第4話 夏目アキラ 2028~2029年 ③

 正月が明けてもアキラの興奮は収まらない

 それはそうだ、小さい頃は誰もが一度は夢見るおとぎ話の世界に足を踏み入れたのだ。どこぞの異世界に飛ばされて、勝手に勇者に指名されるかもしれない。魔法少女が降ってきて世界をかけた戦いに巻き込まれたっておかしくない。夢の一端を手に入れてしまったからこそ、夢は膨らむばかりである。 


 あれから毎日、アキラは暇さえあれば能力を試した。

 最初は割りばし位の物を持ち上げるのがやっとだったが、今では自室の椅子くらいならなんとか持ち上げられる。もっと練習すればもっと色んな事が出来るに違いない。

 親に頼まれていたデータを渡すために銀行へと向かう道すがら、アキラは鼻歌など歌いながらスキップしていた。


「神様ありがと~~~!」


 通行人の可哀そうなものを見る目も気にならない、「見ちゃダメよ!」と子供を諭すお母さんの声だって気にならない。


 僕は魔法使いになったんだ!


 アキラは有頂天だった。

 だからかもしれない。

 そこに漂う緊張した空気に気付かず、何やら中から聞こえてくる甲高い声も気にならず、 「ちょっ、キミ!」なんて言葉を振り切って。

 アキラがスキップしながら銀行へ入ったのと、銃声が鳴り響いたのは同時だった


 銀行は強盗に遭っていた。



□□□□□□□





 まず最初の感想は、あれ? 覆面レスラーかな? という日常ではありえない短絡的なものだった。

 しかし現実は想像の非日常よりさらに一歩進む。


「おいてめえ! 今すぐそこに座れ! そのまま動くんじゃねえ!」


 覆面男がアキラに銃を向けながら、客らしき人達が固まっている一団に向けアゴをしゃくった。

 覆面男の声は、禁止されているはずのボイスプリントキャンセラー(VPC)を通して発せられていた。声に混じるノイズがアキラの恐怖を掻き立てる。しかも暗く鈍色に光る銃はどう見ても本物だ。


 なんだ、これ……


 現実に理解が追い付かない。目の前が暗くなる。歯が鳴る。膝が震える。ただただ怖い……。


「おい! 早くしねえと殺すぞ!」


 竦んで動けないアキラに、覆面男が苛立ったように怒鳴り散らす。


「え、あ……その……」

「わかった、もうお前死ね。」


 近付いてきた覆面男の銃が無造作にアキラのこめかみに当てられた。

 数発撃った銃身の温〈ぬる〉さに、アキラの意識は無理矢理現実に引き戻される。

 アキラは粘つく口腔から何とか言葉を紡ぎ出そうとした。


「ま、待っ」

「死ね」


 覆面男の指が引き金にかかる。


 殺される……!


「ちょっとまって!」


 弾かれたように覆面男は声の方へ銃を向ける。

 銃口の先には、一団から離れ、しゃがんで両手を挙げた一人の女性がいた。


「その子、ちゃんとこっちに連れていくから、撃たないで欲しい」


 この状況で怯えた風でもなく声を上げる女性に、周りの客たちに緊張が走る。

 覆面男はアキラと女性に何度か視線を走らせ


「連れていけ」


 先ほどと同じようにアゴをしゃくった。


「さあ、早く来るんだ」


 女性は、腰が抜けて動けないアキラを引きずる様に一団へと連れていく。

 助かった……

 他の客の安堵のため息が聞こえてくるようだ。

 アキラは、自分を抱えて一団へと向かう女性に礼を述べる。


「あ、ありがとうございます!」

「しゃべるな、早く座って、あいつ等を刺激しないようにするんだ」


 アキラは、自分を救ってくれた女性の押し殺すような言葉に情けなく身を縮めたが、助かったという安堵感からか周りを見渡す余裕が出てくる。

 人質としてフロアの中央あたりに固められた人の数はざっと十五人程度、皆緊張に身を強張らせ、自分の身に危険が及ばないよう、身を縮こめ小さくなっていた。

 覆面をかぶった男は三人いた。一人は銃を右手に客を睨みつけ、もう一人はカウンターで、かなり大きなバッグに札束を一心不乱に詰めている。そしてもう一人は、先ほどアキラに銃を向けたリーダーらしき男だ。油断なく常に周りに視線をやっている。三人ともVPCを装備しているようだ。

 先ほど聞こえた銃声は天井に向かって撃ったものらしく、フロアの天井一部分が抉れ、下にはその破片が散らばっていた。

 そして左頬を赤く腫らせた責任者らしい壮年の男性行員が、分目が乱れた髪も気にせずせっせとカウンターに現金を積んでいる。

 おそらく家庭では厳格なお父さんであろうその行員も、理不尽な暴力の前では無力だ。

アキラは、行員のそんな姿を見て、自分の置かれた状況をやっと冷静に理解していた。


「あまりキョロキョロするな、刺激するんじゃない」


 再度横から投げられる押し殺した声に、びくっとしながらアキラは声の主を見る。

 男物のスーツに身を包んだその女性は、十代の少女には持ち得ない「大人」の雰囲気を体に纏い、強気に跳ね上がった眉、鋭角の鼻梁が意思の強さを主張し、獣のようにギラつく吊目がそれを裏付けていた。おそらくは二十代前半だろうか。肩にかかる程度の黒髪を揺らすその人は異論を挟む余地のない美人だ。そして、その年頃の女性が放つであろう色艶より、触れたら切れそうな雰囲気を漂わせている。


