第7話 藤枝守 2029年  ②

 アキラは絶句した。息をするのも忘れた。


 ありえない……

 それが第一印象だった。 

 腰まで届きそうな長い黒髪、少し吊りあがった大きな目、日本人にしては高目の鼻は、細い顎と相まって芸術的なラインを描き、桜の花弁のような唇が慎ましく自己主張をしている。歳はアキラと同じくらいだろうか。


 現実では目にすること能わず。

 神話や伝説、又はゲームのCGといった仮想世界でしかあり得ない、その完璧な造型を再現するのは、稀代の名工が生涯を賭して成し得るかどうかという話であろう。

 ひどく完璧な美貌を無造作に携えた少女がそこにいた。


 そんな美しさとは反対に、少女の存在は今にも消え入りそうに儚かった。歪とも言い得るそのバランスは、何かの違和感となってアキラの肌をザワつかせる。

 それでもなお電球一つで、薄暗い部屋の中で、その少女は輝いて見えた。

 少女はアキラに一瞥もくれず静流の下へと近付いてゆく。

 近くに来た少女の顔を見上げ、アキラは再度絶句する。


 目だ。


 大きめの黒目は、瞳孔が完全に開き切り、どんよりと暗く濁っている。冷たい目という訳ではない、感情が一カケラすらそこに宿っていないのだ。目が合うと絶望の海に引きずり込まれそうな、そんな目だ。

 見たことは無いが、死体の目がこんな感じではないかとアキラは思った。

 少女が澱んだ目を静流に向けたまま、全く抑揚のない口調で再び問いかける。


「……終わりましたか?」

「ああ、終わったよ」


静流が銃を懐にしまいながら言った。


 終わった? 何が?


「彼はサイキック、レベルは2程度」


 事態が飲み込めず、アキラが視線をあちこち巡らせていると、静流が口を開いた。


「申し訳ないが君の能力を試させてもらった。君がどうなるかは次の質問の返答次第だ。いいかな? 御門、YES・NOレベルの表層まででいい、それ以上は潜るな。」


 少女がコクリと小さく頷いた、御門という名前らしい。

 彼女への指示の内容はよくわからないが、こっちは「いいかな?」と聞かれたところで、頷くしか選択肢はない。


「はい……」

「君のTIの身分履歴を照会した限りでは犯罪歴は無い。そこで質問だ。君は刑法上の構成要件該当事実を故意で行ったことはあるか? なお、違法性阻却事由及び責任要件は加味しない」


 意味がわからない……

 ポカンとするアキラに静流は続ける。


「まあ簡単に言うと、捕まっていないだけで犯罪行為をしたことがあるか? ということだ」


 予想もしない方向からの質問でアキラは一瞬たじろぐ。

だが、自分は真っ当な高校生だ、犯罪行為などしていない。当り前のことだ。

 とはいっても年頃の男子である、多少のルール違反はあるかもしれない、18禁とかそういうアレだ。

 しかしそれは健全な高校生男子として配慮していただくべき部分でありそもそも人類子孫繁栄のために必要不可欠な崇高な行為を描写したものであって決して邪念や劣情とか邪な気持ちで事にあたってきたわけでは無いと申しますかとにかく決して犯罪とかそういうアレではないのだ。

 だからアキラは断言した。


「ありませんッ!」

「……やましいことがあるようです」


 間髪入れずに御門が報告する。

 静流が目尻を吊り上げ。再び懐から銃を抜き放った。


「どういうことだ? 弁解の機会をやる。死にたくなかったら正直に答えろ」


 底冷えするような声に、アキラは小動物のように身を震え上がらせた。


「御門は高レベルのテレパスだ、嘘は通用しない、私は言ったぞ、弁解の機会をやると」


 静流が殺気を纏い始める。

 アキラは、弁解が可能だということは理解していた、しかしこの期に及んでも同世代の可愛い女の子にそれを聞かれたくない、という思春期の少年特有の羞恥心が素直に弁解することを拒む。口ごもってモジモジするアキラに対して


「わかった、もう終わりだ」


 静流が目をすうっと細め、引き金に指をかけた。


「ま、待って! 言います! 言いますから待って下さい!」


静流が、続けろと促す。


「あ、あのっ、その、女性がこう、肌を見せている本というかその、18歳未満はダメとかそういう…… いやっ! そんな言うほど興味はないんですよっ! 本当ですって! そ、そもそもは人類子孫繁栄のために必要不可欠な崇――――」

