Ⅳ
「止めて! 長門さん。バックアップとして忠告するわ。もしも、これ以上この生命体への排除行動を続けるのであれば、バックアップ行為を逸脱してでも阻止せよと思念体β(しねんたいベータ)から回答を得ている。思念体βの見解は違うわ。この二体はこの時間平面上の不要因子ではなく、次元断層のループに漂流しているに過ぎない。
この生命体が本来の時間平面に戻らなければ、時間軸上の質量バランスが崩れ、ひいては延長線上にあるすべての時間軸が崩壊する。
これは思念体の懸念ではない。現象としての決定事項なの。
極端な行動は慎みなさい、長門さん」
微動だにせず対峙する長門と朝倉。体内を戦慄が走った。デジャブ!おんなじような光景を俺は知っている。しかし、今回はまったく逆だった。
いつぞや朝倉は俺を教室に閉じ込め、本気で殺そうとしたのだ。
その時現れ、身を挺して救ってくれたのは誰あろうここにいる長門だった。
動いたほうが敗北、そんな一撃必殺の殺気。朝比奈さんは顔面蒼白。俺だって、その迫力に気圧され身動きひとつできない。
お互いの瞳からは目に見えない火花が散っているようにさえ思えた。
「な、長門! こ、これを見てくれ」俺は言いながらポケットからしわくちゃの3年後の長門から受け取った栞を見せた。
水戸黄門の印籠かよ、この期に及んでもまだ自分につっこみを入れるのを忘れない俺だった。
眼鏡の奥の長門の瞳が一瞬青白く光ったように見えた。
「分かった。思念体α(しねんたいアルファ)は思念体βの思考を上書きした。朝倉、帰還して。思念体への報告は、あなたに任せる。二体は即座にこの時間平面を離れることは、わたしが見届ける。同時間軸上の涼宮ハルヒをこれ以上刺激しないように、それが思念体の至上命令」
朝倉はうなずき、それと同時にTVのスイッチを消すようにふっと暗闇に消えた。いや、消えたというより闇と同化したようにも見えた。
今もこの暗闇に身を潜め、あるいは長門のバックアップとして俺たちを監視しているのかもしれない。背筋に悪寒が走った。
俺たちを寸でのところで救ってくれたってのにどうも朝倉は苦手だ。俺と朝比奈さんを簡単に始末しようとした長門に親近感を感じてしまう俺って……すまんな朝倉涼子。美小女でクラス委員長なんて元来信用できん。
朝倉が消えたと同時に俺たちを取り囲んでいた奇岩も、あっという間に地面に吸い込まれ、一瞬のうちに現出していた辺境の惑星ぶった景色が消え失せて、あのグラウンドに俺たちは立っていた。
長門は先ほどの敵意を秘めた眼差しが失せて、すでに俺が知っている長門に戻ったように見えた。
朝比奈さんは相変わらず怯えた子猫のように俺の影に隠れたままガタガタ震えている。
「な、長門。この栞は三年後のお前がくれたものだ。それを理解したと思っていいんだよな? 俺たちは親密とまでは言わないけれど、かなり親しい間柄だってことも分かったんだな。岩の塊をぶつけるのだけはなしにしてくれ、頼む」
「その栞が三年後のわたしが渡したものだと理解した。同時に三年後のわたしと同期した。記憶も上書きした。礼を失した行為については是正した。それについては礼には及ばない」
礼には及ばないって……あはは、俺たちを本気で屍にしようとしたくせに、礼には及ばないってなんだよ。
「長門、やっぱり眼鏡ないほうがいいぞ」俺は本当に長門が長門に戻っているのか確かめようと言葉を振った。
「……そ、そうか、では削除しよう」
きっかり一秒で眼鏡は跡形もなく消えうせた。
眼鏡なしの長門の瞳を俺はまじまじと見つめた。
無機質な顔色にほんのり赤みが差した。間違いない。俺の知ってる長門だ。
「さっきのどっかの惑星みたいな景色はなんなんだ? 長門のいた星かなにかか?」
「そう。記憶の中の心象風景を具現化した、外界から途絶した固有空間。何か問題でもあったか?」
俺はどうやら目の前にいる長門を過小評価していたようだ。
こいつはとんでもないやつだ。その小さな容姿に底なしの力を秘めたこいつだけはどんなことがあっても敵に回したくないもんだ。
「この時間平面にいることは危険。もうすでにタイムリミットが近い。あってはいけない二体の質量が加速度的に増幅して空間の亀裂を招くから」
さっぱりわからん。
「よーするに3年前にいることはやばいんだな、俺たちはこの時間平面では不純物か、いてはいけないんだな?」
「有体に言えばそう……」
