第30話 人であるために⑩

「いいか、待っていろ。これは命令だ。悪いようにはしない。これは私の仕事だ」


 静流はアキラにそう告げると、アパート入口に立つ警官に身分証を提示した。警官はそれを確認すると、幾分緊張したように敬礼を返す。それを見ていた顔も知らない捜査官が盛大に舌打ちをした。 


「けっ 下請の分際で……」


 入口に足を踏み入れた途端、どんよりとした敵意に晒される。強権をもつメビウスの構成員をあからさまに遮る者もいないが、あからさまな反感を隠す者もまたいない。

 公安直下の特別部隊様が何をしに来た。専門的な知識も技術も無い素人同然の小娘が。

 言葉にしなくとも誰もがそう思っている。

 警察といっても能力者の事を知る人間はほんの一握りだ。彼等は、警察から投げられる雑務で食ってるだけの連中がなぜ強権を握っているのか、納得出来ないのだ。

 

 しかし静流が怯む事は無い。元々の性格もあるが、それ以上に飽きる程こんな空気に晒されたら、どんなヘタレだって少しくらいは慣れてしまう。

 玄関に上がり、短い廊下を数歩で渡り切って部屋に入る。

 ひび割れた漆喰にほつれた畳、壁に立てかけられた折り畳み机。ここは居間だろうか。狭い部屋だ。左手にはボロボロの襖で区切られた寝室。そんな広くも無い部屋に、幾人もの鑑識官が真剣な表情で動き回っている。


 スンっとかるく鼻を鳴らすと、部屋に入った時から気になっていた何かが焦げる匂い。仄かな熱気を感じて脇を見ると、生活空間には場違いなほど薄汚れた一斗缶が置かれ、その中では火が消える寸前の墨が弱々しく燻っており、一斗缶が置かれた畳が一部炭化していた。


 そして、静流は見ないよう意識的に視界から外していたモノに、覚悟して視線を向ける。

 そこには、上半身を裸に剥かれ、両手足を縛られ、可動域の限界を超えたエビ反りの体勢のまま


 人であったモノが、転がっていた。


 その両目はカッと見開かれ、頬には涙、口元には涎が流れ乾いた跡が白く粉を噴いている。

 生きている時に抵抗したのだろう。手と顔周りに刻まれたいくつかの切り傷は、皮が弾け、傷口以上に丸く広がっていた。

 それだけで凄惨な殺人現場だ。見慣れぬ者ならば口元を押さえ、目を背け、吐き気を堪えるため深呼吸をする事だろう。気の弱い者なら失神し、心の弱い者なら泣き叫ぶ光景に違いない。


 しかし、そんな現場に慣れた者すら絶句し、背中を這いずる怖気に足を震わせてしまうのは、ソレがあまりにも惨たらしい今際を晒しているからだ。

 

「これは、惨い……」


 部屋の隅に置かれた一斗缶が何のための物か、嫌というほど思い知らされる。剥き出しの上半身には無数の火傷。肩も腹も腕も、胸も、そして顔も。

 皮膚の一部は炭化し爛れている。その周りには固まり変色した血液がこびり付いており、引き攣った肉からは白い脂肪が覗いていた。

 それだけではない。彼女は……


「まるでホラー映画だ……」


 まさに拷問だ。

 これが人の所業なのか、現実味が無さすぎて滑稽にすら見える。まるで性質の悪い悪戯か、悪趣味なオブジェのようにも見える。

 それほどまでに、人の口から鉄の棒が生える光景というのは、衝撃的だった。


 酷過ぎる。マトモじゃない。

 喉の奥に焼けた鉄の棒を差し込んで窒息死させる。それが普通の神経の人間に出来る事とは到底思えない。

 肉が焼ける音、はじける体液、立ち上る煙。どれをとっても真っ当な人間には耐えられるはずが無いのだ。

 

 袴田の言った通りだ。安置される遺体を見ただけでは想像も出来なかった狂気がここにある。

 静流は遺体を見た瞬間理解した。今までの3人と同じ手口。模倣犯などではない。能力者狩りだ。

 犯人はイカれてる。芯から腐ってる。

 このままにしておけるはずが無い。いつどこで仲間が標的になるかもわからないのだ。

 静流は険しい表情のまま、奥歯をギリっと鳴らした。 


 その時、寝室でフラッシュが瞬く。何かあるのかと、静流は視線だけでそちらを覗く。


「~~~っっ!!」


 言葉を失った。

 敷かれた敷布団の上。

 車に轢かれた蛙の様な体勢で、根元まで露出した舌をベロンと顎まで垂らし、眼球が半ば飛び出ている少女。首元には黒ずんだ手痕。

 そして―――


「強姦してやがる。こんな小さな子を……っ」


 警官の一人が吐き捨てる。

 剥き出しになった恥部からは鮮血が滴り落ちていった。更に――― イヤだ、これ以上は見たくない。 

 人として一番悍ましい悪意が10歳かそこらの少女にぶつけられている。そんな惨状を同じ女である静流が正視するには耐え難いものがある。



「お、俺じゃねえっ! おれはこんなっ 俺はこんなキチガイじゃねえっっ!!!」


 

