第5話 暗雲低迷

 長い沈黙。今は静穏だけれどいつ爆発するか分からない危険を内包した沈黙。そしてどす黒い悪意と打算に満ちた、5人の脳は激しく活動しているのにもかかわらず、それを包み隠す沈黙。

 私は周囲に注意を払いつつ、この沈黙が守られている内に少しでも考えをまとめておきたいと思った。

 まずは自分が誰でなぜ自殺しようとしたのかという問題。自殺しようと思った理由が分かれば、確かに犯人の手のひらの上で踊らされるようで癪だし、そうとう痛い思いを覚悟しなければならないだろうが、ここで死んでもいいと思えるかもしれない。そうすればこの窒息しそうな閉塞感、緊張感から解放され比較的安らかに死ねるだろう。なにせ生き残る可能性は未だに5分の1だ。死ぬ確率の方が断然に高い。例えば考えをまとめるのに没頭しすぎて、顎に手をやるなどちょっとした隙を見せれば、隣の青年が襲いかかってくるかもしれないのだ。

 そんな危険から逃れるためにも、少しでも平静を取り戻すためにも、私は必死で記憶を探ってみた。しかし心の中もこの場所と同じく闇で覆われていて、何も手がかりが見つからない。私はどこの誰で、どこで生活し、家族はいるのかいないのか。そんな全ての問いに私は、私自身が何も答えられないのを確認するばかりだ。

 それでは違うことを考えてみようと思った。自分は誰かという問題と同じくらい重要なのが、いわゆる犯人の思惑だ。なぜこれから死のうという人間たちを、死なせずにわざわざこんな暗い箱の中に引っ張り込み、殺し合いをさせようとしているのか。

 この疑問に関しては、他の記憶がある4人(この中に犯人がいれば3人なのかもしれないが)と全く記憶がない私の間に、知っている手掛かりにそれほどの違いがあるとは思えない。だから犯人の意図を探ってみる。これが今できることの中で、最優先の課題のように思われた。

 まず考えられるのは…、復讐だろう。人に殺し合いをさせるということは、この世の中でもっとも残忍な行為だ。そんな事をさせるからには、相当の悪意がなければ出来ないはず。それほどの悪意を抱くのは、復讐する時以外に考え難い。

 しかし、犯人が復讐を遂行しているのだとしたら疑問も出る。犯人はこの箱の中に、自殺志願者を全員連れて来た。しかし復讐心を抱いているのが、この中の1人だったら、その人間だけ連れて来て、拷問でも何でもすればいい。5人全員連れて来たということは、全員もしくはほぼ全員に復讐心を抱いているということになる。

 今までの流れからいって、ここに居合わせた5人は、全員が初対面のようだ。それぞれは知らない人だが、ある共通の知人がいる。そんなことはあり得なくはない。しかし更に同時にその共通の知人から殺し合いをさせたいと思うほどの強い憎悪を抱かれる。そんなことはあるだろうか。あるとしたら、犯人はよほど人を憎みやすい性質だということになる。それと犯人がこの5人の中にいるとしたら、すぐに共通の知人だということがバレてしまうだろう。犯人が復讐するためという考えは、除外しても良さそうだ。

 次に考えられるのは…そうだ、リアルな殺人シーンの鑑賞だ。嘘か本当か知らないが、この世の中には好事家の人が意外と多くて、実際に人が殺されるシーンを収めたビデオがかなりの高値で売買されているという。

 犯人もそんな好事家の1人で、本当に人が殺されるシーンを見て楽しむためにこんな面倒なことをしているのかもしれない。確かに中年が指摘していた様に、犯人はこの中にいる可能性が高い。それなりの安全策は講じているのかもしれないが、なぜか危険を冒してまで殺し合いの現場にいる犯人。その理由は本物の殺し合いが見たいから。もしかしたらビデオの収録もこっそり行っているのかもしれない。世の中はだいぶ狂っている。そんな人間が存在しても、おかしくはないだろう。

 さて犯人の動機がリアルな殺人シーンの鑑賞だとして、この中でそんなことを計画しそうな人物は? 

