第38話 人であるために⑱

「君も今日は大変だったね。屋島のほうだったかい?」

「はい、なんかすみませんこんな遅くに送ってもらっちゃって……」

「気にしなくていいさ。この時間になると渋滞も無いし早いもんだよ」


 そういって景山が人の好さそうな笑みを浮かべた。

 黒いミニバンタイプの車内、エリート然とした景山とはイメージの違う車種に、同居人のモンスターマシンを思い出したアキラがふふふと笑う。

 たったそれだけの動作で痛みが走り、アキラは思わず顔を顰めた。

 小一時間前までバラストの上で馬乗りになって殴られていたのだ。この程度で済んで良かったと喜ぶべきところだろう。


「しかし酷くやられたもんだね。いつもこんな危ない目に遭ってるのかい?」

「いや、いつもはこんなこと…… 前の事件はもっと酷かったかも……」


 事件という事件はこれで2度目である。前回は藤枝に徹底的に痛めつけられ、ボロきれみたいにされた挙句、気絶して入院だった。殺されても不思議ではなかったし、それをされなかったのは藤枝の気まぐれだ。

 そして今回はこれである。普段が残念な同僚に囲まれて過ごしているせいか、そんな大変な目に遭っている感覚が無かったのだが、思い返してみると戦績は散々たる結果だ。

 思い出して凹んでいるアキラを横目で見た景山が呆れた様に笑った。


「中々エキサイティングな少年時代を過ごしているね。あ、音楽聞いていいかな?」

「あ、ハイ。全然、お構いなく」


 オートドライブモードに切り替えた景山が、ナビのディスプレイをタップして曲を選んでいく。

 現在はほぼ全ての車種がオートドライブモードを搭載しているが、運転者がハンドルを放すかどうかは全く気分次第だ。ならば自動運転に何の意味があるのかと静流に聞いた事があるが、その答えは『飲酒しても車に乗って帰れる』というどうしようもないものだった。 

 水分はビールから補充するものと思っている彼女にとってはさぞかしメリットのある機能だと思いきや、実はあのド派手な車にはオートドライブが搭載されていない。ガルウイングより先にそっちだろうというアキラの正論に彼女が納得する気配は今のところ無い。

 景山が選曲する向こうで勝手に動くハンドルをぼんやりと眺めていると、車内にクラシックが流れ出す。

 洋楽を聞いていそうだと、勝手なイメージを持っていたので少しだけ意外に思った。 


「マーラーだよ。聞いた事があるかな? 彼はいい。感情に素直だ。自分の感性と解釈を信じ迎合を憎んだ本物の職人だ。そう思わないかい?」

「え、と…… 正直わからないのでなんとも……」


 何となく気まずい沈黙が車内に満ちる。といってもそう思ってるのはアキラだけで、景山は終始満足気に目を瞑って音楽に聞き惚れていた。

 ネオンがギラつく商業区を超え、寝静まった住宅街に差し掛かった頃、名前も知らない曲が終わる。

 そして前曲の余韻を残した曲間、景山はアキラに向かって問いかけた。


「君はどうしてメビウスへ?」

「僕は、ええと……」


 言葉に詰まったタイミングで次の曲が始まり、冒頭の弦楽器で間を繋ぐ。

 能力者になった。他の能力者を助けたかった。強くなりたかった。

 明確な想いは在った。しかしそれを説明など出来るわけがない。能力者はその存在自体が機密事項だ。


「何か言えない理由でもあるのかい?」

「い、いや、そういうわけじゃないんですが……」

「メビウスはどういう基準で人を雇うんだい? 第三セクターだというのに人事が介入出来るのは公安からの出向だけ。かといって一般募集も行っていない。大人でも面接すらしていないというのに子供の君がなぜバイトで入れるのかな?」


 あまりにも直球で答えにくい所を抉ってくる景山に、実はこの人は知っているんじゃないかと内心ビクビクするアキラ。

 言っていい事と悪い事がイマイチわからない以上、何も答えるわけにはいかない。巧みな話術を持っているならば上手くはぐらかす事も出来るだろうが、そんな事も出来そうにはなかった。