 声の出所に顔を向けると、部屋の隅っこで数人の警官に囲まれている男がいた。

 壁に寄りかかり座り込んだまま、時折うわ言の様に何かを呟き、聴取する捜査員に向かって口泡を飛ばしている。

 何を思ったか、めんどくさそうな顔をした捜査員の一人がボソリと耳打ちしてきた。


「第一発見者だ。金の取り立てに来て上り込んだ時にはこうなっていたそうだ」

「被疑者なのか?」

「まずはな。だがまあ、違うだろうな。わかるだろ?」

「ああ。私もそう思うよ」


 静流もその捜査官動揺、一目見て犯人ではないと思った。

 静流の『勘』が「ヤツじゃない」と囁くのもあるが、もし能力が無くともわかる。この惨劇の痕を見て脅えきっているような普通のチンピラが、こんな悍ましい犯行に及べるはずがないのだ。


 女性も少女も肌の色が日本人ではない。顔つきは南方人のものだ。

 おそらくは、残念ながら今日会う予定だった人物に間違いないだろう。

 静流は静かに首を振った。

 こんな悪意を煮詰めたような惨状をアキラに、他人の痛みに共感してしまう優しい少年に


「見せれるわけが無い…… 折を見て説明するしかないな……」


 現場で出来る事は多くない。

 捜査や証拠収集といった点で警察という組織に勝てる者などいない。いくら強権を持っていたとしても戦闘屋の静流に出来る事など限られているし、捜査官の邪魔しないようにするのがせいぜいだ。

 現場に入ったのも、能力者の視点から何か痕跡を探れないか、自分たちの職務に係る『何か』が残されていないかを確認するためであり、用が済めばさっさとアキラを引き摺って事務所に戻るつもりだった。


 しかし、ここに来て静流は微かな違和感を感じていた。

 

 今回と同様の手口で殺された他の3人は『ライト・ハンド』という能力者が交流するサイトで同じコミュティに所属し、実際に顔を合わせていた。

 1人目の被害者は若い女性であるが、彼女は強姦されてはいない。

 2人目3人目などは男性で、その残忍な殺害方法からも、能力者に対する恨みを持つ人物の犯行だと思っていたが、この現場を見ると何かがちぐはぐに感じる。

 

 言うなれば他の3人は制裁だ。

 犯人の中で許せない何かが在り、決まった手順と殺害方法に儀式めいたようなものを見出していた。熱した鉄棒を使った拷問も儀式の中の舞台装置でしかなかった。

 

 しかしこの現場はどうだ。

 

 静流も何度か見たことがある。これは快楽殺人の現場と同じだ。血も涙も無い獣の所業だ。

 執拗なまでに焼かれた遺体を見るに、醜悪な欲望を満たすだけの吐き気を催すような悪意を感じる。

 おかしい。何かが引っかかる。

 模倣犯ではないと思う。だがなぜこれほどまでに同じ手口で感じるものが違うのだろうか。


 それに、犯人はなぜ彼女を能力者だと知っていた。

 サイトのコミュニティをターゲットにした事件ではなかったのか。なぜまだ登録もされていない人物が殺され、その娘が辱められたのだろうか。

 何かを見落としているような気がしてならない。

 なぜだ。どうして―――



「カレン・・・さん・・・」



 それは、呻き、だった。

 その声に思考の渦から引き戻された静流は、ハッと部屋の入り口を振り返った。

 そこに呆然と立ちすくむのは、残酷なほど優し過ぎる少年。

 彼は居間のとある一点を見つめて、唸り声のようなものを喉から漏らす。視線が向かう先など追う必要も無い。 

 静流は反射的に遺体とアキラの間に入った。もうとっくに手遅れだと言うのはわかっていても、そうせずにはいられなかった。

 フラフラと遺体に歩み寄るアキラが擦れた声を上げる。


「そんな…… うそだ……」

「アキラ! 何故来た! 待っていろと言ったはずだっ! おい誰だ!? この子を現場に入れたのはっ!?」

「今日、説明するって、サポートするって、し、信じてるって…… そんな、そんな……」

「出ていけっ! 見るんじゃないっ!!」

 

