとは思わんかったぞ。 プログレはほんとに奥が深いのう」

「実は俺もプログレは最近聴き始めたばっかりであんまり知らんけん、おまえに負けんように勉強さんといけんのう」

勉強なんてことばが妙に似合ってしまうのがプログレらしいところである。

「英二はやっぱりイエス派か?」

「そげだな。最初に聴いたけん、いまんところは『危機』が一番かのう…」

「俺は、ピンク・フロイドだわ。ギターやベースが特にうまいとは思わんけど、なんか聴き終わってずしんと残るものがあーけん」

「ずしんと残るっちゅうなら…………」

 僕は、何者かに怯える男の顔を、鼻の穴からのどちんこまでよーくわかるどアップで描いたびっくり仰天のイラストジャケットを両手で持ちながら言った。

「実はのう。俺は、『クリムゾン・キングの宮殿』のA面。今日聴いたなかではこれがいちばん凄いと思ったけん…」

 本音も本音だった。

 

汽笛のような不思議な音が遠くでしたかと思うと、突然、ジャーン! ジャジャジャッジャッジャーン! ジャーン、ジャーン、ジャーンと唐突に鳴り響くテーマ。第一の驚きと感動。音量も凄いがロックバンドぽくない音色の音の塊である。金管楽器が入っているせいだ。

 これをもう一回繰り返すと直後、ずばっと「歌」に入る。ところがなんと、ボーカルの声が何かの機械のしわざだろう、醜く不気味に歪められているではないか。普通、「歌」とは人の声を極力きれいに聞かせるものなのに…。第二の驚きと感動だ。この歌が2番まである。

 導入部と同じテーマ、ジャーン! ジャジャジャッジャッジャーン! ジャーン、ジャーン、ジャーンと来て、(ここから速度がたたみかけるように早まりながら)ジャジャジャ、ジャジャジャ、ジャジャジャ……と雪崩を打つようにドラムス大活躍の間奏に突入する。

 これがまた、俊足のエイトマンが高速で走りぬけたと思ったらぴたっと止まり、またぱっと走り出すようなスリルに満ちた演奏で、なかでもタカタタカタ、 タカタタカタ、    

タカタタッタタッタタ、タカタタッタタッタタとドラム、ベース、サックス、ギターのユニゾンでごくごく短く、正確に、リズムを切り刻んでいく場面が信じられないほどかっこいいのである。第三の驚きと感動だ。このフレーズの合間の空白「、 」の部分で、瞬間、すべての音が消えて「しーん」と沈黙になるのがまたまたかっこいい。

 こうして、あまりにかっこよすぎる、高速で走ったり止まったりの間奏がじわじわと速度を落としながらうねるように終末を迎え例のテーマに突入すると、歌の3番、続いてテーマにもどり、そうして全楽器が狂ったように弾き、吹き、叩きまくったかと思うと、曲はぷつっと終わってしまった!(1曲目「21世紀の精神異常者」である〈現在は「21世紀のスキッツォイド・マン」と表記される〉)。

 と、瞬間、雰囲気ががらっと変わって、続いてはフルートがリードするロマンティックなバラードとなる。ボーカリストの声も、前曲では醜く改造されていたのだが、なんのことはない、実は澄み切って艶と伸びのある美声ではないか(2曲目「風に語りて」)。

 それにしても、1曲目との落差は何だ。いったいこのアルバムはどれほどの驚きと感動を与えてくれるのだろう。

『クリムゾン・キングの宮殿』A面は、この2曲のあと、「エピタフ(墓碑銘)」で幕を閉じる。迫力とスリルに満ちた1曲目、ゆったりと時間の流れに身をまかせるのが心地よい2曲目、悲壮で雄大で(おおげさで)、感動の嵐のような3曲目と、まさに完璧、かっこよさ満点の22分なのであった。

 

僕らは、しばし、このアルバムの素晴らしさを賛美し合った。

「『展覧会の絵』はどげだった?」

「そげだなあ。ライブっちゅうのは客の声も入っとっておもしろいもんだなあ」

『展覧会の絵』はアルバムタイトルであり曲名でもある。レコードの表裏で1曲、40分の大作だ。ムソルグスキーというロシアの作曲家の書いたピアノ曲を、キーボード、ベース、ドラムの3人で再現している。コンサートのもようをそのまま録音したライブアルバムでもあった。