「キ、キ、キョンくん、戻りましょ。TPDDは使わないほうがいいのね。前のように長門さんのTPMD(Time plane moving device)に頼ったほうが確実だわ。また前のように邪魔されて帰れないなんてことになったら!? なんのお役にも立てないのね、わたし……ふぇええーん」
長門を怖れるように相変わらず俺の影に身を潜めながら朝比奈さんが久々に口を開いた。
大丈夫ですよ、朝比奈さん。少なくともこの長門は俺たちが知ってる長門ですよ。
泣きじゃくる朝比奈さんをなだめながら俺たちは長門のマンションに急いだ。
襖を開けると例によって二組のふとんが鎮座ましましていた。
朝比奈さんは疲れたのかいそいそとふとんに潜り込んだ。
「あなたも寝て」
「ありがとな、長門」
「礼には及ばない。役目を果たす。それがわたしの唯一の存在価値」
「俺は、そんなお前が嫌いじゃない。またな……」
長門の瞳は迷ったように宙を舞う。
「わ、わたしも嫌いではない。わたしにとっては唯一無二の存在」
「そ、それって俺のことか? それともハルヒのことか?」
長門の言葉を待たずに俺は眠りについた。
誰かが俺の眠りの邪魔をするようにほっぺたを何度もつつかれた。
「もうちょっと寝かせてくれ! あと五分……」
目を開けると満点の星空が拡がっていた。
多少湿ってはいるが心地よい芝生の香りが鼻腔をくすぐる。
「ふぁあああ? ハルヒ?」
隣にひざ小僧を抱えたハルヒが座っていた。
指先で俺のほっぺたをつつくマネをしながらじっと俺を見る。
どうやら俺だけまたまた三年前に逆戻りしたらしい。
「やっと目を覚ましたね。死んでるのかと思って心配したじゃん」
これは夢か? はたまた現実なのか?
「描いてくれたのね、寸分たがわずに」
「ああ、約束だからな」
「ジョンはここの住人じゃないっていったよね」
「ああ、異世界人ジョン・スミスだ」
「ここにいて……どこにもいかないで……」
言葉が途切れた。あるのは満天の星空と静寂。そしてハルヒの息遣い。
俺の吐息。
「どこにもいかないでって頼んでるのよ……お願いだから……」
背中にもたれたハルヒの声はなんだかいくぶん震えているように聞こえた。
「そばにいて……」
俺はさ、三年後のお前と出会い、そして、無理やり非日常の世界に頭の先までどっぷり浸ってるのさ。
お前が望んだ宇宙人と未来人と超能力者に囲まれて、しかし、それを一番望んでるお前がまったく蚊帳の外ときてる。
あたふた引っ張りまわされるはいつも俺たちで、お前はやりたい放題だし、気づきもしない。
しかし、佐々木や周防九曜、天蓋領域との一件以来、古泉の説によるとお前はお前の異能に、どうやら感づいてきてるみたいだし、覚醒しようものなら世界が破滅に向かうようなんだ。
「……やれやれ」
まったく困ったもんだ。
あげくにそんなハチャメチャの非日常が嫌いじゃないんだな、俺自身が。
三年前の涼宮ハルヒ。俺はどうやらお前に恋してる。
俺は、お前が、好きだ。どうしようもなくか弱く、幼く、世界から孤立するお前を守りたい。
たった一人で世界に抗うお前の傍で、なんにできないかもしれいけれど、俺は傍にいたい。
お前は三年後のお前とは違う。俺を必要としてくれるのは今のお前なのかもしれない。
しかしだな、これは憐憫なのかもしれないとも思うんだ。
失礼だよな、憐憫なんかでお前の傍にいるなんてさ。
俺も、相当ひねくれてるな。すまんな、こういうものの見方しかできないんだよ。つまらんいい訳でもしなきゃな、ここから離れられないんだよ。
本当に、本当に、できるならお前の傍にいたい。
しかし、俺にはどうすることもできん。俺の存在がこの場所にいてはいけないらしいんだ。
当たり前だよな。俺は三年後の俺なのだから、現にこの時間平面には中坊の俺がいるんだし、だから俺は戻ることにするよ。
[時間がない。戻らなければ次元断層の亀裂が修復できないほどに拡がる。そうなればわたしにも修正できない]
長門の抑揚のない声が脳裏を過ぎった。
どうやら寄り道を許してくれたのは長門らしい。
「いかなきゃならん。俺は涼宮ハルヒ! お前を……」
「ジョン!! スミス!! 忘れたら許さないから! 忘れないで!」
大声で叫ぶハルヒを置き去りにして俺は走った。
グラウンドを横断した時、一度振り返った。振り返らずにいられなかったんだ。
立ち尽くすハルヒが霞んで見えた。
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