第13話 決意3

 新都庁にほど近く、商業区の一等地にあるセントラルホテル磐城は、海外からの旅行客や有名人、大手企業の重役達が利用する、いわゆるシティホテルだ。

 正面ターミナルでは、物腰柔らかいベスト姿のボーイが汚れ一つない手袋を胸に当て、フロントでは完璧な姿勢と微笑みを崩さないスタッフが並ぶ。

優美かつ豪華な装飾に彩られたレストランには食通達が足しげく通い、遥か高層のバーには苦みを知る大人達が集い、グラスを傾けゆっくりとまどろむ。


 そんな優雅な非日常をさりげなく提供する都心の高級ホテルである。

 そのホテルの三二階三二一二号室 スーペリアルーム。

 普段は上品な調度品が配置され、落ち着きと豪奢が同居するその部屋が

惨状を呈していた。

 被害者の妻、木村美知香は虚ろな目を泳がせ、ベッドに腰掛け微動だにしない。


 その娘、木村知子はベッド近くの床に座り、引き攣る様な歪な笑みを浮かべながら、家から持ってきたであろう大量の人形やぬいぐるみをひたすらハサミで切り刻んでいる。

 そして、その二人から目を背けつつ警護する2人の警察官。

 アキラは部屋に入るなり、2人の警護に倣って遺族から目を逸らした。

 静流にしゃべるなと言われなくても自分が言えることなど何もない。床一 面に散らばる人形やぬいぐるみの死骸を見れば、どんな馬鹿にだってそのくらいのことはわかる。


 自分だったらどうなるだろう……

 四肢を捥がれ、芋虫のように床に這いつくばり、自身の血溜まりで失禁しながら痙攣する自分の父親を、おそらくは見てしまったであろう5歳の少女。

 さっき見た映像では、事情聴取を受ける母親の横で狂ったように笑い転げていた。

 彼女の中でどれ程の怪物が生まれてしまったのか、想像もできない。

 横を見ると、静流がやりきれない顔で少女の背中から視線を逸らすところだった。


 部屋にハサミが人形を断裁する ジャキッ ジャキッ という音だけが不気味に響く。

 静流が堪え切れなくなったように、「御門、すまない、頼む」とだけ言った。

 御門は澱んだ目を静流に向け、澄んだ声で質問する。


「……接触は?」

「そこまでしなくていい、人物情報の確定と、事件に関することだけを拾ってくれ」


 静流が言うと、御門はやはり無表情で小さく頷き、数歩、美知香に近付く。

 美知香は御門に気付くと 「ひぃっ!」と怯えたようにその身をかき抱きブルブル震えていた。

 御門は十秒ほど美知香を見つめ、首だけで静流のほうを振り返りおもむろに口を開く。


「……間違い、ないようです」

「そうか、詳しいことは車で聞く」


 御門は小さく頷くと、今度は娘の知子の方に向き直り、じっと彼女を見つめた。




---------------


 この子は、もう壊れてしまったのね……

 中途半端な高さの崖から飛び込み、粘つく赤黒い海を深く深く潜っていくような感覚。壊れてしまった人に潜る時はいつもこうだ。もう慣れた。

サイコダイブは、いわゆる憑依と呼ばれるものに似ているのではないか、御門はそう思う。

 対象人物の過去の記憶に入り、その時の対象の精神と疑似的に同化するのだ。したがって対象の感覚、感情がそのまま自分に跳ね返る。深く潜れば潜るほどより鮮明に、よりダイレクトに。

 

 テレパスの中には、潜ったまま帰って来ない者がいる。思念に敏感な高レベルのテレパスほどその確率は上がっていく。対象の感情の高ぶりに耐えきれず、その波に呑まれ溺れてしまうのだ。そうなれば後は沈むだけだ。経験は無くとも感覚でわかる。

 しかし、ダイブを重ねるうちにそんな危険も少なくなってくる。心が麻痺して何も感じなくなるからだ。

 それでも対象の感情のうねりが強力だと、それに中てられて危険な場合もある。気を抜くわけにはいかない。御門が意識を集中させる。


 あそこね……

 粘つく思念の渦の中心らしき場所があった。無数の軟体生物で組成された大蛇がとぐろを巻いているようにも見える。そしてそこからはウジ虫、又は内臓そのものといった様なものがぐちゅぐちゅと生み出され続けていた。

 御門は強烈な腐臭を放つそれを掻き分けながら、中心に向かって手を伸ばす。何やら温かい声が聞こえた。


「知子ぉ~~、寝るよ~~~」


 その時にはもう既に、御門は知子だった。

 少女の両親に対する絶対的な安心感が、御門の胸にしみ込んできて少しむず痒い。我慢しないと、お父さんお母さん大好き! と今にも叫んでしまいそうだ。


 あまり感情に中てられないようにしないと、子供は特に……

 御門は、知子の記憶の流れに身を任せた。



 

「知子ぉ~~、寝るよ~~~」


 おかーさんがわたしの手を引き、廊下へと連れていった。

 あっ! 知らないおじちゃんが来てる! おとーさんのおともだちかな?

