第15話 決戦

時間は深夜一二時、冬の夜空は月が隠れ、どんよりと雲に覆われている。

 天気予報の予報通り外は雪が降り始め、上空に停滞する寒気の影響で凍てつく冷気が肌を刺す。時折見える歩く人影も、何かに追われるように襟を立て早足で駅に向かっていた。

 終電間近の商業区は、まるで廃墟のように閑散とし、たまに遠くで聞こえるクラクションの音が虚しく夜空に吸い込まれる。

 ちらほら見える明かりの消えないビルの窓が、企業戦士の意地を主張しているようだ。

 旧いわき駅近く、比較的背の低い戦前のビルが未だ居並ぶ界隈の路上に静流達が乗る黒いワゴンは停まっていた。

 起動中の携帯投影ディスプレイが三人の顔を薄緑に染める。

 車内には、ピッチリと身に貼りつく黒い防弾スーツにプロテクターのようなジャケットを着込んだ静流とアキラ。そして、防弾スーツの上から厚手の白いコートを羽織り、チェックのスカートを履いた御門の三人が作戦前の最終確認をしていた。三人ともインカムをつけている。


「作戦内容自体はシンプルだ」


 静流が説明を始める。

 アキラは、インカムの音量が予想外に大きかったらしく、ビクっと体を揺らして、音量を調整していた。


「今から、ここから1ブロック先にあるマンションに乗り込み、藤枝を拘束若しくは殺害する」


 静流は全てを見せる決意をし、アキラは全てを見る決意をした。だから静流は言い淀むこと無く話を進める。


「公安の監視班からの報告だと、藤枝は昨日の午前中に戻ってから外に出ていない。しかしこの案件に関して公安は信用出来ない。動きが無かったとは言い切れない。つまり、踏み込んでみないとわからない、ということだ」


 アキラに目をやると、彼はふんふんと静かに話を聞いていた。

 その姿が静流には、やけに落ち着いているように見える。強盗事件後に気絶してしまうような弱々しい少年の面影はもうない。先日、『殺害』という 単語に過剰に反応し、息巻いていた少年とは思えなかった。


 彼は何を見つけようとしているのだろう……

 と逡巡し、任務に集中しようと頭を切り替える。


「楓の報告によれば、部屋はカーテンが閉まっていて目視不能、そして対サーモカーテンが使用されている。ベランダには赤外線センサーまで設置する念の入れようだ。藤枝は軍事装備を入手できるコネを持ち、その運用も出来る実力者だと思われる。わからないことだらけだが、ヤツがまだ中にいるにしてもいないにしても、確かめるのは必要だ」


 そこでアキラが初めて口を開く。


「あの、『楓』って誰ですか?」

「ウチの狙撃手だ、感覚変異のレベル3でもある。腕は信頼していい」


 静流は、他に質問が無いか確認してから、投影ディスプレイを操作して、藤枝が借りた部屋の立体図面を投射しながら続ける。


「ワンルームタイプの部屋、玄関から部屋まで短い廊下があるだけでドアも無い。部屋は全て見通せる。マスターキーで解錠次第突入、制圧、非常にシンプルだ。何か質問は?」

 

