第33話 人であるために⑬

―――最近ハマってるフィリピンパブで能力者見つけたったwwwwww 


 こんな一文からそのチャットは始まっていた。


―――すごーい。もしかして未登録者ですか?



 リアルタイムでメッセージが端末に飛ぶようになっているのだろう。

 4人全員がほどなくして集まり、冗談を言ったり議論したりしていた。

 フィリピンは友好国だからお礼を言いたい店教えろ、とか、フィリピーナは肌が張ってていいよねとか。尽くしてくれるから最高だとか。尽くすことに掛けて私を超える者はいない! だから彼氏はよ! とか。

 そんな毒にも薬にもならないやり取りの後


―――でもちょっと羨ましいな。密告するつもりは無いんですよね? そっとしておいてあげて! 私も能力を見せびらかしたりしなければ良かったですよ……


 第一の被害者である瀬田愛流のそんな実感の籠った書きこみ。

 そしてしばらく開いた『間』はそれぞれが今自分たちのおかれている状況を噛み締めている時間だったのか。


―――アレがあるから今は……

―――そう、アレのおかげでサイコダイブでもバレないで済む。


 

 

 そんなしんみりした空気で締めくくられた、とある日のチャット。

 そのやり取りを思い出して、アキラはやり切れない想いに襲われる。

 接点があった。殺された3人と、カレンの間に。

 能力者を狙う犯人が、登録されてもいないカレンの事をどうやって知ったのかが謎だったのだが、蓋を開けてみたらなんてことは無い。

 チャットの中で、紹介してくれとせがむ『佐藤』に請われるまま、店名から源氏名からスリーサイズに至るまで、第三の被害者である武田が得意気に語っている。

 

 生きたまま上半身に焼いた棒を押し付け、散々弄ったあげく、最後には口に棒を突っ込んで殺す。鬼畜にも劣る悪魔の所業だ。

 紹介した人間が、まさかこんな凶行に及ぶなど想像もしなかったに違いない。そして挙句の果てには自分も殺されてしまっている。


 被害者は3人。いや、カレンとエリカを入れたら5人だ。

 気が狂っている。日常生活において、5人もの人間を惨たらしく殺害せしめるなど、常人の感覚では土台無理である。

 遺体安置室か出る直前に、襖田からかけられた言葉を思い出す。

 まさしく言った通りだ。犯人はイカれている。 


 そしてこの事件はもう一つの側面がある。

 メビウスでも知らなかった能力者の交流サイトの存在と、既に物言わぬ被害者たちが語っていた『アレ』と呼ばれる何か。

 今は御門が護衛兼情報収集のため、コミュニティ最後の生き残りである菊池の下に向かっている。静流は深く追求しなかったが、『アレ』が何なのかはすぐに明らかになるに違いない。

 レベル5のテレパスを相手に本心を隠せる者などいるはずがないのだから。


 静流と楓は局所制圧を想定した『装備:丙』で、『佐藤』が数時間前に残した端末の位置情報を基に、滞在していると思われるホテルを急襲する手筈になっていた。

 

―――アキラ、今回お前は外れろ。家に帰ってゆっくり休むんだ。


 有無を言わさぬ強い口調でそう言われたアキラは、目的のホテルの方角が一緒だった事もあり、いわき平駅まで車で送ってもらっていた。

 終電までもう少しだ。重い足を引きずるようにしてアキラはロータリーを横切る。

 今、事件解決のために飛び回る3人のメンバーが何をしているか、意識的に考えようとしては足を止めていた。何かを考えていないと頭を掻き毟って叫んでしまいそうになる。


 貧しくも暖かかったあの家族の無残な姿が、アスファルトにへばりついたガムの様に頭にこびりついて離れない。

 傷周りの肌は赤黒く変色して引き攣り、顔には涙と涎の痕が白く粉を噴いている。黒焦げの火傷の跡にはハエが止まり滲み出る体液を啜っていた。

 この終わりを見たかのような絶望的な表情と、冗談みたいに口から生やされた鉄棒の対比が非現実過ぎて、趣味の悪いオブジェのようにすら見えた。

 視界を掠めただけのエリカはよく見えなかったが、全裸のまま股を開き、眼球が飛び出すほど首を絞められていた。

 あんな最期は、絶対に許されない。許されてたまるか。

 

「許せない……っ」

 

 腹の奥底、原始的な黒い衝動がフツフツと煮え滾っている。

 頭に浮かぶのは、投影ディスプレイで投射された『佐藤』、いや、本名『熊田竜也』の顔とプロフィールだ。

 

