第18話 決戦4

 アキラの毛穴という毛穴が残らず開き、全身から嫌な汗が噴き出した。

 目に見えない、ねっとりとした空気がフロアに充満している。

 一瞬吐き気を催すような腐臭が鼻孔に張り付き、すぐに消えた。

 錯覚だと言い切るには生々しすぎる感覚。アキラは驚愕する。


 これが御門さんの力……

 目の前では、圧倒的な強さを誇ったアカツキが膝を折って白目を剥き、体をガクガクと揺すっている。藤枝が昏倒し床に手をつき震えていた。

 突然現れた御門は、あなたを守ると宣言した後、「壊れなさい」と地獄の底から響くような声を洩らして、『変身』した。まさに変身だった。

 そして今も御門は白目を赤黒く変色させ、黒髪を波打つように逆立てながら二人を見据え続けている。

 恐ろしく美しかった。一瞬全てを忘れて見惚れた。

 

 アキラは自分の右手に視線を落とす。

 きっと助かったのだろう、と思う。

 御門が来てくれて助かったのだろうと思う。

 アキラの心に「安堵」が広がり、その上を猛烈な勢いで「羞恥」が塗り潰していった。

 自分は女の後ろにコソコソ隠れ、その女は自分のために必死で戦い血を流した。

 男尊女卑なんて馬鹿げたことは考えていない。しかし魔法使いになり、何かが出来ると息巻いていた自分は結局女の陰に隠れただ震える事しかできなかった。いや、出来なかったではない、しなかったのだ。

 そんな自分が、あろうことか御門を見た瞬間安堵した。安堵してしまった。


 何なんだっ! 僕は何をやっているんだ!

 アキラは爪が食い込むほど右手を握りしめる。強盗事件の時となんら変わらない自身のみっともなさに奥歯を噛み締める。

 守られるだけの自分に呪詛を吐くしか出来ないアキラが今、初めて力を渇望していた。

 その時、突然アキラの頭に直接『声』が届く。


《アキラ君、今のうちに静流さんを運んで逃げて》


 アキラは驚き御門を見た。しかし御門はこちらを一瞥もせず、ただアカツ キと藤枝を赤黒い眼に捉え続けている。


(これが、テレパシー……!?)

《そうです、でも怖がらないで欲しいの……》 


「怖がりません! そんなことより御門さんは逃げないんですか!?」 


《私は大丈夫、ある程度精神掌握したら安全に逃げられるから》


 アキラは戸惑いつつ「わかりました!」と言って、静流を抱えようとした。

 その時、突然御門が苦しげに眉を寄せ、小さく悲鳴を漏らす。


《押しきれないっ 何かでガードされる! アキラ君今すぐ逃げて!》

「なっ!」


 見ると、さっきまで白目を剥いていたアカツキが「やれやれ、アブナかったデス」と言いながらよろよろと立ち上がるところだった。

 藤枝も体をフラつかせながら起き上り、背筋が凍る様な敵意を御門に向けている。


「なぜ、効かない……の……?」


 御門が驚愕を隠せない様子で呟く。目と髪がいつの間にか元に戻り、顔には苦悶の色が広がる。

 「他人の闇より自分の闇の方が深い、それだけだ」藤枝が吐き捨てるように言った。

 これに対し、すっかり元の表情に戻ったアカツキが軽い調子で答える。


「ワタシは何とか防御術式が間に合いマシタ、デモ今のをもう一,二発食らったらさすがにマズイデスネ」


 アカツキが、「そんなコトよりも」と言って続ける。


「藤枝サン、アナタ何てものに追われているんデスカ! 『闇の姫』マデ出てくるなんて聞いてまセンヨ? 一体何をやらかしたんデスカ!」

「貴様のケツ拭いだ!」


 鬼の形相で藤枝が叫んだ。

 アカツキはそんなことお構いなしの調子で嘆息してから話し出す。


「未来予知に闇の姫、それに、さっきそこの少年も面白いチカラでデスクを墜としていマシタ。3人ともコロせません。それで藤枝さんの相手マデとなると……、面倒くさいデス。逃げマス」