「エロ本か」

「……」


 アキラはサッと目を逸らした。しかし静流は容赦しない。


「エロ本かと聞いている」

「ち、巷ではそういった呼称もまかり通っておりますが……」

「他には?」


 アキラはブンブンと首を振った。

 御門がフルフルと首を振った。

 静流が無言で銃のスライドを引いた。


「たっ多少! というか若干…… ホントにチョットなんですケドっ! ホントなんです! 本当にチョットなんです! いや、そんな目で見ないで下さい!」

「……」

「……」

「違うんです! 興味……そう! あくまで興味の範囲における収集の話であって! 個性と言っても差し支えない程度の趣向の問題というかっ!」

「だから何なんだ?」

イラついたように静流は先を促す。

「あの…… 多少の偏りを、禁じえない、というか……」

「……」

「……」


 誰ひとり身動ぎせず静まり返る部屋。

 アキラはひとり恥辱にまみれ戦慄いていた。御門が興味なさ気にアキラを見ている。

 静流は少し顎を上げて口端を歪め、うっとりと恍惚に潤ませたその眼で先を続けろと促した。


「ニー、ソックス……的な……」

「……」

「……事実です」


 アキラは泣き崩れた。



□□□□□□□




 アキラは今度こそ家に向かうため、車に乗せてもらっていた。

 あの後、気まずい雰囲気の中、静流が拘束を解いて、恥ずかしいことではないとアキラを励ました。ほぼ初対面の人間にサディスティックな一面を見せてしまったことを多少反省しているらしい。

 御門は一言挨拶を述べると、待たせていたのであろう別の車でさっさと引きあげていった。

 そしてアキラは今、きちんとした自己紹介も兼ね、今回の経緯について車の中で多少の説明を受けていた。家にも既に連絡してくれていたらしい。

彼女、崇岬静流は、私軍関連法上の法人に勤務する準公務員とのことだった。


 TIとは別に身分証を所持していたり、他人のTIの身分情報を照会出来たりと、一定の捜査権を有する公務員かと思っていたが、やはり近いところをついていたらしい。そして静流は私軍関連とかよくわからないことについても大まかに説明してくれた。

 私軍関連法とは、二〇一一年の通常国会において、与野党共に賛成した「私設軍事的実力を保持する社団の設立及び運営に関する法」をいうらしい。

立法の背景としては、第二次朝鮮戦争に端を為す極東亜戦争、その傷による半島の政情不安や、泥沼化の一途をたどる中国の内紛があった。


 これらの不安定な事情により早急な国防力の回復が急務であったが、いっても日本も戦後三年、早々に国防力が回復するわけがない。

 そこで苦肉の策として提出されたのがこの法案であった。退役した自衛隊員や、高度な技術を有する軍人を招いて人的資源不足の解決にあたろうとしたのだそうだ。

 もっとも、あまりに厳しい設立条件や、遅々として進まない施行令の制定、それによって、当時この法律が運用されることは無かったらしい。

 ところが二〇二二年の通常国会にて、死んでいたこの法律が警察法や警職法その他の関連法案の特別法としてひっそりと大幅改正され、少し別の目的で運用されるようになった。一定の警察権その他権力を有する第三セクターの誕生だ。


 そしてその第三セクターの舵を切るのは、今や、対テロ・対工作活動等に関する国内治安維持の全権を有する『公安警察』と、戦後解禁となった兵器産業によって一躍世界最大規模のコングロマリットとなった丸菱。もう少し正確に言うと、その丸菱グループの中で既に独立しているとも揶揄される程の強権を誇る『丸菱重工』。もはや国内では無双状態の巨大経済組織だ。

 彼らが運営する私軍関連法人は現在四つ存在している。といっても、各社、責任者は公安からの出向一人、丸菱重工から数人の技術者、その他職員が数人という構成だというのだから、事務所レベルの小規模な組織なのだろう。


 そしてその職務内容は、能力者の探査・教育、能力者による犯罪の防止・更生、能力者の存在が明るみに出ないよう防止・工作、が主な仕事で、特に教育と更生の仕事が多いらしい。何だか保護観察官みたいだ。