 だからアキラが言えることは一択だ。


「あの、機密事項というか…… 正直僕もわからない部分が多いですし……」

「本当に機密が多いね君たちは」

「…………すみません」


 またもや車内に沈黙が落ちる。

 バイパスを抜けてトンネルへ。このトンネルを抜けて数キロ進むと普段アキラ達が暮らす学園都市エリアに入るのだ。

 前時代的なオレンジ色のトンネルの照明がせわしなく車内を照らす。

 そして光の色がオレンジから街灯の白へと切り変わる直前、景山が前を向きながらボソリと呟いた。


「僕は知っている。君たちは能力者。人の理を外れた存在だ」


 目を剥いて景山を見る。

 フルートと共に静かに始まったモノローグがやけに寒々しく聞こえる。

 景山はクツクツと笑いながらアキラの方を向いた。


「熊田竜也もそうだったんだろう?」


 瞬間、背中をゾワリと悪寒が走った。と同時に首筋が痒くなるような焦燥感と強烈な違和感に襲われる。

 何かを見落としている。それだけは確実なのに、何を見落としているかがわからない。もうパズルは完成しているはずなのに、別のピースが紛れ込んでしまったような異物感。

 

「知って、いたんですか……? 僕たちの事……」

「ああ、今の部署の中でも僕だけがね。ちょっと縁があって調べたことがあるんだ」


 愉快そうに笑う景山の姿に、胸の中のざわめきが加速度的に大きくなっていく。

 虐げられた能力者たち。

 不可解なサイト。

 彼らが願ってやまなかった同じ境遇の友人達と、彼らを繋ぐコミュニティ。

 そして次々と彼らを襲った悲劇。

 

 自立し、社会的な居場所を築いていた大人達のなかで、はたしてあの男、熊田は仲間として被害者達に受け入れられたのだろうか。

 選民思想に目覚め、権力に頭を垂れる同朋すら『敵』と言い切り、自分の世界から出ようとはしない幼稚で自己中心的な男が、大人たちと対等に話が出来たのだろうか。


「ちなみに君のところの管理官、井川シオリは僕の大学の後輩だよ。優秀な子だった。そして可哀相な子だったよ。行方不明の兄を探すためだけに人生を捧げて」


 景山の言葉はもう耳に入らなかった。

 クライマックスへと向かう弦楽器と管楽器の壮大な旋律が、これから垣間見えるであろう真実を暗喩するように高々と鳴り響く。

 事件を形作る砕けた破片を反芻し、一つ一つを繋ぎ合わせて見えてくるもの。それは……

 後方に流れゆく景色が急速に色を失っていくような気がして、アキラはやっとの事で言葉を絞り出した。


「なんで…… なんで熊田の名前、知ってるんですか……?」



 なぜ景山があの男の事を知っているのか。なぜ熊田の名を知っているのか。

 あのサイトから『佐藤』に行きついたのもメビウスなら、その佐藤が熊田である事を特定したのもメビウスだ。

 そう、まだ警察は熊田に行きついていない。それなのに―――




―――それが俺の『領域支配』テリトリーなんだよ! 半径20mは俺の領域だ! 俺の王国だ! 誰も認識出来ない! 誰も近付けない! 俺の望んだものしか俺の領域には入れないし認識できない!





 それなのに、なぜ……

 景山さん、あなたはなぜ……



「なんで、熊田の領域支配テリトリーに入ってこれたんです……? なんで、熊田を銃撃することが出来たんですか……?」



 カラカラと、景山は無邪気に笑った。

 名も知らぬオーケストラが、雄大に、そして力強くフィナーレへと旋律を紡ぐ。

 おどろおどろしく鳴り響くティンパニーをバックに、街灯の光を浴びてヌラリと光るメガネの奥に理知的な狂気の炎がくすぶっている。

 


「なんでって、わかるだろう? そういう事だよ」



 いつの間にか景山が棒のようなものを握っている。

 街灯に邪魔される断続的な暗闇の中で、その棒が青白い火花を散らす。

 そしてラストを飾る金管楽器に歩調を合わせる形で、バチバチと無機質に鳴った。





―――――――――――――――――――ー



 




『景山徹、29歳。独身。両親は共に官僚で、大戦時、母親は東京で行方不明となり、男手一つで育てられた。中学高校と優秀な成績を修め、人望も厚く、首都磐城大学に現役合格し卒業後に入庁。志望動機は『正義を貫くため』とある。天童警察署副署長を経験後、本人の希望により現場に異動。肩書は課長補佐だ』

