第40話 人であるために⑳

「楓、熱源探知サーモに反応は……?」

『何かが燃えている反応がありますが他は不明瞭です。遮蔽物が多すぎます』

「わかった。私は今から奥に向かう。目視を前提とした位置取りを頼む」

『了解です。気を付けて』


 インカムの通話を終えて、非常灯の灯りだけを頼りに静流が駆け出す。

 靴底の構造が特殊なブーツを履いていて、足音はほとんどしない。しかしあくまで「ほとんど」だ。漫画や映画の世界ではないのだから、完全な無音というのは戦闘のプロである静流にも無理な話で、もし敵が聞き耳を立てていたらある程度の捕捉は覚悟しなければならない。

 静まり返っているこの広大な倉庫内から人の気配を察知するのは難しい。敵がどこにいるかわからない以上、スピードを犠牲にしても隠形は解くべきではない。

 何かが燃えている反応があるというだけでそれは人がいるという事だ。 

 すると突然、凄まじい悪寒に襲われた。うなじがピリピリと痛み、全身の産毛を逆立てる。


 嫌な予感がする。匂い? 音? いや、違う。視線だ。

 何かがこちらを見ている。すでに自分は認識されている。このまま立ち止まるのはマズいと、勘と経験が知らせてくる。

 すぐさま移動を開始。退路を確認しながら倉庫の移動棚に放置された荷物の影を縫うようにして進むと、遠くに非常灯以外の光源を発見する。一斗缶と燃える炭。


 

「ビンゴだ……」

『静流さん! 熱源反応アリ! これは、うそでしょ……っ』

「どうした楓、何があった……」

『静流さんすぐに退避をっ! 走って! 罠ですっ!』


 瞬時に静流は来た道を走りはじめる。なぜ楓が焦っているのかわからないが迷いは無かった。

 楓は感覚強化のレベル3。鷹の目を持つスナイパーであり、いくつもの修羅場を共に潜り抜けて来た戦友である。ここぞという一瞬で信頼できない相手とバディなど組んでいられるわけがない。

 あと数歩で出口というタイミングで静流が叫ぶ


「楓! 何があったんだ! 敵は何だっ!」

FSフルメタルスキンですっ!!!』



―――――ズガンッ



「なっ―――」




 瞬間、移動棚が吹き飛び、出入り口が破壊される。

 瞬時に荷物と鉄柱で強固なバリケードが築かれ、静流は退路を失った。視界の端にギラリと光る何かが映る。FSフルメタルスキンだ。

 つんのめるようにして急停止。

 そして止まると同時に、直感だけを頼りに棚の影に飛ぶ。

 


――――ドンッ ドンッ


 

 一瞬前まで静流がいた場所、床が抉られ破片が爆散した。0.1秒に躊躇したら死ぬ。それが戦闘だ。  

 ガコンと床に落ちる薬莢の音がやけに重く低く響く。撃ってきた。しかも威嚇などするつもりは無く、最初から殺すつもりでだ。

 その姿を確認もせずに静流は全力で走る。捕捉されたら一巻の終わりだ。

 微かな駆動音とモーター音が背後に迫る。

 後ろを少しも見ることなく、静流は棚の隙間から向こう側の通路へと飛び込んだ。



――――ドンッ



 腹に響く重低音と共に、外壁に拳が入りそうなほどの大穴が空く。

 冷や汗どころではない。全身の毛穴がかっ開き、汗だか脂だかわからないものが噴き出す。

 一つ判断を謝れば次の瞬間には挽肉だ。

 

「なんでこんなところにFSエフエスがいるんだっ! しかもいきなりぶっ放してきやがった! あれに景山が!?」

『しかも制圧モデルです! 動きが速いっ!」

「支部長! 近隣での特警の作戦が無いか確認をっ!」

『わかった』

『静流さん無茶です! 戦う気ですかっ!?』

「逃げるさ! 見逃してくれるならなっ!!」


 叫びながら疾走する。そしてチラリと後ろを振り返った。

 そこにいたのは身の丈4mの鉄の巨人。市街地区で運用される殺戮のための強化外骨格、鈍色に輝く現代の悪魔。

 対テロ制圧兵器としては最強の鎧であり、鉾である。

 視覚に頼っていたら死ぬ。いま一番信じるべきは自分の勘だ。

 物陰で震えているわけにはいかない。敵の武器は棚の荷物などいとも簡単に抜けてくるし、隠れていただけでは数秒後にミンチが完成する。

 それにアレが制圧モデルだとすると、通常兵装として熱源探知サーモを装備しているはずだ。灯りの乏しいこの状況ならば向こうが圧倒的に有利。

 いや、たとえここが明るい屋内だとしても状況は変わらないだろう。鉄の巨人に生身の人間が挑むなんてただの自殺だ。


『静流さん近いっ!!』

「わかってるっ!!」


 棚の間を行き来しジグザグに走って射線から身をかわす。

 こうなれば視認性は0に近い。距離感を掴みにくい熱源探知サーモが敵の目だ。

 唯一の出入り口は破壊された。商業用倉庫だから手の届く高さに窓は無い。突入前、頭に叩き込んだ倉庫の見取り図が静流に絶望を告げる。

 

