第20話 1章 エピローグ

 後頭部をボリボリ掻きながら藤枝は軽く部屋を見渡した。

 なぜかふと先日の少年の顔が頭に浮かぶ。

 焦点もろくに定まらない状態でなお殴りかかってきた少年。他人のために命をかけて、出来もしない戯言を通そうとした純粋な少年。

 なんとなくわかる。きっとあの少年はその純粋な気持ちを諦めない。

 藤枝にはそれが眩しかった。それは思わず目を逸らせてしまうほどに。

 あの時自分は、安くない言葉を軽く扱う物知らぬ少年に激怒した。

彼に言った言葉は本心だ。そしてきっと真実だ。

 

 わかっていた。

 やっと毛が生えそろったガキの言葉に激昂して、鬱屈した思いの矛先にしてしまうほど自分は若くない。そんなことだけで大人げなく子供相手に本気にはならない。


 大人げ無いことに変わりは無いか……


 噛みつくしかなかったのだ。

 失ったことの無い者特有の、傲慢とも言い得る澄んだ眼を通して、自分が求めるものには二度と手は届かないのだと思い知らされた。理解していたはずの事を鼻先に突きつけられ怖くなったのだ。

 現実を見せつけてやろうと息巻いて、見せつけられたのは自分だった。滑稽な話だ。


 結局、俺にはこれしかない

 藤枝が右頬だけを歪めて苦笑する。


「誰だお前は!」


 仕事机から立ちあがって男が怒鳴った。

 細面の神経質そうな男だ。歳は今年で四三になるはず。

ここは男の家、広めのリビング、奥に鎮座する重厚な仕事机を見る限り、書斎としても利用しているのだろう。


 最初からこうしてればよかったんだ

 最初から自分はこちら側の人間だった。お行儀よくスマートに最小限になどと可愛らしいことを考える必要などなかったのだ。何を思い上がっていたのだろうと思う。

 まどろっこしいのはやめだ、クズはクズらしくシンプルにいけばいい。

 藤枝は思う。俺は『猟犬』だ。


 目の前には、九年前、自分が目星をつけていた男がいた。

 男が不安と怒りが入り混じった表情で藤枝を睨みつける。


「何をするつもりだ!」


 藤枝が男を馬鹿にするような笑みを浮かべながら言う。


「それを実はまだ決めかねているんだ」 


 男は藤枝の笑みを侮辱と受け取ったらしい。顔を紅潮させさらに大きい声を上げる。


「どういうことだッ!」

「次の質問の返答如何で、俺は強盗殺人をすることになる。殺人と窃盗でもいい。目的の比率は似たようなもんだ。何もなければこのまま帰る」


 男の目が恐怖に見開かれる。


「なっ、何をい――――」

「質問は一つだ」


 男を遮って藤枝が口を開く。


「俺は九年前、『I計画』を調べていた。そしてお前は……」


 藤枝が少しだけ息を吸い込む、そして言った。


「何をやっていた?」


 男の右目尻がピクリと痙攣する。そして一瞬だけ視線を彷徨わせた。

 藤枝はそれを見逃さない。すぅっと藤枝の顔から感情が失われた。


「知っているな? そして関わっていたな?」

「知らない! そんな話は知らない!」

「おめでとう、お前は死ぬことが確定した」

「ふざけるなッ!」  


 男は仕事机の引き出しに乱暴に手を突っ込むとリボルバーを取り出し藤枝に向ける。 

 その時には既に、藤枝は『断裂』を正面に展開し終えていた。ゆっくりと顔を喜悦に歪めながら、ゆっくりと男に向かって歩く。

 男は素人なのだろう。引き金を引く瞬間目を瞑り、その破裂音に驚きその身を萎縮させた。

