第12話 決意2
「では、御門は概要を知っていると思うが、軽くブリーフィングだ」
静流が机に置いた携帯投影ディスプレイを操作しながら説明を始めた。机の上三〇㎝くらいの空間に様々なデータが投射される。
「今回の目標は『藤枝守 三七歳』能力はレベル3程度の身体強化。九年前、仙台及び日立における通称「田口家一家殺害事件」「川崎家一家殺害事件」で計八名を殺害。当該事件発覚逃走時に自身の妻を殺害した後、行方をくらませた。彼の娘も行方不明となっているが、殺害されたものと推定される。これら事件に関して下請である我々が参照可能な詳細な記載は残されていない。藤枝の素性も不明だ。能力者の事件だし面子もあるんだろうからな。降りてくる情報を鵜呑みにするしかない」
あの事件か!
アキラもすぐに思い当たる。
事件当時、小学生だった自分はよく覚えていないが、未解決事件の情報提供を呼びかける番組で、今でも必ずと言っていいくらい名前があがる有名な事件だ。
有名な理由としては、何よりその凶悪性である。
両事件とも全員が首を鋭利な刃物で切断され、それ以外の外傷がなく、金品を漁った形跡も無し。その全ての手口が酷似していることから同一人物の犯行とされた。
ネット上でも様々な憶測が乱れ飛び、半ば通説化したのは、犯人は特定できているが出国しており、手が出せないのではないかという犯人某国人説であった。
そしてその凶悪性と、社会に与える影響の重大性から、警察が威信をかけて捜査し、敗北した事件でもあった。
ただ殺すために押入り、実際に全員を殺すという身の毛もよだつ事件の犯人が、未だ街を闊歩していると思うと恐怖に身がすくむ。アキラは番組を見るたびにそう思っていた。
その事件の犯人が能力者、そして……
―――自分の奥さんと子供、を……?
人をそんなに簡単に殺せるものなのか……。
第一声で語られるおぞましい事件に、アキラは吐き気がこみ上げ口を押さえる。
しかしそんなアキラにかまうことなく静流は説明を続けた。今度は映像を伴って。
「その藤枝が5日前、好間住宅街にあるマンションに押し入り、会社員木村修一の四肢を切断し、執務室を物色して逃走した。被害者は病院への搬送中に死亡、この事件に関し報道規制はされていない。ニュースでも藤枝の顔が流された。そしてこれがこの事件に関する捜査記録映像だ。」
静流が操作した投影ディスプレイがその惨状を映し出す。
おびただしい量の血が撒き散らされたリビング、争った跡が残る執務室、搬送時にマンションの防犯カメラが捉えたピクリとも動かない被害者、救急隊員が無造作に抱えた四肢。
そしてアキラは、べっとりと血を吸った服を着て、半ば裏返った目で笑い転げる五歳くらいの少女の映像を見た瞬間、隅にあるゴミ箱へと走り、胃の内容物をぶちまけた。
―――狂ってる! 何なんだ……何なんだコイツはっ……!
気持ち悪い……。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持
「何なんだ! 何なんだコイツは! わかってんのか! こんなっ、小さい子が……。こんなっ! 狂ってる! イカれてやがるんだ! 畜生ッ! 殺しっ……! ふざけやガブッえぇっぇぇ~~」
アキラは再度ゴミ箱へ嘔吐する。そして自身の吐瀉物の臭いで再びゴミ箱を抱え込んだ。
静流が焦ったように部屋の備付のお茶をアキラに手渡す。アキラはそれを一気に飲んでまた吐いた。
静流は心配そうにアキラの顔を覗き込んで声をかける。
「悪かった、だから落ち着け…… 我々は麻痺してしまっているんだ。至らなかった、すまない。」
「……うぅっ」
「一回、手洗いに行って来い、そしてゆっくり考えろ、後始末はやっておくから無理することは無い。君は優しすぎる。耐えられそうになかったら、今日はロビーで休んでいてくれ」
「…………はい」
アキラは足をもつれさせながら立ち上がり談話室を出て行った。
静流がため息をついて下を向く。
アキラが出て言った談話室には微妙な空気が漂っていた。
特に何を言うでもなく、御門がすぐ席を立ってゴミ箱をどこかに運んでいく。
静流は、思春期の女の子が平然と他人の吐瀉物の処理する様に少しだけ違和感を覚えた。
元々淡々と動く子だけど、いつもと様子が違うな……
御門が自発的に行動するのは珍しい。普段は意図的に存在感を消そうとしているかのように隅で俯いているような少女だ。もっともその超常的な美貌がそれを許さないではいるが、それでも率先して何かをやるなど皆無に等しい。
静流はそんな事を考える一方で、このような陰惨な事件について強い拒否感を覚えなくなった自分の感覚と一般的感覚との乖離に肩を落としていた。先ほどのため息もそのせいだ。