 おトイレの後、寝室に入ったわたしがおかーさんに聞く。


「ねーねー、おじちゃんきてた! おとーさんのおともだち?」


 おかーさんがニコニコしながらわたしにお布団をかけた。


「そーねぇ、お友達だと思うわよ~」

「そーかぁ、おともだちかぁ、そしたらしょうがないね! おかーさん! 本よんでぇ~」


《私もこうやってお母さんとお父さんに頼んでいたなぁ……》


「うふふ、何を読んでほしいの?」

「えるまーの続きが読んでほしい! ええとね、りゅうさんの家に行ったお話!」


《エルマーシリーズ……、ずいぶんと古い本、私もお母さんに呼んでもらった気がする》


「おおっ! 一六匹のほうね、これ読むの何回目かしらねぇ~?」

「わかんない!」


 おかーさんが「本当にこの本好きねぇ。」と笑いながら本棚に向かう。その時



――パンパンパンッ



 と、おせんべいを割る時のような音が聞こえた。


「何かあったのかしら?」


 おかーさんが少し心配そうな顔でリビングの方を見た。


「知子、お母さんちょっと見てくるから、いい子にして待っててね」

「うん! いい子にしてる!」


 おかーさんがキョロキョロしながら廊下に出て行った。


《ここまでの知子ちゃんは、さっき美知香さんに潜った時に視た……》


 早くえるまー読んで欲しいな~

 わたしはおかーさんの帰りをワクワクしながら待っていた。

 だけど、おかーさんが全然帰って来ない。


 おかーさん、何やってるのかなぁ、遅いなあ~

 わたしは足をバタバタしてみた。布団がモコモコなるのがちょっと楽しい。そのまま色んな形に布団をモコモコさせて遊んでいると、リビングの方から大きな声が聞こえた。


 あれっ? 何か聞こえる。 おかーさん呼んでるのかな?

 わたしは「はーい!」と返事をしながら布団から起き上がって、ドアまで歩いた。そして目の高さにあるドアノブを両手で捻って廊下に飛び出した。

どんっ  

 目の前にさっき見たおじさんが立っている。ぶつかってしまった。


《藤枝守……》


 ええと、こういう時は……


「ごめんなさい!」

「……」


 わたしはおじぎした。そして顔を上げてびっくりした。


「おじさんケガしたの? 大丈夫?」

「――っ!」

「顔から血が出てるよ?」

「っ!」


 おじさんは少しあわてて、入っちゃいけない部屋に入っていった。入っちゃだめなのに……。

 あっ! そうだ、おかあさんが呼んでたんだ!

 わたしはリビングに向かう。


《行ってしまうんだね。やっぱりあなたは見てしまったんだね……》


 そしてリビングのドアを開けた。


「おかーさ、ん? どうしたの?」


 おかーさんが大きな声を出している。いつもは家の中で騒いじゃいけませんって言ってるのに……。


《もう少し前に美知香さんの記憶は途切れていた……》


 わたしはおかーさんの足元を見た。

 なんか、へんなにおいがする。なんか、ゆかにあかいみずたまりができてる。なんか、へんなものがころがってる。なんか、くちがパクパクしてる。なんか……


「おかーさん、何あれ?」


わたしはへんなものに近付いた。


「おかーさん、何これ?」 


 おかーさんが返事をしない。

 あはは


「おかぁさぁ~~~ん」


《だめ、それ以上そっち側に行っちゃ――》


「ねぇってばぁ~~」


 あはっ、あはははは


「なぁにぃ~これぇ~~~ぇへへへへぇえ~~」


 あはは、あはっ

 おしっこ! おしっこ漏らしてるこれ! おかーさん、これおしっこ漏らしてるよ!  

 あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは


《もう、ダメね…… 新しい情報も無いし、この子も他の人達と同じように壊れ――――》


 その時、おとーさんがこっちを向いた。


《うそっ! 違うよ、そんなはずないよ! この感覚、記憶と思念がごちゃまぜになって暴走してる!? まずい、逃げれない! こんなの初めて、このままだと……!》


 おとーさんは私を見て言った。


「知子、なぜ助けてくれなかったんだい?」


《呑まれるっ!》

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