第6話

 「おっと、そう言えば自己紹介をしてなかったっけ。これは失礼。僕の名はヘリオス、そして彼女はパンドラだ。…名前くらいは聞いた事があるかな?」

 あからさまに怪物臭のする青年らしき人物は、これまた謎に礼儀正しく自己紹介をし始めた。ヘリオス、パンドラ…。両方とも、神話上の神様の名前だ。ギリシャの太陽神と厄災の箱で有名な女性。なるほど、流石に名の知れた神なだけあって、これだけの重圧や底知れない何かを感じさせる訳だ。

 「まぁ、知っているからって特に何かある訳でもないんだけどね。別に僕達が何者かは大した問題じゃない。大事なのは、今この世界に生きる人間達があまりにも愚かだという事さ。」

 「…何が言いたいんだ?それと人々から心を奪う事と、一体何の関係がある!」

 「大ありだよ、少年。君達も知っているだろうけど、人間の歴史は常に戦火と共に刻まれてきた。同じ種族だというのに、争い、奪い合い、殺し合ってここまで来てしまった。そして、何千年と同じような事を、何度も何度も繰り返して来たにも関わらず、未だにその愚かさに気付かない。大地は疲弊し、空は濁り、海は穢れていく。気付いていたとしても何の解決策も示さずに、結局は各々の私利私欲で、何であれ平気で傷つける。このまま放って置けば、遅かれ早かれ人間という種族が滅びるであろう未来は想像に難くない。誰かが何とかしなければ、やがて人間だけでなく、世界の全てが傷つき、汚染され、殺し尽くされてしまう。そうなってからでは遅いんだよ。…だから、僕達が手を下した。手遅れになってしまう前に、この世界をより安全で完全な物にする為に。その元凶である人間の心を支配し、馬鹿げた争いを産む感情をコントロールしたのさ。」

 ヘリオスはあくまで飄々とした態度で、しかしどこか力強さを感じさせる調子で説いた。つまり突き詰めていけば、ヘリオス達は人間を、ひいては世界を守る為に行動を起こしたという事らしい。

 真はヘリオスの話を聞き、思った。…確かに、ヘリオスの言う事も一理ある。と言うより、中々反論も出て来ないくらいに正論を言っていると思わざるを得ない。仮に俺がただの人間として他の人と同じようになってしまっていたら、過程を知らなければ最終的には争いのなくなった世界でこいつらに感謝していたのかもしれない。…だが。

 「ヘリオス、お前の言う事も正しいのかも知れない。そうさ。過去、現代、そしてきっと未来でも、人は争う事を止めないだろうな。…けど、だからってそれが人の心を奪っていい理由にはならない!それはお前らのエゴでしかないだろう!何の罪もない人達まで巻き込んで、その果てに救われる世界なんてあってたまるかよ!いや、例えどんなに愚かな奴からだろうが、救いようが無い奴からだろうが、笑顔や涙を奪っていい訳がねぇんだよ!!」

 そうだ、こんなのは間違ってる。こいつらは人の心を何だと思ってやがるんだ。真は熱く滾る胸に従って、素直に感情を吐き出した。隣でそれを聞いていた明日香は少し驚いたように真の顔を見たが、すぐに「よく言ったね」とでも言いたげにニコリと微笑んだ。そして、ヘリオスの方に向き直り、彼らを熱い瞳で見据えると、続いて言葉を繋いだ。

 「聞いての通りだよ、ヘリオス。例え神と言えども、人の心を踏みにじるようなやり方をボク達は認めない。残念だけど、キミ達に味方するのはお断りだよ。…さぁ、すぐにみんなを元に戻すんだ。」

 

 二人の返答を聞いたヘリオスは大仰に広げていた両手を下ろすと、小さく横に首を振りながら、これまた小さくため息を吐いた。

 「そうか、それが君達の答えなんだね?…なら仕方がないな。君達には怨みも何もないけれど、この先障害になる可能性があるものは極力排除しなくちゃならない。せめて、苦しませないように一瞬で終わらせてあげよう。」

 途端に空間に走る緊張感。相手の動きに反応して、明日香が即座に一歩前に出て身構えた。ヘリオスが纏った外套を少し開けると、30cm前後のサイズの、恐らくは金属の塊が二つ。それらが両足に付けられたホルダーに各々収められているのが見える。…どうやら、銃のようだ。ヘリオスは鈍く輝く橙と紺、二つのくろがねの内一つをホルダーから引き抜くと同時に、仮面越しに標準を定めるような鋭い視線を放つ。それを受けてか、今の今まで後ろの方でピクリとも動きを見せなかったパンドラも、ゆっくりとこちらとの距離を詰めてきている。

