第32話 人であるために⑫

DNA検査が至上という風潮は今は昔のものである。

 世間一般のイメージでは今でも遺伝子が一致すれば犯人という短絡的な結論に至りやすいが、数年前、とある事件をきっかけとして、急速にその認識が崩れつつあった。

 例えば自分の家に落ちている髪の毛は自分のものだけではない。同居人であるアキラはもちろん、遊びに来た事がある人のもの、宅配業者。電車で、買い物で、自身の服に付着した他人の髪の毛であったり、更には家に上り込んだ業者の浮気相手の髪の毛までが落ちている。


 全くお邪魔した覚えも無い家に、自分の髪の毛があるなんてことは十分に考えられるのだ。これはサンプルに成り得る全ての老廃物について同じことが言えるから性質が悪い。

 

 今回の犯人は少女を強姦している。

 鑑識の話によると避妊具を使っていた痕跡があるらしい。その徹底ぶりには感心するが、それでも密着時に何らかの証拠は残しているだろう。陰毛、少女の爪に付着した皮膚あたりか。

 しかしそれでも決定力に欠けるのは間違いなかった。


 何より時間が惜しい。

 断言できる。ソイツはまたやる・ ・

 能力者が犯罪を犯すたび、世間に能力者の存在が露呈するリスクが高まる。犯人が特定されれば通常の警察機構も動き出しカチ合う可能性も出てくるし、捕まれば大がかりな記憶操作が必要となってしまう。そして何より、次の被害者が自分や仲間ではないと誰が言えよう。

 だから警察より先に、次の犯行が起きる前に、ソイツを見つけだし処分・ ・しなければならない。能力者は能力者の手によって始末されなければならないのだ。


「アリス、早速潜ってもらうぞ」

「ダーイブ!」


 まかせとけとばかりにサムズアップをしたアリスがトコトコと向かったのは、リビングスペースの隅にある彼女のデスク。

 傍からは一般家庭の子供が宿題に勤しむ勉強机にしか見えないその場所こそが、彼女、レベル4 分類不能アンノウン【電脳妖精】の戦場だ。


「アリス、わかるな? 以前、被害者の繋がりを探っている時にお前が行きついたあの、文字化けしているサイトだ。正体不明の外部デバイスが無いと入れない。出来るか?」


「a piece of cake!!」   (楽勝~!)



 アリスは、えいっ と気合を入れて椅子に座ると、机の縁から投影ディスプレイを無造作に引き出す。そしてキャスターからタッチパネルデバイスを2枚取り出し、其々に手を添えた。瞳孔が蒼く光り出し、彼女の金髪がブワリと宙に舞う。

 すると既に起動している4台のマシンが唸りを上げ、机上の6枚の平面ディスプレイと立体投影ディスプレイが慌ただしく明滅し始めた。

 高齢者用の「らくらくでばいす」でも通話とメールしか使う事の出来ない楓が、羨ましそうにアリスを見ているのは毎度の事。



 神秘的に蒼く光るアリスの瞳の焦点は定まらず、夢遊病者のようにどこを見ているのか定かではない。

 何をしているのか、何が行われいるのか、一体どういう理屈でマシンが動いているのか、間近で何度も見ている静流も全く分からない。アリス本人も分からないのだからそれも当然だ。

 彼女にパソコンの知識は無い。無料で見れる高画質のアニメ動画を見つけてきたり、年齢制限を掻い潜ってグッズを買い漁ったりするのは得意だが、あくまで1ユーザーとしての範囲で使用しているに過ぎない。

 しかし彼女の能力の前ではそんな事は些事に等しい。

 こうなったアリスは、0と1の世界を縦横無尽に泳ぎ回る電子の覇者だ。


 画面や映像が目まぐるしく切り替わる。

 無数の文字や記号が恐ろしいスピードで流れる間も、アリスはタッチパネルデバイスに手を当てているだけだ。

 そうしていると、唐突に彼女の焦点が、フッと絞られ、一体どういう手順を踏んだのかも全くわからないまま、全てのディスプレイが件のサイトを映し出す。ミミズがのたくったような文字と、文字化けしたテキストが並ぶだけの意味不明のサイトだ。