―――ドガッ


 至近距離を死神の鎌が通り過ぎていく。鼓膜が盛大に揺らされ、脳がグニャリと波打った気がした。

 前方、棚の鉄柱が喰いちぎられて棚が傾き、荷物が雪崩を起こす。凄まじい轟音と共に大量の埃が舞い上がった。


『静流君、残念ながら特警ではない。識別不能機体アンノウンだ』

「ああそうだろうさっ!!」

 

 どうしたらいい。どうしたら生き延びれる。走りながら静流は思考する。

 まず最初に浮かんだのは消耗戦だ。

 あの化け物銃の弾を撃ち尽くさせればいい。2時間粘れば流石に警察が駆け付けるだろう。

 そこまで考えて静流は首を振った。

 このまま逃げ切れるのはせいぜい10分程度だ。今やっているのはマラソンではない。命がけの追いかけっこだ。既に全身から汗が吹き出し呼吸も荒く乱れてきている。

 弾数だってどれだけストックがあるか未知数だし、弾切れを起こしたとしてもその後は悪夢の肉弾戦が待っている。未来予知の静流にとってはむしろそっちの方が厄介だ。


「チィィッッ!!」


 『勘』が警鐘を鳴らす。反射的に横に飛んだ。瞬間、静流がいた場所を衝撃が駆け抜ける。

 着弾音。

 飛んできた破片が肩を抉って血が零れだす。

 痛みは無い。感じている余裕が無い。


 このままではもたない。ならば戦うしかないのか。

 静流が装備しているライジング二二式は確かに強力だが、FSの装甲を抜けるほどではない。

 剥き出しのセンサー類ならばあるいは破壊できるが、高速で動き回るFSのソレを狙うのは至難の業。FSは戦闘兵器だ。だからそういう設計がなされている。そうそう映画のように都合よく弱点が剥き出しになっていたりはしないのだ。 

 

 閃光弾を取り出し適当に放った。目を閉じ口を開く。そして凄まじい音と閃光をやり過ごして距離を稼ぐ。

 この程度でFSのセンサー群は死なない。

 アレを止める可能性があるとすれば楓の鉄鴉ヤタガラスしかない。 


「楓、狙撃できるか!?」

熱源探知サーモで捕捉はできますが障害物が多すぎます! 視界ゼロからは……っ!』


 牽制で弾をバラ撒くわけにはいかない。いくら楓が百発百中の狙撃手だとしても、外壁や棚、そして荷で衝撃を殺され、弾道を逸らされてなおFSの装甲を削り、更には主要部分まで破壊するなど不可能だ。

 音源、弾道、熱源。

 FSは単体でそれらを解析し、スナイパーの居場所を特定することが出来る。そうなれば即座に報復射撃の雨あられ、楓など一瞬で食い散らかされるだろう。 

 楓の死イコール自分の死だ。許されたチャンスは一度しかないのだ。


「目視可能領域は!?」

『東側の壁の隅なら見えます! そこならば喰えますっ!』

「よりによって壁際か……っ!」


 壁際に追い詰められる自信があっても追い詰める自信は全く無い。逃げる方向も特定された状態で逃げ切る自信もまた無い。

 しかしそれでもやるしかない。

 ヤツをそこまで誘導するしか自分に生きる道は残されていないのだ。 

 無駄な思考を止めろ。無駄な動きをそぎ落とせ。今はそれだけを考えるんだ。

 ヤツを東側の壁に誘因する、頭の中でただそれだけのプランを組み立てながら静流は飛び出す。

 そして牽制がてら、ありったけの銃弾をバラ撒きながら即座に移動を開始した。

 


「楓! チャンスは一度、出来て一瞬だ。頼んだぞ!」

了解ラージャ!!』





―――――――――――――――――





 地面を振動させる衝撃と轟音でアキラは目を覚ました。

 漫画ではぼんやりと意識が戻ってくる描写があるがあれは嘘だ。

 突然覚醒し、突然意識を取り戻す。状況が呑み込めずに混乱するが視界は至ってクリアだった。

 何かの能力で壁に叩きつけられて、それからどうなった?

 景山は? あの影のような男は? そしてFSは?


「そうだ、静流さん……痛っ!」


 右肩に痛みが走る。

 けがの程度を把握するため、恐る恐る肩を動かしてみるが、骨が折れているわけではなさそうだ。

 両手両足は相変わらずロープで固定されているが体の異常はそれだけだ。状況を把握するため痛みに耐えながら周囲を確認する。


「ここは……」


 まるで牢獄のような部屋だ。

 一切窓が無く、外の光は当然の如く入ってこない。天井に吊るされた年代物のランプが煌々と焚かれ、オレンジ色の炎が揺らめいている。

 そして部屋の隅には一斗缶、その中には昏く燃える炭と鉄の棒。何となくキャンプの夜を思い出すような頼りない灯りが異様に不気味だった。他には何もない。それ以外の物は何もない正方形の殺風景な部屋。

 

 そして酷い臭いだ。

 香水を噴きすぎた年増の匂いとも違うし、パチンコ屋から不機嫌そうに出てくる、タバコの煙が染み込んだ壮年とも違う。

 ガスが漏れているとか、ゴミ屋敷のすえた臭いとか、そういう種類のものではない。

 それを表現するのならば、糞尿。臓物。そして脂が焼けた匂いだ。


「ここは、もしかして……っ!!」

「気ガ付イタカ」

「――っ!!」


 【影】が目の前にいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る