第28話 人であるために⑧
「昨日は遅かったな。心配したんだぞ」
「………………へぇ」
しれっとのたまった静流をアキラの無表情が迎え撃つ。
物凄いフラットな『へぇ』に、静流がサッと目を逸らした。
朝日が昇り切った位の時間帯にアキラが事務所へ着いた時、リビングスペースはカオスだった。
床で爆睡していた楓の顔周りの床には寝ゲロが広がり、静流はいつも通りスポーツブラとパンツ一丁で大の字になっていた。
そして、捲れ上がったスポーツブラから完全にはみ出した下乳を、安斎が四つん這いになりながら撮影していた。
カギもかかってなければセキュリティロックも作動していなかった。
とりあえず3馬鹿は正座である。
上の住居スペースから降りてきたルルとアリスがその状況に興味を示したのは一瞬だけ。
ルルはさっさと片付けを始め、アリスは嬉しそうにアキラの腰に抱き着いた。
「アキラ君。外泊とは感心しないな。連絡くらい出来なかったのかね?」
眉を顰め、アキラを咎め立てしようとする安斎。
静流の下乳を舐めるように撮影していた変態がどの口で道徳を語るのか理解に苦しむ。あと、正座させられている側が言って良い台詞ではない。
「……………アキ子ちゃん」
「なっ! なぜ君がその名をっ!?」
動揺を露わにした安斎の肩をルルがガシっと掴む。
「坊っちゃま……? まさかまた、あの店に……?」
アキラは生ごみを見る様な目で奥の部屋に引きずられていく安斎を見ていた。
すると屈辱に身を震わせていた巫女が抗議するように叫ぶ。
「も、もやしっ! わ、私はいつまでこうしていればいいのです……っ!?」
アキラは吐瀉物臭い巫女の目の前に、パンパンに膨らんだ買い物袋をドンと置いた。
「もやし様にお伺いしてください。食べたかったんでしょう?」
「む、無理ですっ! こんな大量のもやし……様…… 食べられるわけが……」
「腐らせたら銃身に詰めときますんで」
泣きそうな目で縋り付いてくる楓をバッサリ切り捨ててから、アリスの頭をよしよしと撫でた。
「ふに~~」
「よしよし、アリスは可愛いね。アリスはこんなダメ大人になっちゃいけないよ?」
すると、アキラの腰に顔をすりすりしていたアリスが、おずおずとアキラを見上げ、何かを差し出してくる。見るとそれはアニメの円盤。
一緒に見て欲しいのかなとタイトルを見やると『まじかる☆大・虐・殺www」の文字。
不穏な単語と鬱蒼と茂る草に嫌な予感がする。ケースをひっくり返して裏側を見ると、魔法少女モノだというのに何故かモザイクがかかっていた。
「いいかいアリス? これはダメな奴だから僕が預かるね?」
「ガーン!」
ションボリしながら自分のデスクに戻ったアリスが猛烈な勢いでキーボードを叩き始める。
画面をチラ見すると6つのディスプレイ全てで別々の通販サイトとアニメサイトを見漁っていた。駄目大人に囲まれた彼女の将来が少し心配だ。
そうして少しアリスの教育について思案していると、突然、安斎のデスクで電話が鳴り出した。
奥の部屋からルルが出てきて、安斎に確認するでもなく電話を取る。
「はいメビウス第三支部、天田でございます。はい、はい安斎でございますね? 少々お待ちくださいませ。坊ちゃま、坊ちゃま~」
すると、奥の部屋からボロボロになった安斎が出てきて電話を取った。ストレスのあまり幾分生え際が後退したようにも見える。
安斎は電話の相手に何度かやり取りをした後、電話を切ってリビングで正座する静流を見やった。
「崇岬君、情報が入った。好間住宅街に向かってくれたまえ」
□□□□□□□□□□
「頼む、助けてくれ! 次はきっと俺が殺されるっ! あんたら私軍は能力者専門の武力集団なんだろ!?」
そう言ってとあるマンションの一室で静流に縋りつくのは50代前半の小太りの男。精神感応レベル1の菊池洋平だ。
