第37話 人であるために⑰

―――タンッ


 薄闇の中、マズルフラッシュが瞬く。

 軽く乾いた音が鳴り響き、直後、バラストに落ちた薬莢がカラリと澄んだ音を立てる。

 アキラが目を見開いた。


 胸に空いた穴からドクドクと血があふれ出す。

 ただ呆然とソレを見下ろし、そして、自分を撃った男を信じられないモノを見る様な顔で数回瞬きをして……


「カ……ヒュッ…… キュ、ピュぉぉっ……ぶぇぇぇっ」


 喀血した。

 咳払いのようなものに始まり2度3度。

 胸を掻き毟り、必死に空気を掻き込んで、酔っ払いが吐瀉物を撒き散らすみたいに盛大な吐血の後

 そうして出来た自らの血溜まりに、熊田は・ ・ ・顔からべちゃりと倒れ込んだ。

 

 タバコの煙よりか細く弱々しい硝煙が、銃口よりうっすらと立ち上っている。

 たった今、熊田を撃ったであろう銃を握りしめた男は、荒く息をつきながら叫んだ。


「アキラ君! 大丈夫だったかい!?」

「か、景山さん…… どうして……」


 眼鏡の奥に潜む目がギラリと光る。

 景山は熊田に銃を向けたまま油断なく近づき、熊田が取り落とした銃を遠くへ蹴り飛ばした。その手慣れた様子に感心すると同時にアキラは少しだけ恐怖を覚える。

 胸部への銃撃。一瞬見ただけだが熊田はおそらく致命傷だ。


「『どうして』って何言ってるんだい? まだ駅じゃ大騒ぎだよ。電車も止まったままさ。ただ事じゃない雰囲気だったから追いかけてきたんだ。これでも僕は警察官だからね。それにしても間に合って良かった。酷い怪我だ」

「ご迷惑を……、でも大丈夫なんですか……?」

「ん? ああ アイツの事かい? 君を撃とうとしていた。問題無いさ。それにしても……」


 戦前とは違い、緊急性が高いと判断される場合、警察官が威嚇射撃も無く銃撃することに批判を向ける者は少ない。結果として容疑者が死ぬことになっても正当業務行為として処理されるのが普通である。

 そこらじゅうに設置された監視カメラで客観性が担保される事もあるが、毎年少なくない国民がテロの犠牲になっている事もその背景にあった。

 景山が、人のよさそうな表情を曇らせ、眉根を寄せた。


「なんであんな無茶したんだい? 君たちには君たちの事情があるんだろうけどあれはやり過ぎだ。まあとにかく大事にいたらなくて良かった」

「はい、す、すみません……痛っ」

「無理して起きなくていいって。多分自分が思ってるより結構酷い怪我してるよ? 救急車を呼ぼ――― ん? 何だ? 誰かこっちに走って来る……」 

 

 車両基地倉庫に、アスファルトを擦る甲高い音と共に車が突っ込んできたと思ったら、車から降りた人物が一目散にかけてくる。

 アキラはそちらに目を向けなくても誰かわかってしまった。心配をかけて申し訳ないという思いと、結局何も出来なかった自分の無力を思い知り悔し涙が目に浮かぶ。


「アキラ! 無事かっ!」

「もやしっ! 無茶するなってあれほどっ!」

 

 悲鳴に近い怒声に凶悪なほど安心感が込み上げる。

 聞きなれた仲間の姿を確認したアキラは、プツリと糸が切れたように瞼を閉じた。




――――――――――





「協力に感謝する」

「ここまで秘密主義ってのもどうなんですか。こう言っちゃなんだけど、ウチらの中でメビウス評判悪いですよ?」

「ああ。知っているよ」


 景山も静流もその顔に苦笑を浮かべている。

 多少の腹の探り合いはあるものの、それ以上の雰囲気はそこに無い。二人は大人で、自身の領分というものを持っているし、無理やり首を突っ込んだとしても良い事なんて多くは無い。

 一通りの蘇生措置だけ施された熊田が、意識不明のまま担架に乗せられた。刑事ドラマのように、赤色灯を炊いた車が集まる事も無く、ただひたすら地味な白いワゴンが車両基地入口に乗り付けられていた。