 そしてそのまま惰性で引き金を引き続け、反動を殺せない連射に、とうとう六発目の弾が天井に穴をあける。全弾撃ち尽くし、ガチンガチンと響く音がひどく滑稽だ。

 男は余裕の笑みで片目を開け、すぐにその顔を驚愕に染める。

 藤枝は何も無かった様に歩くと、机を挟んで男の襟首を掴みグイッと自身に引き寄せた。そして男の耳元で悪魔のように優しく囁く。


「携わった人間の名前と詳細を言え、そしたら最悪の事態は回避できる」


 男が頭を縦にガクガク揺らし、藤枝の耳元でボソボソと早口でまくし立てた。

 藤枝の口角が筋肉の限界を超えてなお吊り上がる。


「た、助けてくれるんだろ!?」

「ああ、確かにお前は最悪な事態を回避したよ」


 男がホッと体の力を抜いて藤枝に目をやる。そして気付いた。異様な光を放つ目と狂気を孕んだその顔に。

 男が恐怖に顔を引き攣らせた。

 藤枝は嗤う。


「ははッ、死よりも最悪な事なんてそこらへんに結構落ちてるぞ?」


 藤枝がゆっくりと男に視線をやった。

 男がイヤイヤするように首を振る。


「やめろ! 話がちがうッ! 頼む助けてく――――」 






 エピローグ



「君はどちら側の人間だ?」

「えっ、どちらって……?」


井上がキツめの顔を凶悪に歪める。


「俺達の同志か? それとも……」


 井上は教室の後ろを指さした。何やら男子が集まり何かをしている。


「あそこに転がる裏切り者のクソ虫の仲間か!?」 


 転入初日の昼休み、アキラは自称『クラスのリーダー』井上君による馬鹿げた詰問に慄いていた。

 あれから本当に色々あったのだ。





 第7大森ビジネスビルでの戦闘後、通報で駆け付けた警察により、気絶していた僕達三人は保護された。事情聴取等がされなかったところをみると、何らかの働きかけがあったらしい。当然といえば当然なのかもしれない。

 そして結局、任務の目標であった藤枝は逃走し、過去の事件の詳細も不明なままだ。

 木村修一殺害事件は、最初はマスコミも連日大騒ぎしていたが、途中、人気タレントの不倫が発覚しその熱を失った。

 世間の皆さまは自分の知らない人が殺される事件よりも、知っているタレントの下半身事情のほうがお好みらしく、関係者の一人としてはため息をつかずにはいられない。


 こうやって事件は風化され、忘れられてゆくのだろう。偉そうに考える自分だって、きっとその他大勢の一人だ。

 そして僕はといえば

 病院で静流と再開後、少し落ち着いた僕が初めて目にしたものは、病室の入り口で、目に涙を溜めながらワナワナと震える妹の姿だった。『キィィ~~っ!』という擬音が聞こえてきそうなほどハンカチを噛み締める姿が若干痛い。どうやら静流の胸で泣きじゃくる姿を目撃されたらしかった。

 

 妹は「このドロボウ猫がっ!」と今時、昼ドラの泥沼劇でもなかなか聞かない台詞を吐き、静流に襲いかかった。

 ドロボウ猫呼ばわりされた静流は茫然としていた。

 個人的には至極真っ当な反応だと思う。妹と数日前に知り合った年上美人と僕の三角関係の修羅場とか、ホントどんなエロゲだ。

 病院で眠っていたのは半日程度だったらしい、その後の経緯や御門と楓も助かり既に帰ったという話を聞いて、僕はまた少し泣いた。妹もウンウンと頷きながら泣いていた。オマエ全然話分かってないでしょと思った。

 そして、僕と静流は三日程入院だという話に及ぶと、妹は「ここで寝ずの番をする。」と宣言し、静流をこれでもかというくらい睨みつけていた。

 結局、静流を追い払うことに成功した妹は、その後見舞いに来た両親に引き摺られて帰って行った。

 

