第35話 人であるために⑮

 10m下のバラストに向かってアキラが飛び降りる。

 恐怖は無い。落下スピードを『念力』で殺し、フワリと着地したアキラは周りを見渡して呟いた。


「どこに行った……」


 すぐに高架の橋脚に身を潜め注意深くあたりを窺う。

 『能力は万能でも何でも無い』と耳にタコが出来るくらい言い聞かされたアキラは、『念力』を武器では無く、移動や戦術のサポートとして用いるための訓練に明け暮れてきた。

 せっかくの異能だから戦闘の行方を決定する必殺技に憧れたりもしたが、銃という武器に勝てる異能などそうそう無く、戦闘において能力とは駆け引きの一つでしかないことをアキラは知っている。

 ましてや敵は能力者である。厨二的思考に陥ってたら一呼吸の間に殺されてしまうだろう。身を晒すのはあまりにも危険だ。


「はやく補足しなきゃ……」


 あたりは思いの外明るい。都心からは少し外れた駅だとはいえ、いわき平駅は郊外都市と都心を繋ぐバイパスだ。終電間際で灯りが落ちる様な場所ではないのだ。人を見失うほど闇は深くない。

 先程の事がホームで騒ぎになっているだろうから、遊んでいると鉄道職員や警備の人間がわらわらと集まって来るに違いなかった。タイムリミットは長くない。

 次第に騒がしくなってくるホームの喧騒に焦り始めた時、50m程先の電柱から人影が飛び出すのが見えた。人影は振り返る事も無く、そのまま車両基地の方へと全力で駆けて行く。

 『待て!』なんて大声を上げながら対象を追いかけるのは刑事ドラマの中だけで十分である。アキラは誰何もせずに、無言で人影を追った。


 100m、200m。進むにしたがって繁華街の様だった駅の灯りが次第に届かなくなってくる。安全や治安上の観点から車両基地周辺に商業施設は無い。眠らぬ都心の篝火が及ばない基地周辺は、すぐそこに在る街の喧騒と比べて落差が激しく、しん と静まり返っていた。時折夜空を裂く車のクラクションが聞こえる度、小心者のアキラの心臓が跳ね上がる。


「どこだ、どこにいる……」」


 車両基地。幾本もの電車が並ぶエリアに差し掛かってアキラは足を止めた。周りは遮蔽物だらけ。先に熊田に認識されたらまず間違いなくアウトだ。

 人影は無い。音も無い。気配は……わからない。

 慎重に周囲を確認しながら足音を立てないように進む。そして、車両の連結部から向こう側を恐る恐る覗き込んでいると、突然、背後から眩い光がアキラの顔に中てられた。


「君! こんなところで何をやっているんだっ!」

「え、あっ、す、すいませんっ!」


 アキラは優しく、そして素直だった。

 それは一般社会においてはプラスに働く要素なのかもしれないが、戦闘という極限状態においては自らを傷付ける刃となる。

 だから、懐中電灯を執拗に顔に中てられ逆光で相手の顔が確認出来なくとも、相手が警備の人間だと信じて疑わない。

 

「あ、あの、実は仕事で……ひ、人を追っていてっ!」


 気配も音も無かったのに、突然背後に現れ、声をかけてきた事に対する不自然さに気付かない。

 アキラがソレに気付いたのは、手の届く所まで男が接近した時だった。


 アキラは見た。


 懐中電灯の光のせいで瞳孔の調節が上手くいかず、思わず翳した指の隙間から。

 そして気付く。

 相手が警備服でも制服でも無い私服であることに。

 そして、夜中に車両基地でうろつく不審者を発見して警戒しているだろう男の口角が、異常なまでに吊り上っていることに。アキラは気付いた。熊田だ。

 

「お、お前―――」



―――ごッ



 重い衝撃が横っ面を叩いた

 何が何だかわからないまま脳が揺らされ片膝を着く。鼻からタラリと滴が垂れる。鼻水かと思って手で拭うと、粘つく血がべっとりと張り付いて呆然と男を見上げた。



―――ゴンッ


「あ……っ」


 蹴り上げられたのだと気付いた時には、アキラは後頭部を砂利に打ちつけていた。ぼんやりとした意識の中、やけにはっきりと男の靴の裏が見える。

 本能的に首を右に倒すと、先程まで顔があったところに熊田の足が突き刺さった。

 振り仰いだ先、ニイッ と凶悪な笑みがアキラの恐怖心を掻き立てる。

 このままだと殺されるっ!