「申し訳ないが機密事項だ。納得してくれとは言わないが流してくれると助かるんだが……」


 細めた目が向かう先、白いワゴンは熊田が乗せられると、仕事は終わりだと言わんばかりに容赦なくドアが閉められる。

 銃撃戦とまでは言わないが、まがりなりにも警察官が発砲したのだ。もう少し騒ぎが有りそうなものだが、そういった雰囲気はまるで無い事に違和感を感じる者は多くない。

 警察官が発砲することについて、そもそもの風潮が緩やかな現代なのだが、さらに今回は国家機密の領域だ。誰もが目を背け、何も無かったと思い込むうちにそれは本当に何も無かった事になっていく。

 良いか悪いかは別として、現代日本においては決して珍しい事では無かった。

 

「知りたいか?」

「知らなくて良い事のほうが多いって事くらい僕にもわかりますよ。貴方たちのバックにいる丸菱重工に喧嘩売って良い事なんて起こるはずが無い。もうここはあなたがたに任せちゃったほうがいいんでしょ?」

「賢明で助かるよ。それよりアキラ、もう大丈夫なのか?」


 すると、先程目を覚ましたアキラが顔を顰めた。頭と腕は救急パッチが縦横無尽に張られている。

 アキラの怪我は見た目こそ派手だったが深刻な怪我は無く、御門が生体スキャンを行ったが異常も無かったため救急車は呼ばずに簡単な応急処置を行った。戦闘部隊の静流と楓にとって一定レベルの治療は必須のスキルだ。


「あ、だいじょ―――痛っ 大丈夫です。家にも電話かけましたし」

「今度こそ妹さんに殺されるかもな。ホントに一人で帰れるのか?」

「はい、タクシー乗っていいんですよね? だったら大丈夫です。こんな状態で家に帰ったら家族が心配するので帰れないですよ。一足先にマンションに帰って寝てます」


 本来ならば実家に帰るはずだったが、さすがにミイラ状態で家に帰ったら両親が心配するということで、アキラは帰るのを嫌がった。いくら理解のある両親でもこんな状態の息子を見ても口を出さないハズはなかった。アキラが愛されて育てられたのは見ていてわかる。

 そして当の本人は親のこともあるが、何より「絶対妹が発狂して乗り込んで来る」とのこと。兄としてはそれだけは避けたいらしい。


「言いたい事はたくさんあるが今度にしよう。御門が診て異常も無いそうだから問題無いだろうが何かあったらすぐに電話しろ。私は御門に殺されたくない。巻き込まれるのも勘弁してほしい。わかったな?」

「い、いや、殺されるって……」

「お前にはわからないだろうが、あいつはやるよ。そうだろうとは思っていたが、ものの見事にヤンデレだ。お前に何かあったら災害が起きるという認識は持っておけ」


 テレパスは高レベルになると身体の異常の有無まで診る事が出来る。肉体と精神は不可分一体であり、精神を通して体の状態を推し量る事も可能だ。

 

 先程、この世の終わりのような雰囲気で現場に乗り込んできて、見ている者が引くくらい取り乱した御門の姿は、彼女を知る者ならば目玉が飛び出して顎が床に落ちる様な光景だった、

 爪を剥がされ骨を折られ、手足が引き千切られる光景を目撃したとしても眉一つ動かさない闇の使者が、後遺症も残らないただの怪我に動揺を露わにするなど、本部の誰に言っても信じてもらえないに違いない。

 結局、御門はサイコダイブをするため、熊田が搬送される先程の白いワゴンに押し込まれたのだが、完全なる逆ドナドナ状態にさすがの静流も呆れてしまった。


「わ、わかりましたよ…… 足は怪我してないし一人で行けます。静流さんは現場をお願いします」

「ああ、そうするよ。すまないな。刑事さんも後は任せてくれ」

「パトカーを帰した説明をしなきゃいけないので僕も失礼しますよ」


 メビウスは単なる第三セクターではなく、濫用には厳しい制限があるものの、権限的には公安所属の機密部隊である。メビウスが現場を預かるといったら、通常の捜査班は譲らざるを得ない。

 その頻度は全国で起きている事件の数を考えるとごく僅かでしかないが、現場の警察官の自尊心を傷つける程度には強権が発動される。メビウスが現場で毛嫌いされる理由の一つだった。

 