 引き摺られ部屋を出る直前、妹は「お兄ちゃん愛してるぅぅ~~~!」と叫び、偶然廊下にいた静流に向かって、「ドロボウ猫は死ねっ」と吐き捨てた。

 三日間、冷たい視線と手薄い看護に恵まれ、僕は退院した。


 まあ何はともあれ

 藤枝を逃がしてしまったものの、僕たちは誰も失うことなく無事に帰って来た。

 まだ体が痛かったり、瞼が腫れて多少視界は狭いままだけど、あのとんでもない状況を考えると奇跡的な結果だ。これ以上望むのはきっと贅沢なんだろうと思う。

 だけど、これだけははっきり言える。

 僕は彼女達を守れなかった。

 たまたま結果に恵まれたというだけの、言い訳すら思いつかない程の屈辱の敗戦だった。

 藤枝の言った通りだ。力があっても守れない、だが力のないのは論外だ。そして僕がそのどちらに属するかなんて、今更考えるまでも無い。

 僕はまだ子供だ。

 これからもっと色んな人と出会い、もっと大事なものが増えて行くのだろう。大事なものを守るために戦わなければならないこともきっとある。

 いずれ来るその時に、守れないのは嫌だった。負けた後、姑息に言い訳を探す惨めさを二度と味わいたくなかった。

 力が欲しい。力があっても守れないという言葉が正しいとしても、『論外』のままでいるわけにはいかない。強くなりたかった。奪うためではなく失わないために。

 だから退院する時、僕ははっきりと静流に言った。「仕事を手伝わせてほしい」と

 彼女はニヤっと笑い「覚悟しろよ?」と言った。



 それからが大変だった。

 いきなりまず転校、あの『私立立花稜蘭学園』に半ば無理矢理転校させられることになったのだ。

 両親の説得はデータパネルを見せるだけで終わった。悔しげに唇を噛んでいる父の顔が忘れられない。今度ちゃんと話をしようと思う。

 それはともかく、転校の話を友達にしたら、「いったいどうやったんだ!」と問い詰められた。この反応は当然のものと言っていい。

 それもそのはず、この立花稜蘭学園、戦後大きく変わった教育システムの中で、丸菱重工と国が協力して作った秘蔵っ子で、超のつく有名校だ。

 何がこの学園を有名足らしめているのか、それはこの学園、何と入試を行わないのだ。

 全ての生徒がスカウトによって集められ、生徒全員が将来を嘱望される特殊技能集団という、トンデモ学校だ。

 システムは、高校・大学一体型の七年制。学費一切無し。基本的に全寮制で、許可有る場合を除き近隣住民でも寮生活だ。それ以外の内情は一切漏れてこないという極めて閉鎖的で謎多き特殊な学園である。まさか自分がこの学校に通うことになるとは……


 静流が言うには、若い能力者の更生施設としても利用されているらしい。 何らかの研究施設も兼ねているのだろう。正直勘弁してほしいと思う。

 そして、僕はまだ顔を出していないものの、私軍法人の公認の仕事があるので、寮外生活を許可されたわけだが、これまた公認の後見人との同居が条件らしい。

 ということで指名されたのが……。



「アキラ、今先生に挨拶をしてきた。話のわかるいい先生だ。頑張れ。ちなみに今夜はカレーが食べたいです。よろしくお願いします」


 突然昼休みの教室に入ってきたこの人。

 崇岬静流二四歳。我が偉大なる元ゴミ屋敷の女主人だ。

 

 もう一週間ずっとカレーだ。毎日午後五時丁度に送られてくる「今夜はカレーが食べたいです」というメールの文面にはもううんざりだった。

 だからアキラは言わずにはいられない。


「静流さん……たまには他の物も……」

「ではカレーうどんでよろしくお願いします」

「……」





 外ではあんなに凛々しくカッコイイ静流も、私生活では完全にダメな大人だった。

 3LDKの広い家だと聞いていたのだ。

 荷物をまとめて、初めて家に行った時の衝撃を今でも思い出す。

 年上美人との同居が決まり、多少のやましい気持ちを抑えきれない僕を待っていたのは、『3LDKの広い家』などではなく、『3LDKのゴミ捨て場』だった。

 

