第22話 2章 人であるために②

「お兄ちゃん! ちょっと! 仕事ってどういう事!? 今日はデートするって約束でしょ!?」

「しれっと嘘つくなって! 約束なんて初耳だし!」


 アキラ達はいわき駅で電車を降りて駅構内を歩いていた。

 メールの送信主である崇岬静流と数度のやりとりで、駅のロータリーまで彼女が迎えに来てくれる事になっており、彼女と合流するためロータリーに向かっている。

 いわき駅は20もの路線を抱える磐城で4番目に大きい駅だ。もうすぐ昼時を迎える構内はまばらに人が行き交い静かな熱気に包まれていた。数十と軒を連ねる地下飲食街は今からが戦争なのだ。

 

「いつ来ても中心地は人がいっぱいいるよねー」

「そんなことよりお兄ちゃん! 商特行こうよ! 仕事なんて別にいいじゃん!?」


 今日、千夏と一緒に行く予定だった『いずみ商業特区駅』 通称『商特』は、21年前の戦争で東京に核が落ち、首都が磐城に移転されてから出来た新しい駅だ。

 元々はこのいわき駅がいわき市のメインステーションだったらしいのだか、今では行政機能と経済機能が集中した新磐城と、商業施設が集中する商特駅こそが首都二大中心地である。

 

 アキラの実家がある久ノ浜などは、今でこそ新興マンションとビジネスビルに埋め尽くされ、広大な人工湾岸が広がる首都近郊エリアとされているが、ほんの一世代前までは田んぼと畑、そして小規模な漁港があるだけの小さな町だったらしい。

 戦後に生まれた二人にとってそんな光景は想像もつかないが、祖父の世代がコンクリートジャングルを眺める時の少し寂しそうな横顔を見て育っている。


 彼等は一夜にして巨大な富が振って来た幸運の世代でもあり、大義のためには犠牲を容認する現代日本の風潮の犠牲者でもある。

 

 中学校の時、地元出身の社会科教諭が皮肉気にそう語っていたのを思い出した。

 

「とにかく、仕事は仕事! ていうかいつまで付いて来るのさ。仕事場には連れて行けないんだから早く戻りなさい!」

「い~や~だ~!」


 聞き分けの無い妹に袖を引かれながら痴話喧嘩を繰り返す二人に足を止める者はいない。

 このいわき駅も立派なビジネス街で、歩く人々のスピードは思いの外早く、他人に興味を示している時間は無いからだ。

 たっぷり数百メートルは歩き、遊歩道からロータリーを見下ろすと、待ち人である静流がすでに到着していることが一目でわかった。

 新都は異様なまでに効率とパフォーマンスを尊ぶ街だ。最早宗教と言っても過言ではない。

 これだけ無数の車両が行き交う巨大ロータリーにおいても、真紅の740馬力ガルウイングなんていう非効率的で需要の無い車に乗っているのは静流以外には考えられないし、同居人である彼女の車は流石に忘れない。


 小走りでエスカレーターを降り、車に近づいて中を確かめる事もせずに窓をノック。

 左ハンドルなので、一旦車道に出なければ助手席に乗れない仕様に改めて非効率さを感じる。左ハンドルは右側走行の道路を走るためのもので、そもそもが日本の交通状況には合っていない。

 そんな話をすると、静流はムキになって反論してくるので口には出さないが。


「お待たせしました! 待ちましたか?」

「いや、デート待ちの女性の台詞ではないが、今来たばかりだ。すまんな帰省中に」

「いや大丈夫です。父さんも母さんも『仕事ならば手を抜くな』って」


 そう言ってサングラスをクイっと額に上げる女性。

 崇岬静流。25歳。滅多にお目にかかれないレベルの美女だ。


 青みがかった黒髪のボブカットがふわりと風に揺らめき、男の鼻腔を直撃する淡い香りを撒き散らす。

 猛禽類を連想させる鋭く切り上がった威圧的な目元、高く尖った美しい鼻梁、ぽってりと厚みがある唇は、其々が豪快で、本人の性格を正確に表現しているようだった。


 今日は、細身でいて出るところがキッチリ出ている、隆起の激しい肉体をぴっちり浮き上がらせるタンクトップを身に付け、剥き出しの肩が、6月の日差しを受けて健康的な肌色に輝いていた。