 捜査員たちが何事かと注目しているが知った事では無い。

 静流が怒声をあげながら、アキラに抱き着くようにして部屋から出そうとする。しかしどこにそんな力があるのか、アキラは静流の存在にも気付いていないように、ただ強引に足を踏み出し遺体に近づこうとする。

 

「アキラっ! 話を聞けっ! お前が来ていい場所じゃないんだっ!!」

「カレンさん…… カレンさん……」

「くそっ!」


 夢遊病者のようにうわ言を繰り返すアキラの耳に、静流の思いは届かない。

 これ以上現場を荒らすわけにはいかない。何よりこの少年を悪意から守らなくてはならない。

 静流も必死だった。必死になってアキラを外に連れ出そうと、部屋の入り口で揉み合っていたその時――

 

「なん……だ……?」


 外の踊り場、玄関の前を通り過ぎた一つの影。

 一瞬見えたソイツの口元が、歪んだ気がした。

 うなじの毛がゾワリと逆立つ。パズルの最後の1ピースがハマったような強烈な悪寒。 

 何だ、今の感覚は。自分は何を見落としていた……?


 静流は忘れていた。いや、それに気を取られていた。

 正面の遺体をアキラに見せないようにするのに必死だった。


 ほんの少し。ほんの少しだけだった。

 ほんの少しだけ左を見れば、そこにはもう一つの悪夢が在る事を。彼女はその時、思い至らなかったのだ。

 ようやくアキラを部屋から押し出す寸前

 アキラがフイッと左を見た。

 

 特に意図は無かったのだろう。何かを感じたとか、様子を伺うためとか、そんな理由など無かったのだと思う。ただなんとなく、言うなれば偶然に。

 しかし、アキラは左を見た。見てしまった。




「エリカちゃん……」




 耳元に直接吹きかけられるようなその呟きを聞いて、静流の背筋が凍る。

 可愛らしい子なのだと、お母さんを支える頑張り屋さんなのだと、自分の妹のように感じたと、アキラは言った。

 犯されていた。殺されていた。見るも無残に。悪魔のような形相で。

 それをアキラは―――


「あ、ああ、ああああ……」

「アキラ、違う! 違うんだ落ち着けっ!」


 ブワリと全身の毛穴がかっ開く。背中に氷をぶち込まれたような悪寒が弾ける。



―――ズンッ



 そんな音が聞こえた気がした。

 と同時に不可視の『何か』に押さえつけられたように体が動かなくなる。アキラの肩に縋っていないと、今にも床に沈んでしまいそうだ。

 部屋を見ると他の捜査官も同じだった。膝をつく者、うつ伏せになってもがく者、みな何が起きたかわからず視線を彷徨わせている。

 

 暴走オーバーセンスだ。

 

 部屋の床がミシミシと不気味な音を立てた。静流の『勘』が最大級の警報を鳴らす。



―――ヤバいのが来るっ

 


「アキラァっ!!」

「ああぁ、ああぁぁあぁあああぁ――――ケェっ」


 頸動脈を閉められ、うっ血していく少年の顔色を見ながら、静流の中、唐突に違和感の正体が姿を現した。

 そうだ。何かをしたら誰かが見ている。声を上げたら誰かが聞いている。

 人の繋がりが薄い都会だとしてもそれは同じこと。ボロボロのアパート、薄い壁。そして被害者は2人。

 悲鳴が上がらないはずが無い。あんな大がかりな拷問をしてさらには強姦までして、それでも通報されないなんてことは有り得ない。金貸しか何かが上がり込むまで誰も気付かなかったなど馬鹿げた話、通常では考えられなかった。

 そう『通常』では。だ。


 殺された4人の能力者。サイトのコミュニティ。未登録者。繋がったと思ったら離れてしまった接点。

 共通するのは殺害方法と、犯人の足取りがつかめないという事実。 

 凸凹でバラバラだと思えるそれぞれのピースを掻き集める。

 それらを繋ぎ合わせた時、静流はこの事件のおぼろげな姿を見た様な気がした。分からないことだらけだ。敵も、動機も、その思想も。

 だが、メビウスにとってそれらの事は重要ではない。たった一つの事実がわかればいい。能力者が犯罪を犯したのか、そうではないのか。たったそれだけがわかればいい。

 

 だから静流は嗤ったのだ。蜷局を巻き始めたドス黒い感情を隠しもせずに。

 獰猛な笑みの奥に蠢くのは、山麓から湧き出る清水のように澄んだ殺意。


 首都の片隅、下町の安アパート。凄惨な現場。捜査員たちが戸惑いに目を瞬かせる中、

 最果ての世界で踠く1匹の獣が、崩れ落ちた少年を抱き締めながら、牙を剥き出した。



「安心しろアキラ。私が犯人を、殺してやる……っ」

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