第12話

 「恐らく薄々は感づいていると思いますけれど、私の神性は『不思議の国のアリス』です。ただ、皆様がよく知っているお話とは少し異なる存在と言いましょうか。…そうですね、まずは『アリス』について説明致しましょう。あの世界で言う『アリス』というのは個人の名前では無く、所謂種族の事なのです。時計と兎に導かれてワンダーランドに落ちる運命の者達は皆アリスと呼ばれ、それぞれの物語を紡いでいく。かく言う私もその内の一人です。元の名前は…覚えていません。いえ、そんなものは最初から無かったのかもしれませんね。さて、ワンダーランドは定まった法則性や規則性を持たず、『アリス』という少女をただ延々と作り出し、招き入れ、そして逃げられるだけの壊れた世界。きっと全員が全員、生まれた意味も、生きていく理由も何も分からないまま、ひたすら『アリス』を演じていた事でしょう。」

 アリスはどこか遠くを見るような目で、思い出すように一言一言を紡いでいく。

 「私がアリスとして迷い込んだワンダーランドも、貴方達が存じている物語と同じように、一人の女王によって統治…いえ、支配されていました。ハートの女王、紅い魔女。そんな風に呼ばれ恐れられていた彼女の名は『アリス』。…そう、私より先にワンダーランドに生まれ落ち、生来より持っていた自身の強大な力に溺れてしまった哀れな少女。彼女の魔力は無意識下でも周囲に影響を与える程に強く、魔力を持たない者や弱い者は、近付くだけでもその魔力に当てられて、最悪命を削ってしまう。実際、身近な人達が次々に倒れ伏せっていく様に耐えかねた彼女は自ら孤独を求め、その上自身の魔力を行使して『支配』の魔法をワンダーランドそのものにかけていました。全てを操り、ワンダーランドに閉じ籠もる事で、望まぬ不幸を排除しようとしたのです。」

 ここまで一気に話したアリスは一旦口を噤み、紅茶のカップに手をかける。今の所、アリスの話は物語の裏側が見えただけで、誰もが知っている御伽噺のあらすじと大差は無い。…いや、その裏側こそが問題なのだが。頭の中でアリスの話を整理しながら、ぼんやりと朧気ながらも瑠奈のルーツが見えてきていた。

 「…ふふ、中々察しがいいですね。ですが、もう少しだけ昔話に付き合って頂けますか?」

 アリスは真の心の内を見透かしたような台詞と共に微笑むと、ティーカップを置いて話を続けた。


 「ワンダーランドの現状や彼女の心情など知らない私は、とにかくワンダーランドから抜け出す為に動き回っていました。様々な情報を得て辿り着いた結論は、ワンダーランドを抜け出して外の世界に行く為に、支配者となった彼女の魔法を何とかして解くというもの。そこで私は彼女と幾度も接触し、少しずつ話し合い、私達はゆっくりと、そして確実に親密さを増していきました。気付けば私達は互いにかけがえのない友となり、そしてあの閉鎖した世界から二人で抜け出しました。…その後の彼女についての詳細は存じておりませんが、たまに聞いた話では人間界で静かに暮らし、子も一人設けたとか。…細かい部分は少し省きましたが、これが私と『彼女』の昔話。それがどうしたと言いたいかもしれませんが、真さん、貴方は大方の想像がついているようですね。」

 アリスの双眸が真の目を捉える。…確証は無いけれど、なんとなく思う所があるのは事実だった。瑠奈が本当は何かしらの神性を持っていたとしたら?そこで出てきた『アリス』という存在。そして、『支配』の能力。アリスの話通り、全てを支配出来る能力なら、瑠奈の神性を無くす、或いは限りなく弱くする事も出来るんじゃないか?

 「えぇ、その通りです。瑠奈さんは私の友人である『アリス』の子。私とは、そう、言うなれば親戚のようなものですね。」

 「………。」

 アリスは再び真の思っている事に対しての返答をに述べると、当たり前のようにカップに残っていた紅茶を口に含んだ。

 「『アリス』の能力で神性を封じられているなら、瑠奈さんはその神性を一切現す事無くその生涯を終えるはずでした。しかし瑠奈さんが攫われたという事は、恐らく瑠奈さんの神性が何らかの影響で発現、そこを狙われたと考えるのが自然でしょう。…問題なのは、何故攫ったか。こればかりは分かりませんが、ここ最近の天界の動向から察するに、あまり良い事態にはなりそうにありませんね。」

 「なるほどな。人為的に神性を隠されてた、か。…瑠奈の能力については何か心当たりは無いのか?或いは、『アリス』に特有の特殊な要因とかは…。」

 一通りの話を聞いて疑問を問いかける八雲に対し、アリスは静かに首を横に振る。なんでも、『アリス』は所謂人種的な括りであって、そこに共通するのは外見的な要素だけらしい。個々の能力や魔力の強さ等は十人十色なのだそうだ。

 「…そうか。結局分かったのは、瑠奈のルーツくらいだな。ま、それでも一歩前進か。その場で処理せずわざわざ攫ったんだから、奴らにとっては何か利用価値があるって事だ。すぐに酷い目に遭うって事はまず無いだろう。…それから、今更だけどなアリス。何の説明も無しに逃賊の七つ道具ジーベンハーゼを使うのはやめとけ。真も若干面喰らってたぞ。」

 恐らく八雲の言う通りだろう。何の目的も無く攫うとは考えにくい。瑠奈の存在や能力が、天界には必要なんだ。もしそうなら、瑠奈の身の安全は少なからず保障されるはずだ。寧ろ、瑠奈が酷い目に遭うくらいなら、せめてそうであって欲しいと願わざるを得ない。