 「安心していいよ。…痛みは一瞬だ。」

 手にした宵闇をこちらに真っ直ぐに向け、ヘリオスがポツリと呟いた。そして引き金を引くと同時に煌めいたのは、目が眩む程に眩い閃光。あまりの光量に思わず目を塞いだ真に届いたのは響くはずの銃声ではなく、燃えるような炎の音に、肌を焼くような熱気、それと土や木が焼け焦げる独特な臭い。目を閉じていた時間なんて本当に一瞬のはず、だが次に目を開けた時にはほんの一秒前の景色は跡形もなく消えていた。地面は高温の何かに抉られたように大きく削れ、横の拝殿も原型を留めておらず、壁やその奥の支柱までもが焦げて燻っているのが見える。その傷跡はヘリオスから真っ直ぐ真に向かって伸びており、そして標的に達する直前でプツリと途切れていた。

 「…明日香!大丈夫か!?」

 凶弾の射線上、間に割って入る形で、明日香は真の目の前で左手を前に突き出し、凛としてヘリオスと対峙していた。何が何だか分からない程に刹那の出来事だったが、明日香はヘリオスの攻撃に反応して対処していたらしい。

 「ボクの心配はしなくていいよ。いい?なるべくボクから離れないで!」

 「…なるほど、、か。面白い偶然もあるものだね。…パンドラ、君はあの少年を頼む。こっちは僕が始末しよう。」

 「了解。対象の排除を開始します。」

 ヘリオスが指示すると、パンドラはあの空っぽの眼を真にピタリと据え、飛び込むように駆け出した。…速い!人間ではまずあり得ない速さだ。初めの一歩目から一気に最高速に乗り、迷わず一直線に突っ込んで来る。

 「真!」

 「余所見してる暇なんて、あげないよ?」

 パチン!ヘリオスが指を鳴らすと、突如として宙に無数のレンズのような物が出現した。大きい物、小さい物。形も丸や三角と様々なレンズが太陽を反射して爛々と輝いている。

 「大丈夫、真君とやらは狙わないであげよう。僕も君に対しては油断なく行かせてもらうつもりだからね。…でも、だからって気を抜いてたらあっという間に消し炭だよ?」

 するとヘリオスは、銃口を真達ではなく左右に散らし、再び引き金を引いた。何故か彼が銃口を向けたのは、今しがた召喚した数多のレンズの内の二つ。そしてデジャブのように閃光が走ると、次の瞬間にはまた地面が焦げ付き、隣で穿たれた建物は音を立てて崩れ落ちていた。横に向かったはずの弾丸は途中で方向を変えたようで、その傷跡は間違いなく明日香に向かっていた。しかし対する明日香も先程と変わらずに手をかざしたまま、あの攻撃を防いでいるようだった。その時明日香の周りにうっすらと、下部分に羽のような、雲のような飾りが付いた、半透明の何かが見えた気がした。…あれは、鏡?

 「明日香!…くっ!」

 しまった、明日香の心配ばかりしている場合じゃなかった!ヘリオスが銃を撃ち、それを明日香が凌いでいる間に、もう既にパンドラは真の横に回り込んでいた。そして射程内までぐっと詰め寄ると、速度と重さの乗った拳が微塵の躊躇もなく襲いかかってきた。

 「うぁっ!…っの野郎ぉっ!」

 次々に飛んでくる拳を何とか躱し、防ぐが、如何せん早い。最初の内はギリギリ対応出来ていたものの、次第に追いつかなくなっていく。押された分だけ後退を余儀なくされ、真を庇うように位置取っていた明日香との距離も開けられてしまい、気付けばあっという間に拝殿の壁に背を預ける形になってしまっていた。退路を狭められた所に、さらに追い打ちをかけようとするパンドラは一旦踏み止まると、右腕をダラリと後ろに下げ、そのまま顔の横まで持ち上げた。明らかに今までの拳撃と違う、かなりヤバい本気の一撃が来ると直感する。…残念ながら嫌な予感は的中し、目の前でパンドラに起き始めた変化に、真は今までにない戦慄を覚えた。

 骨が砕けるような乾いた音と、肉が裂け蠢くような湿った音で不気味な旋律を奏でながら、パンドラの腕がみるみる形を変えていく。それは次第に無機物と有機物が入り混じった醜悪な刃へと変貌を遂げ、真は今更、ここで初めて命の危機を感じた。

 「真、逃げて!早くっ!!」

 明日香が声を荒げてこっちに来ようとしているが、ヘリオスの猛攻は収まる気配が無い。それどころか更に勢いを増し、明日香の周辺は今もなお焼かれ荒らされ続けている。元の姿など、最早見る影もない状態だ。そんな中で不用意に動けるはずもなく、一方的に防御を強いられている。

 …ここで、終わるのか?迫る刃に身動き一つ取れないまま、しかし反して頭の回転は早くなる。一秒が引き延ばされ、まるで世界がスロー再生されているようだ。結局、何も出来ないのか?瑠奈を助けるどころか、明日香の足を引っ張ってばかりで、俺はここにただ呆然と突っ立っているだけじゃないか。…畜生、畜生、畜生ぉっ!何が神族だ!何が瑠奈を元に戻すだ!…全てが悔しい。されるがままの状況も、役立たずな俺自身も、全てが…!

