第11話

 …楽園。目に飛び込んでくる風景を前にして、その名にただただ納得するばかりだ。動画や写真でさえ、ここまで美しいと思える風景を、真は今まで見た事がなかった。

 「アリスがいるのは、この通りの先にある屋敷だ。少し距離があるが、まぁ今だけは観光気分でいてもいいんじゃないか?」

 「そだね~。落ち着いた頃に楽園ワンダーランドを案内してあげるから、気になる所があったらチェックしといてね☆」

 「あ、シエルずるいぞ!私も一緒に行かせてよ?ってか絶対行くからね!ね、明日香ちゃん♪」

 真達よりもシエルとドロシーが既に完全なオフモードだが、それにしてもこの二人、気の緩み方が半端じゃないな。もし今天界が襲撃して来たら危ないんじゃ…。

 「いえ、ここには中々の強者、曲者達が集っていますから、容易に襲撃しようなどとは考えないはずです。それに、天界の動向はこちらでも探っております故、その点に関してはご安心を。」

 セシルはふさふさの尻尾を一歩進む毎にゆらゆらと揺らしながら、微塵の緊張感も無くのんびりと答えた。


 「そうか…。そういう事なら、少しリラックスして行こうか。ところで、アリスの所まではどの位かかるんだ?」

 「入り口のアーチから屋敷までが大体1km位か。真っ直ぐ行けば20分もかからないくらいだろう。」

 軽く雑談をしながら、道なりに並ぶ家々や商店、露店等を通り越し、真達は歩を進め続ける。その間に聞いた話によれば、この楽園ワンダーランドはアリスの屋敷を中心に半径1km程度の範囲に様々な種族が住んでいる、言わば一つの街のような物らしい。神でも妖精でも英雄でも、この地の平穏を乱すような事をしない限り、どんな存在であろうともそれを拒む事はない。それが、楽園の楽園足る所以だそうだ。そして、ここにいる彼らは『人間に生み出された者』としての自覚を持っている者が大半で、その影響か、人間とほぼ変わらない生活を送っている、との事だった。

 「ここにいる連中はみんな人間を愛しているんだ。自分達の存在や力が人間に及ぼす影響を知ってるから、人間との接触は極力避ける。無論、傷付けるような事も。そりゃ、生みの親になるんだからな。当たり前と言われればそれまでだが、人間にも千差万別、色々いるだろ?傲る者がいないと言えば嘘になる。…ま、つってもここではあんまり関係ないな。」

 「存在自体があやふやな我々も、人間のお陰でこうして肉体を得、世界という物をこの体全てに感じる事が出来た。神族と呼ばれる者達が、この事実に対して一様に感謝の念を持っていてくれたのなら、或いはこんな事にはならずに済んだのかもしれませんね…。」


 そんな話をしている内に、正面に鎮座する大きな屋敷が見えてきた。ずっと横を流れ続けていた水路はその屋敷をぐるっと囲むように枝分かれし、歩いてきた道の先が橋のようにその水路を跨ぐ形になっている。水路の内側は庭園になっており、綺麗に手入れされた生垣や色とりどりの花が咲き乱れる花壇、白い囲いに金の装飾が眩しい噴水や、それらが一望出来る場所に洋風の東屋と小さなテーブル、それに椅子が幾つか。それら全てが機能的、かつセンスよく配置されており、その出来の良さはまるで丁寧に作り込まれたジオラマのようだ。

 美しい風景に目を奪われつつも、真っ直ぐに屋敷の入り口まで進み、そびえる大きな扉を開ける。よくある蝶番の軋む音なんかも無く、全くの無音のまま扉だけが動いていく。

 内装も、これまた豪華と言うか煌びやかと言うか。床には赤いカーペットが敷かれ、天井にはドロシーの小屋の物とはレベルが違いすぎる程の大きなシャンデリアが悠々と佇んでいる。所々にある絵画や花瓶に生けられた花々も、その光を受けて何処か生き生きとして見える。

 正面には玄関と同じくらい大きな扉。玄関ホールの中央辺りには、緩いカーブを描く階段が左右対称に設置されている。左右に伸びる通路の先や二階にも数多くの扉があり、この時点でかなり広大な屋敷なんだと実感した。目隠しされて知らない部屋に置き去りにされたら、間違いなく迷うだろう。何の自慢にもなりはしないが、そんな自信がある。

