第10話
「やぁやぁ皆様方、お久し振りで御座います。私を呼んだと言うことは、もう
まるでCGのような、どこか気味の悪い笑みを顔に貼り付けた猫。どうやらこの猫がセシルのようだ。どこからどう見ても猫そのものなのだが、当たり前のように表情を変え、当たり前のように言葉を喋っている。本来ならあり得ない話のはずなのに、然程抵抗なく受け入れられるようになってしまっている自分がいるのも事実。…いい事なんだか、悪い事なんだか。
「おや、こちらの方々は?確か初対面…でしたよね?」
セシルは真と明日香を交互に見ると、その笑顔を一旦潜ませ、そこらにいるごく普通の猫のように可愛らしく首を傾げ…いや、前言撤回。全然可愛くなくなった。30°、60°、90°。傾げるどころかそのまま頭だけ一回転させて元の位置に戻ってくると、再び裂けんばかりに口元を吊り上げた。
「おやおや、大抵の人は初めてこれを見ると大騒ぎするのですが…。私も少し、有名になり過ぎましたかな?もしくは同じネタに頼り過ぎてしまいましたか…。」
「両方じゃない?」「…両方だね。」「両方だろ。」
呆然と眺めるだけの真と明日香を尻目に、八雲達の見事に息の合ったツッコミがセシルを襲う。これを受けて何やら自信を無くしでもしたのだろうか。セシルの満面の笑みは苦笑いに変わり、はははと自嘲気味に乾いた笑い声を上げた。
「…いやそんな事はどうでもいい。お前の言う通り、今から
思いがけず突っ込んでしまった上にシエル達と被った事が少し恥ずかしかったのだろう。八雲は照れ隠しのように咳払いを一つしてから、セシルに話を振った。
また新しい人名が出てきたが、話の流れから察するに、どうやらドロシーと言う人が本命で、セシルはその橋渡し役のようだ。何と言うか、とてもややこしい話だ。
「えぇ、そうですね。茶番はこのくらいにしておきましょうか。…しかし、私やドロシーの力を借りなければ自由に移動が出来ないと言うのは、些か面倒と言いますか、不便な物ですね。まぁ、今更な話ではありますが。」
「あぁ、全くだ。ドロシーまでの力は無いにしても、せめてお前くらいの転移魔法が使えればこんな二度手間三度手間はせずに済むんだがな。」
セシルは八雲と一言二言会話を交わすと、「それでは、暫しお待ちを」と言ってお辞儀のように少し頭を下げた。かと思ったら、次の瞬間には自身の毛と同じ色の煙を薄く残し、セシルはその姿を眩ましていた。
「なぁ、その、ドロシーって人…いや、人かどうかも最早分からないんだけどさ。…どんな奴なんだ?」
真は率直な疑問を八雲に投げかけた。セシルの時のようにまた予想の斜め上を行かれるのはこっちとしても不安だし、相手にも不快な思いをさせてしまう気がする。事前に得られる情報は知っていて損は無いと思うんだ。
「ドロシーは…そうだな。見た目はどこにでもいそうな、普通の元気で明るい女の子だ。だが、空間転移魔法に関してドロシーの右に出る奴はいないだろう。元々空間転移は数ある魔法の中でもかなり高位の魔法でな。扱いが非常に複雑で難しいんだ。セシルは自分自身しか転移出来ない代わりに、かなり広範囲に転移出来る。これだけでも十分凄い事なんだが、ドロシーに至っては自分自身はもちろん、他人も、果ては家の一軒や二軒は軽々と異世界まで飛ばせる。転移魔法に限って言えば、化物みたいな奴さ。」
どうやら今度は普通の…と言うのが正しいかは分からないが、女の子が来るらしい。とりあえず、凄い力を持っている事を除けばまともに接する事が出来そうな雰囲気だ。
