第36話 人であるために⑯

「死ねばいいっ! 俺を認めない人間は、全員! 一人残らず!」

「そんなことで、そんな理由でっ 人を殺したの……っ!?」

「あぁ?」

 

 熊田がアキラを覗き込むように前のめりになった。先程とは違い、どこか問いかける様な真摯な光が瞳に宿っている。

 踏まれた右腕に体重が掛けられ、肉を割り裂かれるような痛みにアキラは呻いた。


「『そんな理由』だ? テメェは考えた事が無いか? 俺たちは特別な存在だ。選ばれた俺達がなぜクズ共に虐げられなければならないのかを考えたことは無いのか」

「そ、そんなこと…… あるわけない……っ!」


 思わず顔を顰めたのは痛みのせいだけではない。選民主義的思考もここまで来ると滑稽だ。

 能力者といえど所詮は一人の人間で、社会の一員である事を否定など出来る筈も無いのに、ただ人とは違う能力を持っているというただそれだけで人の上位に立つ存在だなんて、おこがましいにも程がある。


 確かに納得がいかない部分が在るのもわかる。普通の人々よりも不利を被っているのは間違いないだろう。

 人は平等だなどと漠然とした理想論を唱えるつもりはないが、それでも社会のルールだと我慢しなければならない事など無数にある。安定的な社会のための犠牲者は何も能力者だけではないのだ。

 

 だが熊田は本気でそう信じているに違いなかった。アキラの返答を聞いた熊田の目から、最後に残っていた理性が消えた。

 

「そうか、テメェもか……。がっかりだよ」

「な、何が……」

「下等種が俺たちを蔑ろにするなんてよぉ、それがどれだけ罪深い事かわかるだろうよ。それでも下等種に迎合するような弱者にはなァ、生きる資格が無い! しょうがないとか、そうしなきゃダメだとか、そんなのは俺たちが口にしていい言葉じゃないっ! 俺たちは新人類っ! 人類より進化した存在だっ! 生態系の頂点に立つべき存在だっ!」


 狂っていた。既にその瞳にはアキラの姿など写っていない。

 拳を振り上げ口泡を飛ばし、熱に浮かされた虚ろな瞳を落ち着きなく彷徨わせるその姿は狂気に満ちている。

 熊田は再度アキラに視線を向けた。そしてアキラを通してアキラではない『何か』を見据えながら、ブツブツと呟き始める。

 

「それなのに…… どいつもこいつもわかってない、 面接すらしなかった企業も、底辺労働者の分際で俺に指図するクズも、俺を舐めた目で見てくる女もっ 下等種が作った基準に何の価値がある、学歴がそんなに偉いってのか!! だがいい。もうやめだ…… 俺は解放されたんだ…… 俺は自由だ! なんでも出来る! 金だって女だって! 俺を馬鹿にした奴らを見返してやるっ!」


 完全に自分の世界に入り込んでいた。

 選ばれた人種であるはずの男が、人気のない深夜の車両基地で、まだ子供でしかない高校生を痛めつけ、バラストに踏みつけながら反抗出来ない相手に語りかける。しかも男が長年蓄積し続けた憤りは、今こうして踏みつけられているアキラではなく、社会という名の漠然とした敵に向けられているのだ。

 弱者が更なる弱者を痛めつける事で得られる満足感を、歪んだ正義感にすり替えている。それは悲しくなるほど空虚な演説だった。


―――こんな奴に、こんな自分勝手な最低な人間に。


 アキラの裡、唐突に怒りの炎が吹き荒れる。許せない。そんな理屈で、そんな理由で。

 


「本当に…… そんな事で、そんなつまらない理由で、カレンさんを殺したのか……」


 熊田の目がスウっと細まった。その瞳に宿るのは、昏く、そして淀んだ優越感と、妄念と我欲を燃料に燃え上がる狂気の光。

 熊田は、アキラを踏みつけている事を今思い出したかのような表情を浮かべ、その頬を喜悦に歪めた。


「あぁ? あのフィリピン人かぁ? 当然だろう? あの女は俺の誘いを断った。この俺のだぞ。たかだかフィリピンパブでちょっと人気がある程度の商売女がっ! 上位種であるこの俺が抱いてやるっつってんのだっ!! 許されるか!? 許されるハズがねえだろっ!」