 M男の巣窟であるアキラのクラスメート曰く『理想のおねえさま』と大絶賛する麗人である。


 黙っていればとんでもない美人なのだ。黙っていれば。

 アキラは軽くため息をつき、残念な気持ちを押し隠したまま助手席へとのりこんだ。


「そうか。ところで大丈夫なのか? 妹さんが凄まじい目でこっちを見ているぞ」


 そう言えばと振り返ったアキラが固まった。

 ロータリーの歩道で仁王立ちした千夏が目に大粒の涙を溜め、親の仇でもそんな睨まないだろうと思えるほどの鬼眼で静流を睨み付けている。

 だがそれはいつもの事であって、アキラが固まった理由は他にあった。 


「千夏! パンツ! パンツ見えてるからやめなさいっ!」


 まるで四半世紀前に流行ったとされる、火サスの捨てられ女よろしく、スカートをハンカチ代わりに『キィィィ~~っ』と噛み締めるアホタレの姿があったからだ。

 もう取りつくしまも無いレベルでパンツ丸見えであった。

 

「ははは、相変わらずアキラの妹さんは面白いな」

「いや恥ずかしいですよ! 静流さんもあんな目で見られてよくいつも平気ですね!?」

「私? 私か? ああ、可愛いもんじゃないか。彼女から見たら大好きなお兄ちゃんを横取りする『敵』だ。まあしょうがないだろう」


 静流の事を知らない人が聞けば、さぞかし『大物だ』とか『器がでかい』と賞賛するだろうが、普段同居しているアキラは知っている。単にこの人は雑なだけだ。

 アキラは妹の破廉恥行為を辞めさせるためワタワタと手を振るが火に油だった。千夏はより深く強く生地を噛み締めるためにギリギリとスカートを巻き上げ、今やヘソまでが衆目に晒されている。

 普段、他人との接触を避けがちな都会人もさすがに足を止め、目を真ん丸にしてその光景を眺めている。


「もう早く行きましょう! 僕たちがいたら絶対止めないですもん!」

「それもそうだな。大きな騒ぎになる前に行くとするか」


 カラカラ笑いながら車を急発進させる静流。

 瞬間襲い来るGに最初の頃は文句を言っていたがもう慣れてしまった。

 たまたま前に車がいなかった事もあり、猛スピードでロータリーを走り幹線道路へと抜ける。

 そのままバイパスに乗るため信号待ちをしている時、アキラの端末がメールの着信を告げる。


―――仕事だから我慢するけどっ あの女はいつか殺す!


 開いてみるとそんな物騒な内容だった。相手が誰であるかなんて語るまでもあるまい。

 アキラはふうっと安堵のため息をつく。メールを打ってきたと言う事は、手を使ったと言う事で、おパンツ様御開帳が終了したということだ。変なのに絡まれてもいないし、補導されてもいないという事なのである。

 

「妹さんは大事にしろよ。そうじゃないとアイツが怖いぞ」

「ウチの……、第3支部の管理官ですか? 僕、実は会った事無いんですけど」

「ああ、そうだったか。とにかく、アイツの前で妹の愚痴は言うなよ? 兄を探すために公安に入った筋金入りだからな。兄の仕事をしない男にアイツは容赦しない」

「え、ええと…… わかりました、気をつけます……。 それより、今日はどうしたんですか? 触りだけは聞きましたけど…… 僕が呼ばれるってことは危ない事件では無いってのはわかりますが」

「ああ、ちょっとな。とりあえず事務所に向かうぞ。荒事になるかどうかは運だな。注意喚起の意味もあるが、まあ正直言うと……」


 そう言って言葉を切った静流が、ダッシュボードにセロテープで固定されたタバコの箱からタバコを一本抜き取って火を点ける。

 740馬力のスーパースポーツカーのダッシュボードにそんな事をしてのける勇者は日本中探してもいないだろう。それが残念美人、崇岬静流である。

 気持ち良さそうに煙草を燻らせた彼女は、思いの外幼い笑みを浮かべて言い放った。


「正直言うと、カレーが食べたくなった」

「言うと思った……」


 主食は米ではない。カレーだ。


 放っておけばカレーしか食べない静流に、ドヤ顔と共にそう言い切られた時のやるせなさを思い出しながら、アキラは再度深くため息をついた。










 都心からは少し離れた旧市街。いわゆる『下町』に事務所はあった。

 とんかつが美味いと評判の老舗の定食屋と、全国に展開する薬局チェーンに挟まれた5階建ての古ぼけたビル。向かいの商業ビルの開け放たれた窓からは、真昼間だというのに雀牌が豪快にかき混ぜられる音が響いてくる。

