第10話 藤枝守

 正月明け、冷たい雨が降る日、俺が出勤すると、職場はただならぬ不穏な空気に包まれていた。

 同僚達がヒソヒソと遠巻きにこちらを眺める。挨拶しても微妙な顔をして逃げるばかり。

 首をかしげながら『I計画』に関して調べた報告書を作成していると、突然呼ばれた。


 俺は何事かと顔を上げて驚く、それはそうだ、零課はほとんど階級が関係無いとはいえ、公安警察という縦社会の中の組織だ。そして他部署の連中は顔を晒したがらないから、零課、それも弐係以外の人間はほとんど知らない。そんな俺でも顔を知っている二名の男が目の前にいた。課長と参事官だった。

 

 課長が「藤枝君、少し質問がある、いいかね?」と言った。

 いいかね?じゃない、断れるわけが無いのだ。実質命令だ。

 周りを見ると、いつの間にか弐係の連中は誰もいなくなっていた。そして代わりに独特の雰囲気を纏った統一性のない男達が俺を囲んでいた。見たらわかる、全員が高レベルの能力者を殺し慣れている。クソが! 零係の連中だ。

 何だこれは、これじゃ俺がまるで……


「先月、仙台と日立で各一件の殺人事件があった。どちらも一家惨殺だ」課長が言う。

「被害者は全員、鋭利な刃物でも不可能な位、鋭利に切断されていた。意味はわかるね、空間操作系の能力者の仕業だ。そして、犯行時刻、君が近隣で目撃されている。各地の路上カメラからも裏は取っている」


 確かに先月、仕事で仙台にも日立にも行った。しかしこれは能力者の面談のためだ。


「空間操作系能力者は希少なのは知っているね、ウチの課には君以外存在しない。そこで、君の頭を覗かせてもらいたい」


 なんだ馬鹿馬鹿しい、最初からテレパスを連れて来て、一言言って覗けばいい話だ。仰々しい。

 覗かれて困ることなんてやっちゃいない。桃子に関することを避けてくれれば勝手にしてくれという感じだ。

 だから俺は「勝手にしてください、仕事押すと定時に帰れないんで、さっさとやって下さい」とだけ言った。

 御大層なことに、既にテレパスを連れて来ていたらしい。レベル3だと名乗る男と女だ。歳は二人共二十代前半だろうか、見たことが無い。

 二人は順番に俺に触れ数歩離れた。俺は面倒くさい連中だと嘆息しながら自分の仕事に戻ろうとした時、信じられないことが起きた。


「彼が犯人です」

「間違いありません」


 そう言った。

 驚愕に振りかえると、既にサイキックが攻撃を仕掛けてきていた。


 マズイ!


 空間を遮断して攻撃を防いだ。サイキックの効果範囲が広い、俺を通りすぎた力が机を蹴散らす。大量の書類が紙吹雪の様に舞った。

 すぐに左足が捻じられるような力が働いた。ピンポイントの座標指定だ、空間断裂で回避出来ない。あと2秒もあればねじり切られる!

 俺はすぐ拳銃を抜き放ち、攻撃者らしき男の太腿に一発発砲した。男が呻いてうずくまる。左足が自由になった。

 すぐ俺は叫んだ。


「ちょっと待ってくれ! 俺はやってない! そいつらはウソを言ってるんだ! もう一回別のテレパスを連れて調べてくれ!」


 課長は顔色一つ変えずに少し逡巡して「わかった、もう一度だけだ」と言った。そして、外で野次馬の如く群がっている弐係の職員の中に、係長を見つけると、一人貸して欲しい旨を言った。

 小山が指名された。一見地味なこの男も子持ちで、よく、ウチの子のほうが可愛いと親バカ談義を交わした仲だった。係内での信頼も厚い。

「この男でいいか?」と課長、「問題無いです」と俺


 小山が俺に触れた。瞬間小山の顔が驚愕と嫌悪に歪む。

 俺は背筋が凍り、内臓がせり上がる感覚を覚えた。

 愕然としていると、視界の端で、先ほどのテレパスの女が残酷に口端を吊りあげた。


 ハメられた!