 アキラが熊田の足首を掴む。


「お前……っ 絶対に許さないっ!」

「何を許さねえってんだクソが! なのにあの女は俺を拒んでおきながら、お前みたいな青臭ぇガキを咥え込みやがった! ショタコンの変態女だ!!」

「ふざけるなっ! カレンさんはそんなことしていないっ!!」

「口応えすんじゃねえよっ!」

 

 アキラの手を振りほどいた熊田が、再度アキラの胸に足を振り下ろす。

 アキラのくぐもった呻き声と、足から伝わる骨が軋む感触に、熊田は嗜虐的に目尻を下げた。


「どうでもいいんだよ! この俺を軽くあしらったのが問題なんだっ! 何だその眼は? ああ!? ……もしかして聞きたいのか? ああそうか、聞きたかったんだなぁ!?」

「黙れ……」


「いやぁ胸がスカッとしたぜ。ガキが『ママーッ ママーッ!!」て泣き叫んでよぉ。何でもするからやめてくれっつって、顔をぐっしゃぐしゃにして泣きやがる。汚ねぇっつーの! 三十路のババアよりガキのほうが具合良いんだからやめるわけねぇだろっつーの!」

「黙れぇェェ~っっ!!!」

「うっせぇん―――だよ!!」


―――ゴッ


 再度響き渡る、肉が肉を打つ音。

 上半身を起こし掛けたアキラが再び地面に沈む。 

 熊田がニヤニヤと歪んだ笑みを浮かべてアキラを見下ろしている。

  

 何発殴られたかわからない。下手したら死ぬんじゃないかと思う。

 鼻血が止まらないし、口の中はどこもかしこも切れている。

 脳震盪で目が回っている上に、目の上が切れて左の視界は失われてしまっている。

 体に力が入らない。能力も使えない。もうこの状況をひっくり返すなんて無理だ。ひっくり返すどころか、反撃できるかどうかも怪しい。

 詰んでいた。おぼろげに、このまま殺されるのだとアキラは思う。


―――だけど……っ!


 満身創痍のアキラは、意地だけで首を動かし熊田を睨み付けた。その瞳には怒りとも憤りとも別の、荒々しい激情が燃え盛っている。


 譲れないモノがあった。絶対に。何があっても。たとえこれから殺されるのだとしても。

 プライドではない。誇りや正義感でもなければ、信条や倫理観ですらない。

 それは『意地』だった。


 絶対に屈しない。絶対に認めない。

 認めたら負けだ。こんな奴に、こんな最低な人間に、負ける事だけは絶対にしない。 

 

 だからアキラは、この窮地においてなお、フッと嘲るような笑みを浮かべた。

 言っておかなければならない事があったからだ。



「お前は上位種でも何でも無い…… ただのクズだ……」



 空気が凍る。

 普通に考えたらこの状況で飛び出す言葉は命乞いであるはずだった。しかしアキラの口から放たれたのは正反対の言葉。

 一瞬、何を言われたのか理解が出来なかった熊田が目を剥き、そして次第に肩を震わせ始めた。

 そしてドスの利いた声と殺気をアキラにぶつける。


「……あぁ?」 


 しかしアキラは怯まなかった。嘲るような笑みを更に深め、見下すような視線で熊田を見据える。


「何度でも言ってやる。お前はクズだ」

「……てめえ」 


 アキラは諦めていた。能力でも勝てない。力でも勝てない。相手は能力者狩り。自分は殺されるのだ。

 そして同時に決意していた。絶対に負けないと。

 最期まで抵抗するのだ。熊田の主義を主張を、決して許されない行為を、殺されるその時まで負けない事で、辱めるのだ。


「学歴が無いから蔑ろにされたわけじゃない。お前がクズだからお前は蔑ろにされたんだ」

「黙れ、殺すぞ……」

「お前のやったことは人間のやる事じゃない。獣のやる事だよ頭悪いな。何が上位種だって恥ずかしい。生きてる事を謝れ。語尾に『クズ』をつけて謝れよ。『生きてて恥ずかしいですクズ』って言え」