「しかし冷静に考えてみると、何か不思議な感じだな。昨日からまるで世界が変わったと言うか、未だに夢でも見てる気分だよ。」
改めて思い返すと、たった二日間で今までの世界観や価値観が大きく変わった。いや、変わってしまった。いつまでも変わらない日常が続くと思っていた二日前の俺はもういないし、望んでいたはずの平穏は抗う事も出来ずに一瞬にして崩れ去ってしまった。
「魔力だったり、所謂超常現象の類なんかは往々にして秘密にされるものだからね。一部の小さな村の蔵書とか、口伝だけでしか現代に残っていないなんていうのもざらなんだ。だから、普通に生きている上でそういった物に出会う方が稀有な事例なんだよ。もっとも、今回の件は例外だけどね。」
風習とか、もっと言えば都市伝説みたいな物なのだろう。只の噂話程度なら笑い話で済むが、それらがいざ実際に起こってみると、存外に平常心ではいられなくなるものなんだな。まさか、この身を持って知る日が来るとは思わなかったけれど。
そんな話を明日香達としている最中。徐々に夜の静寂に蝕まれ始めた夕闇に、突如として轟音が響いた。地響きを伴った、何か大きな物が地に降り立つ様な音。それと同時に、ヘリオス達と対峙した時に感じていた物と同じような空気感が全身を撫でる。
「な、なんだ!?」
しかし即座に立ち上がって身構えたのは真だけで、他は明日香も含めてみんな涼しい顔だった。
「落ち着け真。ドロシーが来たんだ。…しかし、いつもいつも騒々しい登場だな。」
神性が目覚めたばかりの真には出来なくても仕方がないが、他のみんなは魔力を感知して誰が来たかが分かっていたようだ。その事をなんとなく察した真は顔を紅潮させながら思う。…すっげー恥ずかしい。出来るなら、是非とも会得したい。なるべく早く。
「そうですねぇ。元気な事は悪くは無いですが、一度『優雅さ』や『お淑やかさ』と言う物を教えて差し上げた方が良いかもしれませんね。」
ついさっき消えたセシルがいつの間にか再びテーブルの上に座っており、呆れる八雲の声に答えた。…内心ドキッとしたのは内緒だ。神出鬼没とはまさにこの事。セシル、こいつは少し心臓に悪いな。
「よ~し、そんじゃ行きますか!…っと、そうだ真。今
シエルは始めこそ軽い調子で口を開いたが、急に真面目な態度になって真に問いかけた。その瞳にはいつものふざけた様子は一切読み取れない。…本気で言ってるんだ。真の個人的な都合で戻って来られない事も、生きて帰れる保証が無い事も。
それでも、真には一つの覚悟があった。こんな抜け殻みたいな世界で項垂れてたって何も変わらない。もう俺には、進む以外の選択肢なんて何も用意されちゃいないんだと。
「…ありがとう、シエル。けど、例えどんなに険しい道程でも、俺は行くよ。迷惑をかけるかもしれない。足手纏いかもしれない。けど、それでも瑠奈の為に、俺に出来る全ての事をしたいんだ。」
シエルは真の返答を聞くと、ニヒルにニヤっと笑った。
「そうこなくっちゃ。…一つ言っておくけど、出来るか出来ないかは真次第…だよ?」
シエル達は外へ出るために玄関の方へと足を運び始める。その時すれ違い様に、シエルがボソッと耳元で囁いた。
彼らは既に部屋を後にしようかという所で、もう背中しか見えない。どんな表情で言ったのかは分からないが、きっとそれは、真に対する励ましの言葉。応援してくれたんだろう。真意は定かではないけれど、そんな風に思える暖かさや強さを、その言葉の響きの中に確かに感じたから。
「行こうか、真。大丈夫、ボクはいつでも真の味方だよ。…いや、ボクだけじゃない。今は八雲達も一緒にいるんだ。」