 そこでアキラは一番聞きたかったであろうことを聞いた。


「僕は、どうしたらいいですか……?」


 静流は本日一番真剣な顔を作り、言い放つ。


「何もしなくていい、部屋の外で待っているのが一番いい」

「……」

「もし中に入ってくるとしても絶対私の前に出るな。藤枝がいたら逃げるか、私を射線に捉える位置に移動して動くな」


 アキラの顔が緊張に強張っていく。大して暑くない車内にも関わらず、額にはびっしり玉の汗が浮かんでいた。


 当然か……

 今から殺し合いをしに行きますと言われて緊張しない一般人がいたら連れて来てほしいくらいだ。

 アキラを馬鹿にしているわけでも、彼の決心を揺るがしたいわけでもない。それでも今から一線を超えてしまうかもしれないアキラを見て、確認せずにはいられない。


「アキラ、君は今、最後の岐路にいる。ここを超えたらもう戻れないかもしれない。今ならまだ引き返せる。それでも……」


と、静流は目を瞑り、一呼吸おいてから瞼を開けた。


「君は来るのか?」

「はい」


 アキラは迷う素振りも見せず断言する。そして決意を湛えた目で真直ぐ静流を見た。

 二人は数秒間視線を合わせる。そして静流が「そうか……」と呟いて少し照れたように視線を外した。


「君には武器は渡さない。そもそも銃は扱えないだろうし、持っていたら迷うだろう。君が第一に取るべき選択肢は『逃走』だ。そこは絶対に忘れないでくれ」


 と静流は念押ししてから、御門に


「御門はここで待機、回線は開いておいてくれ。そして何か異常があったら報告を頼む」


 と言った。

 御門がいつもの通り、小さくコクリと頷く。


「それでは行くぞ」



□□□□□□





 短期又は中期の滞在者用の賃貸マンション。大抵、基本的な家具は部屋の造作としてついて来る。ホテルの部屋より安く普通の賃貸物件より高い。

 その利用の簡易性から、犯罪者や不法滞在者等の利用も多くみられたが、数年前、条例で『TIによる身分証明』又は『TIにより身分証明した者の保証』が賃貸要件として義務化された。

 現在では保証要件の穴をくぐって利用する犯罪者が増えていると聞く。結局はイタチごっこだ。住民は隣人の顔など興味も無いし、近隣付き合いなど皆無だろう。      


 そんなマンションの四階、道路側の角部屋の前で静流とアキラは立ち止まる。

 静流が、ホルスターから愛用のライジング二二式を抜き出しスライドを引いた。丸菱重工製で11.43㎜ゼクス弾を使用する、貫通力が弱く殺傷力の高い大口径銃だ。対能力者戦で重宝する。

 アキラがハンドシグナルなど分からないので、静流はただ声を出さないようジェスチャーで示す。

 そして、静流が全く音を立てず鍵穴に鍵を滑らせると慎重に回してノブを握った。


 トラップは……無い

 静流の『勘』がそう告げる。

 アキラに、行くぞ、と視線で告げてドアを開けると、一息に廊下を駆け、電気の点いていない部屋に踊りこんだ。


 いない……

 死角になるようなスペースも無い。静流はすぐさまバスルームを確認するが、人影は無い。

 そこで静流はやっと息を吐く。勘と状況が教えてくれる。ここに危険は無い。

 ベッドや家具の配置も事前に見たデータ通りの室内を軽く見渡すと、この部屋唯一の光源である机の上のノートPCが目についた。電源が入っている。何か映像が流れているようだ。


「何だ、これは……」


 静流が画面を睨んで呟くと、おずおずとアキラが覗きこんできた。


「会社、ですかね……?」


 PC画面には、おそらく建物の角に位置するであろう広めのフロア、そしてフロア全体を見渡す位置に置かれた机で、コーヒーを飲みながら仕事をする男が映し出されている。管理職に就いていることは間違いないだろう。フロアには他に人はいないようだった。

 藤枝には木村以外の目標が多数存在している、という御門の言葉が静流の頭をよぎる。


 この男が次のターゲットなのか……

 確かに白髪の多い髪を綺麗に撫でつけ、机に向かって仕事する様はある程度の役職に就く者の雰囲気を漂わせている。

 しかし、その男はどう見ても、残業する普通の会社員にしか見えなかった。

 その時アキラが何気なく口を開く。


「でもこれ、多分この映像どこかに飛ばしてますよね」

「何!? どういうことだ!」


 掴みかかる勢いの静流に対し、アキラは少したじろいで話す。


「い、いや…… このUSBに刺さってるスティックなんですけど、これ多分大容量データを、ネットもネットワークも介さず直接受信機に飛ばすツールですよ。量販店で見かけて、こんなもの誰が買うんだろうと思った記憶があります」


 アキラの言う通り、PCにメモリースティックのようなものが差さり、その先端部分が何やら青く点滅している。送信中なのだろう。


「四.五世代の移動通信網が張り巡らされている時代に、そんな意味不明なツールがあるのか?」

「確かそもそもの用途はデータリンクケーブルのワイヤレスな感じですよ。無駄に通信範囲が広かったような気がしますけど」


 どうする……

 カメラの映像はネット上のスペースに自動アップロードされ、そしてこのマンションのサービス回線を使用したPCがダウンロードしている。データの飛ばし先までは判明しない。ネットを介さない以上受信側の位置を特定するのは難しい。

 そしておそらく藤枝は偽造TIを信用していない。既にTIを利用したオンライン状態では無いだろう。しかもオンラインだったとしても割り出しには時間がかかる。

 このままでは埒があかない。

 かといって、データの転送を止めるわけにはいかなかった。もし止めたら、藤枝は侵入に気付き姿をくらますだろう。八年間も地下に潜った男に対して最悪の手だ。


「~~っ!」


 静流は焦りで頭を抱えそうになる寸前、ふと気付く。

 ネットも、ネットワークも介さないとなると通信範囲は限られてくるはずだ。広くても数百m、五〇〇mは無いはず。


 藤枝は近くにいる!