 景山が肩をすくめて現場を後にする。

 アキラもその背中を追う様に歩き出した。


「景山さん、僕はここで。今日は本当にありがとうございました。ご迷惑おかけしてすみません」


 2,3の言葉を交わして二人は別れる。

 余計な衝突が起きないよう、基地の職員出入口を利用させてもらう段取りになっているのでそちらに向かう。

 車両基地を出て高架を一つ潜ると区画整備が進んでいない古い住宅街があった。深夜2時半。あたりは寝静まっているし、この辺で客待ちをするタクシーもいない。

 アキラはため息一つ落としながら歩いて駅前に向かった。熊田を追って思った以上に遠くに来てしまったらしく駅前のタクシー乗り場までは相当な距離がある。


「これで解決、したのかな……」


 少しでも気を抜くと、あの家族の笑顔が頭を過ぎる。

 これで良かったのだろうか。犯人が捕まって被害者が浮かばれるなんて戯言は、残された者達のためにある言葉だ。殺されてしまった彼女たちはもう笑う事もないし、気持ちを伝える事も出来やしないのだから。

 

 おそらく熊田は助からないだろう。辛うじてまだ生きているらしいが、出血量が尋常では無かったし呼吸が止まって時間が経っている。医療知識の無いアキラでもその状態の人間がどうなってしまうのかくらいは想像がつく。

 そして彼の死は、警察官の正当業務行為の範囲としてさして話題になる事も無く消えていくだろう。


「こんなのが、こんな事件がまだ…… 起きるんだろうな…… イヤになる」


 熊田が血走った目で語っていた「俺たちは選ばれた新人類だ」という言葉が持つ恐ろしさにアキラは身震いした。

 人は平等ではない。生まれながらにしてそうだ。神様に愛されたとしか思えないほどの力を授かった天才たちが世の中にはたくさんいる。

 それでも彼等は天才であるが人間である。彼等を表現する言葉として用いられることはあるかもしれないが、自分が別の「種」であるなんて妄言を本気で信じ込む夢想家はそうそういないに違いない。

 

 だが能力者は違う。

 知力や筋力といった物理現象の延長線上ではなく、全く別の次元の理を司る能力者達は往々にして自分を特別な存在だと思いがちだ。そして妄想と願望の果てに、「特別な存在」という認識は「超人」であったり「新人類」、最終的には「神」という認識にまで昇華されてしまう。

 狂人の戯言としか言いようがないが、本人たちは本気でそれを信じているから始末に負えない。


 こうした能力者は驚くほど気軽に残忍な行為に及ぶ事が多い。

 人がアリを踏み潰す感覚と変わらず、人を尊厳ごと踏み躙るのだ。普通の感覚では到底成し得ない事を、至って平静にやってのける。その意味で彼等は彼らの言う通り人間ではないのだとアキラは思う。そうなってしまった能力者は本当の「化け物」だ。


 そして熊田は化け物だった。

 胸から血を流し、信じられない顔で呆然と景山を見た熊田の心境はどんなものだったのか。

 あまりにもあっけない幕切れに、何が起こったのかも理解出来なかったに違いない。下等生物であるはずの人間に彼は狩られたのだ。

 悲しい事にこれは現実だ。熊田のような化け物がいる限り、メビウスの任務が無くなることは無い。


「信じられなかったんだろうな…… 無敵の空間操作ルーラーが負けるなんて」


 しかし、そう思っているのは本人だけだろう。

 能力者が本当に無敵ならば、能力者たちがこんな惨めな管理を強制されたりはしていない。

 

 特別な力を持っていると言ったところで、逆に言ってしまえば特別な力を持っているだけに過ぎない。

 災害クラスとされるレベル5の能力者といえども、毒で死ぬし狙撃で死ぬ。海で足が攣って死んだ者もいるくらいだ。

 能力者達は人類社会が能力者に対し本気で牙を剥いた時、成すすべなく駆逐されるだけの存在である。

 一つでもピースが欠ければ大変な事が起きる成熟した社会において、危険極まりないファクターを孕む彼等は、社会に『生きる事を許されている』だけに過ぎないのだ。選民思想に侵された者ほどこの動かせない事実から目を逸らす。


「能力も何も持たないただの警察官に射殺される。僕たちなんてその程度の存在でしかないのに……」


 何気なくそう呟いたアキラは、唐突に言葉に出来ない猛烈な違和感に襲われて足を止めた。

 何だ? 何だこの違和感は? 

