第17話 決戦3

いったいどうなっているっ!


 静流は突如現れた第三者に困惑していた。

 キナ臭いとかいうレベルの事案ではない。もう既に状況は煮え切っていた。 


 空間転移、だと!?

 静流は再度毒づく。

 マズイ、見たらわかる。こいつは……ヤバい!


「アキラ、柱の陰から出てくるな、何があってもだ」


 静流はアキラに低く囁いた。彼を死なせるわけにはいかない。だからもう一度念押ししてからアキラを背後に隠しながらジリジリと後退する。

 そもそも藤枝を死角からの初弾で仕止められなかったことも、楓の狙撃が防御されたことも静流にとっては誤算だった。そして藤枝が希少で戦闘力が高い空間操作系の能力者だったことはさらに大きな誤算だった。もし退路が確保できていなかったらと思うと寒気が止まらない。

 それだけで最大級の貧乏クジを引かされたと言える。今すぐ公安に怒鳴りこんでも文句は言われないはずだった。


 しかし、その程度の誤算など鼻で笑い飛ばすぐらいの脅威が目の前に存在した。

 空間操作系、転移能力者。しかも戦闘状況において自己転移可能なレベル3以上。

 転移が出来る能力者は極めて希少だ。なぜなら大抵最初の転移で死んでしまうからだ。

 

 ある日突然何の前触れもなく発現する能力、彼らが意識もせず飛んだ先が、落ちても死なない高さの空間である保障などどこにもない。

 地球の体積に比して、地表数mの空間の割合など考えるまでもない。海に落ちる、地下に埋まる、建物と同化する、地上数千mからのダイブ。

 能力の自覚が無いまま、実にバリエーション豊かに彼らは死ぬ。

 それでも運良く生き抜いた彼らは戦闘において最強と言っていい。

 鉛筆一本、頭の中に転送されただけで人は死ぬ。腕一本、どこかに転送されただけで戦闘は終わる。

 視認された瞬間から逃走は不可能だった。敵でないことを祈るしかないのだ。

 その時、静流の頭の中で最後のピースが填まる。


 藤枝はコイツを狙撃しようとしていた……

 正面からどうやっても勝てる相手ではない。だから一撃に賭けてここで潜んでいた。

 藤枝ほどの空間操作能力者をもってしても、目の前の男はそれほどの脅威だった。

 そして脅威が口を開く。


「かわそうデスが時間切れデス」

「――っ!」


 静流の全身が総毛立つ。隠すつもりも無い無邪気な悪意が、むせ返るくらいフロアに充満するのがわかったからだ。

 藤枝の言葉が頭をよぎる。


――悪魔が来る! 逃げろ! 殺されるぞ! 


 静流の『勘』が最大級の警報を鳴らす。こいつは敵だ!

 気付いたら叫んでいた。


「楓ぇっ!」


 瞬間、パリンと軽い音を立てて窓ガラスに穴が空く。

 だがそれだけだった。

 更に数発の弾丸が飛来するも、窓に穴が開くだけでニヤつく男には届かない。空砲ではないかと目を疑いたくなる光景だ。


「少しウルサイですネ」


 男は何の気負いも無く左手を窓の外にかざし、掌から火球を出現させた。


「デュアルスキルだと!」


 静流が驚愕に声を上げる。

 ありえない。炎と氷を両方操れる者がいたとしても、それは熱を与えるか奪うか、熱の操作という一つの力の発現に過ぎない。能力者は二つの力を保持出来ない。これは常識だ。


「チガいますヨ?」


 男は気軽に応え火球を放った。

 火球は窓を破って、音も無く猛烈なスピードで飛翔し、緩い弧を描きながら3つ向こうのビルの屋上に着弾して初めて轟音を撒き散らした。凄まじい爆炎が夜空を染め、フロアに男の影が揺らめく。

 静流がハッと気づきインカムに呼び掛ける。


「楓! おいっ、楓! 返事をしろ!」


 しかし返事は無い。


「無駄だと思いマスヨ?」


 酷薄な笑みを浮かべたまま男が言う。

 ギリッと奥歯を噛んで睨む静流の視線を、男は飄々と受け流して口を開いた。


「デュアルスキルとかではありマセン。というか、能力ですらナイデス」

「なん、だと……?」

「これはいわゆる魔法デス。別の世界の法則を利用シテ発動させマス。といってもこっちのセカイの人間には無理でしたネッ。ちなみにワタシの名前は『アカツキ』デス」


 突然語られた突飛も無い話と、TPOをわきまえない自己紹介に静流は混乱する。


 何を、言っているッ……!