 メロン柄のパジャマを着た静流が、奥からゴミをかき分けながらやって来て、玄関前で絶句して動けない僕に「まあ入れ」と言って入室を促した。

 異次元空間を目の当たりにした僕は、栄光ある日本の伝統文化、事なかれスキルを全力で発動させた。


「ス、スイカ柄のパジャマとかも持ってるんですか?」


 伝家の宝刀、『問題の棚上げ』という高度な技だ。

 静流は、僕のそんな涙ぐましい努力を鼻で笑って言い放った。


「スイカ柄は無いだろう」


 メロン柄も無いです。

 とにかく中に足を踏み入れるにあたって覚悟は決めた。

 ゴミはもういい、玄関に入った時点で、中はもっと凄まじいことになってるのはわかっている。必死で片付ければ何とかなる。もう驚かない。

 しかしこの残念な大人は、見事に僕の想像の斜め上を行った。

 「君の部屋だ」意気揚々と案内された部屋のドアを開けた僕は、その日2度目の驚愕の呻き声を上げる。


 ビールの空き缶を駆使した巨大な造形物がそこにあった。


 「ギネス狙ってんすか?」と咄嗟に出かかった言葉を、僕は何とか呑み下し「城、ですか……?」と呻いた。静流は物凄いドヤ顔で「ケレティ駅だ、ハンガリーにある」と言った。

 出所のわからない屈辱感に包まれた僕は、体を小刻みに震わせながら「これ……片付けますよ……」と言った。少し声が震えたと思う。静流は少し悲しそうな顔をしていた。


 そのあと、リビングを必死に片付けている僕の背中に向かって、静流が「今夜はカレーが食べたいです」と言った。振り返ると彼女はビールを飲んで寛いでいた。

 だから僕は「お酒飲む暇があったら少し片付けて下さいよ……」と言った。それに対する彼女の返答はこうだ。


「酒を飲む時間を片付けに回せというのか!」


 ダメな大人は、全力で振りかぶって剛速球を投げた。





 言うことを言ってさっさと教室から出てゆく静流を見送った後、井上が嘆息して呟く。


「そうか……、わかったよ、君の気持はよくわかった」


 井上がどす黒いオーラを纏い始めた。


「貴様は……アレだ、あそこのクソ虫の仲間だ」


 本日初対面の同級生に貴様呼ばわりされた上にクソ虫扱いされたアキラは、井上の指さす方に再度視線をやる。そこには簀巻きにされ、びたーんびたーんと鮮魚の様に跳ねているイケメンさんがいらっしゃった。

 イケメンさんが必死に訴える。


「ち、違うんだ君達! 僕はただ、告白されただけだ!」

「『だけ』……だと……?」


 井上は残忍に嗤い、拳をブルブルと震わせていた。

 周囲の男子が殺気を爆発させる。井上がそれを片手で制して静かに口を開いた。


「人がどのくらい残虐になれるか……。教えてやれ」


 数人の男子が、泣き叫ぶイケメンさんを台車に乗せ、ゴロゴロと運んで行った。イケメンさんの叫び声が段々遠く小さくなってやがて消えた。

 漫画やアニメの世界でしか目にすることが出来ない光景に、アキラは茫然と口を開閉させる。

 