 一瞬で俺は理解した。

 あの女レベル3どころじゃない。最低でもレベル4以上の怪物だ! 高レベルのテレパスが自我を保っている事自体で既に化け物だ。

 俺に触れた一瞬で、疑似イメージを構築しやがった! サイコダイブした小山はそれを見たに違いない。小山がイヤイヤするように首を振っている。いい、分かっている、言わなくてもいい。そんな目で見るな……。

 俺の予測は的中していた。

 小山は消え入るような声で


「間違い……ありません……」と言った。

 瞬間、俺は防御のための断裂を展開、窓を破って外に飛び出した。


 車は既に押さえられていた。バスや電車を待っている時間も無い。運悪くタクシーも拾えなかった。

 だから俺は冷たい雨の中、もう三〇分近く全力で走り続けていた。二人を人質にされるわけにはいかなかった。

 どこだ……どこで俺はしくじった! クソが! クソったれめ!

 機動力のある能力者が襲ってきた。腐っても元『猟犬』だ。殺さない程度に攻撃して撃退した。

 何度も気を失いかけながらも家にたどり着いた。

 冤罪をはらす自信はあった。いくらレベルが高くても疑似イメージなんていう小手先の記憶は、長期的には通用しない。時間を開けて綿密に調べたら綻びは必ず見つかる。

 しかし話を聞いてもらえるような状況ではなかった。ハメられたのだ。他に何が用意されているかわかったもんじゃない。だからこそ、一旦隠れなければならない。

 家のドアを切り飛ばして中に入る。


「桃子! 桜!」俺は叫んだ。


 返事が無い。

 クソっ! クソが!

 リビングのドアを蹴破る様に開ける。そこには……


――桃子が転がっていた・ ・ ・ ・ ・ ・


 それからしばらくのことは覚えていない。泣いてはいなかったと思う。

 気が付いたら、零係の男たちに囲まれていた。

 俺は抵抗しなかった。さっさと殺してくれと思った。俺の生きる意味が無くなったからだ。

 しかしいつまでたっても攻撃が来ない。俺は焦れて後ろを振り返った。

そこには零係の男たちが、等間隔に刻まれた肉塊となって散乱していた。刃物では成しえない程鋭利な切り口で。


 そしてリビングの入り口に、頭髪を綺麗に油で撫でつけ、薄い笑みを浮かべる能面のような顔をした男が立っていた。アカツキとその男は名乗った。

 「アブナイところでしたネ」片言の日本語でアカツキは言った。「ワタシといっしょに来まセンカ?」と言った。

 俺は一瞬で全てを理解した。だからアカツキに全力で『断裂』を叩きこんだ。

 アカツキは何の前触れもなく消えて俺の右側に現れた。

 思った通りだ。そして思った以上の化け物だ。


 空間操作系しかも転移能力!

 戦闘に関して転移能力者は、異論の挟む余地なく最強だ。そしてコイツは自己転移も出来るレベルの能力者ときてる。正面から戦いを挑むのは無謀だ。俺の理性がそう告げる。だが俺は止まるわけにはいかなかった。だから部屋全体を切り裂く断裂の嵐を発動させる。

 アカツキはその全てを難なく回避して、顔に薄い笑みを貼り付けたまま

「アブナイですネ」と言った。

「なぜだ……!」俺は呻いた。


 「なぜ俺をハメた……なぜ、二人を……殺した…………」


 涙が溢れた。俺は、最強クラスの敵の前で崩れ落ち、嗚咽を漏らした。


「二人? まあいいデス、バレちゃいましたか」 


 アカツキは続けた。

 

「知ってしまったからデスヨ、知られたら殺害か懐柔の二択デス。アナタは優秀だ、だからどちらに転んでもいいように動きマシタ。家族にモレていても困りマスし裏で動くには身軽デショ。ちなみに一人デスヨ? ワタシがコロシたのは」

「桜は! 俺の……俺達の娘はっ……!」


 俺は一瞬すがるような、神にすがるような顔をアカツキに見せたと思う。 ここで桜が生きていたら、感謝の言葉すら述べていたかもしれないと思う。

 しかし


「どこかテキトーに跳ばしマシタ。運が良けレバ生きているんじゃないデスカネ、まあ多分シんでると思いマスヨ?」


 アカツキは酷薄な笑顔で答えた。

 この瞬間、俺は死んだ。

 俺の世界は終わった。



 ――殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺

してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる 


 俺は絶叫した。



□□□□□□□




 藤枝は、両膝をつき俯いていた。魂の抜けたような呆けた顔をして、涎を垂らしながら唸っている。

 木村は勝利を確信し、目の前の惨めで滑稽な人間を見下ろしていた。

 やったぞ! あの消去リストトップの猟犬を!