 理由も解らず、突然降って湧いた感覚に戸惑うアキラ。ただ自分が何かを見落としたという強烈な焦燥が背中を焦がす。

 近づいてくる対向車のライトに目を細めながら、アキラはつい先ほどの出来事を思い返す。


 熊田が突然現れた事か? 違う。静流が言うには熊田の次のターゲットは自分だった。何もおかしい事は無い。

 では何だ。能力者の戦闘が結局ただの殴り合いになったことか? それも違う。

 あれは熊田の【領域】だった。それが彼の能力だったし、自分は力を封じられた。一方的に殴られ、絶体絶命のところを景山に助けられた。自分が無力であることは知っているしその結果におかしいところだってない。


―――何だ? 僕は何を間違った? 何を見落としている!?


 手が届きそうで届かないもどかしい感覚に軽く天を仰いだ。

 とても大事な事のような気がする。思い出さなければいけない気がする。 

 だが、気だけが焦って思考が行き着くのは出口の無い迷路だ。思考の海の中、段々遠ざかっていく答えに向かって必死に手を伸ばしたその時



―――パッ パァッ



 軽いクラクションの音。

 ハッと意識を現実に戻すと、すぐ目の前に徐行した対向車が近づいてくる。

 答えが指先からスルリと逃げ出した感覚に落胆していると、車がアキラの脇に泊まり、パワーウインドウが駆動音と共に開けられた。

 そして開けられた窓の向こうには……






―――――――――――――――――






『静流さん、大変です』

「どうした御門、いきなり珍しいな」


 現場に残り、研究所のスタッフと共に現場検証をしていた最中に、突然鳴りはじめた緊急通信のコール。

 何事かと静流が応答したら、抑揚は平坦ながらも焦った様子の御門の声が飛び込んできたのだ。


『熊田の記憶に潜りました。そしたら……』

「お前、いつ死んでもおかしくない人間に深く潜るなとあれほど……っ!」

『聞いて下さい。もう構造が崩れかかってほとんどの記憶が滅茶苦茶でしたが、何とか視れるモノが』


 死んだ人間にサイコダイブは行えない。

 巷に言うサイコメトリーのようなものも行えないが、対象が生きている限り精神を覗くことは可能だ。

 熊田が搬送される白いワゴンに同乗した御門が何とか情報を引き出そうと潜ったのだろう。

 浅い階層から拾う断片的な情報とは違い、記憶に潜るというのは対象の精神と擬似的に同化することである。その最中に対象が死んだ場合、戻ってこれない可能性がある危険な行為だ。

 普段ならそんなことは絶対にしない御門だが、アキラが関わると箍が外れたように無茶をし出す。静流もつい最近それを注意したばかりだったのだ。


『熊田はとある人物と会っていました。その人物は――――」


 電話口から告げられたその人物の名を聞いて、静流は絶句した。


「な、なんだと……?」

『間違いありません。熊田はその人物と接触して――――』

「静流さん! 大変です――っ!!!」


 今度は一緒に現場にいた楓が静流に向かって叫ぶ。

 普段は馬鹿な事ばかりやっている楓の目が本気だった。


「安斎支部長よりご連絡がありました! アリスが熊田のメールの送信先を特定したようです。その送り先の人物は―――っ」

「ふざ、けるなよ……」


 静流が鬼の形相で極大の舌打ちをかます。

 鬼気迫る表情を見た楓が「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。


『静流さん、静流さん聞いてますか!? 今すぐに手配を! アキラ君はそこにいますか!? まだいるんですよね!?』

「いや……アキラは……」


 端末の向こうで息を呑む気配がする。

 喚き散らし始めた端末を無造作に切ってアキラにコールするが、耳に飛び込んできたのは通信不具合か電池切れを告げる機械的な応答。

 静流は端末がミシミシと音が鳴るほど握りしめて吐き捨てる。


「やってくれたなクソったれ……」

「し、静流さん…… もやしは……」

「すぐ出るぞ楓。アキラが―――」



 

――――アキラが危ないっ!





―――――――――――――――――





 アキラが少しだけ驚きながら口を開く。



「あれ? 電車じゃなかったんですか?」



 そして、その人物はその質問に笑みで返した。




 駅前に向かう住宅街の通り、アキラの脇に止められた車、パワーウインドウの向こうの運転席に。

 眼鏡を押し上げて微笑む一人の男。



「もう時間も時間だから送っていくよ」



 若き捜査官。

 景山の姿があった。

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