 ソファーに座ってぼんやりとアリスのダイブを眺めていたアキラが軽く息を呑んだ。

 すると今度は画面上で想像を超える出来事が起きる。


「え? え? なんですかコレ静流さん? ぱそこんってコンシェルジュいたんですかっ!?」

「あらあら 可愛いですねぇ」

「ほう…… アリ、かもしらんね」

「おいアリス。お前、時間の使いどころ間違ってるぞ」


 表示された画面上に写っているのは先程の意味不明なサイトと、そのサイトではしゃぎながら走り回る十数人の金髪幼女。

 デフォルメされたアリスのアバター達だ。

 

 彼女たちはキャッキャとはしゃぎながら、いきなりその場で作業服であるつなぎに着替えはじめた。そして何故か一人だけ魔法少女っぽい衣装に着替えるアリスが一人。

 彼女たちはそのままヘルメットを装着し、つるはしやドリルやノコギリなど、やけにアナログな道具を持って整列し始め、その間も画面上のアリスたちは意味不明なおしゃべりをしながら騒いでいる。

 

 すると、現実世界のアリスが元気よく両手を上げた。



「おしごと~~っ!」



 画面のアリス達が元気よく応える。



『『『Oh Yeah!!!』』』  


「がんばるぞーっ!」


『『『Oh Yeah!!!』』』 



 知らぬ者が見たら目を点にするだろうし、技術者が見たら卒倒するであろう光景だ。



「あ、アリス……っ 私にも、教えてもらえませんかソレ?」

「おい楓、そういうのは後にしろ」

「わ、私だったら色んなコスでっ!」

「楓!」


 アリスを尊敬の眼差しで見る楓だが、半ばトランス状態になっている彼女はいちいち外野に反応しない。

 周りの反応など気にせず、アリスは拳を突き出して叫んだ。




「Come on, guys!」  (はたらけ野郎共~~!)



 すると画面上のアリス達が一斉に眉間にシワをよせ、手を口元に騒ぎ始める。



『『『Boo-boo~~~!!』』』



 まさかのブーイング。

 どうやら画面上のアリス達は野郎扱いが気に入らなかったらしい。

 アリスは少しだけたじろいだ後、誤魔化すようにコホンと咳払い。



「OK! Come on, ladies!」  (レディ達 がんばって~!)


『『『Hang in there~~!!』』』  (まかせとけ~~!)



 今度は両手を突き上げ思い思いのポーズをキメたアリス達が道具片手に円陣を組んで気合をいれる。

 そして一斉に作業を開始した。


 つるはしを突き立てるアリス

 トンカチを振り回すアリス

 ドリルで掘削を始めるアリス

 チェーンソーで切り付けるアリス

 そしてその周りを飛び回って応援する魔法少女のアリス


 次第にディスプレイに表示されたサイトページにひびが入り、表面がポロポロと剥がれ落ちていく。


 心ここにあらずのアキラと、目が完全に死んでいる御門は置いておくとして

 崇敬で目をキラキラさせる楓。

 アラアラと頬に手をやり、糸目をさらに細めるルル

 余裕の笑みを浮かべつつ、血走った目で魔法少女アリスだけを必死に追う安齋

 

 そんな大人達を気にせず、画面のアリス達は汗を流してえっちらおっちら。

 無茶苦茶な光景だった。

 

「相変わらず凄まじいなコイツは……」

「私も出来る様になりたいです…… まずは『ぷろぱてぃ』を覚えるべきですね……」


 デフォルメされた可愛らしいアバターたちに目が行き忘れそうになるが、よく考えないでもとんでもない話だ。

 画像や映像として視覚化され、誰でも簡単に直感的に操作出来るようになったパソコンといえど、画面の裏側で走っているコードは、今も昔も融通の利かないロジックと無数の言語で複雑に組み上げられた文字列だ。そして究極的には0と1である。

 それをロジックも何も知らない幼女が自身の分身を組み上げ、その分身に突貫工事のような真似ごとをさせている。明らかに異常だ。

 もちろんその背景には膨大なコードを走らせているのかもしれないが、オリジナルの呼びかけに反応するアリス達は人格に近いものすら獲得していた。


 経済、行政、医療、金融、軍事。

 現代社会は情報システムで制御され運転されている。そこに例外はない。

 

「彼女の前ではセキュリティなどゴミだな……」

「その全てを『おこずかいの範囲でどれだけ沢山のアニメを見るか』に使っているというのだから可愛いというか、才能の無駄遣いというか……」

「アラアラ、むしろ才能の無駄遣いをしている事を喜ぶべきでは?」


 ルルが頬に手をあて、意味ありげに微笑む。静流はルルの言う通りだと思った。

 たとえばの話をしよう。そう、たとえばの話だ。

 今や世界中を覆い尽くす電子の網。

 これを簡単に破壊、若しくはジャック出来る人間がいたとしよう。


 ちなみにその人間は女の子だ。


 とても可愛らしい、純粋な子だ。頑張り屋さんで、人の痛みを理解できる優しい子だ。

 そんな女の子が、この世のシステムというシステムを強奪し、破壊する力を持っているとしよう。もちろんその子は言った通りの優しい子だ。

 人々を困らせるためにその力を振う事なんて無い。本人にも全くそのつもりは無い……として、だ。


 

 その子の存在を世界が知った時、人々は一体彼女をどうするだろうか?


