第70話 判断力の回復

今日も14km以上歩いた。

朝5時に10km歩きターミナル駅へ行き、そこから電車で40分・・・のところを休み休み行ったので1時間強。

帰路は40分の電車を休みなしで乗り続け、そこからいつもならバス終点の、徒歩4kmの駅まで行くのだが、今日は途中でランドセルを背負った集団が乗り込んできて、きゃっきゃし始めたのが怖くなり、途中下車。

余計に1時間歩いて帰宅した次第。


3時間かけて歩いてターミナル駅に着いたときは、ちょうど通勤ラッシュで、改札からあふれ出てくる人の波が半端なく怖く感じ、柱の陰に隠れながら、出張で釧路に飛んでいた相方に電話で泣きつく場面もあり。

帰路では、バスから降りて歩いている途中で、都合よく大きな病院があったので、お手洗いを借りて吐いた。


だが、それでも確実に回復してきているのだな、と実感した。

2年前なら、圧倒する人混みの流れに逆らって、前に進むことなど出来なかった。

頭を抱えて泣きながらしゃがみ込むのが精いっぱいだっただろう。

また、同じく2年前なら、子供たちがバスに乗り込んできたところで、途中下車する、と言う行動を自身で考えてとることなど不可能だった。

やはり同じく、頭を抱えて泣き出すのがオチだっただろう。


第51話で鍵を無くしたエピソードでも書いたことだが、「自身で考え、行動する。」

これは、罹患当初から暫くの間、極端に出来なくなったものの1つだ。


今は、ある程度はそれが柔軟に出来ている。

バスに関しては、特にいろいろと考えた。

一旦降りて、次のバスに乗ることや、我慢して乗り続けるという選択肢も頭には浮かんだ。

それぞれを却下したのには、ちゃんと理由もある。

次に来るバスに、子供たちが乗っていないとは限らないと思い当ったこと。

また、次のバスで、座れる保証もないと思ったこと。

そして、終点の駅まで我慢するには、子供たちは元気が良すぎた。

ウォークマンの音量を上げても、それを突破して聞こえてくるはしゃぎ声は、本当に怖く、乗り続けていたらバス内で吐く可能性が高いな、と思ったのだ。


「自分でものを考える」訓練は、実は遊びながらしていた。

例えば第43話で単語だけ触れたLARPや、第62話で同じく単語だけ触れたTRPGと言う遊びは、「観客のいない即興演劇を皆でやる」ようなもので、部隊の配役の1人として、その場面ではどう動くか、は自身で考えなければならない(勿論相談も出来るが、誰かが○○さんはAをして、××さんはBをして・・・と言ったように、逐次指示が出るものではない)


罹患当初に遊んでいたTRPGでは、「自分でものを考える」ことが難しかったような覚えがある。

多くの場合、TRPGではサイコロを使うのだが、その出目の足し算も出来なくなっていた。


遊びを通して訓練を重ねていたのも、回復の度合いを速めた要因の1つになるかも知れない。

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