その丸っこい体躯からは想像できない程、頬が扱け、げっそりとやつれ果てている。思い詰め、追い詰められた様子がこれでもかというほど覗える有様である。
「菊池さん、だったか? なぜあなたはそう思う? そしてなぜ能力者や私達の事を知っている?」
警戒を隠さず静流が問う。優しく話を聞く雰囲気ではない。詰問する口調だ。
それは当然といえば当然だった。
メビウスは表向き、官民出資の警察下請会社だ。
『私設軍事的実力を保持する社団の設立及び運営に関する法』、通称『私軍関連法』は、第二次朝鮮戦争に端を為す大東亜戦争、その傷による半島の政情不安や、泥沼化の一途をたどる中国の内紛による周辺各国の緊張。そして壊滅した東京と、消耗した防衛力に危機感を募らせた国が、退役した自衛隊員や、高度な技術を有する軍人を招いて人的資源不足の解決を図ろうと、二〇一一年の通常国会において提出され、与野党共に賛成多数で可決された法である。
もっとも、あまりに厳しい設立条件や、遅々として進まない施行令の制定、それによって、当時この法律が運用されることは無かった。
ところが二〇二二年の通常国会にて、死んでいたこの法律が警察法や警職法その他の関連法案の特別法としてひっそりと大幅改正され、別の目的で運用されるようになった。一定の警察権その他権力を有する第三セクター『私軍法人メビウス』の誕生である。
職務内容は、能力者の探査・教育、能力者による犯罪の防止・更生、能力者の存在が明るみに出ないよう防止・工作が主なものだが、表向きは、警察でなくても出来る『雑務』を引き受ける準警察組織であった。
秘匿された能力者のことを大っぴらに公表するわけがないし、馬鹿げた職務内容を公に出来るはずが無い。それは能力者に対しても同様である。
彼等の面談をしたり、近況を聞いたりと接する機会はあっても、メビウスが武装組織であることを知っている者は限られているのだ。
「俺は知ってる、『ライト・ハンド』のコミュニティーで聞いたんだ!」
「ライト・ハンド……?」
「知らないのか? ウェブサイトの名前だ。能力者達が悩みを打ち明けたり近況を報告したり、交流目的の会員制サイトだぞ」
「なんだとっ!?」
静流が絶句する。
ありえない。
会員制と言えども世界中と繋がったネットの話である。どうしても情報は流れるし、秘匿性を保てるわけが無い。能力者の存在が世間にひた隠しにされているのは、彼ら自身を保護するためだ。普通の判断能力を有する者ならそのくらいわかっているだろうに、一体なぜ身を危険に晒すことを知りつつ、そんな軽挙に出れるのか。
「ああ、大丈夫なんだ。会員制といってもそのサイトのガードの固さは尋常じゃない。見てくれ」
そう言って菊池が手元にあったオープンデバイスを操作してブックマークを開いた。
「あっ! そのサイト!」
「知っているのかアキラ!?」
「これ、昨日見ました!」
投影ディスプレイの表示されたのは、アラビア文字のような文字と、文字化けした意味不明の文字の羅列。アキラが昨日、アリスのPCで見たものと同じサイトだった。
どういう事かとアキラに詰め寄る静流を余所に、菊池はメモリースティックをデバイスに差して、表示された実行ボタンをタップした。
すると突然意味不明な文字群であったサイトが、上部から分解・再構築され、アニメタッチな右手が閉じたり開いたりする画像が浮かび上がる。菊池は迷うことなく画像の下にある、IDとパスワードの入力欄に文字を打ち込むと、画像をタップしてログインした。
「これは、良くない、良くないぞ…… 能力者達が積極的に連絡を取り合うなんて、危険視されてもおかしくない……」
厳しい表情のままの静流が視線を向ける先。
ポップな字体で「ライト・ハンド」と表示されたサイトのタブには、『最新にゅーす』『お悩み相談掲示板』そして―――