心強い仲間が出来たと喜びたい気持ちも確かにあるが、それと同じかそれ以上に、自分自身への嫌悪感も募っていく。頼ってばかりじゃいられない。きっといつかは、俺が明日香や八雲達を助けられるようになるんだ。真は明日香をチラッと見ながら頷いた。それは明日香への返事でありながら、心の中に湧き上がってきた『強さ』への欲求を肯定するものだった。
八雲達に続いて離れを出て、音がした方へと歩いていく。そうして来たのは先程ヘリオス達と戦っていた道だ。しかし、そこにさっき見た風景は無く、代わりにあったのは小屋というには大きいし、家と言うには少し小さい、微妙なサイズ感の建物。それによって、参道へと繋がる道は遮られてしまっていた。どうやらさっきの音は、この建物が出現した時のものらしい。
その建物の玄関は離れへ続く方向へと向いており、今はその前に真達がわちゃっと集まっている状態だ。シエルとテイルはされるがままのセシルの頭と胴体を分離させたりくっつけたりして遊んでおり、八雲はただ黙ってこの家の主の動きを待っているようだ。
耳を済ませると、家の中からバタバタと走り回るような音が聞こえてくる。話に聞いていた通り、中々元気が有り余っている様子だ。…どんな子が出てくるんだろう。確かに不安もあったが、それ以上に強い好奇心が湧いてくる。
暫くそんな事を考えながら待っていると、ようやく玄関の扉が開いた。部屋の明かりを背に受けて戸口に立っていたのは、緩めのカジュアルな格好で、長い茶髪をゆるふわなおさげにした女の子。彼女がドロシーか。受ける印象は元気な子と言うよりも、どことなく森にいそうな、優しくておっとりした雰囲気。
「おっす八雲!久し振り!今回は随分長い事こっちにいたじゃん?たまには連絡の一つも寄越せって、アリスも文句言ってたよ?ま、いつもの事だしどうでもいいけどね~。…っと、およ?後ろの二人は見ない顔だね。新しいお仲間さん?」
口を開くや否や、玄関からぴょんと飛び出して挨拶をするドロシー。その視線の先に真達を見つけると、体ごと横に傾けて八雲に質問した。…うん、確かに八雲の言った通り、随分元気で明るい子だったみたいだな。
「あぁ、そうだ。とりあえず詳しい話は向こうでする。今はさっさと
「はいは~い、了解しましたっ!そんじゃ、ちゃちゃっと中入っちゃって!早く早くっ。」
ドロシーに促されるがままに家の中へと入る。中はすぐにリビングのような空間になっていて、左右と奥にそれぞれ別の部屋に繋がる扉がある。リビングにはキラキラと輝くシャンデリア、ふかふかのソファや可愛らしい小物、その他数多くの雑貨が綺麗に手入れされており、まるで家具店のようだ。ファンシーな系統で統一されたインテリアの数々は、見ているだけで不思議と暖かい気持ちになってくる。
「あ、自己紹介だけはしておくよ。俺は弓月真。それと、彼女は貴神明日香だ。よろしくな。」
流石に名前も何も分からない奴と一緒にいてもいい気分では無いだろうし、何かと不便そうだ。そう思い、挨拶だけは手短に済ませる。
「おっす、初めまして!私の事は聞いてるかもだけど、ドロシーっていうんだ。よろしくね!いや~、こうして仲間が増えるってのはいいもんだよねぇ。それだけでも嬉しいのに、そこに可愛い女の子がいるってんだからもう最高!…んふふ、これは楽しくなるぞ~!!」
「はは、よろしくね、ドロシー。…ねぇ真。なんかボク、変な目で見られてる?」
ドロシーの明日香を見る目がおっさんのそれにしか見えないのが多少気になったが、純粋に同性の仲間が増えたのが嬉しいだけなのかもしれない。…とりあえず、今はそういう事にしておこう。な?