聴いて一発で覚えてしまう印象的なテーマ曲(「プロムナード」というタイトル。何度も何度も繰り返される)に、速い曲、遅い曲、アコースティックギターの弾き語り、いかにもロックンロール調のノリのいい曲、さらにはピューンとかグィーンとかわけのわからない音がひたすら鳴り響く場面など、ともかく盛りだくさんの内容である。

 普通ロックバンドといえばボーカルを別にすればギターが主役だろう。しかし、このバンドにはギタリストがいない。ところが、前述の生ギターの弾き語りのせいもあろうが、その欠落感がまったくないのである。縦横無尽のオルガンはもちろんのこと、例のわけのわからない音を発する鍵盤楽器が時折出現するし、ドラムも音の数が一杯ある叩き方。ベースもリズムを刻みハーモニーを低音で支えるというより、「おれはここにいるぜっ、おれも負けてないぜっ」という感じで、ダガダガダガダガダガと低音域から高音域へと激しく移動を繰り返しつつ、ある時にはビョワワーンポワワーンと何かの機械で音を変形させてみたりと、にぎやかで忙しいことこの上ない活躍ぶりである。

 ギタリストがいないことを補うためにこのような特徴を持つことに至ったのかそれともみんなが目立ちたがり屋なのかよくわからないが、結果的には、3人の超人的な演奏力をこれでもかこれでもかとばかり見せつける、カツ丼とラーメンとビフテキと冷やし中華とアイスクリームとショートケーキを食べまくったような、そんな途方もない満腹感を与えてくれるアルバムなのであった。

それにしてもだ、「プロムナード」は原曲そのままだろうし、ボーカルがとてもかっこいい「キエフの大門」というクライマックス曲もいかにも交響曲の第4楽章らしい終わり方なのだが、そのほかの部分は、元々は一体どういう曲なのだろうか?

「ELP(イーエルピー)は3人でどうやってクラシックを再現してるのかのう。原曲と聴き比べてみたいもんだわ」

かっこをつけて、エマーソン、レイク&パーマーのことをELPと略して呼んでみる。

「そのELPのL、グレッグ・レイクっちゅうベース兼ボーカリストは、もともとはキング・クリムゾンにおったんだ。おまえも声でわかっただろう」

「うっ!(なるほどあの美声のボーカルは同じやつだったか)……ま、まあ、そげなことだろうとは思っとったわ…」

雅之によると『展覧会の絵』が2年前、『原子心母』が3年前、『クリムゾン・キングの宮殿』にいたっては4年前の作品だという。1969年、70年といえば、まだ、ビートルズが健在のころではないか。そんな昔にこんなすごいグループがあって、メンバーが入れ替わりながら次々と新しいバンドが生まれ、傑作アルバムを続々と発表しているわけだ。

「雅之、ほんとにプログレは奥が深いのう!かっこいいのが多すぎだわ。今朝まで、一番はイエスに決まっとうと思っとったが…」

「ぜいたくな悩みだのう」雅之もうれしそうに笑った。

「でも一番かっこいいのはELPだわ。3人の名前を並べただけのバンド名もかっこいいし、第一みんな顔がいいけん。さすがのイエスも顔では完敗だわ」 

僕は、雅之の兄が購読している「ミュージック・ライフ」という雑誌のグラビアを見ながら言った。こんな雑誌があることも今日初めて知ったのだ。

「俺は、顔の良し悪しは別にしてピンク・フロイドの『原子心母』が一番すごいと思う。プログレはテーマとして恋愛じゃなくてそれと違う何か別のことを伝えるもんじゃないかのう」雅之は今度は真顔で言った。

「なあ英二、俺はこのジャケットの牛を見とると、「原子」はともかく「心母」だなあってわかる気がする。でも、イエスはなあ…。おまえ、「危機」の歌詞の意味がわかっとうのか?」


〈経験豊かな魔女が不名誉のどん底から君を呼び出し

  君の肝臓を固い金属の美徳に変える

  遠くから素早くやってきた音楽に乗ってすべてを成し遂げ

  時との戦いにすべてを失いながらも

  記憶された人間の成果を味わう〉

……「危機」第1章「着実な変革」冒頭より

 

返すことばがなかった。確かに、「危機」には日本語訳がついていたものの、正直なところ僕には何のことかさっぱり意味がわからなかった。というか「危機」だけでなく、ここまで聴いたすべてのプログレの歌詞は、僕の理解力の到底及ばないものであったのだ。

まず抽象的なことばの使い方だ。たとえばキング・クリムゾンのものすごく感動的な曲「エピタフ」に出てくる「混乱は我が墓碑銘となるだろう」という歌詞はいったいどういうことなのだろうか。「墓碑銘」はまあ、字面でだいたい想像が付くが、墓石になんで「混乱」なんて刻むんだろうか…。葬られる私が何かの事情で急死してしまったので、残された人々はよほど慌てふためくということなのか。