 夜ともなれば赤暖簾がひしめき合って客引きのボーイが縦横無尽に走り回る。少し奥に入れば、下から上までドぎついピンクに飾り立てられたネオンが輝き、ママやらチーママやらホストやオカマがしのぎを削る、なんとも猥雑な町である。

 静流はビルの裏手の駐車場に車を止めると、タバコを灰皿に乱暴に押しつけてからドアを開ける。

 

「カツカレーも捨てがたいな」

「それ、ここに来るたびに言ってますよね……」


 パッと見、誰が見てもカッコイイ『デキる女』な静流だが、実は事務所の隣の定食屋が気になってしょうがないのだ。

 アキラは苦笑しながら車を降りて、事務所に向かって歩き出す。


「静流さん、いい加減に車、買い替えないんですか? 隣乗ってるとちょっと恥ずかしいです……」

「またその話か。全く…… アキラ、お前も一応タクティカルフォースの一員なんだ。自覚をしろ。電子戦でケツの毛ほどにも役に立たないDTNシステム頼りの車両なんて愚の骨頂だ」


 自動運転オートドライブが主流のこの時代に、わざわざマニュアル車を選ぶ理由が理解出来ない。

 マニュアル車は今や特殊車両扱いであるし骨董品だ。

 個人の主義主張より全体主義的原理が優先される現代において、日本の主要幹線に張り巡らされたDTNシステムを乱すスタンドアローンな骨董車両は害悪とまで言われている。

 信号が変わるタイミングすら視認しなければならない車など非経済極まりないのだが、それらも含めて車の醍醐味なのだと豪語する静流の感覚がアキラにはわからなかった。

 といっても、何度繰り返したかわからないこの問答に深い意味も無かった。アキラは本気で言っているわけではないし、静流もそれを知っているからだ。


「電子戦といえばこの前の訓練、端末をハックされて男爵系ホモ画像を待ち受けにされたと聞いたぞ。全く何てザマだ情けない」

「その話はやめてください…… クラスで噂になってるんですから……」


 女の子と仲良くなっては異端審問に掛けられ、ガチンコ画像が見つかってはさらし者にされる。

 クラスメートたちの怯えが滲んだ笑顔と、それ以来、何故かやたらボディタッチを仕掛けてくる五十嵐君が怖すぎる。

 アキラが大きくため息を着いた時、丁度ビルの入り口に差し掛かった。

 

 築37年。

 

 いつ来ても古ぼけたビルの陰気な雰囲気は変わらない。

 壁面素材自体が発光する技術が開発されつつある時代だと言うのに、ひび割れた灰色の階段を照らす照明は埃が固着した薄汚い蛍光灯ただ一つだ。 

 断末魔を連想させるタイミングで点灯と消灯を繰り返すこの蛍光灯は一体いつ取り替えられるのだろうか。ここに来るたびに疑問に思う。


 そんな事を考えながら、1フロア分の階段を登って、やたらと曇ったガラス扉を押し開ける。すると正面にはオンボロビルには似つかわしくない、網膜認証の分厚い鉄の扉。

 すると不意打ち的に静流が、背後からアキラを抱きかかえるようにして端末認証と網膜認証を行った。

 鼻にかかる静流の髪と、軽く背中に押し付けられた胸の感触に、アキラの心拍数が跳ね上がる。


―――ピッ


 そんな味気も何も無い単純な電子音が鳴ると、エアーを吐き出す微かな音と共に、扉がスライドした。

 抗議の意味も込めて静流を睨むと、静流は全く何の事かわからないといった風に軽く首を傾げて、さっさと中に入って行ってしまう。


「……大人は、ズルい……」

「何やってるんだアキラ。さっさと入れ」

「わかってますってば」


 軽く唇を尖らせながら中に入ると、またしても相変わらずな光景が広がっていて、自分が特殊な職場で働いているのだと嫌でも思い知らされる。

 まず目に入ってくるのは、ちゃぶ台だ。

 一応ここは、日本最大の総合商社、丸菱のグループ会社である丸菱重工が出資する準公的機関の前線基地である筈なのに、入っていきなり目の前にあるのは、我が国古来の団欒家具、ちゃぶ台なのである。

 そして、そのちゃぶ台を囲う様にして置かれているソファー。

 極限まで軽量化され、いつでもどこでも展開可能な安物折り畳み式ちゃぶ台を囲むにしては重厚すぎる本革の高級品だ。

 

