第34話 人であるために⑭
『ハズレ、ですね』
落胆が滲む声がインカムから届く。その言葉を聞いて静流が無防備にドアノブを握った。
赤井新興オフィス街にあるビジネスホテルの1204号室。斜向かいのビルの屋上からスコープで覗いているであろう楓がハズレと言っているのだから室内に人影は無いという事だ。そして何より静流の『勘』が危険は無いと告げている。
「……アリス」
「対象がホテルを出た記録も無いそうだ静流君。今アリスは館内セキュリティシステムのサーバを漁っているが今のところ部屋を出た痕跡すら無い」
「ちっ 認識阻害系の空間操作か…… 隠密には持って来いの能力だ。厄介だな……」
空間を断裂させ問答無用で物体を切断するものや、結界を張り、その中で起きた事象を感覚的に把握するといった能力もある。どれもこれも破壊工作向きで厄介なのが特徴だが、その中でも飛び抜けて厄介な存在がいる。
大抵、能力の発現と同時に死んでしまう彼等が
人は脳を少し切り取られただけで死ぬし、心臓の血管をズラされただけで簡単に死ぬ。基礎を飛ばせは建物は倒壊するし、配管一本切断すれば原発は簡単に臨界に達する
それをハナクソほじりながらやってのける異能がテレポーターだ。
国が能力者の人質をとる気持ちがよくわかる。気まぐれ一つで大虐殺が起こるなど悪夢以外の何物でもない。
程度に差は在れど、
そして直接的な危険性が無いものの、認識阻害系も厄介極まりない存在であることに変わりは無い。限定的なシチュエーションにおいて彼等は最強だ。
「支部長、まだ上は情報を出し渋っているのか? 敵はルーラーだ。能力の詳細が不明確だと目も当てられない事になるぞ」
「言葉も無い。わかっているのだよ静流君。それでも君たちには頑張ってもらうしかない。本当にすまない」
「わかってる。いつものことだ」
とにかく情報が少な過ぎる。ここに危険が無い事はわかったが、安全地帯の向こう側に一歩踏み込まなければ犯人の確保など出来る筈も無いのだ。
静流はため息を吐きながらドアを開けて部屋に侵入した。
「まあ、こんなものだろうな……」
予想した通り人の気配は無い。
熊田は館内のカメラにも捉えられず、フロントも通さずにホテルの外に出ている。浴場やスポーツジムなどの共通施設に熊田がいない事は既に確認済みだった。陳腐な表現をするのならば、要するに彼は『忽然と姿を消した』のだ。
このビジネスホテルの従業員も、客が部屋に籠っている時にベッドメイクをしに来たりしないし、1週間も泊まっていればその辺のタイミングはある程度把握しているはずだった。
『やはりいませんか?』
「ああ。いないな。影も形も無い」
静流はユニットバスやベッドの下、クローゼットの中などを何も無いと知りつつも、念のため調べて回ってみたが、これといったものは何も無い。
目についたものと言えば、テレビとベッドの間の小さなテーブルの上にぽつんと置かれたタブレットPCと、その脇に置かれているカップめんの食べ残し、そしてその中に捨てられたタバコの吸い殻だけだった。
テーブルのPCを起動すると、OS既製のキャラクターが画面に現れ、当たり前のようにパスワードを要求されたのでインカムをコールする。
「アリス、このPCを私の端末と有線で繋ぐ。侵入できるか?」
『しんにゅーだ!』
端末から伸ばしたコードをPCのインターフェイスに差し込むと、10秒もしないうちにタブレットPCの画面に魔法少女の恰好をしたアリスが現れる。
画面の右端からトコトコ歩いてきたアリスは、未だパスワードを要求するキャラクターにいきなり正拳突きを食らわせ、倒れたところを馬乗りになって鉄槌を落とし始めた。
名も知らぬキャラクターをボッコボコにした魔法少女アリスは、血まみれの拳を掲げて勝鬨を上げる。
『Thrash!!』
帰ったら色々と反省会をせねばなるまい。
テーマはアリスの道徳教育についてだ。
静流が痛くなってきた頭を押さえていると、画面上のアリスが、瀕死の重傷を負いながらもパスワードを要求する健気なキャラクターに、ストンピングで止めを刺していた。
そして、グシャリという生々しい効果音と共に画面が暗転。
――――ようこそ
やけに寒々しい4文字の直後、画面はデスクトップへと移行した。