 あのアカツキを一時撤退させ、並み居る手練れを退け続け、《プロセッサ》から八年間も逃げ続けたあの猟犬をだ。  


「あの猟犬が、こんなにあっけなく終わるとはな」


 木村は余裕の笑みで、銃口を藤枝の後頭部に向けた。

 それを見た美知香が初めて気付いたように叫ぶ。


「修一、ダメよ! 何をするつもりなの!」

「こいつは、大量殺人を犯した犯罪者だ! 正気に戻る前に対応しないとこっちが殺される」


 美知香の瞳が不安そうに揺れている。

 こんな所は見せたくなかったが背に腹は代えられない。後でちゃんと説明したらきっとわかってくれる。

 木村は一瞬、罪悪感に襲われたが、気を取り直して引き金に指をかけた。今藤枝が能力を使えるとは思えない。


「悪く思うな」


 木村は指に力を込めた。



□□□□□□□




 何だ、そんなことだったのか

 藤枝は思う。

 簡単な事じゃないか。

 絶望の淵で、少しずつ、本当に少しずつ忘れていった。

 心が壊れないように、ゆっくりと、本当にゆっくりと忘れていった。

 それは多分、無意識下の防衛本能だったんだと思う。

 それは多分、自分の中の理性が、何とか自分を生かそうとしたのだと思う。

 自我が崩壊するのを何とか抑えようと、心が悲鳴を上げ続けるのをなんとか止めようと。

 忘れることで自分を守ろうとしたんだと思う。


 しかし

 そうではない、そうではないのだ。

 あの時自分は死んだのだ。

 あの時、世界は終わったのだ。

 何を複雑に考えていたのだろうと思う。

 シンプルだったのだ。

 必要なのはとてもシンプルな答えだったのだ。

 とても簡単な事を思い出した。

 忘れていた純粋な気持ちを思い出した。

 だから藤枝は『断裂』を奔らせた。


「がああぁっぁぁああああああああああああああああああああ――――ッ!」


 悲鳴は少し遅れてやってきた。

 木村は切断された右腕から鮮血を撒き散らし、駄々をこねる子供の様に床を転がっている。

 藤枝がゆらりと立ち上がり、木村の髪を無造作に掴み、引き起こした。


「忘れていたんだ」


藤枝が晴れやかな顔で告げる。


「……ッ!」


 美知香はまだ何が起きたか理解していないようで茫然としている。

 木村が顔面を蒼白にして奥歯を噛む。藤枝はどこかすっきりしたような声で話しはじめた。


「データが最優先と思ったんだ、追手が来る前にと思ったんだ。今更、何で命を惜しんでいたんだろうな……」

「や、やめっ」

「でもそうじゃなかった、違ったんだよ……」


 ここで藤枝が、ゾっとするような凄惨な笑みを、返り血で濡れる顔に浮かべた。木村が痛みを忘れて恐怖する。


「殺せばよかったんだ、追ってくる者全て、そのうち手掛かりは手に入る。そしてまた殺す。そうしたらいつか全員殺せるだろう、簡単なことだった、あの時誓った、お前ら全てに地獄を見せてやる!」


 藤枝が壊れた顔で壊れた笑い声を上げた。

 この時木村は、自分が最悪の選択肢を選んだことを知る。


「た、助け――」

「ありがとう」


 藤枝は、また晴れやかな笑顔に戻ると

 木村の左腕を切り飛ばした。鮮血が飛び散る。


「あぁっ……あっうぅっ……」


 木村は悲鳴すらあげられない。痛みのショックと大量の出血で死にかかっているのだ。

 藤枝はそれを数秒眺め、今度は両足の太腿のあたり『断裂』を走らせる。

 噴き出すほどの血は出なかった。既に大量の出血をしているのだ。

 美知香は、ここでやっと我に返り、狂ったように悲鳴をあげた。

 木村は既に反応すらせず、痙攣し、両目をグルグルと不規則に動かしている。失禁もしているようだ。

 藤枝は木村を血溜まりに放り投げると


「お前には本当に感謝している」と呟いた。


 そして、こらえ切れなくなったように嗤いだした。

 藤枝は、形容しがたい奇声をあげながら嗤い続けた。

 狂ったような嗤い声と、狂ったような叫び声が夜空にこだまする。


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