第27話 人であるために⑦
アキラは高校生と言えども社会常識を知る年齢である。
たとえ上司たちが酔っぱらってクダを巻いていようと、その上司たち酔っ払いに酒の買い出しという仕事と全く関係無い事を指示されていようと、通すべきスジはキチンと通さなければならない。
泊まっていけと言われて、「はいわかりました」だけで外泊ともなれば、さすがに適当な大人達だって起こるに決まっている。
そう思ってアキラは事務所に電話をかけた。
「……出ない」
次に静流の端末へ。
「……絶対寝てる」
念のため楓の端末にもかけてみるが、見事に反応は無い。
席を離れただけかと思いメッセージを送ってみるが既読反応も無い。
「……夜中に買い出しさせといて普通に寝てるとか……」
どうしようもない大人達だった。
酒あったらいいな~ くらいのテンションで夜中に買い物を命じられ、トラブルに巻き込まれケガまでしたというのに当の本人たちは素知らぬ顔。しつこい電話のコールにすら気づかない程、思いっきり爆睡してやがるのだ。
「許すまじ……」
である。
静流の家に帰ったらカレー風のシチューを作ってやろうと固く決心する。
楓はこっそりコスプレ写真撮って鏑木に引き渡そう。何気にクラスで需要があるので今朝の口止め料としての役割を果たしてくれるに違いない。彼の仕事は写真の販売からスレ立てまでと幅広い。
それでも連絡をとろうと頑張った証拠はもう少し残したいところだ。
なので無駄と思いつつも、念のため安斎の端末にも電話をかけてみる。
「アキっ アキ子ちゃん!? ダメだって! 今職場だからっ! ウチのメイドが煩いからっ! 週末また店に行くからそれまで待っててチョンマゲっ!」
―――ツーツーツー
最早言葉も無い。
独身の彼がなぜか天田に偽装を計っているらしい。そして安斎の端末には、お店のアキ子さんが『アキラ君』という名前で登録されているらしかった。
あと『チョンマゲっ!』が物凄くイラっとした。
「……ルルさんに報告だな」
美人で糸目のメイドさんは何故か安斎に容赦が無い。
以前、気になってさりげなく聞いてみたのだが、驚くことに安斎が小さい頃からメイドとして家に仕えており、安斎もルルには頭が上がらないらしい。
天田ルルは見た目は静流と歳が変わらない。若作りをしているとか、歳のわりに若く見えるとか、そういう次元ではなく、ただ単純に20代前半の容姿を保っているのだ。
どう考えたって計算がおかしなことになっていると思うが、能力者なんてものがこの世にいる以上、気にしたら負けだ。
しかし、どうやら本格的にお泊りの気配が濃くなってきた。寝室に使っているらしい隣の部屋からは、横になって5分もたたないというのに、エリカの可愛らしい寝息が聞こえてきて妙に無図痒くなった、
この家がどこにあるのか、土地勘の無いアキラには解らないし、高校生の身としてはタクシーを呼んで帰るのにも抵抗がある。そもそもポケットに入っているお金はアキラの物ではないのだ。
溜息を吐きながら端末を閉じると、丁度カレンが風呂から上がってきた。柔らかそうな湯気を巻き付け、シャンプーの淡い香りが健全な高校男子の煩悩を刺激する。
化粧を落としたその顔は元々の童顔も相まって酷く幼く見える。ルルもそうだが、カレンも十分化物だ。
カレンが折り畳み机の前でお茶を飲むアキラの横に無言で腰を下ろす。
男の子専用書籍ならばバスタオル一丁でのにゃんにゃんシーンとなる筈だが、普通にホットパンツとTシャツ姿である。落胆と安堵が入り混じった心境でアキラが口を開いた。
「あ、布団ありがとうございます。エリカちゃんは寝ちゃいましたよ。それより本当に泊まってっちゃっていいんですか?」
「ジカンもおそいし、エンリョしないデ? ソレにあんなコトがあったカラ、チョットだけコワイ」
まったりしたおかげですっかり忘れていたが、今日、カレンは男に暴力を振るわれていたのだ。家庭では明るく気丈に振る舞おうとも、その恐怖がすぐに消える筈も無い。
「あの男は何者なんですか? 全く知らない赤の他人に暴力を振るわれていたんですか……?」