 その女性を見てアキラが真っ先の思い浮かべた言葉は『鉄』それも鍛えに鍛え抜いた鋼だ。

 その口調、その雰囲気から、普段は『御淑やか』なんてものは鼻で笑いながら蹴り飛ばすだろう女性が小声でアキラに呟く。


「大丈夫だ、いくら銀行強盗なんて時代錯誤なことをする馬鹿でも特警が来るまでには逃げる。せいぜい十五分程度の我慢だ。だから落ち着いて座っていろ」

「は、はい。すみません……」


 そうなのだ。現代、銀行強盗なんていうのは二重の意味で馬鹿なことなのだ。

 一つは、紙として流通するお金が少ない。

 ほとんどの決済は、個人のID、指紋データ、声紋データ、網膜データに始まる個人情報が満載の個人端末『TI』で行うからだ。そしてこれらの個人情報は、全て国で一括管理されている。強盗犯がVPCをつけているのも、防犯システムに残った声から声紋解析をされないようにするためだ。

 このTI一つで、電話も出来ればメールも出来る。PCに繋げばそのままインターネットが使用出来るし、口座の作成・管理、官公署での手続きから、日常生活で必要な買い物に至るまでの全てが出来る。このTIには、昨日買った総菜から、今日借りたAvのタイトルまで、全てが詰まっているのだ。


 そして身分証明も兼ねたこのTIは、二〇一九年度年初より、日本国民なら小学校の卒業と同時に無料で配布され、日本に在住する十三歳以上(正確には、十三歳になる年度の四月一日から)の人間は、その所持及び携帯が義務付けられている。

 だから現金を持ち歩く必要がほとんどない。現金ばかり使う人間は怪しまれやすい。


 そしてもう一つは

 戦後二十年で強化された、治安維持や国土防衛のための実力組織の存在である。

 その一つが、公安管轄の特殊武装治安維持警官隊、通称「特警」だ。

 彼らは国内の対テロ、対工作活動を主に担当し、人質事件にも規模により顔を出すことがある。その解決方法は、圧倒的武力による現行犯人の撃滅、気が向いたら確保という血生臭い部隊だ。

 彼らの辞書に「容赦」や「慈悲」なんて二文字は存在しない。純粋な戦闘任務になると、FSフルメタル・スキンが12.7㎜の鉛弾をバラ撒いて、あとはゴミ掃除みたいなこともザラにあるらしい。

 したがって、いくら社会から弾かれた犯罪者といえども、よほど頭が可哀そうで無い限り特警とやり合おうなんて考えない。殺して下さいと土下座して頼んでいるようなものだからだ。


 要するに普通に考えて人質事件でもある銀行強盗なんてものは、ハイリスク・ローリターン過ぎて流行らないのだ。この女性が言ったことは、極めて当り前に想像できることだった。

 しかし、だからこそアキラは一抹の不安が拭えない。そして女性は見透かすようにそれを言葉にした。


「しかし、VPCを装備する程度の知能はあるみたいだが、頭が悪過ぎて特警に囲まれたら厄介だな、死人が出る。金持ってさっさと逃げてくれないものか……」


魔法使いになったばかりの少年は一人身を強張らせる。





 不運は畳み掛けて振りかかるし、現実は楽観とは程遠く、想像より厄介なのが世の常だ。

 確かに、遠くにサイレンの音が聞こえたことも厄介だったし、札束を詰める男の手が遅いことも、飽きてきたのか全く見張りをする気配ない見張り役の男も、既にバッグがほぼ満杯なのに、もっと金を持ってこいと怒鳴り散らすリーダーも厄介だった。

 しかし一番厄介だったのは、人質の中になまじ勇気と正義感を持った青年がいたことであった。


 大人しくしていれば無事に帰れる。フロア全体がそんな緩い空気に包まれ始める中、青年は一人、降りかかった理不尽に身を震わせていた。押しつけられた屈辱に戦慄いていた。

 そしてその青年はとうとう行動を起こしてしまう。

 事態は急変する。それは数秒間の出来事だった。

 ドラマや映画では大抵は正義が勝つ。青年はそんな仮想世界の勇者たちに焦がれたのだろう。自分が勝利し、勇者たちと並び称されることを確信していたのだろう。


 青年は、芝居がかった必死の形相で、律儀に「うおおおおおおお!」と雄叫びをあげて、近くにいた見張りの男に飛びかかった。

二人はもつれ合い、床に転がる。その拍子に見張りの男の銃が手を離れ床を滑り、青年が自己陶酔気味に笑みを浮かべた。

 ここまで彼は、彼の想像通り完璧に勇者を演じ切っていた。しかしドラマや映画と違ったのは、悪役が勇者の見せ場を黙って眺めてはくれなかったことだった。


――パンッ   


 拍子抜けするほど軽く乾いた音が鳴った。雄叫びに気付き近付いていたリーダーが、怒りの唸り声と共に青年の右太腿を撃ち抜いたのだ。

 青年は一瞬何が起きたか理解できないような顔をした。そして自身から噴き出る鮮血に気付くと、痛みが認識に追い付いたのだろう。激痛に顔を歪ませた。



「ああああああぁぁああああ―――っ!」



フロアに絶叫が迸る。

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