 といっても、やみくもに近隣を探しても見つからない。近くまで迫れたとしても気付かれる可能性が高い。

 静流は他に手掛かりはないかと部屋を見渡すと、玄関側の壁に、ちょっと見ただけではポスターと見間違えそうな、図面らしきものが貼ってあることに気付く。

 静流はハンドライトで照らしながら近付いて、それを確認した。

『第7大森ビジネスビル12F構造仕様書 図面』と題打たれたその紙には、水回りや敷設の幅・間隔が事細かに表示され、さらに何箇所か何やら手書きで新たな数字が書き加えられている。

 その中で何より静流の目を引いたのは、手書きで記された、平面図にあるわけがない縦軸の数字だった。


 それを見た瞬間、静流の中に閃く一つの仮説。

 心臓の鼓動が高鳴り、自身の『勘』が告げる。


――藤枝はそこにいる!


 静流は確証を得るためにすぐさまインカムの向こうの御門に告げる。


「御門! すぐ戻る! それまでにこの近辺に『第7大森ビジネスビル』があるか探してくれ、あったらその概要と使用状況、一二階にどこの会社が入っているかの情報を大至急頼む!」


 静流は何が何だかわからない様子のアキラに「行くぞ!」とだけ言って部屋を飛び出した。階段を駆け降り外に出る。

 早歩きで車に向かう途中、斜め後ろを小走りでついてきたアキラが静流に聞く。


「何かわかったんですか?」


静流は歩みを止めず、前を見たまま答えた。


「藤枝は狙撃をするつもりだ。銃ではなく能力で。奴は何らかの遠距離攻撃手段を持った能力者だ。おそらく狙撃は目標のビルの中から行われる。真上か真下に向けてな」

「そんなことできるんですか!?」

「横軸は転送されてくる動画から判断する、縦軸はもう決まっている。座標指定が出来る能力なら可能だ」


 アキラが絶句している。

 それはそうだ、床や天井を越えてくる狙撃なんて想像もしたことはないだろう。

 だがそれが能力者の戦いだ。

 車まで歩くと静流は運転席に、アキラが助手席に乗り込んだ。

すぐさま御門がPC画面を睨みながら口を開く。


「……先ほどのビルはここから直線距離で二〇〇mほどの所に。一階1フロア、一四階建のオフィスビルです。一二階は聞いたことも無い調査会社が入っているようです。詳細データは今TIに送りました。確認してください」


 静流は即座にTIを確認し、見取図等を頭に叩き込む。そして車をゆっくり発進させた。

 御門が続ける。


「……八階が空いているようです」

「そこに藤枝がいる、間違いない!」


 静流の中で推測が確信に変わる。

 藤枝はそこに潜んで何かを待っている。

 もし事が済んでいたら、おっさん一人がのんびり残業など出来るわけがない。

 茂みに潜んで獲物を待つ獣のように、獲物の喉に牙を突き立てる瞬間のために、ただひたすら待っているのだ。

 だが自分達にはそれを待つ義理も無ければ道義も無い。自分はその茂みに潜んでいる獣を後ろから撃つだけだ。


「楓、聞いていたな、データは転送する。八階か一二階で戦闘になる。すぐに移動しろ! 『研修生』に当たらなければ撃ちまくっていいぞ、いつもの通り私は気にするな」

「あの、研修生って……」


 複雑そうな顔のアキラに、静流はニヤリと笑う。


「もちろん君だ、もう私は君を止めないと決めた。だからついて来い」

「はい!」


 そう、もう止めないと決めた。

 結果、この優しい少年に嫌悪の目で見られるかもしれない。今更ながらそれはちょっと辛いと思う。

 それでも、彼が見届ける所を見届けると決めた。どういう方向かは別として、彼が前に進むのを見届けると決めた。

 目を覆いたくなるようなことも全て見せよう。その先はアキラが決めることだ。 

 だから静流は牙を剥き出しにして嗤う。そして言った。


「狩るぞ」

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