 ちゃぶ台の向こうに置かれた50インチの大型テレビには、一昔前に絶滅したとされる魔法少女のアニメがボリューム全開で上映中であり、それをソファーに座った金髪碧眼の幼女が、前のめりになりながら拳を握りしめて凝視している。

 

「アリス~ こんにちわ~って…… 全然聞いてないなコレ」


 画面を見たら、フリフリキラキラコスチュームを纏ったピンク色の髪の魔法少女が、まるで鉄塊のような巨大な包丁を振りかぶり、紫色の髪の可愛らしい幼女に全力で斬りかかるところだった。

 これはバリア的な展開かなという、アキラの予想を裏切って、幼女は悍ましい断末魔を上げながら真っ二つに切り裂かれ、べちゃっ と生々しい効果音と共に血の海に沈む。

 それを満足気に見下ろした魔法少女は、クルクル回って可愛らしいキメポーズをしながらキメ台詞。


『悪い子はには魔法のちからでおしおきだよっ」


 お仕置きの限度を遥かに超えた殺戮劇に絶句した。更に言うならば魔法要素皆無だった。

 するとアリスは『フンガー!』 とか言いながら跳ね起きて、魔法少女の真似をしてクルクル回り出す。

 アキラは無言でリモコンを操作してチャンネルを変えた。教育に悪すぎる。

 額を押さえながらちゃぶ台に目を向けると、盛大にため息を一つ。

 

 巫女がいた。

 

 その巫女はアキラと同世代の美少女だ。同世代の男子ならば喜びこそすれ、嘆息する要素など欠片も見当たらないほど清楚で気品のある少女だ。

 ちゃぶ台の前に正座し、スッと背筋を伸ばし、凛とした空気と動作で『作業』する姿は神秘的とも言える。徹底した教育と積み重ねた教養が滲み出る所作に、ホウッ とため息をつくのが正しいリアクションのはずだった。

 しかし、アキラはそうはならなかった。なぜなら―――


「楓さん、今日は巫女さんなんですね……」

「「今日は」とは何ですか今日はとは。相変わらず失礼なモヤシですね。私は生まれた瞬間から巫女です。今も、昔も、これからも」


 どうやら思い入れが強すぎて本物と錯覚してしまっているらしい。

 どちらにせよ、本物の巫女さんは廊下を履いたり 禊をしてみたり、捧げ物を祀ったり、そういう仕事をしているはずだ。決して今、楓が行っているような鉄臭い『作業』に精を出したりはしない。


「楓、狙撃銃の分解整備か。感心だ。もしかしてそれは『ヤタガラスRK-2』か?」

「ええ。さすが静流さん。そこのモヤシとは見る目が違いますね」

「男前だな。鉄臭い良い銃だ。リュングマン主流の時代にボルトアクションでAS徹甲弾仕様というのも粋だ。FSフルメタルスキンの装甲を抜けるというのは夢があっていいな」

「ああっ わかっていただけますか!?」


 何をしゃべっているのかが全く分からなかった。

 女の子にモヤシ呼ばわりされるのは正直イヤだったりするのだが、実力が求められるこの職場で反論など出来る筈も無かった。

 楓はレベル3の感覚変異フェイラーで凄腕のスナイパー。静流はレベル1の未来予知テイカーで迫撃のスペシャリストだ。

 たとえ相手が給料の全額を衣装にブッ込むガチンコレイヤーだとしても、たとえ相手が一日三食カレーで水分は全量ビールから補給する残念女子だとしても、彼女たちの戦闘能力はホンモノである。


 銃という究極の槍が存在する現代戦闘において、能力なんてものは万能でも何でも無く、技術と経験という現実的要素を支える潤滑油でしかない。

 たかだかレベル2の物理干渉サイキッカーで、訓練を始めたばかりのヒヨッコが無双できるような甘い世界ではないのだ。


 日本語かどうかも定かではない言語で盛り上がる二人を置いておいて、アキラは部屋の奥へと向かう。

 先ほどのリビングスペースとは対照的に、綺麗に磨き上げられたビジネスデスク、そこに肘をつき、組んだ手で口元を隠す男の前にアキラは進み出た。


「お疲れ様です」


 すると、警察からは『下請』と馬鹿にされ、同じ能力者からは『犬』と誹られる、日本唯一の私的軍事集団。「私設軍事的実力を保持する社団の設立及び運営に関する法」により組織された私軍法人『メビウス』の第三支部支部長、安斎義人は、人懐っこい笑みを浮かべながら口を開いた。


「やあ、アキラ君、お疲れ様」


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