 あっさり言いきったアカツキに藤枝が血走った目で食いつく。


「ふざけるなッ! 逃げる気か!」

「何言ってやがるンデスか、ワタシが逃げないで損をスルのは、この中でアナタだけデスよ? 感謝して欲しいくらいデス。それに『闇の姫』は本気で困るんデスヨ、彼女が本当にコロス気だったら、私達はとっくに死んでマスよ? 天敵デス、怖いデス、彼女が優しくて良かったデスネ~」


 アカツキには空気を読む気が全く無いようで、「それデワ!」と言ってさっさと消えてしまった。

 あまりにも呆気ない魔人の退場に微妙な沈黙が落ちる。

 藤枝が一人屈辱に打ち震えでいた。


 助かった、のか……?

 いや、まだわからない。そもそも自分達は藤枝と戦いに来たのだ。もっとも、静流が戦闘不能な今、当初の任務を遂行するのは無理だ。そして最初藤枝は危害を加えるつもりが無いような事を言っていた。戦闘は回避できるかも知れない。

 しかしアキラは藤枝に視線をやり自分の考えが甘かったことを知る。

 藤枝はアキラと静流には目もくれず、その双眸に煉獄の焔を宿し、肩で息をしている御門を睨め付けていた。 

 その藤枝が怨嗟を込めて吐き捨てる。


「お前のような害悪は死ぬべきだと思わないか?」




□□□□□□□




「死のうと思ったことは無いか?」

 

 藤枝が静かに言う。


「そのふざけた力で、人の拠所を卑しく覗き見て、自分だけ浅ましい本性を隠して、破廉恥で邪な恥ずかしい自分の顔を鏡で見た時、死にたいと思ったことは無いか?」

「やめて……」


 御門の濁った眼に動揺の色が浮かぶ。


「今までどれだけの想いを視姦してきた? 暴いてきた? 辱めてきた?」

「やめてっ!」


 御門が耳を塞いで叫ぶ。

 アキラが耐えきれず声を上げた。


「やめろ! 彼女はそんな人じゃない!」

「なに無駄な事してるんだ? 耳を塞いだって聴こえるんだろう、そのいかがわしい力で。化け物が『守る』とは何かの冗談なのか?」


 藤枝はアキラを完全に無視して侮蔑の眼差しを御門に向ける。


「やめろって言ってるだろッ!」


 アキラが拳を震わせた。


「人ん家に無断で土足で上がり込んで、引き出しを全部開けて、時に汚して、時には奪って、それで『私も傷ついてるんです』ってか? 随分お偉いなお前らは」

「やめてッ さもないと……!」


 御門の髪がざわざわと揺れ出し、吊りあがった目が端から赤黒く染まってゆく。再度フロアの空気が不穏なものに変化していった。

 藤枝が嘲る様に哄笑する。


「ははッ! 使うか? その下品な力を! 自慰で蓄えた被害妄想を他人に擦りつけるか? お似合いだ! 醜悪なお前らにはピッタリだよ!」

「~~っ!」

「取り入ってケツを振って、今までどれだけの人間を売ってきた! いつまでそうやって生き続ける!」

「……っ……うぅっ……!」


 赤黒い眼から一滴の涙が落ちる。堪えるように唇を噛み締め、口惜しさに体を震わせていたが、ついに涙が溢れだし滂沱と流れ落ちる。


「やってみろ! お前を庇ってくれているガキの前で! その醜い本性を見せてみろ!」

「っ!」


 御門がハッとしたようにアキラの方を向き、その夜叉女のような顔をグッと歪める。

 そして絞り出すように

 「見ないで……」と言った。

 そのまま顔を両手で覆い崩れ落ちる。御門のすすり泣く声だけがフロアに響く。そこにはもう『闇の姫』と呼ばれる少女の姿は無かった。


 ブチン、と

 アキラの中で何かが切れた。


 「うおおおおおおお――っ!」


 アキラが雄叫びをあげながら藤枝に殴りかかる。

 怒りにまかせた素人の大振りのパンチだ。戦闘訓練を受けた人間に当たるわけが無い。


「当たらねえよ」


 藤枝がつまらなそうにヒョイとかわす。

 許さない!

