第42話 人であるために㉒
薄暗い倉庫にぽっかりと浮かぶ穴が真っすぐに静流を捉えている。
それは『死』だ。
彼我の距離は10m。
銃の扱いに慣れない素人ならば容易に外すこの距離も、補正デバイスが山のように積まれ、衛星にすらリンクするFSが外すはずが無い。
奈落の底のような銃口が火を噴いたとき、それが自分の最期。
衛星にリンクさえしてくれればアリスのハッキングで何とかなるのだが、さすがに屋内戦で衛星にリンクするほどおつむは弱くないだろう。万事休すだ。
安斎との通信によると支部のほうも襲撃に遭っているみたいだが向こうには天田ルルがいる。万が一にも敗北は無い。それだけが心の救いか。
『チェックメイトだね』
「そう、だな……」
先ほどからインカムを通して、発砲許可を求める楓の悲鳴のような声が聞こえてくる。
せめて彼女だけでも逃げられるよう、出来るだけ口を動かさずにマイクに向かって「絶対に撃つな」と何度も言い聞かせた。
ぼんやりと薄闇に浮かぶ鈍色の巨人。その無機質な鉄仮面が嗜虐的に嗤ったような気がした。
スロモーションのようにゆっくりと引き金が引かれる。そして――――
――――――――させるかぁ~~ッッ!!!!
突然、何かがFSの伸ばした右アームに激突する。
ほんの僅かだけFSのアームがグラリと揺れた。
―――――ドンッ
同時に化け物銃が火を噴く。
僅かに逸れた銃弾が静流の横を掠めて外壁を食いちぎった。
鼓膜から伝わる衝撃波に平衡感覚をやられて崩れ落ちる。頬に感じるコンクリ床の冷たさが場違いに心地よかった。
「何……が……?」
染みが広がるようにボンヤリと鈍い視界の中、それでもなお明確な輪郭を保っているのは明らかに動揺しているFSの機体と、そして、守るべき少年の、少しだけ頼りない背中。
間違えるはずが無い。アキラだ。
アキラは、抱えていたダンボールの荷を『力』でFSに投げつける。それを物理攻撃とみなしたFSのサポートAIが自動回避を起動させた。
「アキ、ラ…… どうして……」
静流が茫然と呟く。
FSの自動回避に反応しなかったという事は、先ほどの突撃は視覚デバイスの補足外からの生身の特攻、ショックを和らげるためか加重のためか荷物を抱えていたようだが、FSのスペックを知っている静流に言わせるならば自殺行為だ。
だがアキラに躊躇いは無い。
薄闇の中、ギラギラと燃えるその双眸を景山に向けながら、アキラは衝動のままに吼えた。
「僕が守るんだッ! そのために、僕はメビウスに入ったんだッ!!」
ふいに涙がこぼれそうになる。
なぜ逃げてくれなかった。敵がこちらに気を取られている今、いくらでも外へ脱出する機会はあったはずだ。
なぜここにいる。勝てるわけがないではないか。
「逃げ、ろ、アキ――」
「絶対に嫌だッ!!!」
多少の動揺があったとしても景山の圧倒的優位は揺るがない。
FSがのっそりと足を踏み出す。1歩、2歩。
『アキラ君、どうやってここに? 手足を拘束していたはずだ。君の『力』で何とか出来るような道具も部屋には無かったはず…… あそこにあったのは……まさか……ッ』
FSの視覚デバイスがアキラの手足をズームアップする。そしてわずかに息を呑む気配。
静流も目だけでアキラの手首を見て絶句した。
『――ッ 正気かい? あの鉄棒を後手に縛ったロープに押し付けるなんて……』
アキラの手首と手の甲がぐちゃぐちゃになっていた。表現ではなく文字通りぐちゃぐちゃである。
水ぶくれとかそんな生易しいものではない。皮膚が捲れ、肉が焦げ、じゅくじゅくと染み出す体液が指先まで伝っている。一部炭化している部分すら見受けられるほどの凄まじい火傷だ。
重度の火傷の痛みは古くから拷問に使われるほど想像を絶するものがあるという。見ればアキラの息は不自然に荒く、首筋から幾筋もの汗が背中に流れ込んでいた。
普通なら戦闘などそっちのけでのたうち回るような傷だ。それなのにアキラはFSという鉄の悪魔の前に一歩も引くことなく立ちふさがっている
絶体絶命の危機に駆け付けた一人の男の背中。夢見る少女のような感覚など失って久しい。それでも何も感じるものが無いと言えば、それは嘘だ。
アキラは問いに答えることなく、無言で『力』を操作し始めた。無数の引き千切れた棚の鉄片が宙に浮かび上がる。
戦闘中には口を開くなという教えをこんな時まで律儀に守ろうとする健気な少年をこんなところで死なせたくないと切に思う。
まるで死神が鎌を振り上げるかのようなゆったりした動作でFSが銃口をアキラに向けた。
「やめて、くれ……」
懇願である。
何も出来ない無力な女の、情けなく地べたを舐める負け犬の、みっともない哀訴だ。