「アリス、帰ったら色々言わなければいけない事があるが、とにかく潜ってみてくれ」
『らじゃー!』
情報が欲しい。
まずは熊田はどこに行ったのかを特定しなければ始まらない。ここにいたのは間違いないのだが、いつ出て行ったのかわからない以上、足取りを追うのは非常に難しいと言わざるを得ないだろう。
能力者とて常に能力を使っているわけではないからビッグアイにアクセスすれば何らかの痕跡は追えると思うが、情報量がケタ違いなだけに分析に時間がかかる。
それにビッグアイにアクセスするには上の許可が必要だ。アリスなら侵入することも出来るが余計な問題は抱えない方がいい。
相手は空間操作の能力者である。
とはいっても、まだ犯人だと確定したわけでは無いからいきなり撃つわけにも行かない。だがもし本当に熊田が犯人だった場合、中途半端な接触が一番リスクが高かった。
とりあえず確保してからだ。真っ黒である事まで求めない。灰色であれば多少の事は許される。
それが現代日本の風潮であるが、能力者相手だと悲しいくらいそれが正当化される。
「アリス、何か情報は無いか」
先程から、いつの間にかコソ泥の恰好に着替えたアリスが、ファイルやアプリに出たり入ったりしている。
少し時間がかかりそうなので、ポケットの煙草を手で探していた時、突然ファンファーレのような音が鳴った。
画面を見ると何故か焦った様子のアリスが手紙らしきものを掲げている。
「見せてくれ」
アリスがガサゴソと開いた手紙が画面いっぱいに広げられた。
その文面を目で追っていくうち、静流は全身から血の気が引いて行くのを感じた。
確かに熊田が犯人であった場合、何らかの手がかりは残っていると思っていた。行き当たりばったりで能力者ばかりを殺害するなど無理な話だからだ。
だから被害者の情報や、ターゲットのリストなど、そう言った当事者でしか知り得ない情報が出てこれば一安心、程度に考えていた。
だがそこに書かれていた内容は、想像の斜め上を行く最悪の事態を仄めかすものだったのだ。
「こ、これは…… マズイ……」
『どうしたんですか静流さん。何がマズイんですか?』
心臓がキュウっと締め付けられるような感覚に陥る。
冷や汗が吹き出し、背中を滑り落ちた。
楓の問いに答える余裕も無いまま、静流はギリっと奥歯を噛み締める。
「フィリピ―ナと、彼女を助ける能力者の少年を見たと書かれている。少年が、メビウスに所属していることも……っ」
それは悪魔の偶然。
見られていた。能力者狩りに。
おそらくはカレンを殺す目的で尾行か何かをしている時に、星の数ほどの人で溢れるこの大都市磐城において、天文学的確率をものともせずに能力者狩りは
「奴はアキラを能力者だと認識している……っ!」
『そ、そんなっ!』
宛先はフリーメール。返信は無い。
相手を探れるかとアリスに目を向けると、悔しそうに首を振っている。
確定だった。熊田がこの事件に関与しているのは間違いない。奴はその能力で誰にも認識される事無く人を殺し、そして痕跡も残さず立ち去った。警察が足取りを掴めなかったのも納得できる。
だが、今はそんな推理はどうでも良かった。
頭を過ぎるのはホラー映画のゾンビのように駅に向かう少年の背中。
アキラは今どこだ。何をしている。無事に帰れたのか。連絡はとれるのか。
奴がここを出て行ったのはいつだ。何を狙っている。何のためにここを出て行った。
メールの送り先は誰だ。協力者なのか、それとも共犯者なのか。一体何が起きて―――
―――プルルル プルルル
突如鳴り響いた着信音に、思考の渦から引き戻される。
反射的に応答ボタンを押してから端末の画面を確認し、ザワリと産毛が逆立った。
「アキラっ! 今どこだ! どこに居るっ! いいかアキラ、落ち着いて聞―――」
『静流さん、アイツがいる。駅に。向こうのホームに、アイツが……いる……』
ドクンと心臓が跳ね、膀胱が痒くなるほどの焦燥に襲われる。
まさか、ヤツはアキラが一人になるタイミングを狙って……っ
「アイツって、熊田か!? おいアキラ熊田がソコにいるのかっ!?」
危険だ。危険過ぎる。
相手は
自分ならばいざ知らず、ロクに戦闘訓練も受けていない、武器も携帯していない、高々
アキラ程度ならば簡単に捻り殺されてしまう。
馬鹿な事を考えてくれるな。自殺行為だ。頼むから逃げてくれ!