「『同志、集まれ!』…… 静流さん、これって!」
「ああ、武田がフィットネスクラブの店長に語っていた言葉だ。まさか……」
「た、武田君は知り合いなんだ! 野村さんも瀬田さんも…… 見てくれ!」
菊池の口から飛び出した「野村」と「瀬田」の名に、静流がギョッとしたように菊池を見る。野村かな子は一人目の、瀬田武雄は二人目の被害者である。
なぜ菊池が彼らの事を知っていたのか、そしてなぜ能力者であることを知っていたのか。どうやら答えはこのサイトにありそうだった。
菊池が『同志、集まれ!』のタブをタップし、再度パスワードを入力した後に開いたページを食い入るように見つめる静流とアキラ。
どうやらそのページはチャットルームのようなページであった。
それぞれのハンドルネームが設定された5人の人物たちの書きこみが時系列に並んでいる。
内容としては、人質に対する罪悪感の吐露に対する励ましの言葉があったり、頭を覗かれる嫌悪感について語っていたり、能力を生かした株取引に関する記載もあった。
能力者としてみんなが同様に持つ悩みや願望が遠慮なく書かれ、時に真剣に、時に冗談めかしたやり取りで盛り上がる。そんな他愛のないものが殆どだ。
画面をスクロールして見ていく中で、静流がとある一点に目を留める。
「OFF会だと? もしかしてあなた達はどこかで会ったのかっ!?」
すると菊池がどこか疲れた様な表情で口を開く。
「ああ、会ったよ。5人で酒を飲んでカラオケにも行った」
これは驚くべき事実だ。
能力者が5人集まり集団行動に及んだ。これはメビウスや公安といった、組織的活動をしていない者について言えばありえない事だった。1億4千万人が暮らすこの国で、たかだか800人程度しか確認されていない能力者が5人も一同に会するのだ。それが例え単なる飲み会なのだとしても異常な事態と言えるだろう。
それが事実だとしても、静流にはどうしても看過できない点が一つだけある。それは能力者ならば誰もが避けて通れない屈辱の門。
『サイコダイブ』である。
「なぜ上はこの事を知らない……? 頭を覗かれればこんなことすぐにわかるのに……」
「そ、それは…… あんたらには、言いたく、無い……」
助けてくれと一方的に縋った相手に言う言葉ではないとアキラは思うが、それでも怒りと苦しみを滲ませた菊池の顔を見ると、口を閉じるしかない。サイコダイブは能力者達にとって一番の屈辱だし、これを避ける方法があるならば誰だって知りたいに違いない。
彼らにとってみたら、アキラとて権力側の人間で、彼等は管理される側だ。気持ちは痛い程理解出来る。そしてそれは静流も同様であった。
「今は問わない。だがこのサイトは今回の事で上に知られる事になるだろう。その先には責任持てんぞ」
「わかってる。それでいい。助かるよ」
「それよりも今回の件だ。5人が会い、そのうちの3人が殺された。次は自分の番だと言う。もう一人はどうした? 何か5人で恨まれるような事をしたのか?」
菊池が唾を飛ばしながら激昂する。
「俺たちはやましい事なんて一つもしてない! 同じ悩みを持つ者同士、会って酒を飲んだだけだ! あんたらには解らないだろうよ俺たちの苦悩なんかなっ! もう一人の…… 佐藤さんは連絡がとれない…… 行方不明になってるらしい、きっと…… だから次は、俺だ…… くそっ! 俺たちが何をしたっていうんだっ!!」
菊池が荒々しくテーブルの上の物を払う。
広い室内、落ちたコップの砕ける乾いた音が、ただ悲しく響き渡った。
□□□□□□□□□□
「よかったんですか……?」
「ああ、サイコダイブの話か? どうせ時間の問題だ。私がしなくても問題無いし管轄外だ。それに何かをしたってわけではなさそうだしな。罰せられる理由もあるまい」
いつもの車内で、紫煙を燻らせた静流がどこか疲れたように煙を吐く。