 殴り合いのケンカなどしたことが無い。人に拳を振ったことなど一度も無い。銃弾すら防ぐこの男にパンチが当たらない事くらいアキラにもわかっていた。

 それでもアキラは再度殴りかかる。

 藤枝がイラついたように舌打ちして


「当たらねえって言ってん――だろッ!」


――ゴキッ


 アキラの顔面に拳を叩き込む。そして仰け反ったアキラが悲鳴を上げる間もなく、弛緩した腹筋を掻き分けるようにして拳を鳩尾にねじ込んだ。

 アキラの体がくの字に折れ、横隔膜がその役割を放棄する。

 御門が小さく悲鳴を上げた。


「かっ…………くぇっ……」


 脳が酸素を求め、痛みをどこかに押し遣った。アキラは顔面を蒼白にして崩れ落ちる。

 しかしそれでもアキラは眦を下げない。途切れかけた意識を引き摺り戻し、せり上がって来た酸っぱい汁を口の端から溢れさせながら『力』を奔らせる。


 ぶっ飛ばしてやる!

 壁際に散らばる設備の無数の破片が藤枝へ音も無く乱れ飛ぶ。しかし


「無駄だ」


 『断裂』が破片を呑み込む。

 断裂の効果範囲を外れた大量の破片が、後ろの壁や設備の残骸に激突して派手な音を撒き散らした。


「くっ!」


 アキラは再度、攻撃を仕掛けるが藤枝にはかすりもしない。何度やっても結果は同じだった。藤枝の後ろの壁だけが無残にダメージを蓄積させている。

 御門のくぐもった嗚咽がアキラの胸を抉った。


「いい加減に理解しろ」


 藤枝が二人を睥睨して言う。


「お前もいつかそう思う。力に媚を売って裏切るのはこいつらだ。将来、お前がハメられるとしたら、それをするのはこいつらだ。だから――」


 一瞬の出来事であった。

 アキラが、だまれと叫ぼうと息を吸い込んだ時

 藤枝が更地になったフロアを疾走し、一瞬にして御門の首を左手で掴むと、そのまま締め上げたのだ。


「ぅぐっ」


 御門が苦悶の表情で呻く。


「視えるか?」


 藤枝は、御門の瞳を覗き込むように顔を近づけて牙を剥く。


「視えるか? 俺の絶望が! お前らの度し難い傲慢が生み出したモノが!」


 藤枝が更に力を込め、色白の御門の顔が紫に染まっていった。




 やめろ……!

 アキラは自分を呪っていた。何も出来ない自分を呪っていた。

 静流は自分を守ろうと必死に戦い倒れた。

 御門は自分を守ると言ってくれた。

 しかしアキラは思う。


 僕にそんな価値は、無い……ッ!

 何も出来ずに震えているだけのガキだ。足手まといで迷惑をかけるだけのボンクラだ。

 連れていってくれとワガママを言った結果、静流が死にかけている。

 助けに来てくれた御門が殺されかかっている。

 結局最後の最後まで自分は何もできない。でも……


 それでもッ……!


――守りたい!

 

 どこかズレていた歯車がカチッと音を立ててはまる。

 今やっと歯車がゆっくり回り出す。

 そうだ、今ならはっきりわかる。


 ――ジャキッ…… ジャキッ……  

 壊れた少女を見てそう思った。


 ――私にも人質がいるんだ、失いたくない人が、いるんだ。

 俯く静流を見てそう思った。


 ――私なんかに、こころを、覗かれたら嫌でしょ。 

 怯える御門を見てそう思った。


 ずっとモヤモヤしていた。どこかに何かが引っ掛かっていた。

 関わりたくないと、日常に戻りたいと、そう思っていた。

 しかし自分のバックボーンとなった優しい世界が、青臭い感情がそれを許さなかった。最後まで見届けろと自分を引き留めたのだ。でもきっとそれは……


 僕は守りたいと思ったんだ! 