 「うわああぁぁぁっ!!」

 首を刈り取ろうと振りかざされるパンドラの腕、それにやられまいと、反射的とは言え無様にも逃げ腰になり、両手を上げて防ごうとしてしまう。…きっと、何をしても無駄だ。脳味噌中の嫌に冷静な一部分で、何となく悟っていた。次の瞬間には庇った腕ごとバッサリと、頭と体がお別れしているだろう。…既に刃は瞬きの合間に命を奪える距離まで近づいている。逃げようとする意志とは相反して、どうしても目は固く瞑ったまま開かず、襲ってくるであろう衝撃に全身が強ばってしまう。…ごめん。ごめんな、瑠奈……。


 -ガキィィン!


 金属同士がぶつかり合うような高い音が耳元で爆ぜたかと思ったら、同時に横っ飛びに吹き飛ばされていた。一回転、二回転。地面に全身を打ち付けながらも、なんとか体勢を落ち着かせ、状況を確かめる為に慌てて顔を上げる。この衝撃のお陰で、と言うのが適切かどうかは分からないが、金縛りにあったように自由に動かせなかった体が多少は言うことを聞くようになっていた。周囲に視線を泳がすと、この場にいる全員が一瞬動きを止め、真に注目を集めているようだ。今この空気を支配しているのは、恐らく驚愕。それはそうだろう。明らかに『死』が確定していた、なのに真がこうして生き延びているんだから。

 しかし、一体何が起きた…?俺は、何で生きてる…?混乱しながらも、自分の体に異常が無いか確認するべく自身を観察する。思ったより派手にすっ飛ばされたようで、そこまで痛みは感じないものの全身擦り傷だらけになってしまっている。…が、そんな事が気にならなくなるくらいに目を引く物が、真の右手には存在していた。みんなを驚かせた物の正体、これもきっとそうだったんだろう。

 それはどこからどう見ても、紛う事なき刀だった。刃渡り一mはあるであろう、かなり大きな片刃の直刀。その切っ先は陽の光を受けて白銀に輝いており、その過剰な装飾も面白味もないシンプルな造りは、無骨ながらもどこか神々しさを感じさせる。

 …何故突然刀が現れたのか、あれこれ考えるのはとりあえず後回し。今はこの場を何とかするのが第一だ。それに、多分、俺はこの刀を…

 そんな不思議な感覚を覚えながらも、素早く刀に手を伸ばす。これだけの大きさだ、相応な重量があるだろう。しかし実際に持ち上げて見ると、予想以上に軽かった。いや、軽いなんてものじゃない。『羽のよう』という表現がピッタリだろう。それは比喩ではなく、本当にほとんど重さを感じない。その上まるで体の一部のように馴染み、意のままに操る事が出来る。…やっぱり、この感覚は知っている。明確な記憶や経験じゃないが、確かにこの刀を握った事がある。真には、何処かそんな確信があった。

 「…よし、やってやる!」

 手にした刀を正面に構え、パンドラと正面から対峙する。パンドラも刀の出現に対して気を引き締めているのだろう。さっきとは眼光が少し違って見える。多分あれは、全力で殺しに来る目だ。敵のあらゆる抵抗を予想し、潰し、確実に仕留める事を決めた目だ。…けれど、真も引く訳にはいかない。負けじと睨み返し、パンドラの動きに細心の注意を払う。挙動、視線、呼吸。何一つ漏らさないように極限まで神経を集中させ、戦う為の、倒す為の思考を巡らせる。幸運はそう何度も続かない。一瞬でも隙を見せれば、その瞬間に今度こそ命を落とす…



 「どおぉぉぉぉっかーーーーーーん!!!」

 


 唐突にどこからか聞こえてきた緊張感の欠片もない叫び声。それはこの緊迫した空気を粉々にぶち壊し、ついでに境内の建物やら木々やらも派手にぶち壊した。辺りに響く倒壊の轟音、立ち込める砂埃。朧げになった視界にぼんやりと捉えたのは、パンドラとの間に空から降り立った一つの人影。

 「しゅたっ!…ふっふっふ。決まった…!私ってば、今ものすご~くかっこいいのでは?」

 舞い上がった砂埃が風になびき、次第に視界も戻ってくる。鮮明になりつつあるそのシルエットはなんだか場違いで間抜けな事を呟くと、中二感満載なポーズを決め、同じく中二感満載なセリフを吐いた。…その時、真は釣られて間抜けな事を思った。あぁ、多分この人は頭が弱めで空気が読めない人なんだなぁ、と。

 「ふっ、世界の支配者たらんとする者達よ!貴様等のくだらん理想郷ユートピアなど、我々が闇の彼方へ葬ってやろう!!」

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