 2005年生まれの24歳

 ごく普通の一般家庭に生まれ、ごく普通の学生生活を過ごす気の弱い少年であったが、高校2年の時傷害事件を起こして中退。それ以来人が変わったように選民主義的思想を口にするようになる。おそらくはこの時、能力に目覚めたのだろう。

 建築関連の職に就くが、職務態度を注意した先輩を半殺しにして退職、その後は職を転々とし、ほどなくして裏社会の門戸を叩く。そこから先は絵に描いた様な転落人生だ。

 要するにただのチンピラである。


 人には無い能力を手にし、人より優れているという思いに駆られ、それなのに社会という名の檻の中、定められたルールを強制され、特別であるはずの自分のアイデンティティを少しずつ削られていく。

 こんなはずではないという思いと、強固過ぎる現実という壁の狭間で膝を屈し、肥大化する全能感に勘違いをしたまま社会に適合することが出来ずに燻る毎日。極めつけは国家による能力者の管理だ。

 溜まりに溜まった昏い想いは一体どれほどのものだろうか。


 それはまさに、正しく能力者のなれの果て。悲しく、そしてありふれた、能力者にとっての一つの結末だった。

 静流は言った。そうして犯罪に走る能力者が後を絶たないと。

 

 しかし、だからといってやって良い事とやって悪い事の分別くらいはつくはずだ。ついてしかるべきだ。

 人を傷付けて、ましてや殺していい理由になどなるはずが無い。


 なぜあの二人が殺されなければならなかったのか。しかもあんな惨たらしい方法でだ。

 痛かっただろう。苦しかっただろう。悔しかっただろうし、なにより生きたかったはずなのだ。

 そんな二人の未来を、幸せを奪ったのが本当に『熊田竜也』という男の仕業なのだとすれば……


「殺したい……」

 

 口内に拡がる唾液がやけにニガイ。胃が痙攣するほど胸がムカムカする。

 ハラワタが煮えくり返る思いだ。熊田に対してではない。

 何も出来なかった自分に対してだ。戦線から外され、ただ項垂れることしか出来ない情けない自分にだ。


―――7番線次の電車は~ 24時24分~ 最終~ 南相馬行きで~ ございま~す 


 何もかもに腹が立つ。やけに間延びした終電のアナウンスすら怒りを覚える。

 アキラはノロノロと改札を通って7番ホームに向かった。構内はアルコールと汗の匂いを撒き散らす多くの人が小走りでそれぞれのホームへ向かっている。アキラも人波の流れに任せる様に歩き、エスカレーターに乗った。


 すぐに見えてくる電光掲示板には、電車の発車時刻とその横には『最終』の文字。

 併設された時計で時間を確認すると、10分もしないうちに電車が来る。 

 


―――静流さん、僕も…… 連れてってください……

―――ダメだ。お前は帰るんだ。これは命令だ。


 なおも食い下がるアキラに告げられたのは無情の一言



―――敵は空間操作ルーラー。お前は足手まといだ。



 そう静流に告げられて湧き上がってきたのは怒りでもショックでも無く、空しさだった。

 自分は無力だ。何も出来ない。

 自分はあの家族を知っている。そして彼女たちの最期を見てしまった。

 熊田を前に冷静でいられる自信が無い。ただ感情に任せて殴りかかるのが関の山だった。

 