 一体ここはどこの日本でしょうか。

 イケメンさんが消えた後も制裁の儀を終える気配がない教室の空気に、アキラの冷や汗が止まらない。

 「さて」と井上が笑顔でアキラの方を向いた。しかしその薄く三日月型に歪めた目からは、例えようも無い邪悪な何かが漏れ出している。

 アキラは自分の予感が間違っていなかったことを確信した。


「…………次は君の番だ」

「――っ!」


 逃げようとしたアキラの腕を、数人の男子がガシッと掴む。いつの間にかアキラは大勢の男子生徒に取り囲まれていた。


「待って! 僕の話を聞いてよ!」


 その時、教室前方のドアが勢いよく開き、誰かがこちらに向かってくる。

 まるで王への畏怖と崇敬を顕すかの様に綺麗に割れる人垣。

 その先から歩いてきたのは……






 立花稜蘭学園 二年一組の教室は水を打ったように静まり返っていた。

 誰もが驚きを隠せない。皆が皆、口にせずとも思っている。


『あの御門様が……』


 深層の令嬢、高根の花、神の掌中の珠、麗しの君、天上の美姫。

 その美々しさを讃える語彙の種類数知れず。

 立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花を体現する、あの磔ノ谷御門が…… 


 そもそも予兆はあった。

 いつもは規則通りの制服、規則通りの丈のスカート、規則通りの黒い靴下。以前、どこぞの風紀委員が言っていたのだ「彼女の服装を見習いなさい」と。

 その彼女が今日は、なんと少しだけスカートの丈を詰め、黒のニーソックスを履いて登校して来たのだ。それだけでも事件であった。

 しかしこれだけで事は終わらない。

 彼女は四時限目終了のチャイムと同時に、澱んだ目を微かに輝かせそわそわし始めた。そして少し遅めの号令が終わった瞬間、椅子を蹴り小走りに教室を出ていったのだ……。

 彼女が誰かと会話するところは誰も見たことが無い。

 走る姿など誰も想像できない。

 感情を表に出すことなどありえない。

 テストでは並みいる天才を蹴散らし、トップを独走。

 かといって授業を聞いている素振りも無い。

 常に窓際の席に座り、常に外を眺めている。 

 窓際で常に咲き続ける大輪の花。

 それが磔ノ谷御門なのだ。誰も触れる事叶わぬ孤高の姫なのだ。その彼女が……


 男女境無く、誰もが慌てふためき騒ぎ始める。

 この日、立花稜蘭学園二年一組に今年度最高の狂騒が吹き荒れた。




---言わなくちゃ!


 あの時アキラはどんな顔をしていたのだろう、そう思っていた。

 罵られることには慣れていた。蔑まれたところでいつもは何も感じない。だけど……


 見て欲しくなかった。

 藤枝に罵られ、一言も言い返せない汚らわしい自分を見て欲しくなかった。

 夜叉女の様に醜悪な自分を、下劣な闇で相手を黙らせようとするその様を

 アキラに見て欲しくなかったのだ。

 結局自分は藤枝に首を絞められ、ただただ羞恥と悔恨の念に包まれながら気を失った。

 

 だから、嬉しかったのだ。

 あの日、静流に言われて、その後の経緯を知るために、少しの罪悪感を抱えながらベッドで眠るアキラの記憶に潜った。

 瞬間、涙がこぼれた。

 彼の心の中は、一点の曇りなく純粋な想い、「守りたい」で埋め尽くされていた。

 彼はこんな自分を助けるため、敵う訳の無い相手に少しの躊躇も無く踊りかかった。攻撃が当たったのは最初の一撃だけだ。その後は一方的な展開、 まさに蹂躙だった。

 目を覆いたくなるような暴虐の嵐にさらされ、彼はそれでも何度も立ち上がった。

 そして何度も何度も「守るんだ」と言った。


―――本当に、嬉しかったの……


 最後、骨も折られず気絶させられたのは藤枝の優しさだったのではないかと思う。

 藤枝が自分達を殺さなかったのは、警察が来て出来なかったのか、それともそのつもりが無かったのかはわからない。

 それでも彼の過去を視てしまった自分としては後者だと思う。彼もまた哭いていたのだ。


 あの日、私は悲しくて悔しくて一一年ぶりに涙を流した、だけど生まれて初めて嬉しくて涙を流した。


 だから……私も前に進もう!

 こんな私を守ると言ってくれた彼に、お友達になって下さいと言おう。

 11年前のあの時から、逃げ続けて心を閉ざしてきたけど。

 最初に知ってしまった、削ぎ続けてもなお残ってしまった感情を手に。

 もう一度始めよう。もう一度だけ、足掻いてみよう。

 

 だから私は走った。

 今日転校してきた彼の下へ。

 だから私は言った。

 1年4組のドアを開け、人垣の先で戸惑う彼に向って。


「アキラ君! わ、私と、お、お友達に、なって欲しいの!」


 ちゃんと言えたかな、すこしどもってしまった気がするよ。

 アキラ君は何か言う前に、何故かどこかに連れられて行ってしまったけれど、彼ははっきりと頷いてくれた。笑ってくれた。

 だからきっと伝わったよね。ちゃんと言えたよね。



 あのね、アキラ君、聞いて欲しいの。

 私ね、やっとわかったよ。やっと気付いたの。

 だからちゃんと私も歩かなきゃ。

 だって私は生きてる! 諦めるのもまだ早い!

 そう、きっと私の世界は……



――もう一度、ここから始まるの!

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