 


「くぅ―――っ!」


 アキラは無我夢中で転がり膝立ちになる。嫌な予感がして顔の前で交差させた腕を前蹴りが襲い、上腕が嫌な音を立てた。

 再び手を突き尻もちをつくと同時に、砂利の礫をろくに狙いもせずに投げつける。少しだけ怯んで一歩下がる熊田に、今度は狙って砂利を投げつけた。


「~~ってぇなぁ~っ! クソがっ!」


 激昂する熊田に向かって、砂利を投げながら距離を取る。時折、肉を叩く鈍い音と共に、くぐもった呻き声が上げられるが、手加減をする余裕はアキラには無い。

 そして一定の距離をとって荒く肩で息を尽きながら、呼吸が苦しくて思いっきり鼻を啜ると、ドロリと口腔に鉄臭い塊が流れ込んで軽く咽る。

 軽く頭を振って意識を覚醒させる。視界の端には未だ星が散っていた。 


「てめぇクソガキがぁ……っっ!」


 見れば熊田の額が切れ、血が流れていた。なりふり構わなければ線路を敷き詰める砂利など凶器以外の何物でもない。当たり所が悪ければ簡単に人は倒れ、下手すれば死に至るだろう。

 喧嘩ならばやり過ぎだと責められるかもしれないが、生憎、今行われているのはそこらの喧嘩などではない。少なくとも熊田はアキラを殺しに来ているのだ。足りない事があっても過ぎる事は無い。


「ぶっ殺してやるぁっ!」


 目に怒りの炎を灯し、鬼のような形相の熊田が咆哮を上げて右手を振りかぶりながら駆けてくる。

 ぶっ殺したいのはお互い様だ。自分だってとっくにキレている。

 『戦闘は考えるのを止めた人間から死んでいく』と静流は言った。それはもう耳にタコが出来るくらい言い聞かされた。そうでなければ自分だってとっくに雄叫びを上げて熊田に殴りかかっている事だろう。

 だが、本当に目的を達したいのならばそれでは駄目だ。


 アキラはここでようやく訓練を思い出した。

 激昂した敵が殴りかかってくるパターン。

 それは何度も何度も、何度も何度も何度も血反吐を吐くほど繰り返し、体に染みついた教科書通りのパターンだ。


―――物理干渉サイキックの真骨頂は迫撃にこそ在る。

 

 こんなイカれた空気の中にいて尚、静流の言葉が意識を掠める。

 そうだ、練習通りだ。ここぞという時の相手の攻撃を『力』で逸らすことで致命的な隙、アキラからすれば決定的な場面を作り出すのだ。

 熊田が振りかぶった拳が、今、突き出される。


 その瞬間、極限まで集中したアキラは『力』を行使。

 敵の拳の軌道が斜め下へと逸ら――――― されないっ!?

 

 既に眼前の拳が振り抜かれた。



―――ゴッ



 顔面を直撃。首がメキリと嫌な音を立てる。パッと鮮血が飛び散った。

 そしてよろめくアキラに追撃が迫る。左のフックを何とか躱したところで、再び顔面を右で殴られた。

 

「ハッハーっ!! 死ねよ臆病者がっ! 犬がっ! 裏切者がっ!!」


 ガードだ。とにかくガードしなければ。

 頭を抱える様な不格好なガードの上から容赦なく熊田の打撃が襲う。鈍い音が鳴るたび骨が軋み肉が悲鳴を上げた。


―――このままではやられる。『力』を使うんだ!