『目が合った。こっちを見てる。間違いない、静流さんアイツが……嗤ってる……っ』
「いいかアキラっ! よく聞け! 逃げるんだっ! ソイツはお前を―――」
―――ツーツーツー
「アキラ! おいアキラっ! クソっ!!! 切りやがった! クソッ!!」
忘れていた。アイツは夏目アキラだった。
正義感に駆られて、静流でも勝てるかわからなかった藤枝相手に殴りかかった正真正銘の馬鹿だった。
アキラはあの惨劇の現場を目にしている。知り合いが目を背けたくなるような残忍な手口で殺され、今その犯人が目の前にいる。堪えられるはずが無いのだ。
「アリス! すぐにアキラの端末を追え! リアルタイムでだ!」
『ら、らじゃっ!』
「楓! 今すぐ来い! いわき駅方面に向かう! 中距離レンジの装備に切り替えるんだ!」
『は、はいっ!』
するとその時、またしても静流の端末が着信を告げる。
画面も見ずに応答ボタンを押した静流が問答無用で怒鳴り散らした
「アキラ! とにかく言う事を聞け!」
『御門です。アキラ君がどうかしたんですか?』
「あ、すまない。アキラからの電話かと思った。菊池の方はどうだ? 何か情報が出て来たのか?」
静流は捲し立てながら、蹴破る様に部屋のドアを開け、階下へと駈け出す。
すると、電話口から抑揚のない澄んだ声が衝撃の一言を告げた。
『殺されていました。マンションに着いた時にはもう手遅れでした。今は警察が現場検証をしています」
「なんだと!?」
助けてくれと。次に殺されるのは自分だとメビウスに接触してきた菊池。
彼と会ったのはつい今朝の事だ。ならば彼が殺されたのは今日という事になる。
カレンというフィリピ―ナも、アキラと別れて半日と絶たないうちに殺された。そして次は菊池である。
もう偶然などという言葉では済まされない。メビウスのすぐ近くで、自分たちの存在を知っている何者かがいる。それは熊田がメールを送った人物か。それとも―――
『額に一発。至近距離からの銃撃です。情報は拾えませんでした』
「クソっ 一体何が起きているんだ!」
駐車場まで降り、車に乗り込んだ静流がエンジンをかける。
ひとまず難しい事は置いておこう。今はアキラだ。彼を無事に保護してからでも考えるのは遅くない。
通りの向こうから楓が走って来るのが見える。よほど慌てていたのかライフルを担いだままだった。
『そちらも何かあったんですか?』
「犯人はやはり熊田だった。そして今、奴はアキラと接触している」
『―――っ!!!! どこですかっっ!!???』
「おそらくいわき平駅だ。そっちでやる事が無かったらこっちに…… って、お前もか……」
既に切られて通話が途絶えた端末をポケットにしまい込んだ時、ちょうど楓が助手席に乗り込んで来る。
「いくぞ」
「はい! うわっ」
ドアも締まり切る前にアクセルをベタ踏み。夜の新興地区に盛大なスキール音を撒き散らしながら車が急発進した。突然のGで座席に押し付けられた楓が小さく悲鳴を上げる。
凄まじいスピードで後方に流れゆく景色を視界に入れる事も無く、静流は無意識に呟いた。
「間に合ってくれ……っ」
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