第9話 暗闇地獄

 私はとにかく外へ出たかった。外に出ればそこには新鮮な空気。果てしなく広がる大地があるはず。そうすればとにかく自由だ。この恐怖と醜悪と絶望からどこまでも遠のくことができる。その後記憶が戻って自殺することになっても、安らかに死ぬ方法を模索することが出来る。

「その方がいい。絶対にその方がいい」

 誘惑が私の頭の中でこだまする。しかしそれを実現するためには、人を殺さねばならない。刃で目の前の老婆を突き刺す。そんなことは到底できない。

私はポトリと短刀を落とす。そして目を閉じ、思いっきり泣いた。どうして私はこんな苦しみを受けなければならないのか。憎い相手なら殺すことも出来る。しかし目の前にいるのは、無力な老婆だ。いたわりの気持ちを抱いても、殺そうなどとは思わない。

私は目を閉じて立ちすくむ老婆を無視して、何とかこの箱から出る手段はないか調べてみようと考えた。犯人はどうやって1人だけ生き残ったのを確認するのか? そして内側から鍵が掛かっている扉をどうやって開けるのか? この2つの問題が解ければ、老婆を殺さなくてもこの箱の中から出られるに違いない。さっきまでは5人の男女がそれぞれ相手の隙を伺っている状況だった。しかし今は、生きているのは私と老婆だけ。心おきなく箱を探索できるはずだった。それは私が壁を調べるために、老婆に完全に背を向けた時のことだ。

「ザクッ」

 私の右腹部の辺りから鈍い音がした。当時に私の口の中で、砂を詰め込まれたかのようなジャリジャリとした感覚が広がり、鼻孔を新しい血の匂いが突き上げる。ふと見ると老婆が後ろからサバイバルナイフで私に襲いかかってきていた。

 私は逃げた。痛む右腹を押さえつつ、床に散らばる凶器に足を取られそうになりながら。そしてある程度老婆と離れたところで得物を探した。あった。そこには大振りのカッターナイフが。

 私はそれを握りしめると、老婆の胸目掛けて突き上げた。

「ズブッ」と鈍い音を立ててカッターの刃が老婆の胸に埋まった。私は思いきり突き刺したのだろう、突き刺された衝撃で老婆の体が一瞬宙に浮く。その一撃で充分なはずだった。

それでも私は無理矢理カッターの刃を引き抜くと、今度は老婆の腹を刺す。そしてまたカッターの刃を引き抜いて刺す。刺す。刺す。

 手にまとわりついた血でぬめり、カッターを落としてしまうまで、私は何度も老婆を刺した。老婆を刺している間、黒い影が私の脳と心を覆っていた。その黒い影は、全ての思考や感情まで包み込んでしまって、必要以上に突き刺すこと以外私にさせなかった。

やっと我に返った時、ぼろ雑巾のように引き裂かれた老婆がつぶやいた。

「ごめんなさいね。刺しちゃって。でもこうでもしないと、あなた私のこと刺してくれそうもなかったから」

私は自分が刺されたことを思い出し、右腹を調べてみた。服は完全に切り裂かれ、大量の血が流れていた。しかし切られたのは皮膚のほんの表面だけで、内臓に達するような傷ではなかった。


 私はしばらくの間、我を失い茫然としていた。それでも再びここから早く出たいという気持ちが私を突き動かした。私は扉に駆け寄る。

「私1人になった。早くここから出して」と叫びながらドアを叩いた。何も返事がない。 それなら何とか力尽くでと、扉に体当たりしてみた。

 すると、どうしたことか扉が少し口を開いた。なんということだ。もう一度扉に体当たりして、少し開いた口に折れ曲がった金属バットをねじ込む。そしてテコの原理で扉をこじ開ける。そして今度は、更に大きく開いた口にコンクリートのブロックを差し込んでそれなりの幅を確保して、なんとかその隙間から這い出すことが出来た。

 それまでは相手に隙を見せるのが嫌で、この扉を開くことに専念できなかった。しかし、1人生き残ったことで、やっと脱出することに専念できるようになり、出口を作ることが出来た。

「1人ニナッタラココカラ出ス」というより、1人になったからここから出られた。そんな感じだ。犯人は最初からこうなることを見越していたのだろう。

 とにかく私は箱から出た。箱の外は、どこかの畑の真ん中で、外で待ちかまえているかもしれないと警戒した犯人の姿もなかった。私はとにかく走り出す。ここから早く離れたいのと、誰かに助けを求めるために。無我夢中で走り続けた。