 感情を爆発させてパワーアップ出来るのはアニメの中だけだ。例え能力の出力が上がったところで砥がれた技術の前では無力に等しいし、銃の方がよほど融通が利く。

 しかし、戦闘のスペシャリスト2人に全てを任せて良かったと思いつつも、心のどこかで納得しない自分が居るのもまた確かだった。

 考えないようにしようと頭を振っても、そんな事ばかりが頭の中をグルグル回る。

 そうして抑えきれない苛立ちそのままでエスカレーターを降りた時、前方から突然声をかけられた。


「あれ? アキラ君こんばんは。こんな遅くまで働いていたのかい?」


 そこに居たのは、今日、現場で会った若い刑事。景山だ。


「なんかよく会いますね。刑事さんこそこんな時間にどうしたんですか……?」

「はは、仕事帰りだよ。毎日こんな感じさ。事件は平日の9時17時にして欲しいんだけどそうもいかないよね。いや不謹慎だったね」

「まあ、何となく言いたい事は…… それより景山さん、帰りはこっちなんですか?」

「そうだよ。寮が浪江にあるからね。帰ったら一杯飲んで布団に直行だ」


 アキラは景山と取り留めも無い話をして電車を待つ。話の内容に中身は無い。学校はどこかとか、メビウスと両立できるのか聞かれては、警察の労働時間を尋ねたりする。

 すぐに悪い方向へと流れそうになる思考を紛らわすためには、別の事で頭を使った方がいい。


「そういえば今日は人が少ないね」


 7番ホームの人はまばらだった。明日は平日だ。そもそも日曜日の今日、この時間まで都心に出かけている人はそれほど多くない。景山の言葉に周りを見渡すアキラ。

 何となく。本当に何となくだ。

 虫の知らせとか、静流得意の勘とか、そういう要素は全くない。たまたま視線を巡らせて、たまたまその男が目についた。理由があるとすればたったそれだけだ。


 だから、それは偶然だった。


 何となく視線を向けた先、5番線のホームで佇む一人の男が目に留まったのは。

 本当に偶然だったのだ。


―――え~ 間もなく~ 7番線に電車が参ります~ この電車は最終電車で~ このまま3分ほど~


「電車が来るみたいだね。少し待つみたいだけど座れ―――」

「熊田……」


 その呟きがスイッチだ。

 燻る炎にガソリンがぶち撒けられたかのような勢いで、押し殺していた激情に火が灯る。

 肉を食み髄をしゃぶり尽くすように、ドス黒い怨念が飛沫を飛ばしてアキラを呑込んでいく。

 それは嘆き。それは憎しみ。それは呪い。 

 震えた。歓喜で。どうしようもないほど。


「会いたかった……」

「アキラ君、ど、どうしたんだい?」


 見ているぞ。お前の顔を。

 絶望に呑まれて、無力を呪って。

 ただ黙って見ているしかなかった、だけどお前のその顔を、僕は……


―――見ているぞ―――っ!


 アキラが目線を外さず端末を取り出す。2コールで相手が出た。


「静流さん、アイツがいる。駅に。向こうのホームに、アイツが……いる……」

『アイツって、熊田か!? おいアキラ佐藤がいるのかっ!?」


 アイツだ。

 忘れるものか。絶対に忘れる筈がない。

 見間違えるものか。間違えるはずが無い。


「目が合った。こっちを見てる。間違いない、静流さんアイツが……嗤ってる……っ」

『いいかアキラっ! よく聞け! 逃げるんだっ! ソイツはお前を―――』


 その男はアキラを見ていた。挑発的な笑みを浮かべて。

 そして男は目を逸らさず、勝ち誇ったような笑みを浮かべて中指を立てた。

 唾液を垂らしながら、ベロリと舌を出した。

 めまぐるしく記憶のフィルムが引き伸ばされる。アキラは見た。

 幸せな光景を。そして訪れた凄絶な最期を。


 

「熊、田……」



―――ムスメには、ココで、ニホンジンとして、いきてホシイ

―――誰かママに酷いことしたの? だったら私は絶対許さない


 思い出す。エリカの笑顔を、カレンの微笑みを。

 


「熊田……っ」



―――クソ ひでえもんだ。狂ってやがる……

―――アキラっ! 見るなっ! 見るんじゃないっ!!」


 焼けただれた乳房を

 突き出された舌を

 虚ろに濁った絶望の瞳を

 突き刺さった鉄の棒を



「熊田ぁぁぁあああ~~~~~~っっ!!!!」



 駆け出す。

 敵は線路を挟んだ向こう側。電車のライトが視界を掠める。熊田が背を向け駈け出すのが見えた。

 逃がさない。絶対に。

 向こう側まで7m。飛べるはず。いや、飛ぶんだ!



「おおおおぉぉぉ―――っ!!!」



 ジャンプと同時に背中を【力】でぶっ叩く。

 2回、3回。

 脳に突き刺さるような警笛の音が背後を駆け抜けた。吹き飛ばされる様な風圧に体が流される。

 

 着地と同時にゴロゴロと不様にホームを転がった。構うものか。何が起きたか気付いている人は少ない。

 つんのめる様にして全力で走る。

 熊田が乗車ホーム先端の行き止まりでこちらを一度振り返ってから、ホームの端にある梯子を降り始めた。

 いわき駅にはすぐそこに車両基地がある。高架下に広がる無数の線路の向こうには停留する車両と、いくつもの簡易な工場が軒を連ねている。熊田はそっちに向かっていた。


「逃がすか―――っ!!」


 逃がさない。絶対に。報いを受けさせてやるんだ。

 アキラは躊躇することなく、10m下の闇に向かって身を躍らせた。

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