見たくないのだ。この優しい少年の体がはじけるところなど、すぐに後を追う事がわかり切っていたとしても、自身の魂がその光景に耐えられるはずが無かった。
「撃つな……」
『そんなお願い、聞くはずないでしょ?』
「頼む……」
お願いだ、彼を殺さないでくれ。
真っすぐな子なんだ。
臆病で優しく、それでいて曲がったことを許すことの出来ない不器用な子なんだ
こんなところで体に大穴開けて死ぬような、そんな無残な最期を迎える理由なんてどこにもないんだ。
『予定が狂っただけで結果は変わらない。終わりだよ』
「やめ―――ッ!」
声に優越感を滲ませた景山の指が引き金にかけられ、今度こそ引き絞られ――――
―――ガチリッ
金属音と共に引き金が止まった。
『な、なにが――ッ!』
焦った景山がモニター越しに見たのは、トリガーとトリガーガードの間に挟まった金属片。宙に浮く鉄片の一つが死角からセンサーに感知されないほどの低速で挿入されていたのだ。
素手ならば絶対に気付く違和感も文字通りFSの
アキラが不敵に嗤う。呑気にしゃべっていたお前が悪いと言わんばかりの表情で。
『悪魔め、小癪なマネをッ!』
金属片を取り除こうとする景山。
すると銃の横面を、飛来する建材が叩き射線がブレる。
と、同時に挟まっていた金属片がするりと抜け撃鉄が薬きょうを叩いた。
マズルフラッシュと共に襲い来る衝撃波を、アキラは瞬き一つせずにやり過ごす。針の先ほどの勝機がここにあるからだ。
それた弾丸が背後の荷物を粉砕する音を背中に感じながら、アキラが見つめるのはただ一点。
それはガンマニアのクラスメイトに嫌というほど見せられたFSのスタンダードウエポン。丸菱重工製F-S阿型X07の。巨人が手にする25口径化け物銃の……
―――
上部スライドがゆったりと戻るに伴い
―――――今ッ!!
音も無く鉄片がそこに吸い込まれた。
次いで聞こえるのがガチリと金属が挟まった不協和音。
疑似的な
景山にとっては在り得ないと分かっていても、どうしても腔発が頭をチラつくことだろう。
化け物銃の化け物弾丸が破裂するなど悪夢以外の何物でもない。
『くそッ』
銃を投げ捨てた景山が怒りのあまり飛び込んでくるが、雨あられと降ってくる破片や荷物にFSのプログラムと
「静流さん立てますか!? 逃げてくださいっ!」
「何で逃げなかった……ッ 私に構わず逃げるんだッ!」
「絶対に嫌だッ」
「これは命令だッ!」
怒りすら籠った静流の叫びに、アキラは振り返ることも無く、こう答えた。
「拒否しますッ!! 僕は藤枝とは違う! 絶対に守るんだッ!!」
そう言うや否や、アキラは高く聳え立つ、傾いた移動棚に目を向け雄叫びを上げた。
「オオオォォッ!!!」
「何をするつもりだ!?」
メキョっと不吉な音が鳴り響く。
命がけの追いかけっこで散々破壊された移動棚、高さ10mにも届くその巨大な構築物に無傷のものはもうほとんどない。建材は千切れ、あるいは折れ曲がり、FSという汎用兵器が持つ破壊力を思い知らされる。
だからこそアキラは叫んだ。
そうして傾いた棚の一つ、その下に銃を捨て足止めされたFSがいる。
「無茶だアキラ! 何を考えている! レベル2のお前にそんな力は無――――」
「あああああぁァァ~~~~~ッ!!!」
その事実に静流が目を剥いた。
棚がゆっくりと、しかし確実に傾き始めている。
有り得ない。なんだそれは。なんだその力は。
静流が知るアキラの力ではない。レベル2のサイキックが他の物体に作用させられる力など、せいぜいが本人の筋力と同程度のものでしかないはずだ。直接相対すると、全方位から石が投げられる程度の脅威しかない能力、それが
破壊されたと言っても、胴回りほども幅のある鉄骨を曲げるような力があるはずが無い。そんな事が出来るのはレベル4以上か、それとも……
「まさか、
棚の上部に積まれていた荷物がパレットごと落下を開始。
凄まじい轟音が倉庫に鳴り響いた。
一つは5キロ10キロの荷物も、数十からなってパレットごと直撃したら、いかにFSとて無傷というわけにはいかない。
気付いた景山が回避行動を開始しようとするがもう遅い。
高さ15m、幅数十mにも及ぶ大波が、まさに今頭上からFSを押し潰さんと襲い掛かってくる。
『くそ、こんなッ、アアアアァッァァァ~~~~ッ!!』
咆哮、いや、断末魔か。
雪崩を打ったように崩れ落ちる荷物が景山に殺到。
もがくFSに容赦無く降り注ぎ、そして棚が倒壊。
耳をつんざく大轟音と共にFSは下敷きとなり、そして沈黙した。
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