アキラはきっと、体を蟲が這いまわる様な怖気に襲われた事だろう、それが当り前なのだ。自分達が慣れて麻痺してしまっているに過ぎない。
そしてそれは、このような犯罪を犯した能力者に対し、当然のように激烈な処罰を加えることについても同じことが言えるだろう。
いつから自分はこんなにも鈍くなったのだろう
静流が再び嘆息する。
能力者に対する苛烈な処分。
そもそも時代がそれを許容したのは20年前の戦争以降だ。
それ以前は能力者に対し比較的融和な対応が採られていたと聞く。旅行も出来たしプライバシーもあった。人質制度も無く被選挙権すらあったらしい。能力者も『人間』であったのだ。
少し考えれば静流にも理屈はわかる。
戦前の人権・友愛・譲歩。それらの優しい価値観が推し進めた背景無き平和主義。
目に見えていた脅威に対して、過剰に与え、保護し、目を瞑り続けた結果、もたらされたのは首都に核が落ち、九州南部を一時占領されるという堪えがたい屈辱だった。
積み重ね磨き続けた理想主義を、理不尽な圧倒的暴力によって粉砕する現実は、大きな反動を以て人々を反対の思想に傾ける。人々は大のために小を切り捨てる事を是認し、個人は国家安寧のため譲歩すべきと考えるようになった。そして人々は安全を脅かす脅威を敵と認識し容赦なく攻撃した。
いつの時代も、混乱した世を喜々として跋扈するのは思想家や革命家といった類の輩だ。当時の日本もそれは例外ではなかったのだという。
しかし「人民のため」「理想の社会のため」と声高らかに革命を先導する人間を見た国民はどうしたか。
狩ったのだ。
理想のためと国家転覆を企てる連中を、人々は安全を脅かす脅威と認識し、警察でも公安でも無く、国民が容赦なく彼らを狩ったのだ。
戦後二〇年、そんな過激な時代も終わり、心の安寧を取り戻した人々は、水に流すことを美徳とする国民性と相まって、優しい価値観をすっかり取り戻しつつある。少なくとも、犯罪者でも適正手続の保障はされるべきとの建前を述べる程度には。戦後に生まれた世代なら特にそれが顕著だ。
それでも『脅威に対する忌避の念』は癒着して剥がれない癌細胞のように、未だ大人達の心に居座り続ける。特警の存在が容認されるように、テロリストや工作員に対する苛烈極まる制裁も、世間は無慈悲に肯定するのだ。
そんな中、物理法則を超える理解不能な者達が現れたら人々はどんな反応を示すだろうか。
答えなんて決まっている。
だから平穏に暮らす能力者のためにも、秩序を乱す能力者に対して凄絶な制裁を加えなければならない。その規範意識は能力者のために能力者の手によって示されなければならない。もしもの時のため、能力者は安全であると体現しなければならないのだ。
それでも自分はまだマシだ
静流は、せっせと片付けをする御門に視線をやりながらそう思う。
能力を使って出来る事柄・事象についてレベル4と5の間にほとんど差は無い。これらを分かつのは『規模』だ。
レベル4までは引き起こされた事柄・事象からそのレベルを『推定』され、圧倒的な規模に力を撒き散らすことが出来る能力者がレベル5に『指定』されるのだ。
そうなればもう一種の災害だ。意思を持った歩く災害の存在など誰が許容してくれるのだろう。
生まれながらのテレパスである御門は、6歳の時、母親を亡くしたショックで広範囲の人々を昏倒させたらしい。そして保護されレベル5の指定を受けた。
それゆえ御門は、小学校に入るか入らないかという年齢の時から、少しの翻意を見せただけで自身と人質である妹に危険が及ぶ。
しかも彼女はテレパスだ、常に従わなければ殺すというメッセージを受け取り続け、後ろ暗い権力者から命を狙われ続けてきたはずだった。
彼女の頭上で、幾度その処遇について議論されたことだろう、少なくとも両手で数えられる回数であるはずが無い。毎回その選択肢に『殺害』というカードが提出されているはずだ。
レベル5の能力者といったところで、狙撃で死ぬし毒で死ぬ。
彼女は生きているのではない。生きる事をとりあえず許可されているに過ぎないのだ。
だからこそ……
多かれ少なかれ、そんな危うい薄氷の上を必死に歩く能力者が生き続けるためには、自分達のような者が必要なのだ。
そしてそんな事情から、狩る側である自分達も理性的で力に溺れない人間であることが求められる。『こいつらは危険だ!』と上に判断されるとこちらが危険なのだ。
だから自分は、力が強くても傲慢な者ではなく、弱くても誠実なアキラを選んだ。
当初の苦悩とは多少ズレてしまった結論とその思考経路に静流は苦笑する。
御門は片付けを終え、テーブルの脇に静かに立っていた。
「来るかな?」
「……来ないと思います」