 

 持て囃されるだろうか。TVに引っ張りだこになり、可愛い容姿も相まってアイドルのように扱われるだろうか。

 企業が引き抜きに殺到するだろうか。その能力の見返りに多額の報酬を用意して、彼女の技能を奪い合うだろうか。


 違う、と静流は思う。

 そしてこう思う。彼女は殺される、と。


 その子が悪戯出来ないよう防壁をくみ上げるコストとその子を殺害するコストを天秤に掛けたら、後者の方が悲しくなるほど安上がりだ。

 気分一つで世界中の交通システムをマヒさせ、世界中の市場を混乱させ、世界中の口座を凍結させ、世界中の空にミサイルの雨を降らせられる超常の存在を

 

 人がどうして許容などできようか。

 

 人は信じることができない。異なる価値観を、存在を。

 それが能力者だ。物理法則と人の理を超越した化け物だ。 

 そしてこれはアリスに限った話ではない。

 

「我々も似たようなものだ」

「笑うべきところかね? 静流君」

「ああ。腹を抱えて笑うところだ支部長」

 

 当たり前のように行使している自分たちの力も、普通の一般人から見ると大差はない。

 国道の前で、駅のホームで、マンションの階段で。

 アキラが『力』を使って人の背を軽く押したら即席完全犯罪の出来上がりだ。

 御門に至ってはその気になれば半径数kmにも亘る範囲で人を発狂させられる。


 能力者の存在が明るみになった時、自分たちを待ち受けているのは終わりの無い魔女狩りと、戦争だ。


 だからこそ犯罪を犯した能力者は、能力者の手によって罰を下さなくてはならない。

 自分たちが秩序を守れる存在なのだと、安全な存在なのだと身を以て証明しなくてはならない。

 果て無き地獄の顕現を阻止する為にメビウスという組織は在るのだ。

 やるべき事はただ一つ。警察よりも早く犯人を発見し、そして撃滅することだ。



『『『We’re done!!』』』(できたよー!)


「お~ おつかれ~!」


『『『Otsukare~~!』』』

 


 そんなことを考えているうちに、作業は終わったようだ。

 見れば菊池のマンションで見たものと同じウェブサイトでアリス達が得意気に胸を張っている。一番偉そうにしているのは、一番仕事をしていない魔法少女アリスだ。

 すると、演出なのか本気なのかわからないが、顔を煤だらけにした土方アリスが、ドンッ と魔法少女アリスを肩で突き飛ばし、件のコミュニティのタブに向かって伸びた導火線に火を点けた。

 

 安斎が「あぁっ! アリスたん!」と狼狽えているうちにも、ジジジジ とやけにリアルな効果音と共に導火線が燃え、タブに届いたと思ったら画面が大爆発した。

 

 モクモクと立ち込める粉塵。しばらくして煙が晴れると、咳き込んだアリス達がギャーギャー騒いでいる。もちろん全員が全員、見事な『爆発後ヘアー』である。

 そして導火線に火を点けたアリスが満足げにタブの方を指差すと、その地点から間欠泉のように情報があふれ出した。

 行方不明とされていた『佐藤』のログと、アクセス情報や端末情報が、早送りのエンドロールの様に流れる。


「こ、これは……」


 

 全員が驚愕に目を見開く。

 そこにはコミュニティ内のチャットをはじめとして様々な情報が表示されているが、その中で静流が着目したのは2点だった。


 まず、行方不明になり、殺されたと言われていた佐藤が、つい昨日ログインし、サイトを見漁っていた事。 

 そして……


「空間操作系、独自領域の構成…… 結界師か……っ!」


 その佐藤が希少な空間操作系の能力者であるという、思わず舌打ちしたくなるような情報であった。



「静流さん、これは……っ」

「ああ。ビンゴ、だな……」

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