        遺書


 愛する妻よ許して欲しい。こうするしか道がなかったんだ。長引く不況で親父から引き継いだ工場が倒産し、多くの従業員とその家族の生活を滅茶苦茶にしてしまったのは私の責任だ。こうすることで保険金が受け取れる。どうかそのお金で少ないながらも退職金を払ってあげて欲しい。

 君がこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世にいないということだ。おそらくそうとう無惨な姿で私は発見されたことだろう。そのことで君はかなりのショックを受けたに違いない。それでも悲しまなくていい。怖れなくてもいい。こういう結末を迎えたのは、全て私の計画によるものなのだ。

 残念ながら、自殺では私の死亡保険金はだいぶ減額されてしまう。満額の6割程度だったろうか、とにかく従業員の人数に対してただでさえも少ない保険金が、さらに減額されてしまう。それでは駄目なのだ。私がせっかく命を捨ててまで手に入れる金だ、できるだけ多く受け取りたい。そこで今回ある計画を立てた。自殺ではなく誰かに殺される。殺されたのなら、保険金は満額受け取れる。そのために私は無惨な死を受け入れようと思う。

 まだ君には何のことかよく分からないかもしれない。整理して話せば、私は満額の保険金を手に入れるために、人に殺されることを選択したのだ。だから、おそらく相当無惨な死に方をしていることだろう。それでも、これは長らく会社を支えてくれた従業員たちのためなのだと理解して欲しい。

 詳しく話せばこういうことだ。私はインターネットで偽造の運転免許証を手に入れた。それを使ってネットカフェの会員となり、そこで自殺志願者のためのサイトを立ち上げた。恐ろしい世の中だ。集団自殺の参加者の募集をほのめかしたサイトで私は瞬く間に20人ほどの自殺志願者と知り合うことが出来た。私はその20人にそれぞれ無料のメールアドレスを設定してもらい、それぞれの悩みを聞く振りをしながら、本当に自殺をするつもりなのかその熱意を計った。そうして20人の中から、4人の自殺志願者に絞り、集団自殺を決行するから、詳しいことが知りたかったら、本名と住所を知らせるように伝えた。

 自殺志願者たちにとって、本名と住所を明かすのはそれなりの覚悟がいるはずだった。しかしいとも簡単に、4人は本名と住所を伝えてきた。彼らは本気で死ぬつもりなのだ。私は本格的に集団自殺を段取ることにした。4人は皆近い場所に住んでいた。それで私はレンタカーを借りて、彼らをそれぞれピックアップすることにした。手紙を送って迎えに行く時刻と場所を知らせた。そして人のいない山中で一酸化炭素中毒をする旨も伝えた。 私にはもう少しやることがあった。山中に行くのはいい。だがそこで普通に自殺したのでは、私の苦労は報われない。私は私を含めた5人で、殺し合いをしようと思う。

 そうすれば私は保険金を満額受け取れるのだ。

 そこで私は下見をして、ある山奥の畑に放置されたコンテナを見つけることが出来た。もともとは、農機具や農薬などを仕舞っておくための物のようだが、今は使っていないようで鍵も掛けていない。中を覗いてみると8畳ほどの広さがあり、高さも2メートルほどで、5人で殺し合うのには丁度いい広さに感じた。

 私はあちこちのホームセンターや専門店で包丁やサバイバルナイフ、手術に使えるメスやコンクリートブロックなどを購入し、殺し合いの道具としてコンテナに並べておいた。 本当はピストルなどもっと簡単に人を殺せるような武器を用意したかったのだが、これ以上無理をして、私が殺し合いをさせた首謀者だとバレるのが怖いので、それは避けた。 そうして約束通り自殺志願者たちをクルマでピックアップし、睡眠薬を飲ませ、私以外の全員が寝込んだところで、例のコンテナの近くにクルマを移動し<,寝ている4人をコンテナに運んで閉じ込める。

 そして用意したレコーダーを暗闇でも気がつくような目立つ場所に置く。後は4人が目を覚ますのを待つばかりだ。

 ということで、私が無惨に死んだのは私自身の企みに寄るものなのだ。

 だから君はそのことについて悲しまなくてもいいし、怖れなくてもいい。

 君が必要以上に悲しまなくても済むように、一応全ての事実を書き残しておくが、読んだらこの手紙は燃やして欲しい。私が殺し合いの首謀者ということが明るみに出たら、私の苦労が水の泡になってしまう。そんな証拠は残したくないのだ。

 妻よ。今までありがとう。どうか私の最後のわがままを許して欲しい。

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完全一人称殺人事件 嶋田覚蔵 @pukutarou

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