次に、単語そのものの意味である。同じキング・クリムゾンの、例のものすごく迫力があって、不気味でかっこいい「21世紀の精神異常者」に出てくる「ナパーム弾」とは、いったいどんな武器なのだろうか。どうしてここに出て来るのだろうか。

僕はプログレの歌詞の意図することがまるっきりわかっていなかったのだ。だが、何ひとつ意味がわからないのに、それらは14歳になる今までの人生で出会った何よりもかっこよかったし、感動的だったのである(この際白状するが、40数年間聴き続けてきた2016年の「今」となっても、「危機」の歌詞の意味はまったくもって理解できないままである。たぶん死ぬまでわからないだろう)。

ところが、「原子心母」には歌詞のある「歌」はないが(何語ともつかない=聞きようによっては日本語のように聞こえる、女性コーラス隊のスキャットは別にして)、確かに曲の作り手の言いたいことはわかるような気がしたのだ。

雅之は、飄々としながらも実は大事なことはつかんでいるのではないだろうか。少し悔しかったが感心した。

 その日は『原子心母』を借りて帰った。夕方、顔を見せた雅之の兄は、上気した僕の

顔を見ながら「絶対、盤に傷をつけるなよ」と言った。


夕飯を食べるとすぐ部屋にこもった。ありがたいことに我が家の高2の兄は、このところアルバイトなのかデートなのか、夜居ないことが多い。僕はといえば土曜の夜はドリフターズの「8時だヨ全員集合」続けて「キイハンター」を見るのが定番で、最近は「木枯し紋次郎」に嵌まっていたが、「全員集合」はさすがに飽きてきていたし、あとの二つのドラマはこの春で終わってしまっていた。なにしろ今夜は手元にプログレがあるのだ。

『原子心母』は、ピンク・フロイドの1970年の作品である。牛がこっちを見ているジャケット写真には、『クリムゾン・キングの宮殿』の薄気味悪いイラスト表紙とはちがった意味で新鮮なショックを受けていた。

アルバムはA面を丸々使っての大作「原子心母」と、B面に短い曲が4曲入っているが、一番の聞き物はアルバムタイトルである「原子心母」である。

この作品の特徴は、ギター、ベース、ドラムス、キーボードの4人編成のロックバンドと、ブラスバンド、チェロ、男女混声のコーラス隊が共演していることだろう。普通に考えれば違和感のあるはずの両者の演奏がぴたりとはまっている。

イエスとちがうのは、バンドの演奏自体は特別変わったものでなく、とてもわかりやすく自然なことだった。ギターもオルガンもベースもドラムも、すべての音がすんなり聴き取れるのである(特にベースとドラムは同じフレーズの繰り返しがやたらと多い)。そしてギターとチェロで奏でられるしっとりしたソロはこれまで聞いたプログレと違って素直にきれいだなあと感じられるメロディである。

「これなら僕にも弾けるかもしれない」と、何の楽器が弾けるわけでもないくせにふと思った。      

しかしラストの盛り上がりは、「危機」「展覧会の絵」などと同様に素晴らしい。雄大で感動的なメーンテーマは、曲の最初、真ん中あたり、終盤、ラストと4回にわたって演奏されるが、最後の最後に初めて、バンドとブラスバンドに男女のコーラスがもろにかぶる。ここが一番の感動のしどころだ。

このように、1曲の長さの長いことと、クライマックスに待ってましたとばかりどーんと何かが押し寄せて来る感じが、プログレの特徴なのではないだろうか。

「原子心母」の原題は「Atom Heart Mother」である。邦題はこの三つの単語を日本語に直訳しそのまま漢字4文字を並べたわけだが、レコード会社の担当者はよくぞこのアイデアを考えついたものだと感心した。「原子」と「心」と「母」、そしてジャケット写真の「草原と牛」、この4者は曲のテーマをしっかり説明していると思えたのだった。

それからこのレコードの宣伝用の帯にはこう記されていた。

「ピンク・フロイドの道はプログレッシヴ・ロックの道なり!」

この一行に魂を奪われてしまった少年が当時なんと多かったことか。雅之の兄さんから1枚だけ貸してやると言われ、とっさにこのレコードを選んでしまったのは、間違いなくこの一行のせいだった。

その夜、眠るまでにいったい何回「原子心母」を聴いただろう。

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