 使える物は腐るほどあった。足元には一つ一つが狂気に成り得る無数の砂利。これらを全方位から一斉に熊田へとぶつけるのだ。危険だがやるしかない。

 アキラの髪の毛がブワリと逆立つ。瞳孔がスウっと細まった。

 行け。敵を打ち砕け。

 全力で砂利を熊田に向かって飛ば――――


「使えねぇだろぅ? 力がよぅっ!!」

「な、なんで何も起きな―――ぶふぅっ!!」


 鳩尾を蹴られて体をくの字に折る。苦しい。息が出来ない。空気が欲しい。

 そして無防備に突き出された顔面を右フックが襲い、アキラは膝からバラストに崩れ落ちた。

 

「ざまあねえなクソガキ。メビウスだかなんだか知らねえけど散々エラそうにしやがって―――よぉっ!」

「ガフ―――ッ」 

 

 ぐにゃりと熊田が歪む。夜空が回る。酷い耳鳴りがする。縋る物を探して手を伸ばした。上か、下か、今自分はどっちを向いている、何を見ているんだ。

 内側から染み出る様な痛みだけが朧気な意識を繋ぎとめる。倒れているのだと気付いたのは、熊田の足が胸に置かれたままだからだ。

 なぜだ。なぜ『力』が発動しない。こんなことは一度も無かった。さして強くも無い能力と言えども『力』がアキラを裏切ったことは無かった。


「はあっ 一体…… ハァ…… 何、が……なん、で……」

「ウケる! まだわかんねーのか!? あぁ!? それが俺の『領域支配』テリトリーなんだよ! 半径20mは俺の領域だ! 俺の王国だ! 誰も認識出来ない! 誰も近付けない! 俺の望んだものしか俺の領域には入れない認識できない! ははっ なんでテメェが入れるかってか? そりゃ俺が招いたからに決まってんだろ!!」


 耳障りな高笑いが夜空に響く。

 聞いてもいないのに得意気に能力の事をペラペラしゃべり出す熊田は、圧倒的優位を確信し興奮していた。愉悦に歪んだ顔を紅潮させ、足元で呻くアキラに向かって口から泡を飛ばす。

 その瞳に蠢くのは昏い欲望だ。忌避され抑圧された者特有の、いびつな怒りがそこにはある。


「もちろん俺のテリトリー内で俺以外の能力は使用禁止だ! だからテメェは何も出来ない! 俺はお前らみたいに国に尻尾を振るしか能の無い奴らとは違うんだ! 反吐が出るんだよ!」  



 何の変哲も無い普通の人間が突然能力を授った時、人は意外なほど単純な反応を示すと言う。

 何も変わらない者、自分を恐れて殻に閉じこもってしまう者、英雄的願望が発露する者。

 ほとんどの人間がこの3パターンに収まるが、それ以外に、ごく少数が陥る思考パターンがある。

  

「笑わせるんじゃねえっ! 俺は選ばれた! 俺が王だ! 神だ! 俺が最強なんだよっ!」


 選民的思想だ。

 彼等は自分は何をやっても許されると思う。神に選ばれ能力を授けられた高貴な自分が何をしても、他人はそれを喜んで受け入れるべきと考える。

 自分は選ばれた。正しい。偉い。優秀だ。他の下等な連中とは違うのだ。


―――なのに、なぜ



「なのに能力者を管理するだぁ~? 犯罪犯したら処刑だぁ~? 何様だっつーんだよっ! ええっ!? 高々人間の分際でよぉ!! 下等種の作ったルールに縛られた能力者も同罪だ! もちろん取り締まる側のお前らもだ!!」


 熊田の足が振り下ろされ、アキラの右腕が嫌な音を立てる。

 たまらず上げた呻き声を聞いた熊田が、喜悦に口元を釣り上げた。

 

「死ねばいいっ! 俺を認めない人間は、全員! 一人残らず!」

「そんなことで、そんな理由でっ 人を殺したの……っ!?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る