「支部長、調べれば簡単にわかるような事はいい。何か他に情報は無いのか!?」

『いつもの通りだよ静流君。御上から降りてくる情報などたかが知れている。申し訳ない』



 ポータブルマイクに向かって静流が声を荒げる。

 そして、もう何本目かになるかわからないタバコを乱暴に押し潰してから苛立ちを隠さずにアクセルを踏み込んだ。


 完全に除外していた。一連の事件は能力者の犯行だという先入観に捉われ過ぎて疑うべきを疑わなかった。

 感じていたはずだ。現場での違和感を。

 儀式めいた一連の事件とは一線を画する外国人親子の殺害事件。あまりにもよく似ていて、そしてあまりにもかけ離れていた。


 

 誰が運営しているかも定かではない謎のサイト。都合良く横のつながりなど無いはずの能力者の間にだけに流れる口コミ。まるで能力者だけが罹患する伝染病のように広がり、かつ管理側の能力者には一切の接触も無いという情報管理の徹底ぶり。

 そしてその繋がりで起きた多くの事件と悲劇。

 二人を繋いだものは何だ。被害者たちが語る『アレ』とは何だ。

 この事件はトチ狂った木っ端能力者の暴走なんていうチンケな事件では無い。 


 何か大きな流れがある。見えない何かが蠢いている。

 誰かが書いたシナリオの演者として熊田も自分たちも、そして『奴』も踊らされている。これは序章だ。このままでは絶対に終わらない。

 最早それは確信に近い。静流の『勘』がここに来て最大級の警鐘を鳴らした。

 ゾワリと肌を舐める悪寒に身を震わせるのは一瞬だ。

 底なし沼に足を踏み入れたとわかっていても、今は目の前の敵を殲滅しなければならない。



「クソっ 背後関係は無いのか? 思想団体との繋がりは? 東京租界との接触でもいい! 何か手掛かりになるような事は―――」

『静流君、落ち着き給え。今のところは何もない。叩いてもホコリ一つ出てこない。おそらくはそっち方面からのアプローチは難しいだろう』


 静流が歯ぎしりしながら交差点を外苑方面へとハンドルを切る。

 アキラの端末信号が途切れてから数十分経過している。最後の発信源に到着した時、静流の目に入ったのは打ち捨てられたアキラの端末だった。

 13歳以上の国民ならばTI端末の所持を義務付けられている現代日本で、何も無く端末を道路に捨てるなどという事は有り得ない。このタイミングでこうも都合よくアキラの足取りがわからなくなるとすれば理由は一つしかない。アキラは拉致されたのだ。

 そして今は周辺の道を手あたり次第くまなく走り回っているが、当たり前のように手掛かりなど一つも無い。

 助手席に座る楓が、烈火のように怒り狂う静流に若干怯えながら口を開いた。



「安斎さん、景山は絵に書いたようなエリート街道をひた走っていたのに、なぜ突然現場への移動を希望したのでしょうか?」

『はっきりしたことはわからない。しかし、景山が異動する直前、天童署管轄であの「天人法教事件」が起こっている。彼が妄執と言っていいほど執拗に能力者を狙っていることを考えると、もしかしたらその事件に関係があるかも知れん』

「天人法教事件…… それって東京租界出身者によるテロ事件ですか?」

「表向きはな。まあいい。ヤツの動機は後でじっくりテレパス部隊に穿り返させればいい。今はヤツがどこに向かっているかだ」


 静流がタバコに火をつけ、いつも以上に煙を深く吸い込んだ時、端末がメッセージの受信を告げる。

 タバコを咥え、ハンドル片手に端末を操作すると、そこには『じゅんびOK ありすにまかせて!」の文字。

 


「支部長、アリスはそこにいるな? オープンサウンドにしてくれ。アリス、聞こえているか?」 

『うぇい!』

「景山は車で移動している。アリス、電子戦魔法少女のお時間だ。《ビッグアイ》にアクセスして車両を洗え。特定し次第衛星にリンクし補足しデータを私の端末へ転送しろ」

『あいま~む!!』

『おいおいおい、一体どれだけの越権をやらかす気だね?』


 どこか疲れたような安斎のため息。端末越しに頭を抱える姿が透けて見える。

 しかし静流は躊躇わないし遠慮もしない。なぜなら彼女は知っているからだ。 


「支部長」

『やりたまえ。尻拭き職人の腕の見せ所だ』


 安斎が二つ返事で覚悟を決める事を。

 静流は再度、深々と紫煙を吸い込む。

 そして魂までも抜けてしまうほど深く息を吐いた時、静流の顔がまるで獣のように獰猛に歪んだ。


『無事終わったら大人なお店を奢ってくれたまえ』

「ルルさんの決済が下りたらな」

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