「チガウ…… アノおとこは、コーディネーターのシタッパ。ワタシがこのクニにくるタメにひつようなショルイとかシゴトとかをショウカイしてもらっタ」
「コーディネーター……?」
「ソウ、かれラは―――」
カレンは日本に来て14年。それまではフィリピンの飲食店で働いていた。日本に行くなんて想像もしたことが無かったのだという。普通に母国であるフィリピンで働き、結婚し、子供を産む。そんな世界各国共通のありふれた現実の中で生きる有り触れた女性だった。
しかし、病気がちだった母親が倒れてから状況は一変する。
保険制度も未整備なフィリピンで高額な治療費を支払うのは17歳の少女には不可能だった。体を売ったところでたかが知れている。必要な資金には到底届かない。
そんな時に日本の話を聞いたのだと言う。戦争後に移転した首都磐城。急激な成長と資金流入で景気が沸きに沸き、唸る金が落とされる夜の店もまた鼠のように繁殖し、人出が全く足りていないと。
カレンが人づてを頼ってコーディネーターに会ったのはそんな時だったという。
フィリピンは戦争時に日本に無償協力をしたこともあって、国民感情がすこぶる良い。数百万人の人口が失われ、それを補てんするかのような移民政策で受け入れられた多くの人間がフィリピン人であった。
そんな大きな流れの中、カレンは正式な移民として日本に流れ着く。
彼女は契約通り必死で働いてコーディネーターに報酬を支払った。男にだまされて子を身籠っても、蒸発した友人の子供を引き取っても。カレンは一生懸命働き続けた。そしてようやく先日、契約の金額を支払い終えた。
「なのにまだお金を要求してくる……と?」
「インチキしたことをばらすゾっていわれテ…… ベンゴシさんはムシしてダイジョウブって。だからムシしてタラ……」
おそらくカレンを襲った男ははぐれ者なのだろう。
後ろ暗いのはお互い様だ。移民手続きの際の不法行為をバラすということは、自身の悪事をも告白するという側面を持つ。
商売として移民コーディネートを行うのはほぼ間違いなく裏社会の人間であるが、彼等は支払さえキチンとすれば、欲を掻いて約束を破ったりはしない。出るところに出られて困るのはむしろ彼らのほうだ。
だから相談した弁護士の言は正しい。何より移民後10年が経過し、日本に帰化した彼女は端緒がどうあれ、もう正式な日本国民なのだから。
「ママはたすからナカッタ。そしてもうワタシはニホンジン。だからこどもタチもニホンジンとしてそだてルの」
アキラは、母親より流暢なエリカの日本語を思い出す。
肌は褐色。顔立ちは南方人。なのに出された食事も全てが日本の物だった。
カレンとしては故郷の味が恋しくなる事だってあるだろうに、台所に並ぶ調味料にそれらしきものは一つも無かった。
そこには母としての決意と覚悟、そして子供達に日本で幸せに暮らしてほしいという深い愛情がある。
ただでさえ異物を排除したがるこの国の風潮の中で、肌の色が違う事は大きな障害となるだろうが、箸を持ち米を食べ味噌汁を飲み、日本語を話す、そんな見かけが少し違うだけの日本人を排斥するほど人は冷酷にはなりきれない。
子供に、『文化』という名の武器を握らせることは、彼女にとって嬉しくもあり、辛い事に違いない。
「ケイサツにいってみるヨ。みんなハナシをちゃんとキイテくれるカラ」
「ですね。何かあれば僕も証人になりますよ」
母は強し。これは日本の言葉だったろうか。いや、きっと世界中で似たような言い回しが在るに違いないとアキラは苦笑した。のほほんとした自分の母親も、ニコニコ笑いながら父親のケツを叩いている。
そんな話をしていると、カレンは膝を怪我していた事を思い出した。皮膚がアスファルトで破れ、足首まで血が垂れるくらいの傷だ。きっと痛いに違いないとアキラはホットパンツから剥き出された褐色の足に視線を向ける。
そして、怪訝そうに眉を潜めた。
「うそ、アレ……? 膝、怪我してませんでしたっけ?」
「ああアレ? おフロでチリョウしてきちゃった……」
「いやそう言う問題では無くてですね、大体治療って言っても消毒くらいで無―――」
「うごか、ない、で」
突然、予告も無く隙間を詰められドキッとする。