それはそうだ、静流は自分の至らなさに少しだけ後悔する。といっても仲間になったらいつか通る道だ。早めにわかって良かったし、優しい少年をこれ以上苦しめたくない。きっとこれで良かったのだろう。
静流は一人息を吐いた。
御門は今回の概要を知っているし、アキラが来ないのならブリーフィングを続ける必要もない。
静流は自嘲気味に笑いながら
「それでは行くか」と御門に声をかけた。
□□□□□□
非など無い、責める者などいやしない、しかしアキラは自分が情けなかった。
顔を涙と鼻水と涎とゲロまみれにしながら、アキラは自分の情けなさに、惨めさに打ち震えて女々しくしゃくりあげていた。
あれだけ偉そうに語ったのだ、静流を面前で罵倒したのだ。「人を殺すなんて!」と。
一瞬だけとはいえ、その自分が、心から藤枝を殺したいと思った。
勿論、家族と育んできた愛とか情といった優しい価値観を間違っているなどとは少しも思わない。
しかし、その瞬間、認めてしまった。納得してしまった。
両立しえない二つの価値観に挟まれ揉まれる自分の脆弱さが酷く悔しいのだ
アキラはトイレの手洗い場、肩で息をつきながら鏡に映った自分を見た。
静流はすまないと言った。
しかし彼女は悪くなかった。謝られる理由が無かった。それがまた少年の涙腺を刺激する。
逃げたくない、そう思った。
このまま退席して逃げ帰ったら一生、暖かい家庭からも、能力者になってしまった自分からも目を逸らし続けることになるだろうと思った。己の芯にヒビを入れたまま生活することは出来ないと思った。
踏み止まったからといって何かが出来るわけでもなかった。何かが劇的に変わることも無いだろうし、静流たちからすればどうでもいい葛藤なのだろうと思う。
だからそれは男の子の青臭い意地みたいなものなのかもしれない。
アキラは決意する。
「覚悟を、決めよう。きちんと確かめよう」
洗った顔をバシっと叩いて、鏡に映った自分の目を見る。
よし、まだ死んでない!
アキラはもう一回気合を入れてトイレを出た。
アキラが談話室に戻ると、静流は少し驚いた顔をした。部屋が換気されていて少し恥ずかしい。
「大丈夫か……?」
心配そうに静流が聞いてくる。
アキラは静流を睨みつけるように見据えて言った。
「大丈夫です。お願いします。ご迷惑おかけしました」
静流は一瞬驚き、「分かった、君は強いな……」と呟いた。
静流が投影ディスプレイに再度電源を入れ、先ほどの場面まで操作して説明を再開する。
「この藤枝だが、この事件の被害者、木村修一の妻と娘に危害を加えていない。つまりこの二人は、全ての事件の中で、藤枝の犯行を直接目撃している唯一の証人だ。そしてその二人がこのホテルに滞在している。今から、木村を殺害したのが本当に藤枝かどうかを確認しに行く。そして少しでも情報を引き出したい」
そこまで言って、静流は御門の方を向いて告げる。
「御門、今回は直接の聞取りが困難だと思われる。申し訳ないが、君には潜って貰う。いいかな?」
御門が何の感情も示さずコクリと頷いた
そして今度はアキラを見て静流が告げる。
「アキラ、君はあくまで見学だ、何もしゃべらなくていい。不用意な発言が相手を追い詰めることもある。我慢してくれ」
「わかりました」
そして、静流は驚くべきことを口にする。
「そして確認が取れ次第、今日の強襲作戦の準備に入る。アキラは勿論参加しない。ちゃんと家まで送るから安心しろ」
「えっ、犯人の居場所がわかっているんですか?」
アキラの質問に対し、静流は再度投影ディスプレイを操作しながら「偶然だったんだ」と言い、続きを話し出す。
「犯行の二日後、警察が偽造TIのブローカーを捕まえたのだが、こいつが取引を求めてきた。『昔、一昨日の殺人事件の容疑者の偽造TIを作った、データを提供するから見逃してくれ』と」
静流が、そのTIの使用履歴をディスプレイで投射しながら続ける。
「まあ取引をしたかどうかは別として、公安はそれを手に入れた。その結果、藤枝は犯行翌日、都内の出張者向けの短期間賃貸マンションを借りたことが判明、監視班によってウラも取れた。公安様は表ざたになった事件に対し腰が重いし、そもそも私軍法人が出来てからはあいつら組織犯罪専門なんだ。だから普通こういう面倒事はウチに回ってくる。下請けはつらいよ」
皮肉を言いながら、静流はどこか得意気な顔を見せてニヤリとする。
静流は、投影ディスプレイの電源を落としながら
「まあ、レベル3程度の肉体強化だったら何とかなるさ、まずは遺族に会いに行こう」
と楽観的に言い、片付けをし始めた。
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