 近年、能力に目覚める者は、日本でしか確認されていないらしいが、目覚める条件として人種は関係なく、何らかの地理的要素がこの国にあるということ。

 そして現在、能力者の人数は把握しているだけで五四〇人程度。

 最初聞いた時は、信じられないと思ったのだが、自分が能力者になってしまったんだから信じるしかない。


 それにしても能力者ってそんなにいっぱいいるのだろうか。色んな人に会ってみたいなあ。

 そんなことをのんびりと考えながら、アキラは運転している静流に目をやる。

 このぶっきらぼうな美人のお姉さんが扉を開いてくれた。何も知らない自分に新たな道を提示し、新たな世界に導いてくれた。

 アキラは、2週間前はじめて「魔法使い」になった日の気持ちを思い出していた。

 能力を生かしたそんな仕事が出来るようになるだろうかとアキラは胸躍らせていた。


 だがアキラは世の悪意を知らない。


 満たされた世界で、更に優しい温室の中で暮らして来たアキラには想像できない。

 持たない者が持つ者をどういう目で眺めるか、その視線の粘度をアキラは知らないのだ。

 絵に描いたような冒険譚は現実には起こり得ない。力があれば群がる者もいる、怯える者もいる。誰もが自分と愛する者を守ろうと必死だ。そのための行動が行きつく先などいつの時代も決まっている。

 だから静流の「仕事はあと二つある……」の次に続けた一言で、アキラの新世界は暗転する。


「一つは凶悪犯罪を犯した能力者の……処分」

「え、処分って……?」


 突然の物騒な単語にアキラは思わず聞き返す。

静流は一瞬の逡巡をごまかすかのようにバックミラーを見やってから口を開いた。


「殺害だ」

「そ、そんなことって!」

「可能な限り確保はする。自分が殺したくはないからな、そうしたって引き渡した先に何が待っているかなんてわからないんだ。ちなみに引渡先は丸菱の研究施設だ、何が起きてるかなんて君にもわかるだろう」

「わかりません! 崇岬さんこそ自分が何を言ってるかわかってるんですかッ!」


 アキラは怒りに声を震わせた。初めて触れる濃厚な悪意に身を震わせた。


「いいか、何を言っているのか分かっていないのは君のほうだ、能力者が能力を使って犯罪を犯す。これがどういうことかわかるか?」

「……」

「例えば、能力者が能力で人を殺した場合、捕まえた後どうする、『この人は超能力で人を殺しました』と裁判で証言でもするつもりか? 物理法則を超える力を使った犯罪の科学的物証なぞどこの世界に存在する? 証拠が無ければ何をやっても無罪だ、こいつは大手を振って外に出てくる。そしてまた人を殺す」


 静流が何かを思い出したように目を細める。そしてどこか疲れたように言った。


「そもそも能力者の存在を明らかに出来ない以上、誰かがやらなくてはいけないんだ。」

「わかりません! おかしいですよ! それに冤罪の可能性だって!」

「ある程度のテレパスがいれば冤罪なんて起こらない。その程度の調査は言われなくてもやっている。君を見てると、幸せな家庭で育ったんだろうと思うよ。ならば君の家族が能力者に切り刻まれたらどう思う? それでもまだ同じことを言えるのか、家族を殺した殺人鬼が愉快に人生を満喫しているのを我慢できるのか?」

「――っ!」


 既にアキラの目にはうっすらと涙が浮んでいる。

 アキラは自分の親が、家族とその世界が正しいと心から信じている。だからこそ、その世界の理屈が通用しないことが悔しくて情けないのだ。

 『理解』はしている、だがアキラにとって『納得』することは家族への裏切りだ。だから負けると分かっていても言い返さなければならなかった。


「それでもっ! 人を殺すなんて最低――」



「我々は人ではない! 人権なんて無いんだ……っ!」




 その言葉は衝撃を伴ってアキラの胸に突き刺さった。

 能力者としての先輩の、低く絞り出すような言葉に吐き気がこみ上げる。

 家族を裏切れないとの決意は、早くも紙くずと消えた。言い返す言葉など無い。

 静流は今日一番の苦悶の表情で話を続ける。


「今日言うつもりではなかったが、いい機会だから言っておくよ……」

「……」

「今日この日から、君はこの国の憲法が保障するほとんどの権利を剥奪される。同時に様々な制約が発生する、重度の機密保持義務も課される。逆らったらそれ相応の処分が待っている。」