顔が近い。吐息が温い。ピンと上を向いたまつ毛の下にあるクリっと大きな目が真っ直ぐにアキラを見据えている。
逃げるように逸らした視線の先、襖の向こうからは可愛らしい寝息が聞こえた。
ヤバイ。これはヤバイ。
何が何だかわからないけどとにかくヤバい。
すると、焦って体を離そうとするアキラの頬が両手で挟み込まれた。
本日最大の混乱に見舞われたアキラが視線をグルグル回転させていると、頬に添えられた手が、怪我したほうのこめかみに当てられ、不意に『熱』を感じた。
驚き身を引こうとしたアキラの後頭部がガッシリ掴まれる。
「ちょ、何をっ!」
「シッ! うごかナイデ。チリョウしてるカラ」
熱がさらに強くなった。火傷しそうなほどの熱を感じると言うのに光のようなものも感じない。視界に入るのは30代にしては幼すぎる童顔と、こめかみに添えられた手だけだ。それなのに強烈な安心感に包まれて危うく瞼が閉じそうになる。
アキラは最初こそ驚いたものの今はその『熱』に任せて目を瞑っていた。
そうして5分ほど経っただろうか、いや、もっと経ったのかもしれないし、ものの数十秒なのかもしれない。寝ているのか起きているのかすらわからなくなった時、カレンが悪戯っぽく笑うと、バッグを漁って手鏡を取り出した。
「ハイ、オシマイ」
「え、あ、ああ。なんか気持ちよかったです。一体何が……」
「コレ、みて」
アキラがパカリと開けられた手鏡を覗き込んで目を見開く。
「怪我が…… 治ってる……っ!」
「ふふふ。ソウ、ワタシのチリョウ。きいたデショ?」
「いや、治療とかじゃなくてこれは……っ」
間違いない。治癒だ。
おそらくは縫わなければならない程の切り傷を負ったはずなのに、手鏡に映る皮膚は完全に傷が塞がり、ピンク色の跡が残るだけになっていた。
驚きに言葉が出ない。あんぐりと口を開けながら得意気にウインクするカレンから目が離せなかった。
メビウスに入ったばかりの頃、能力者についての静流の講義を思い出す。
―――能力は多岐に渡るが、希少性の高いものとそうでもないものに分けられる。お前の
昔はただ漠然と『超能力』と呼称されていた能力も、現在では数多の種類が確認され、分類されている。
物体に干渉できる
楓はレベル3の感覚変異で、人間の限界を遥かに超えた動体視力で狙撃を行うし、高レベルは精神を保つことが出来ないと言われる精神感応のレベル5である御門は、超常の精神力で以てサイコダイブを行う。
希少性が低いと言われる彼女達ですら、普通の人間では決して到達する事の出来ない領域で力を示すことが出来るというのに、希少性の高い能力者達は更に異常な現象を引き起こすことが出来のだ。
例としては、戦闘では無敵の
困惑している場合ではない。静流がアキラを発見したように、アキラが
「カレンさん、その力は…… いつから……」
「ニホンにきてカラつかえるようにナッタヨ。きっとカミサマのおかげ」
「この力の事を、他の誰かに明かしたりしましたか? 登録はされていますか……?」
「トウロク……? ソレはヨクわからナイ。みせのおんなのコがケガしたトキにチリョウしたかナ……アトさいきんよくクルおきゃくサンがグラスでテをきったトキに……」
知らない。この人は。自分がどういう存在で、どういう扱いを受ける存在なのかを。
未登録者である。しかも治癒能力の。
能力者は確認され次第、公安の0課が管理するデータベースへ登録される。そして権利を奪われ、義務を課せられ人質を設定される運命にある。
そして能力者が科せられる義務の一つとして、『他の能力者を発見した場合の報告』があった。
―――能力者は引かれ合う。
これは科学的根拠を無視した詩的な言葉であるが、覆す事の出来ない悲しい事実でもある。
密告というものは後ろ暗い。普通の精神ならば他人を売ったという罪悪感に押しつぶされそうになってしまうのが普通だ。
だから報告しない。最初は誰もがそうだ。そしてバレる。頭の中を覗かれて。
アキラがギリっと奥歯を鳴らした。
報告しなければならない。異国の地で子供を抱え、必死に働く気高い女性を。アキラは売らなければならない。健気に母親を支える小さな女の子を人質として、アキラは売らなければならないのだ。