 能力ではなく魔法だと? こっちの世界の人間には無理だと? 

 ふと藤枝に視線を向けると、藤枝の顔も驚愕に引き攣っている。彼も知らなかったらしい。

 再度アカツキと名乗った男に目をやると、やはりTPOをわきまえず何やらブツブツつぶやきながら考え込んでいた。


「イヤ、こっちのセカイの能力者も、向こうのセカイの法則の影響を受けてシマッタ人間だカラ能力を魔法といってもイイのでは……?」


 よく聞こえないが、こちらに注意を向けていないようだ、アキラを逃がすには今しかない。

 アキラに目で逃げろと合図をして、嫌がるアキラの背中を押そうとした時


「ああ、無駄デス。藤枝サンとそこの柱に隠れている少年には死んでもらいマス」


 と、アカツキは冷酷に告げ、藤枝と静流の間あたりに歩を進める。

 静流は、もう藤枝などどうでもいいかのようにアカツキに銃口を向け、引き金を引くタイミングを図っていた。むやみに撃っても通じない。コイツは化け物だ。

 飄々とアカツキは続ける。


「崇岬サン、でしたっけ……? アナタは極めて貴重な未来予知の能力者デス。インターフェイス候補はコロしまセン。安心して下サイ」


 私の情報を知っている!?

 静流の背中を滝のように冷や汗が流れる。

 藤枝が目をギラつかせて、低く唸るよう言葉を吐き出した。


「『インターフェイス』ってのは何だ?」

「コトバ通りデスヨ? 我々は物理法則超えちゃいマスから科学技術じゃ力の発現はムリっつー話デス。戦争起こした連中はコウ考えていまシタ。『日本が核を持つことは許サレないだろう』。米国による無血統治とは聞こえがいいデスが、アレの本質は対国連条件付降伏デスヨ。世界の反応は予想通りだったわけデスネ。後は自分で考えて下サイ。解説面倒くさいデス」

「よくしゃべるじゃねえか、ヒントでも下さるのか?」

「今更これくい問題無いデスヨ、昔とはチガイマス。それにウルサかったらコロせばいいだけの話デショ。アナタ何を言ってるんデスカ? ワケわかりマセン」


 アカツキはやれやれと肩をすくめて答え、今度は右手に何かを出現させた。

 そして「コレも魔法デス」と言うと、アカツキの右手に凄まじい勢いで風が集まり始める。

 次の瞬間、狙撃で空いた窓ガラスの穴からヒビが広がり、次々にガラスが砕け散って外から猛烈な風が吹き込んできた。それら全てが渦を巻きながらアカツキの右手に集まり、やがてゴルフボール大の曇った球体になった。


 トリプルスキル……いや、これはもう

 認めるしかない。この男は魔法使いだ。インターフェイスだか何だか知らないがこのままではアキラは殺される。

 自分が巻き込んでしまった……。

 危険度を読み違えて偉そうについて来いなどと言ってしまった……。

 たとえ自分が死んでも、アキラだけは無事に帰さなければならない。あの暖かい家族の下へ帰さなければならない。

 静流が狂ったように銃を撃ちまくる。


「アキラ! 逃げろっ!」


 撃ちながら、静流は左手で懐から閃光弾を取り出しピンを抜くと、アカツキに向かって放る。

 そして即座に空弾倉を床に落とし、マガジンを叩き込みながらアキラの位置を確認して、スライドを引いてコッキング。再度弾をバラまきながらアキラの方に後退し、竦んで動けない彼の腕を掴んで入口へと後退る。そして反動で抜けそうな右肩に右耳を当てて目と口を閉じ、耳抜きの要領で閃光弾に備えた。

 しかし何も起きない。

 このタイミングで炸裂するはずだった閃光弾が炸裂しない。

 静流は戸惑いながら薄目を開けると、放ったはずの閃光弾がどこにもないことに気付く。

 薄笑いを崩さないままアカツキが言った。


「ああ、どこかに飛ばしマシタヨ?」


 静流の背筋がざわめく。藤枝も何度か攻撃を放つが、全く通用していないようだった。


 まだ、諦めないっ!

 絶望的な状況の中、何とか静流を正気の淵に踏み止まらせたのは彼女の意地だ。

 幾多の修羅場を生き抜いてきたという自負と、アキラを無事に帰すという 義務感が静流に銃を握れと叫ぶ。静流の心はまだ折れない。

 しかし、再度静流が銃を握り締めた時、世界は力有るものに微笑む。

 アカツキの右手の球体が揺らいだと思った瞬間

 それは爆散した。



□□□□□




 圧縮空気の、解放……っ!?