 それは持つ者の傲慢なのかも知れなかった。頼んでねえよと罵倒されるかも知れなかった。

 しかし、たとえ偽善者と誹られるとしても、この圧倒的な質量で押し寄せ る純粋な想いを自身が否定するわけにはいかないのだ。

 アキラが再度立ち上がる。





「守るんだ!」

 

 アキラが拳を握りしめた。

 静流の言葉を思い出す。


――サイキックの真骨頂は武器を併用した迫撃だよ。 


 だからアキラは踏み込みと同時に『力』を自身の背中にブチ当てる。

 そして、一瞬で迫った藤枝の顔面に、外側から内側へ絞り込む軌道で拳を奔らせながら、己の肘を『力』でブッ叩く。


「あぁあああああああああああ―――っ!」


 スピードは力だ。加速し過ぎて伸ばし切れなかった腕を、藤枝の顔面に拳をめり込ませたまま全力で振り抜く。

 藤枝が錐揉みしながら机の残骸に吹っ飛んだ。残骸の山がガラガラと崩れる。

 アキラの骨が、筋肉が、関節が、無茶をするなと悲鳴を上げる。


 だから何だ! それでも僕はッ


「守るんだッ!」


 横を見ると、御門が目を瞑って倒れている。一瞬嫌な想像に身が凍るが、胸が微かに上下しているのを確認して胸を撫で下ろした。気を失っているだけのようだ。


「守る……だと……?」


 正面では藤枝が、口端から血を垂らしながらフラフラと立ち上がるところだった。ぺっと吐き出した白いモノが床で乾いた音を立てる。


「守る……だ? もう一回言ってみろッ!」


 『断裂』がアキラの左頬を切り裂いた。

 藤枝が怒りを露わに顔を紅潮させる


「出来もしないことを言うな! 頭上に核が落ちても同じことが言えるか!? 明日事故で死なないと誰が言える!? 守ると言えば全てうまくいくと錯覚するクソガキが…… その言葉はそんなに安くねえ、不可能だ、出来ないんだよッ!」


 藤枝の咆哮は続く。


「力があっても守れねえ、力が無いのは論外だ! 力も無いお前が、出来もしない戯言をもう一回でも謳ってみろ! 殺してやる…… 約束してやろう、絶対に殺してやるッ!」


 絶叫だった。それは守れなかった男の慟哭だった。

 しかしアキラは躊躇しない。愚直なまでの正義感が彼の背中を全力で押す。


「決めたんだ! 僕が守るんだッ!」


 しばし戦場に沈黙が降りる。

 藤枝がスッと目を細め「わかった」と静かに語りだした。


「お前らは俺の追っている『敵』ではない。だから殺すつもりはなかった。だが気が変った、お前がそう望んだ……、だったら守ってみせろッ!」


 浮かべるは凶相、限界まで開いた目に異様な光を灯し、口角を裂けるくらいに吊りあげた獣が吠える。


「お前を気絶させたあと、そこの二人を殺す。腹を掻っ捌いてハラワタ引き摺り出して倒れたお前に布団の様に掛けてやる。喜べ! 俺はお前を殺さない。全力でお前の妄想を踏み躙ってやる! 生涯醒めない悪夢を見せてやるッ!」


 二人は対峙する。

 アキラは強く拳を握り、藤枝が牙を噛み鳴らした。


「汚辱の海でもがけ!」

「僕が、守るッ!」


 遠くでクラクションが鳴り響く。それが合図であったかのように二人の男が床を蹴った。

 交わること叶わぬ二つの魂が、煌めく刹那交差する。

 見届けるのは悠然と舞う闇夜の雪蕾。

 守ると決めた少年と、守れなかった男が激突した。

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