 

 「…それで八雲、なんて言った?ジーベン…?」

 熱い紅茶で話を飲み込んでから、真は八雲に問いかける。考えている間に聞き慣れない単語が出てきたものだから、少しばかり反応が遅れてしまった。

 「逃賊の七つ道具ジーベンハーゼ、アリスの能力だ。読心を初めとして肉体強化、治癒、幻惑投影、精神干渉、千里眼、自身の時間加速なんかが使える複合魔法。お前が何も言ってないのにアリスが先に答えていたのは、逃賊の七つ道具ジーベンハーゼの読心能力を使ってたからだ。」

 さっきからアリスに心を見透かされているような気がしていたのは、そういう事だったのか。納得はしたが、まさか実際に心を読まれていたとは。しか今の真にとってそんな事は大した問題じゃなかった。

 「ごめんなさい。久々に純粋な子が来たものだから、つい…ね?不快な思いをさせてしまったのなら謝りますわ。」

 「いや、別にそんな謝るような事じゃ…。それより、この後の方策はどうするんですか?」

 そう、多少は余裕があるかもしれないが、それでも悠長に構えていられる時間はあまり多くはないだろう。瑠奈を助け出すのは、早ければ早い程良い。万が一、何か起こってからじゃ遅いんだ。

 「…そうですね、まずはお休みになられたらどうですか?急な事ばかりでお疲れでしょうし、現状を整理する時間も必要ですわ。体と心を十分に休めてから、今後の事は考えましょう?時間をかけ過ぎるのも賢明ではありませんが、焦って行動を起こしても空回りしてしまいますよ。」

 アリスは少し間を置いてから、優しく諭すような口調で俺に言った。…確かにその通りだと理解はしているつもりなんだが、どうしても心のつっかえが取れないと言うか、靄がかかったような心境。どうも瑠奈の事となると気が気じゃなくなってしまう。理性と感情が鬩ぎ合っておかしくなりそうな感覚だ。

 「真、今はアリスの言う通り、休ませてもらおうよ。天界に乗り込むにしたって事前に準備が必要だし、なにより真自身が同行するつもりなら、せめて自分の身を守れるくらいの力をつけなくちゃ。あまり力に頼るのは良くないけれど、話し合いだけで解決する可能性は低いんだ。…それは、ヘリオスやパンドラを見れば分かるでしょ?」

 「…それでは、ひとまずお部屋へご案内致しましょう。セシル、お願いできますか?私は八雲達ともう少しお話がありますので。」

 「えぇ、お安い御用ですよ。参りましょうか、お二方。」


 半ば強制的に、真と明日香はセシルに案内されて部屋に向かう。真も口ではあんな事を言ったが、内心では分かっていた。焦ってるだけなんだと。ただ勢いでぶつかってなんとかなるほど、生易しい相手じゃない。けど、それでも瑠奈の顔を思い出す度に心が締め付けられるように痛んで、その苦しみから逃れたい余りに『現状』が見えなくなる。

 「…真さん、無神経な事を言うようですが、あまり暗い方へ考えるのはよくありませんよ。今は瑠奈さんを助け出す為に、貴方の手が届く範囲で出来ることを精一杯やりましょう。きっとそれが堅実、かつ近道になるはずですよ。…さぁ、こちらとその隣の部屋を使って下さい。夕食の準備が整ったらまた呼びに来ますので。」

 案内された部屋の前で、くるりと俺達に向き直ってからセシルは言った。

 「…ありがとな、セシル。それじゃ、また後で。」

 セシルは軽く頭を下げると、灰煙と共に姿を消した。後に残ったのは心の傷と向かい合う真と、真の様子を心配そうに伺う明日香だけ。


 「…明日香、ちょっといいか?」

 真は突然明日香に声をかけた。

 「うん、どうしたの?」

 「…俺は皆の優しさに、強さに助けられてる。いつまでも、そんな皆の足手纏いにはなりたくない。それに今の俺に出来る事なんて、ハッキリ言って無いだろうし。」

 ただ明日香に本心を伝えるだけでも、塞いだ真の心には相当堪えた。しかしそれでも、それ以上の覚悟が、真にはある。…出来ないなら、出来るようになるだけだと。短絡的かもしれないが、何もせずにただ守れれているだけの傍観者にはなりたくなかった。

 「俺に、魔力の使い方を教えてくれ。自分の身を守れるだけじゃない、周りにいる皆を守れるだけの力が欲しいんだ。…もう、大切なモノが奪われるのは嫌だ。こんな思いを他の誰にも味わわせたくない。それに、いつまでも守ってもらう訳にはいかない。下らないプライドだって笑われるかもしれないけど、それでも…!!」

 明日香の赤い瞳を見つめながら、真は正直な所を打ち明ける。こうして言葉に出すと、自分がいかに小さく、弱い存在かを嫌でも自覚する。自分自身の言葉に押し潰されそうになりながら、真は明日香に頭を下げた。

 「…うん、分かった。それが、真の望みなら。」

 明日香は僅かに考える素振りを見せてから、力強く頷いてくれた。それでもまずは休養が先、とりあえず教えるのは後日以降と釘を刺されたが、皆に口を揃えて休めと言われている以上、近日中は無茶な事は出来ないしな。

 そうこうして特訓の約束を取り付け、それぞれ部屋に入ろうとドアを開けた所で、明日香の声が聞こえた。独り言のようなトーンで、しかし確実に真に向かって紡いだであろうその言葉は、どこか真に迫るような、危機感や不安を孕んでいたように聞こえた。

 「真、今真が求めた力の『形』を忘れないで。何のために力を持ち、何に対して力を振るうのかを。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る