「ぶっ殺してやるぁぁぁ~~~っっ!!」


 熊田が激高した。

 動けないアキラのマウントをとり、薄い笑みを浮かべた顔に拳を振り下ろす。両手のガードなど目に入っていない。

 

「てめえっ! 知ったような―――口をっ―――生意気な――クソがっ!! ああ!?」


 ゴッ ゴッ と、肉を打つ鈍い音が夜空に空しく溶ける。何度も、何度も。

 アキラの顔も、熊田の拳も血だらけだった。

 しばらくして、肩で息をしながら熊田が立ち上がる。アキラはもうピクリとも動かないが、僅かに胸が上下していることから死んではいない。


 熊田の手からも血が噴き出している。砂利の上から抵抗する人を殴りつけたのだ。外れた拳は砂利に落ち、容易に手の肉を裂く。

 興奮から醒めた熊田がようやく痛みに気付き顔を顰めた。


「ちっ まあいい。どうせテメェも死ぬんだ。ここでは殺さねえよ。こっちにも都合があるからな」 


 すると、気絶したと思われていたアキラが、ペッ と血痰を吐き出し、凄絶な笑みを浮かべたのだ。


「誰にも……ぐっ……相手に、されなかったんだろ? 何が……ハァ……『見返す』だ。クズだからだろ、人間は、いちいちゴミに注意を向けたり……しない。 誰も、お前を見てなんか……いないっ!」


 熊田の顔から感情が抜け落ちる。

 そして、軽いため息と共に吐き捨てる様に言った。


「わかった…… 今ここで殺してやンよ……」

 

 熊田は後ろポケットから黄土色をした小型の銃を取り出す。アキラがそれを見て軽く息をのんだ。

 空間操作の認識阻害で気付かなかったが、最初から銃を携帯していたのだ。


「銃……」

「|3Dプリンター≪フルキャスト≫があれば拳銃なんてどうにでもなる。弾も『東京租界』に行きゃいくらでも手に入る。まあいい、死ねよ」


 熊田が無造作に銃口をアキラに向ける。

 熊田の右頬だけがピクリと吊り上るのを見て、アキラは何故か可笑しくなった。


 鉄ですら無い樹脂の筒の奥に潜む無慈悲な死神が、真っ直ぐに自分を見ているのを感じる。不思議と恐怖は感じなかった。

 痛いのかな。きっと痛いんだろうな。

 やり残したことがたくさんある。

 千夏と買い物に行く約束だって果たされていないし、アリスとアニメエキスポに行く約束だってある。

 

 家族は泣くだろうな。おバカなクラスメートたちは何て言うだろうか。

 能力者になんてならなければもっと普通の生活が送れていたに違いない。だけどそうなったからこそ出会った人もたくさんいる。

 

 御門さんは、【闇姫】とか化け物なんて呼ばれているが実は普通の優しい女の子だ。

 楓さんは、コスプレして出歩くのが大好きな困ったちゃんだが、仲間を決して見捨てない強い人だ。

 アリスは、その気になれば世界を相手に戦争出来る凄まじい能力者だけど、その力を自分の為に使おうとはしない。自由にできるバーチャルの空より、何一つ思い通りにいかない現実の地に彼女は価値を見出したとてもさびしがり屋の女の子。

 

 ルルさんは…… いくつなんだろう。

 安斎支部長は、胸より尻を尊ぶ変態だった。

 

 そして、静流さん。

 現在の同居人で、保護者。毎日半裸でビールを飲んでは3食カレーを書きこむ残念美人。

 そして、未登録者だった自分を発見して、メビウスに誘った張本人。

 感謝してる。感謝してるんだ静流さん。

 後はお願いします。心配かけてごめんなさい。

 

 異常に引き伸ばされた長い一瞬が終わり、時間が動き始める。そしてアキラがギュッと目を閉じた瞬間。


―――タンッ


 不夜城『磐城』

 街の灯りにぼんやり照らされた深夜の車両基地に、乾いた音が鳴り響いた。

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