そうしなければ害されるのはアキラ自身だ。どちらにしろバレる。ならば自主的に報告するしかない。そうして能力者達の心に罪悪感という名の杭を打ち込み、縛るための方策だと知っていてもなお従うしか道が無かった。
「なんで…… 僕の前で能力を使ったんだ……っ」
「ナニ……? どうしたノ……?」
どこか不安そうな表情でアキラを見つめるカレンから目を逸らす。
口の中が苦くて仕方がない。唾を流すためにお茶を一気にあおるが、その苦味が消える事は無かった。
静流も、自分を発見した時はこんなに辛い想いをしていたのだと思うと胸が張り裂けそうになる。自分は過去、そうやって苦しんでいた静流に向かって心無い暴言を浴びせてしまったのだ。
「最低だ……」
慣れるのだろうか。いつかはこんな事にも慣れ、何も感じずに能力者を売れるようになってしまうのだろうか。ただ事務的に流れ作業の如く、他人事として報告出来る様になってしまうのだろうか。
それだけはイヤだった。明確な理由など解らない。それでも自身の魂がそれではいけないと叫んでいるのだ。
アキラに残された選択肢は少ない。
手持ちの札は目を覆いたくなるばかり。エースもキングもクイーンも、ジャックすら手元には無い。
だが、出来る事はしなければならなかった。人として認められなくなった自分が、少しでもヒトであるために、目の前の優しい母が笑って過ごせるよう、努力しなければならない。
カレンを真っ直ぐ見つめる。
尋常ではないアキラの気配にビクリと体を震わせ、恐怖すら感じているのか、アキラから距離をとろうとし始めているカレンの手をしっかりとつかんで、強く握りしめた。
「カレンさん、その力は今後人前では使わないようにしてください。これはカレンさんのためでもあるんです」
「テをきったおきゃくサンもおなじコトいってタケド……」
「あなたは能力者です。僕はあなたの事を報告しなくちゃならない。恨んでもいいです。いえ、きっと恨むと思います。これからカレンさんは色んなものを奪われる。だけど信じて下さい。出来るだけの事はします。ウチの……メビウス第3支部の管轄として、あなたをサポートします。僕は担当者としてしっかり向き合います。明日は空いていますか?」
「エ…… いったいナニを……? あ、あいテいるケド……」
「だったら詳細は明日にします。静流さん……僕の仲間を連れてきますので、一緒に説明します。僕は未登録者を発見するのが初めてで、上手く説明する自信が無いんです」
要領を得ない返答ばかりするアキラに戸惑いを隠せないカレン。
当たり前である。若いとはいえ体は大人と評せる高校生の男に、治療したら手を掴まれ、突然真剣な顔で脈絡のない事を喚きだされたのだ。不安にだってなる。
だからアキラは静かに言った。
「カレンさん、あそこを見て」
目で指示した先は台所。食器のカゴに先程洗った食器が重ねられている。
アキラは無言で能力を発動させた。カゴの食器が突然中に浮かび、ゆっくりと空中を泳いで、アキラの目の前に重ねられていく。
カレンは驚きで身を固くしたままそれを凝視していた。
「僕も能力者です。カレンさんと同じなんです」
「――っ!!」
あまりの驚きに動く事すら出来ないのか。たっぷり数十秒間ものあいだ、二人は目の前に積まれた食器を無言で見つめていた。
「カレンさん。この国は能力者を管理しています。あなたももう無関係ではいられない。だから僕の話を聞いて欲しいんです」
男の暴力に涙を流し、助けてくれた少年を治療してみたら、少年も不思議な力を持つ仲間だった。そして彼らは国に管理されているのだという。
全てここ数時間での出来事だ。混乱で言葉にならないのもまた当然である。
しかし、それでも真剣に、ただひたすら純粋に彼女と向き合おうとするアキラに何か感じるモノがあったのか、カレンもまた真剣な表情で頷いた。
「ワカりまシタ。このチカラのにかんけいスルことデスね? しんじマス」
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