「よ~し、んじゃそろそろ出発しちゃうよ?みんな、座ってちょっと待っててね!」
ドロシーはそう言うと、小走りで奥の部屋へと入っていった。八雲はかなりすごい転移魔法使いだって言ってたし、きっと何かしらの準備が必要なのだろう。真は勝手にそう解釈して納得した。…これから始まるのが地獄だと分かっていたら、こんなに悠長に構えてはいられなかっただろう。
数分後、みんながドロシーの言葉通りにソファや椅子に座って待っていると、スピーカーを通したようなひび割れたドロシーの声が部屋中に響き渡った。部屋を見渡してみると、天井の角の辺りに四角いスピーカーがぶら下がっている。見れば見るほど、本当にどこかのお店にいるみたいだ。
『あー、あー。マイクチェック、マイクチェック。…よし!それじゃ、これから
ちょっと待て、今なんて言った?酔う?魔法じゃないのか?アトラクションなのか?これは。思わず明日香の方を向くと、明日香も同じように俺を見て困惑した表情を浮かべていた。
そんな真達を見て八雲は俯き、シエルはケラケラ笑い、テイルは固まったまま、各々不穏な言葉を発した。
「だいじょぶだよ~。何回もやってるけど、未だに死人は出てないし♪」
「…いっそ、死んだほうがマシかもな。少なくとも、俺は毎回そう思わされる。」
「…八雲、言っちゃダメ。」
…その後の事は、よく覚えていない。いや、きっと脳が覚えていてはいけないと、防御反応で記憶を抹消したのだろう。確か家が地震のように揺れ始めて、何が起きてるんだと焦った。…そして、その次の記憶は今この時だ。窓から眩しい陽の光が降り注ぎ、部屋の中を所々明るく照らしている。
「…くそっ、いつも通り、最悪な気分だ。」
「うぷっ、相変わらず派手ですなぁドロシーちゃん…」
「…私、生きてる?」
「えぇ、ちゃんと生きてますよ。…しかし、これは客人には堪えますね。今度私が指導しておきましょう。」
真は魂が抜けたようにただ呆然と視線を辺りに配るだけで、立ち上がる事はおろか、体に力を入れる事すら出来ずにいた。言うなれば、ジェットコースターに長時間乗り続けたみたいな感覚だろうか。巡らせた視線に捉えた明日香も同じような状態のようで、お互いに目を合わせて力なく苦笑いをするのが精一杯だった。
「…いや、参ったね。ここまでくるとは思って無かったよ。」
「同感だ。っはは、全然力が入らない。よく覚えてないけど、もう体験しない方が体によさそうだな、コレ。」
その後、数十分かかってやっと体が元に戻った所で、ようやく家の外に出る運びになった。因みにドロシーは全然全く問題ないようで、ぐったりしている真達に声をかけながら、一人で部屋をバタバタと行ったり来たりしていた。
「いや~、いきなり長距離移動だとやっぱりこうなっちゃうか。ごめんね、きっと今度はもっと上手くやるからさっ!」
…何となく、憎めないんだよなぁ。それは八雲達も同じようで、ぶつぶつとぼやきはするものの、そこまできつく当たるような事はしていなかった。
「真、明日香、もう行けるか?悪いがさっさとアリスと話をしに行くぞ。ゆっくり休むのはその後だ。」
「あぁ、いつまでもへばってる訳にはいかないもんな。行こう、明日香。」
八雲達を先頭に玄関へ向かい、扉を開ける。真夏の灼けた日差しと湿った不快な空気が雪崩れ込んで来ると思っていたが、入っていた空気はすごく綺麗に澄んでいて、少しひんやりとしていた。吹き抜けた爽やかな風に頬を撫でられながら、外へと足を運ぶ。
どうやらドロシーの小屋ごと転移してきたのは、森の中らしい。左右には鬱蒼と生い茂る木々。獣道の一つも見当たらない、まさにジャングルだ。
しかし、正面には何故か広い空間が空いており、そこには幻想的な街並みがぽっかりと広がっていた。整然と手入れされた木々や生け垣で造られたアーチ。そこから始まる大通りのような石畳の横には小さな水路が延々と続いており、限りなく透明な水がさらさらと流れている。水路の向かい側にはベネツィアのような建造物が建ち並び、月並みだが、美しいという感想しか出て来ない。
…本当に、違う世界に来たんだ。こうして真は高鳴る心臓の鼓動を抑えつつ、異世界での最初の一歩を踏み出した。
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