 一節一節がアキラを傷つける。

 万能の幸福などこの世には存在しない。

 マイノリティの生存は、マジョリティの「道徳」や「倫理」という不安定で危うい要素の上で、かろうじて成り立っているに過ぎない。

 一度暗転した世界に、更に闇は押し寄せる。


「もう一つ言ってない仕事があったな……」

「もう、やめてくだ――」

「それは人質の調査だ」


 おぞましい想像が頭をよぎり、アキラの手がガクガク震える。

 違ってくれ、今自分が想像したことではないと否定してくれ! 何をおかしな事を考えてるんだと馬鹿にしてくれ! アキラはここまでの悪意を見せつけられて、それでも善意を信じたかった。

 だからこそ彼の絶望はまだ終わらない。

 喉元までせり上がった胃液を飲み下してアキラは呻くように呟いた。


「人質って、何の、ですか?」

「把握している能力者全てのだ。親、兄弟、子供、配偶者、恋人、友人、何でもいい。全てが対象だ。残念ながら今日から君の家族は全員人質となる。理由は説明させないでくれ」


 アキラはせわしく動くワイパーから目を離せない 

 もし反対側に立っていたら納得し得る論理なのかもしれない。先の戦争の凶爪は人々の魂に酷い傷跡を残した。結果、全体主義的思想に傾いた人々に渦巻く『脅威に対する忌避の念』は比較的容易にこの措置を受け入れるだろう。 

 しかし不幸にもアキラは忌避される側の人間であった。

 アキラの中の何かに亀裂が走る。そして、そこから顔を背けたくなる様な何かが滲みだしてくる。


 それは優しい世界で育った少年が、生まれて初めて抱く『憎悪』であった。

 暗い悦楽にも似たそれを、16歳の年若い少年は持てあましてしまう。

 憎かった。ただひたすら憎かった。背骨の中心から、焼きつくように広がる痛みを、誰かに擦りつけないと壊れてしまうとアキラは思った。

 だからアキラは、隣で運転する女性にそれぶつけることで自分を守ろうとした。


「道連れが……欲しかったんですか……?」

「……違う」


 静流が悲しそうに首を振る。


「他人の幸福が妬ましかったんですか? それを奪われた僕を見てそんなに楽しかったですか?」

「違うんだ。」


 アキラは、暗い欲望が命じるままに言葉を吐き出した。


「何が違うんですか、どうせ報酬でも貰えるんでしょう? 何か欲しい物があったんですか? 他人を売ってまで何か欲しい物でもあったんですか?」

「違う……」

「じゃあ…… じゃあ何で僕のこと捕まえたんですかっ! 害なんて無いことはわかるでしょう! ちょっと見逃せばよかったじゃないか! 僕が何かしたんですか! 何か悪いことをしたんですかッ!」


 アキラは叫んだ。叫ばなければ、自分がどうかなってしまいそうだった。

 なおも怒声を上げようと口を開いたアキラを遮って静流が叫ぶ。


「報告義務があるんだ! 我々は月に一回頭を覗かれるんだ! 能力者の探査・登録に関しては最優先に! どうせバレる、そして私は処罰される!」

「~~っ!」

「私にもっ! 人質がいるんだ。失いたくない人が、いるんだ……」 


 それはあまりにも悲しい言葉だった

 力無く震え、尻すぼみにかすれていく言葉に、この強く美しい女性ですら巨大な闇を抱えてるのだとアキラは知る。

 少し考えればわかることだった。

 アキラが初めてであるわけがない。これまでにも、彼女は誰かに同じような宣告をし、同じように罵られてきたに違いないのだ。他人の苦痛を喜ぶ人間が、こんな悲しい顔をするわけがない。今誰よりも傷ついているのは、宣告する側である彼女だったのだ。

 アキラは自分の矮小さに涙を滲ませる。そして答えのわかりきった質問を口にした。


「なんで…… 何で公表できないんですか、ちゃんと話して理解してもらって……!」

「戦争になる。我々は皆殺しにされる。いつの時代にも魔女狩りは起こり得るんだ」


 倫理と利益を天秤にかけてどちらが重いかなど、歴史を紐解けば議論する必要すらない。

 元々そういうものなのだ、アキラは知らなかっただけだ。

 ついさっきまでアキラは新しい世界の扉が開いたと、新しい世界に足を踏み入れたのだと胸を躍らせていた。

 確かに扉は開き、足も踏み入れた。

 しかし、その世界はあまりにも残酷で優しくない世界だった。


「能力者になんて、ならなければ良かった……」

「私も、そう思うよ。」



 アキラは、背後の扉が閉まる音を聞いた。

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