 「さて、この時間ならアリスは多分最上階のテラスで紅茶でも飲んでいる所でしょう。ご案内しますよ。」

 足元から聞こえるセシルの声を先頭にして、ゆらゆら揺れる尻尾の後を追う。その間に目にした調度品一つ取っても、明らかに高価そうだ。迂闊に手を触れて壊しでもしたら、きっと大変な事になるだろうな。真はぼんやりとそんな事を考えながら、黙々と階段を上り続ける。

 

 軽く飽きが来る位に廊下を歩き、数えるのも面倒な数の扉を潜り、計何階分かも分からない階段を上った先、案内されたのは屋上に造られたテラスだった。柔らかく暖かな陽の光と優しい風が心地良い開放的な空間。そこに用意されている大きな丸テーブルで、一人の女性が優雅にティータイムを愉しんでいた。黒を基調に所々青い差し色が入ったゴシックドレスに身を包んだ、腰の辺りまである透き通るような金色の髪に、吸い込まれそうな程深く、どこか妖艶さを感じさせる瑠璃色の大きな瞳 。

 「あら、もう少しかかると思っていたのだけれど、思ったよりもお早い到着でしたのね。…お久し振りね、八雲、シエル、テイル。セシルとドロシーもご苦労様でした。」

 …恐らく彼女がアリスなのだろう。しかし、真には、彼女が瑠奈にしか見えなかった。雰囲気や言葉遣い、髪の長さ等違う所もあるが、顔つきも声色も瑠奈にそっくり、いや、全く同じだった。八雲達が瓜二つだと言っていたから何となくの予想はしていたが、まさかここまで似ているとは。八雲達が言った通り、外見に限って言えば違う所を見つける方が難しい。お陰様で初対面なのにやけに気になると言うか、とてもとても複雑な心境だ。そんな真の気持ちを知ってか知らずか、八雲が代わりにアリスに答えた。

 「おう、とりあえず先に紹介しておく。こいつらは弓月真と貴神明日香。人間界で会った神族だ。今日戻ってきたのは休養と、お前に少し聞きたい事があってな。」

 「真さんに、明日香さんですか。初めまして、私はアリスと申します。この楽園ワンダーランドの、そうね、領主…と言うのが妥当な表現かしら。」


 アリスはやんわりと会釈して挨拶すると、立ったままというのもなんだからと真達を席へ招いた。別段反対する要素もないので言われるままに席に着き、改めてアリスを観察する。立ち振る舞いも上品そのもの、まさにお嬢様と言うのがお似合いだ。瑠奈と比べると、こう言っちゃアレだが、アリスの瀟洒しょうしゃさが余計に際立つ。

 俺や明日香の視線を全く気にする事無く無駄のない流麗な所作で人数分の紅茶を淹れてから、アリスはゆったりと八雲に問いかけた。

 「さて、八雲。貴方達がわざわざここまで戻ってくる位ですから、それなりの要件があるのでしょう?」

 「相変わらず、話が早くて助かるぜ。…真と明日香の知り合いで、お前に瓜二つの女の子が、天界に攫われたんだ。その子…瑠奈と言う子なんだが、彼女は普通の人間で、他の人と同じように心を奪われていたらしい。…奴らが一般人にそんな事をする意図が分からないし、もしかしたらお前と瑠奈に何かしら関係があるんじゃないかと思ってな。」

 簡潔に説明を終えた八雲は視線をアリスから真に移し、目で合図する。何となくその意味を悟った真はポケットから携帯を取り出して、瑠奈の画像を表示してアリスに渡した。

 アリスは携帯を受け取って画面を覗き込む。そしてそこに映る瑠奈を見るや否や、あからさまに表情を曇らせた。…この反応、何かあるんだ。小さい頃からの幼馴染みで、ずっと一緒にいたはずの瑠奈には、俺も知らなかった一面があるのだと、真は少し身構えた。

 「…なるほど。確かにこの子…瑠奈さんと私には、少なからず通ずる所があると言って差し支えないでしょう。説明しろと言うのなら致しますけれど、しかし皆様にとっては、ただの私のつまらない思い出話になってしまうかもしれませんね。」

 アリスは目を伏せて紅茶を一口。軽く喉を潤してから、どこか憂いを帯びた表情で話してくれた。

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