 と思ったのは、静流がフロアの壁に叩きつけられ、壁にシミをつくりながらズリ落ちている最中だった。


 彼は、無……事……?

 爆発の直前、何とかアキラを柱の陰に押し戻すことは出来たと思う。

 朦朧とする意識の中、視線だけ他に移すと、フロアにあった机や椅子はアカツキを中心に全て壁に激突し、ひしゃげ、変形していた。入口側のパーテーションも机の直撃を受けてぐしゃぐしゃになり吹き飛んでいる。

 しかし静流が倒れているところにだけ、なぜか何も物が飛ばされて来ていなかった。

 額から出血したアキラが駆け寄ってくる。涙を流しながら自分の名を呼んでいる。


 そう、か……君が…………

 涙が出た。

 嬉しかった。

 一六歳の少年が、命の危険を顧みず助けようとしてくれたことが。そんな 優しい少年が、自分のために涙を流してくれていることが心の底から嬉しかった。

 だからこそ、それ以上に悔しかった。

 もう戦えそうにない。守れそうにない。自分の過信がこの少年を殺してしまう……!

 涙が止めども無く溢れた。


「ごめん……ね……」

アキラが首を振り何やら叫んでいるがよく聞こえない。

静流の意識が遠のいてゆく。





 御門は走る。

 ここ何年か走ったことなど一度も無い。


――僕は嫌じゃない。


 彼はそう言ってくれた。


 無事でいて……

 心から思う。

 戦闘が始まってすぐ、やましさを微塵も隠さない純粋な悪意が湧きあがり、上階から接近していくのがわかった。御門は背筋が凍った。アレは良くないモノだ……。

 そして五分と経たないうちに、楓との通信が爆音と共に途絶える。

 ビルは車から一ブロック、即座に御門は車を飛び出した。

 自分は待機を言い渡されている。わかっていた、それは静流の優しさだ。でももう我慢ができなかった。


 今行くから!

 初めて会った時、彼は自らの口で自身の性癖を白状させられ恥辱に打ち震えていた。

 能力に目覚めてしまっただけの、どこにでもいる優しい少年だった。ただそれだけのことだったはずだ。

 しかしその優しい少年が、彼とは何の関係もない壊れてしまった少女のために、背中を丸めて嗚咽し嘔吐している姿を見て、少しだけ『悲しい』と思った。喜怒哀楽など、とうの昔に無くしたと思っていた自分が『悲しい』と思ったのだ。

 そして、涙と鼻水と吐瀉物でぐしゃぐしゃにした顔を見て、御門は綺麗だと思った。こらえ切れずに漏れ出す憎悪と殺意さえ純粋で美しいと思った。

 談話室を出ていった彼は、もう戻ってこないだろうと思ったし、むしろ戻ってきて欲しくなかった。これ以上、非も無く傷つく彼を見たくなかったのだ。

 しかし彼は戻ってきた。何かを決意して、少しだけ凛々しくなった表情で。


「……はっ……はっ……」


 ビルに到着した御門は数秒だけ立ち止まり、上を見上げ息を整える。そして中に入り古ぼけた階段を駆け上がった。インカムから何とかアキラを逃がそうとする静流の声が届く。少し間をあけて爆音と共に建物が振動した。


 無事でいて!

 心を覗かれて気持ちのいい人なんているわけがない。

 ただ心が読めるということだけで常に恐れられ、蔑まれ、遠ざけられてきた。敵視され、危険視され続けたあげく、殺意までをも抱かれる。いつの間にか『闇の姫』とまで言われるようになってしまった。

 自分は化け物だ。人が最も嫌悪することをいつでも出来る化け物だ。

 自分が抱える『闇』でほんの少し撫でるだけで、きっと彼の心は壊れてしまうだろう。

 だけど彼は嫌じゃないと言った。こんな自分に触れていいと言ったのだ。

 御門が八階に辿り着く。


 お友達に……なってくれるかな……

 今から自分は戦場に乗り込む。

 この醜くておぞましい力を振るうことになる。それを見ても……

 こんな自分とお話したり、一緒にご飯を食べたりしてくれるだろうか。

 こんな自分に人間らしく生きることを許してくれるだろうか。

 きっと怖がらせてしまうに違いなかった。嫌われてしまうに違いなかった。


 それでも私は……っ!

 

 フロアはそこら中に壊れた物が散乱し戦闘の激しさを物語る。静流が倒れ、アキラがまた傷ついて泣いている。何かが無くしたはずの心を揺さぶった。

 だから少女は戦場に足を踏み入れ、決然と言い放つ。


「あなたを守ります」


 アカツキと藤枝に『闇』が襲いかかる。

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