 まずは青年だ。世の中にそういう好事家がいるとして、そういった連中のイメージに一番近いものを持っているのは青年だ。まだ若く、好奇心が旺盛そうだ。青春時代特有のフラストレーションを歪んだ欲望を満たすことで発散し、もしそんな悪事がばれたら「世間が間違っているから」とか言い出すタイプの様にも思える。そういえば、さっきこの青年が言い出した推理のことだが、途中から妙に飛躍してしまっていた。ある1つの思いに囚われるとそれに固執して、傍から見ると馬鹿げた結論を平気で導き出してしまうタイプ。

若い時はみんな誰しも、そんな傾向があるけれど、青年はその傾向がちょっと強いのかもしれない。

 犯人の動機が「殺人シーンの鑑賞」なら青年は間違いなくあやしい。しかし、だからといって娘は違うとも言い切れない。世の中にはサディスティックな性癖を持つ女性が意外と多いと聞く。そんな女性たちは他人の苦悶の表情とか、流血とかそんなものを見ると異常なまでに性的興奮を覚えるという。間違いなく数時間後、いや数分後かもしれないが、この暗い箱の中は、こらえきれない痛みに歪んだ顔、呻き声、血の匂いといったもので充満することになるはずだ。それらを目で耳で、鼻で肌で、それこそ全身で感じ取って性的恍惚感に浸りたい。そんな異常な願望を実現させるため、娘はこんな手の込んだ計画を練り上げたのかもしれない。

 中年はどうだろう。「殺人ビデオ」が高い値段で売れるなら、中年はそんな「殺人ビデオ」の販売をしている人間なのかもしれない。VFXと言っただろうか、視覚特殊効果がこれだけ発達した世の中だ、「殺人ビデオ」なんていくらでも贋物が作れそうなものだ。しかし、1本のビデオに高い代金を支払う様なマニアには、いくら上手に作っても贋物はすぐに贋物だとばれてしまう。そこでリアルな作品を作らなければいけなくなった中年は、今回この様な舞台を用意した。出演者は自殺サイトで募集して、自ら運転するクルマに乗せて舞台へ導く、舞台は真の暗闇で、その闇の中に暗視機能付きのカメラが隠され、舞台で繰り広げられる生々しい事実を克明に記録する。これなら、なぜこの箱の中がこれほどまでに暗いのかも説明できる。

 あり得ない話ではないが、疑問も残る。中年の狙いが「殺人ビデオ」の制作なら、なぜ中年は箱の中に残ったのだろう。撮影はカメラに任せておけばいいはずだし、撮っている画像の内容を確認したいなら画像を電波で送信し、箱の外で確認すれば充分事足りるだろう。箱の中に居てしまっては、ビデオの制作に不都合なことが多いだろう。

 そこまで考えて私はふと気がついた。中年は確かに犯人の1人なのかもしれない。しかし主犯は他にいて、この箱の外でじっとモニターを監視している。中年は主犯の人間に騙され、今やヤバい仕事に関する口封じも兼ねて、出演者のひとりに仕立て上げられてしまっただけ。

 そう思った瞬間、闇が私の体の中に充満しているのを感じた。もう既に脳はもちろん腸や胃、肺といった器官は全て闇で充ち満ちている。激しく息苦しい。闇で満たされた体には、もう透き通った空気を取り入れる余地がない。ゲーゲーと体に詰まった闇を吐き出してみようと試みるが、何の効果もない。なぜなら私の周囲も闇で満ちているからだ。

 冷静になって、老婆のケースを考えようとしたが、無駄だった。主犯は箱の外にいて、箱の中に居るのは騙された共犯者。それなら、老婆だって全くあり得ないということはない。南京錠を内側から掛けるくらいなら、彼女にだってできるはず。それに…私自身に関してはと考えたら、さらに息苦しさが増すばかりだ。記憶がない私も、もしかしたら騙された共犯者なのかもしれない。

 私は暗黒が体の中にドッと侵入して来るのを感じた。そして闇に溺れてこのまま窒息死してしまいそうになった。 

 もう、新しい事実が出てくるまでは何も考えないようにしよう。結局、犯人の動機を推測して、動機から犯人を捜そうというのは、憶測に憶測を重ねるだけで真実には届きそうもない。いろいろと思案した結果、「犯人は殺人ビデオの制作を目的としていて、5人の中に犯人、もしくは共犯者がいる」という私にとって一番リアリティのある結論に達したけれど、これだって現状で一番リアリティがあるというだけで、真実とは限らない。却下したけれど、犯人の目的は復讐というのが正解という可能性もある。

 それに結局誰が犯人なのかは分からない。私自身も含めて…。それなら、もう考えるのは止めよう。これ以上闇に囚われないように。

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