静流たちには、法的根拠無く家宅捜査するような権限も、理由なく相手を拘束する様な権限も無いし、孤独な能力者一人をいたぶる趣味も持ち合わせていない。
彼等の過去の動向は、テレパス部隊が重箱の隅を舐めつくす勢いでやってくれるはずだ。
先程の出来事は全て安斎に報告したので、おそらく悪いようにはされないだろう。
本名かどうかわからないが、行方不明になった『佐藤』という男の情報が得られたのも収穫だった。帰ったらサイトから辿って調べてみる必要がある。
突如として動き出した事件を取り巻く環境に、静流は獰猛な笑みを浮かべた。
「静流さん、その顔怖いですって…… それよりも今から―――」
「ああ、お前が昨日発見した能力者だろう? 昨日のお前の端末ログを抜いて場所は特定してある。今向かっているよ」
「ちょ、人の端末勝手に! 覗くどころかデータ抜き取るなんてっ!」
すると静流が器用にタバコを加えたまま片頬を釣り上げ、アキラにドヤ顔を向ける。
「ははは、いつものことだろう?」
「だからそれを普通にしないで下さいよ!! ちゃんと前見て運転して! 自動操縦じゃないんだから!」
「カレンさんか、彼女、今日は18時に出るんだろ? タイミング的にはギリギリだな」
時計を見るともう15時を回っている。
菊池保護の手続きや、5人が会ったという場所、佐藤という男の情報などを聞いていたら思いの外時間が経ってしまった。
「一応、今日二人で会いに行く約束しちゃったので、会うだけでもお願いします。勝手に決めてすみません」
素直に謝れるのはアキラの良いところだと、自分の所業を見返した静流は一人苦笑する。
アキラが我儘を言うのは珍しい。しっかりしているせいで忘れそうになるが、まだ彼は高校生で子供なのだ。
未登録者を発見してしまったことに戸惑い、彼女の人生に多大な影響を与えてしまう事を恐れている。かつて静流がそうであったように、そして都度感じる罪悪感を、16歳の少年が一人抱えるには早すぎる。
カレンには一度会って、さわりを説明したら後日ちゃんと時間を取ったほうが良さそうだと静流は思った。滅多にいない治癒能力者である。何とかして協力体制を築きたいという下心もあった。
「彼女に惚れたか?」
「なっ! そんなことないですよ! す、素敵な女性でしたけどっ!」
「ははは、勘弁してくれよ。御門が大爆発したら手に負えん」
他愛も無い話や、先程の菊池の情報を分析しながら20分ほど車を走らせ、ナビ表示で目的地まで5分程度の所に来た時だった。
「妙だな…… 警察車両がやけに多い」
「なんかあったんですかね?」
そんな会話をしているうちにも1台のパトカーとすれ違い、救急車のサイレンが聞こえ出す。
眉を潜めながら車を進めていると、目的地の直前でとうとう規制線が張られ、周囲は多数の野次馬と物々しい雰囲気に包まれている。立入を制限されているのは、おそらく目的のアパートだ。
静流は車を脇に寄せて車を降りると、規制線の外で警備をする警官に身分証を提示して事情を聴いた。
「何かあったのか?」
胡散臭いものを見る目で身分証を一瞥した警官が、渋々といったふうに口を開く。
「殺人事件です。犯人らしき男は現行犯で逮捕されましたが、今、実況見分中です。できれば立入は御遠慮いただきたい」
アキラが呆然と目を見開いて震えている。
静流は、嫌な、とても嫌な『予感』に襲われるのを感じていた。
「……被害者は?」
「外国人らしき親子です」
「我々も検分に参加する。法的な権限に疑義があればこちらに―――おいっ! アキラ待てっ! アキラぁっ!!!」
野次馬を掻き分け、警官を突き飛ばし、静流の制止を振り切って
アキラはアパートに向かって駈け出していた。
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